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Camera & Photo
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BOOK
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2026.9.4
Char
50th Anniversary Tour 2026

Charさんの デビュー50周年記念 全国ツアーは、
6月28日に始まり、7月から8月にかけて
全国13都市を周り、本日が最終日だった。
今年は、初日(かつしかシンフォニーヒルズ
モーツァルトホール)と最終日(NHKホール)を
観ることができた。
今日はギターがとても冴えてたし、声もよく出ていた。
と、6月28日にも同じことを書いている。
もしかしたら、50代の頃より
よく声が出ているのではないかと思った。
デビュー当時の曲は、キーが高いように感じるが、
きっと、喉のケアなど気をつけているんだろうな。
今さら、Charさんのギターを聴いて
「上手い!」とかいうのもなんだけど、
ギタープレイは、数回唸らされてしまった。
2ヵ月強ツアーを周ってきて、ええ感じに
タイトに仕上がってたという印象。
席は2階後ろの方で、ステージまで
ちょっと遠く、やや不満。
以前ならA席かB席だっただろうけど、
最近はそういう安い席は設けず、
全席指定という公演も珍しくない。
本公演も然り。
とはいうものの、NHKホールは2階でも
観やすいし、音も良いと思う。
ギターは、いつものピンクペイズリーのマスタング、
バーガンディミストのストラトキャスター、
『Move On』ほか数曲で、ESP のチャーモデル
(6弦がDまででるタイプ)、アンコールの
『Wodering Again』では、レスポールのゴールドトップ。
曲は6月28日と大体一緒だったけど、
少し違ってた。
『The Leading Of The Leaving』、
『空模様のかげんが悪くなる前に』、
『かげろう』、『Another Face』、
『All Around Me』、『Future Child』、
『ネイビーブルー』、『逆光線』、『闘牛士』
『Shin’ You Shinin’ Day』、『Smoky』
『Move On』、『Livin' In Tokyo』、
『Anytime』、『Apple Juice』、
『Wodering Again』、『Rainbow Shoes』など。
アンコールで何曲やっただろ。
終わってみたら、2時間45分だった。
休憩なしね。
そうそう、アンコールでは観客にリクエストを
聞く場面があり『Jeff's Boogie』を演ったよ。
ジェフといえば、Charさんは何かの曲の
ギターソロのとき、2回ジェフの曲のメロディ
(『Freeway Jam』ともう1曲は何だったか忘れた)が
出て来てたし、小島さんも『Led Boots』のリフ弾いてた。
デビューから50年が経ち、71歳になった Charさん。
デビュー当時は生意気でイヤな奴だったと
自分で言ってたけど、尖がってなきゃ、
ロック・ミュージシャンなんてなれないもんな。
まだまだ元気で続けて欲しいです。
[ MEMBERS ]
Char (Guitar&Vocal)
小島良喜 (Key)
澤田浩史 (Bass)
Tully Ryan (Drums)
@ NHKホール
2026.9.1
MIKE STERN BAND
featuring DENNIS CHAMBERS,
RANDY BRECKER, LENI STERN
& LINCOLN GOINES

本日から4日間8公演のマイク・スターン。
初日の 2d show を観てきた。
今回のメンバーは、昨年と比べると
ドラムはデニス・チェンバースのままで、
奥方であるギターのレニも変わらず。
ベースがリチャード・ボナからリンカーン・ゴーインズに、
ホーンがボブ・フランセスチーニ (sax) から
ランディ・ブレッカー (tp) に替わっている。
(このふたりも過去にマイクとの来日あり。)
さて、ライヴの方はというと、とても良かった。
昨年のエントリーを読むと「20回以上
観ているが、今日はその中でもかなり良かった」
と書いているが、本日も然り。
大変エネルギッシュというのか、
パワフルというのか、
エモーショナルというのか。
観客の反応も良かった。
観客の反応が良いと、プレイヤーは
もっと良くなるからね。
あいかわらず、デニチェンのドラミングは
キレキレで、スリップ・ビートも炸裂してた。
この人がメンバーの中で、一番楽曲を
把握しているように感じた。
去年も一昨年も一緒に来日しているから、
長く演っているということもあるのかも知れない。
リンカーン・ゴーインズは、やや地味目な印象。
ランディ・ブレッカーは、そんなに好きだと
思ったことはないのだけど、今日は良かったな。
トランペットの音にエフェクトをかけるのは
好きではないのだけど。
レ二・スターンは1曲目の唄が素晴らしかった。
曲は『Echoes』、『Wishing Well』、
『Chatter』など。
アンコールはいつものジミヘン。
マイク・スターンを初めて聴いたのは
40年ぐらい前、ボロアパートに住んでいた頃、
同じアパートに住んでいたハラダさんという方の
部屋で、レコードを聴かせてもらった。
ジャズなのに、テレキャスター。
ジャズなのに、ディストーション。
ジャズなのに、チョーキング、というのが新鮮だった。
今では、もう20年以上、たぶん
来日のたびに観に行っていると思う。
観に行ったライヴの記録を付けてあるが、
数えてみたら、マイクを観るのは今日で
26回目だった。
そんなに行っているとは思わなかった。
年に2、3回行った年もあったからな。
コロナの影響で、2020年に予定されていた
渡辺貞夫さん、リチャード・ボナとの共演が
キャンセルになったのは 今でも残念だ。
あの公演は2回観に行くつもりで予約していたのに。
マイクはもう 73歳。
ランディ・ブレッカーは、なんと 80歳!
[ MEMBERS ]
Mike Stern (g)
Dennis Chambers (ds)
Randy Brecker (tp)
Leni Stern (g)
Lincoln Goines (b)
@ BLUE NOTE TOKYO
2nd show
2026.8.29
カレーはスポーツだ! #91
ビーフカレー / サンマルコ(アルデ新大阪店)
★★★▲☆
久しぶりの「カレーはスポーツだ!」。
久しぶりのサンマルコ。
「サンマルク」というカフェ・チェーンがあるけど、
「サンマルコ」は別の店だ。
大阪に「KYK」というファスナーのメーカーの
名前みたいなトンカツのチェーン店がある。
私が大阪にいた30数年前なら、
トンカツと言えば「KYK」だった。
今は知らんけど。
で、そのKYK(会社名は株式会社曲田〈まがた〉
商店)が経営するカレー・チェーン店が
「サンマルコ」だ。
大阪在住の時代から、ここのナスビカレーが
大好きで、よく食べた。
東京に出てきてからも、新宿ハルクや
池袋の東武百貨店の店でよく食べた。
残念ながら、今では東京の店舗は、
東武池袋店だけだけど。
「カレーはスポーツだ!」の更新が久しぶりだと
いうのは、2023年以前に比べて、ここ最近は
外食が極端に減り、カレーを外で食べることも
ずいぶん減ってしまった。
血糖値を気にし始めたことも大きな要因だ。
でも、たまには良いだろうと、昨日は新大阪駅で
ビーフカレー(980円)にエビフライを
2尾(220×2)をトッピング。
カロリー高めの 税込1,420円なり。

カレーはさほど辛くない。
ビーフは柔らかく煮込まれており、まあまあ
美味しいが、ルーも肉も量がちょっと
物足りないねんな。
エビフライももうひとまわり大きければ嬉しいのだが。
サンマルコは、福神漬けやラッキョでなく、
キャベツのピクルスが付いてくる。
これはちょっと酸っぱくてカレーによく合う。
2026.8.28
無敵のソクラテス
第二章 ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け
池田晶子 著

『無敵のソクラテス』の第二章は、1996年刊行の
『悪妻に訊け 帰ってきたソクラテス』
(2002年の文庫本刊行時に
『ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け』に改題)。
悪妻と言われるソクラテスの妻、クサンチッペ。
実際にどういう人だったのか、悪妻だったのか
どうかは分からないけど、こういう人でないと
ソクラテスの相手(妻)は務まらないのだろうと
思わせてくれる。
本章では、ソクラテス、あるいはクサンチッペの
口を借りて、池田はばっさばっさと色んな人を
勇ましいほどに切り捨てる。
柄谷行人(からたにこうじん)という
哲学者は今もご存命(85歳)だ。
彼は刊行時の96年なら、まだ50代だったわけだが、
本書で池田はそんなに批判してもいいの?
と思うほどに切り刻んでいる。
曰く
「真面目な人だとは思うよ。
まわりの太鼓持が崇める程度には
十分頭がいいし、ただ、いかんせん、
気が小さいんだなぁ」
それから映画『シンドラーのリスト』については、
ニーチェやハイデガーまで登場させて、批判する。
ニーチェには「愚劣極まる映画」とまで言わせる。
ソクラテスは、スピルバーグ監督を「分ってない」と切る。
監督やアカデミー賞(12部門にノミネート7部門で
受賞)の審査員が読んだら、どう思うのだろうね。
(『シンドラーのリスト』は、ずい分前にビデオで観た。
評判ほど感動しなかった、というか、ナチスとか
ユダヤ人とかをよくよく理解していないと、
この映画を100%理解するのは難しいと
感じたような記憶がある。)
一方で、小林秀雄や養老孟子、フランクル
(『夜と霧』の著者)、大江健三郎などのことは、
認めているので、誰でも彼でも批判するというわけではない。
批判するにしても、そのポイントは明確に書いてある。
前作『帰ってきたソクラテス』では実名でなく
職名などで書かれていたのであるが、本作では実名、
実際の人物を批判(あるいは承認)している。
あとがきにあるのだが、編集長から
「次は実名でいきましょう」と提案されたとき、
池田は「そんな下品なことはできません。
そこらへんの評論家じゃあるまいし、いやです」
と、抵抗したようだ。
(そこらへんの評論家の立場がない言い方やけど。)
しかし、編集長の
「大丈夫、あなたなら、絶対にできます」
という殺し文句にやられたようだ。
そして「その実名の方からの反論その他を
頂戴したことは、なぜか一度もない」と。
そのことについて、編集長曰く
「スッパリ切るなら血は出ないのですよ」。
本書も印象に残ったフレイズを書いておこう。
「考える」ということを、
「解釈する」ことだと思っている人が多い。
(p. 172)
僕らが誰か人を信頼するのは、その人の
考えがその人の生き方を裏切らず、
その人の生き方がその人の考えを示している、
そういうときだけだ。
(p. 175)
考えているのは脳だと、考えが考えているのさ。
(p. 183)
良寛さんの手紙、
〈災難に逢(あう)時節には 災難に逢が
よく候 死ぬ時節には 死ぬがよく候
是(これ)はこれ災難をのがれる妙法〉
これを皆は一種の諦観だと読んでいるようだ。
人間の無力さ、諸行は無常だとね。
しかし、違うね。こういう考え方のどこが
諦観なんだ。こんなのはただの事実を
述べたにすぎん。
ほんとうの諦観というのはだな、
諦めることなんかできやしないのだという
考えに諦め続けることでしかないのだよ。
(p. 258)
★★★★☆
2026.8.24
無敵のソクラテス
第一章 帰ってきたソクラテス
池田晶子 著

再び池田晶子である。
本書『無敵のソクラテス』は、池田の死後、
『帰ってきたソクラテス』(1994年)、
『悪妻に訊け 帰ってきたソクラテス』(1996年)、
『さよならソクラテス』(1997年)の3冊に加えて、
3冊に収録されていないソクラテス対話篇作品を
第4章として加え、1冊にまとめたものだ。
なお『悪妻に訊け 帰ってきたソクラテス』は、
2002年の文庫本刊行時に
『ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け』に
改題されている。
元々の著書が3冊(以上)になるので、
全部読み切ってからではなく、それぞれの章
(元々の著書1冊ごと)で感想を書こうと思う。
3冊それぞれの単行本のあとがき、文庫本の
あとがきも巻末に収録されているので、
それらも読んだ上で。
まずは第1章『帰ってきたソクラテス』。
ソクラテスのことは名前ぐらいしかしらず、
ソクラテスに関する本を読んだこともなく、
ソクラテスが一冊も書籍を残していない
ことさえ、最近まで知らなかった。
本書は、ソクラテスが現代日本にいたなら、
という仮定で、様々な人々と様々なお題で
ソクラテスが哲学対話を繰り広げる。
例えば、ジャーナリストと評論家と、
エコロジストと、フェミニストと、実業家と、
サラリーマンとその妻と、作家と、
といった具合に。
キリストと釈迦と、というのまである。
(これは痛快だった。)
そこにたまにプラトンやソクラテスの妻
クサンチッペも加わり、対話の幅を広げる。
きっと、池田が言いたいことを
ソクラテスに語らせているのだろう。
今まで考えもしなかった観点・解釈が
いくつもあって面白かった。
と同時に、それらは本当にわかっている
つもりで生きていて、実は何もわかっていない、
ということでもあった。
一度読んだだけでは、わからない文章もある。
例えば(p. 151)
「本当にわかるということは、
わかるということは自分がわかるという
ことではないとわかるということであるはず」。
これは手ごわかった。
何回も読み直して、やっと意味がわかった。
これ、カッコを付け足すとわかりやすくなる。
「本当にわかるということは、
『わかるということは
<自分がわかるということではない>
とわかる』
ということであるはず」
言っていることはわかったけど、
意味はまだ掴めていない。
どうやら「わかる」ということを
わかっていないようだ。
そんなことを考えていたら、余談だが
小学生の時に流行った言葉を思い出した。
「わかったか? わからなかったか?
わかったか わからなかったか言わなければ
わかったか わからなかったか、
わからないじゃないか」
単行本の刊行は 1994年だが、92年から
94年にかけて「新潮45」に連載されたもので、
文庫本になったのが、2002年。
文庫本のあとがきには、
「(10年前のものなので)いかにも古いと
感じられるものもいくつかあります」とあった。
書かれてから 30年以上経って読んだ私には、
インターネットが拡がる前だから、
多少時代を感じる面はあるけど、
それを「古い」とは感じなかった。
基本的に人間は変わっていないしね。
あえて言うなら、対話に登場する
ニュースキャスターのモデルは久米宏かな、と
思ったのが 90年代的かな。
ソクラテスのことは何も知らなかったけど、
なんだか好きになった。
(といっても池田ソクラテスだけど。)
このオッサンが何を語ったのか、
もっと知りたいと思った。
が、彼は文字に残さなかった。
それがまた、なんだか魅力を増す。
弟子のプラトンがソクラテスの対話を
書き残しているので、まずはプラトンの著書を
読むのが良いのかな。
まさか自分が、ギリシャ哲学の書物に
興味を持つとは思わなかったよ。
★★★★☆
2026.8.22
水中の哲学者たち
永井玲衣 著

池田晶子の意思と業績を記念し、
精神のリレーに捧ぐとして作られた、
「わたくし、つまり Nobody賞」 を
2024年に受賞した永井玲衣さんの
『水中の哲学者たち』(2021年)を読んだ。
この賞は、作品に与えられるものではなく、
賞の趣旨に相応しい人物に対して授賞するものだ。
大体において、哲学者というのは
変わり者が多い(と思う)。
永井さんは、17歳の時に
サルトルを読んで、大学で哲学を
学ぶことを決めたという。
私が17歳の時、頭の中は
ギターと好きな女の子のことでいっぱいで、
哲学なんぞの入る余地は全くなかった。
そんな自分を基準にして、
哲学者は変わり者が多いというのは、
あまりにも偏見に満ちていると思う。
でもやっぱり、17歳でサルトルを読み
哲学を目指す人は、少数だよね。
妻が哲学を仕事にしたおかげで、
私も若い頃には全く興味のなかった
哲学に興味を持ち始めて数年。
最近、読んだニューヨークタイムズの記事は、
就職先のなかった哲学専攻の人が、
AI の開発会社に高給で雇われているという話し。
ちょっと前までは「大学で哲学を学びたい」と
子供が言うと 親は頭を抱えたらしいが、
今はそうではない。
AI の開発には倫理や哲学が
欠かせなくなっているからだ。
今や、AI が感情を持っているのではないかと
専門家たちは研究している。
それはさておき、本書の著者・永井さんは、
学校、自治体、企業などで幅広く
「哲学対話」を行っている。
私が子供の頃にはなかったことだ。
例えば、私の通った中学校は、
男子は丸坊主にしなければならなかった。
そこへ「なぜ丸坊主にしなければ
ならないのですか?」などと質問したとて、
「規則だから」以上の回答は得られなかっただろう。
いや、哲学対話は誰かに回答を
求めるものではなく、自ら考えることなのだけど。
そのことに疑問を持つ子供も父兄も
いなかった時代だ。
疑問を持つ人が全くいなかった訳では
ないだろうけど、ほとんどの人は
それを問うこともなかった。
これは完全に思考停止である。
もしかしたら、丸坊主にするのがイヤな
子供が「なんで?」と親に問うたかも知れない。
そこに哲学的な対話があっただろうか。
考えてみるとなぜ、丸坊主にしなければ
ならなかったのか、今でも分からない。
私は大阪の外れにある小さな町の中学に
通っていたが、すでに当時の大阪市内には、
丸坊主ではない中学校はいくつもあった。
にもかかわらず、私は疑問を持たなかった。
今となっては、自分を含め多くの人が
「疑問を持たなかった」ことに大いに疑問がある。
(ちなみに現在は丸坊主ではないようだ。)
話を戻そう。
学校や管理側にとっては、哲学対話などと
いうものは、ある意味危険ではないか。
何を言い出すか分からないからだ。
しかし、時代は変わったんだなと思う。
まだまだ少ないのだろうけど、
各々が自由に、自分の意見や考えを
言える時間や場が増えてきたということだろう。
今まで疑問を持たなかったことを
「なんで?」と問うことができるのは、良いことだ。
本書は、
「日常にあるささやかな問いを見つめた
『手のひらサイズ』の哲学入門」とある。
いきなり、哲学のうずに投げ込まれるのではなく、
哲学の周辺を見学(?)するような感じで、
とても易しく分かりやすい。
一日で読み切ってしまったよ。
例えていうなら、スタジアムでスポーツを
観戦するような感じ。
観客は、サッカーをしてはいないけど、
スタジアムにいればサッカーが何かは分かる。
本書を読んだからといって、いきなり哲学を
していることにはならないと思うけど、
その入り口としてはとても分かりやすい。
哲学というと、何やら難しい学問のようだが、
「哲学する」とはどういうことなのか、
本書を読めばなんとなく分かるのではないだろうか。
先に書いた「丸坊主問題」のように身近な、
日常に、哲学のネタはたくさん転がっている。
そんな分かりやすさが、本書の5万部突破の
要因のひとつだろうと思う。
美容院で「どうしたいですか?」と美容師に
問われる。
この問いが哲学的だという著者。
「どうしたいですか?」は、
「どういうあなたでありたいですか?」
「どういう人生をあなたは送りますか?」
という問いだという。
美容師の何気ない質問が
「いかに生きるのか?」という根本的な問いに
つながってしまう、という。
なるほど面白い。
また、たくさんの哲学対話の現場での
著者の体験は、とても考えさせられるものがあった。
対話は、ディベートではない。
私たちはつい「どちらが正しいか」に
走りがちだが、対話に勝敗はないんだ。
印象に残ったフレーズをいくつか記しておこう。
哲学対話をしていて、対話が居心地の悪い同調や、
いたたまれない孤独につつまれているとき、
わたしは願う。
もっともっとバラバラになろう。
バラバラになって、ちゃんと絶望しよう。
もともと世界はいつだって、多様で、複雑で、
曖昧で、不確実だ。その意味でわたしたちは
みんなみじめで、みんな平等にひとりぼっちだ。
(p. 59)
そういうものだよ、考えすぎるとつらくなるよ、
わからなくなるよ。
この思考停止を誘う言葉は、思いやりの形を
とったアドバイスの容姿をしているからおぞましい。
いつくしみ深い聖母の見た目をして、
抱きしめられた途端にわたしたちの息の根を
止めてしまう。
気がついたら、あっという間に無抵抗で
受け身の人間につくりかえられてしまう。
(p. 68)
哲学は何も教えない。
哲学は手を差し伸べない。
ただ、異なる声を聞け、と言う。
(p. 70)
哲学は意外とシンプルである。
哲学とは、「なんで? と問うこと」だからだ。
だから、学問というよりは、行為や営みと
表現したほうがいいかもしれない。
ある哲学者は、哲学することの根源は
「驚異と懐疑と喪失の意識」であると言った。
ひとは、びっくりしたりつらいことがあったりすると、
「なんで?」と自然に問うてしまう。要するに、
「は?(驚異)マジで?(懐疑)
つら(喪失)」から哲学は始まるのだ。
(p. 130)
★★★★▲
2026.8.22
姉の誕生日
今日8月22日は、2歳上の姉の誕生日だ。
生きていれば、姉は今日で66歳になるはずだった。
やつは一昨年、64歳でこの世とおさらばした。
私にすれば、高齢の母をおいて、ひとりで
勝手に逝きやがった、という感じだった。
「ひとりで」とわざわざ書いたけど、逝く時は
いつだって誰だってひとりなのだけど。
ついでに生まれる時もね。
同じ8月生まれの私は、
今月姉と同じ歳64歳になった。
姉と同じ年齢になるなんて、
当たり前だけど人生で初めだ。
不思議というほどではないが、なるほど、と思う。
もしも親より長生きすることがあれば、
その時はまたそれなりの感慨があるのかも知れない。
姉は大阪で10年ほど前から、
高齢の両親と一緒に暮らし始めた。
彼女の経済的なこともあっただろうが、
二度の離婚を経て、子供たちふたりは
独立した後のことで、最後の親孝行と
思ったのかも知れない。
私は長男なのに、好き勝手に生きていて、
東京在住ということもあるが、
仮に大阪にいたとしても両親と同居など
考えられなかったので、姉が両親との同居を
選んだのはありがたかった。
しかし、これが上手くいかなかった。
父とは良かったが、母と難しかった。
かなりのストレスであったと思う。
私は、近くにアパートでも借りて
別居することを提案したが、姉は
「家を出るときは親子の縁を切るときだ」と、
意味不明な覚悟を決めていた。
父は5年前に他界し、それからは
母と二人暮らしになった。
3年前、62歳で癌が見つかった姉は、
それから1年半で見事に人生を終えた。
見事というのは、驚くほど冷静に
全くその寿命を受け入れたことだ。
いや、もしかしたら、誰にも知れず
泣き明かした夜があったのかも知れない。
否、あったのだろう。
でも私の知る限り、早々に癌・余命の
告知を受け入れたように見えた。
私なら、生への執着が強い分、
もっとじたばたしたような気がする。
10月で、2年になる。
早い。
あっという間に2年。
やはり女性は年齢を気にするのか、
50歳を超えた頃から、姉は(冗談で)
私のことを兄と呼ぶことがあった。
メールには「兄上」と書いてきていたよ。
私が来年、65歳の誕生日を迎えたら
本当に兄になってしまう(のか?)。
2026.8.18
14歳からの哲学
考えるための教科書
池田晶子 著

『死と生きる:獄中哲学対話』に続いて
池田晶子である。
本書はタイトルからも分かる通り、
中学生、高校生向けに書かれたものである。
私が14歳でこの本を手にしていたら、
最後まで読み切ったか疑問なほど、
64歳の私にも難しかった。
もしかしたら、以前読んだ
『41歳からの哲学』よりも
難解だったかも知れない。
あれは週刊誌に連載されたエッセイだった
から読みやすかったのかも知れない。
「あとがき」には、Ⅰ章Ⅱ章は14歳、
Ⅲ章は17歳を対象に書かれたものだとある。
著者は、語り口こそやさしいものの
「内容的なレベルは少しも落としていません。
落とせるはずがありません」と書いている。
つまりは、哲学すること、考えることの本質、
本物さにおいて、相手が中学生だからといって、
手抜きはない。
おそらくはこれを読んだ多くの中学生が
脱落してしまうのではないかと、
余計な心配をしてしまう。
そんなことを言うと池田に
「あんた分かってないわね」と
たしなめられそうだけど。
普段当たり前に思っていて、
考えたこともないことを考えるのが、
その入り口。
自分って何?
社会って何?
自由って何?
理想って何?
……
実は、普段から当たり前に
使っている言葉なのに、
改めて説明しようとすると、
多くの大人たちさえ言葉に窮する。
大人たちは「社会が悪い」「社会のせいだ」と嘆く。
「社会」とは何か、も言えないのに。
たぶん若い頃の私も含めて、多くの人たちが
「そんな面倒くさいこと考えずに
楽しくやりましょや」と
生きているような気がする。
考えることがしんどいし、
正解のない問いに向き合う
ネガティブ・ケイパビリティに欠けるからだろう。
何より、すでにある自分の考えが「正しい」と
思っているしね。
でも、池田は若者をいざなう。
「本当はどういうことか知りたくないか?」
「自分が存在しているのはなぜか知りたくないか?」
と。
そこへの道は「考える」でしかない、と。
特に宇宙に触れたくだり(Ⅲ章)は、
壮大過ぎて、神をも超えて(この表現が
合っているか分からない)、
もう振り切っており、ほとんど付いて行けなかった。
そこだけもう一度、読み直して、
やっと理解できる部分と訳が分からない部分を
区別できたけど、分からない部分は、
本当に何を言っているのか分からない。
こんなこと分かる高校生がいるのかしらと
思ったが、いるんやろなぁ。
本書以外でも度々語られる「死はない」と
いうことも分かっているようで、
完全には掴めていない。
この人の本は、もう少し読んでみようと思う。
あまりにも私は分かっていなさ過ぎると思った。
まぁ考えてこなかったのだから、当然だけど。
幸いは、彼女の言っていることに
興味があることだと思う。
そうでなければ、この人の著書を
手に取らないだろうし、取ったとしても
「何書いてるか分からん」で終わりだろう。
本書で、印象に残った言葉を記しておく。
「美しいもの」と聞いて、君は、美しい花や
美しい景色、美しい音楽などを思い浮かべることが
できるけれども、それなら、そこから花や景色や
音楽を取り去って、「美しい」だけを
思い浮かべることができるだろうか。
(p33)
「わからない」ということは、
答えではなくて、問いなのです。
(p43)
何であれ、何かを肯定したり否定したりできると
いうのことは、それがそれであるということが
認められているのでなければならないね。
そうでなければそれについて
議論することはできないからだ。
(p80)
社会という現実は、皆が内で思っている
その観念の、外への現れだ。
観念が現実を作っているのであって、
決してその逆じゃないんだ
(p82)
思いや考えが状況や環境を
作り出すのであって、状況や環境によって
その思いやその考えになるのではないということです。
(p94)
ちっぽけな自分を捨てることだ。
無私の人であることだ。
君が自分を捨てて、無私の人であるほど、
君は個性的な人になる。
これは美しい逆説だ。真実だよ。
人は、個に徹するほど天に通じることになる。
この宇宙は、なぜかそういうつくりになっているからだ。
(p128)
情報はしょせん情報だ。
情報には本当もウソもある。
事実か事実でないかということもある。
本当のこと、真実というのは、外から与えられて
知るものではなく、自ら考えて知るものだからだ。
自ら考えて知るより、知りようがないものだからだ。
(p132)
善悪の基準を自分の外に求めるという
思い込みの根は、とにかく深い。
まさにこの思い込みのために、人類において、
道徳や法律は時代や国によって相対的と
なっているのであって、本当は話がまったく
あべこべなのだけど、ここ数千年、
人類はそのことに気がついていない。
ごくごく少数の考える人しか、この当たり前
すぎる事実には気がついていないんだ。
(p162)
人は、思い込むことで自分で自分を不自由にする。
それ以外に自分の自由を制限するものなんて、
この宇宙には、存在しない。
(p170)
考えるということは、
答えを求めるということじゃないんだ。
考えるということは、答えがないということを知って、
人が問いそのものと化すということなんだ。
どうしてそうなると君は思う。
謎が存在するからだ。
謎が謎と存在するから、人は考える、
考え続けることになるんだ。
だって、謎に答えがあったら、それは謎ではないじゃないか。
(p196)
などなど。
他にもあったけど、引用が長くなり過ぎるのでやめておこう。
当たり前のこともあれば、当たり前なのに
今まで気付かなかった、新しい観点もある。
この本もまた読み直したいが、
他にも読みたい本がいっぱいで、悩ましい。
★★★★☆
ところで、本書のアマゾンのレビューを読むと、
概ね好意的で高評価なのだが、
割合は少ないものの批判的な感想というか
むしろ酷評とも言えるものもそこそこあって驚く。
「えっ? そんな風に解釈するの?
いやいやそこはポイントちゃうやろ、
ずれてるで」と思うようなことが書かれている。
それだけ、一般的に通じにくいことを
書いているとも言える。
肯定的なレビューの一つに、こういうのがあった。
(一部抜粋)
「この本を読んで、著者の(社会的に理解しがたい)
意見に不満を持った方、著者の主張が幼稚だと
思った方、著者の語調が ‘傲慢’ だと思った方、
残念ですが、みなさん、哲学には向いていません。
著者があくまで、この本を通して、私たちに
教えたかったことは、既成の価値観のすべてに
戦いを挑んでいくこと、自分が信じて疑わなかった前提を
片っ端から崩していくこと、そうすることによって
瓦礫の山と化した混沌とした状態から、
いかに自分の力で「考え」抜くかについてです。
既成の価値観を一歩たりとも離れようとせずに、
自分の ‘いま’ ある尺度で、この本の内容を
‘よい’ かどうか評価することは、まさに愚の骨頂であり、
誰より池田晶子氏が最も残念に思うことでしょう。」
なるほど
「哲学に向いていない」
その通りだな。
2026.8.16
PETER ERSKINE "Dr. Um"
- Steps Into The Weather -
featuring MIKE MAINIERI
with JOHN BEASLEY, BOB SHEPPARD
& MATTHEW GARRISON

ピーター・アースキンは、米国のジャズ・ドラマー。
そのピーターの3日間6公演の最終公演を
観てきた。
2017年の東京JAZZで、渡辺貞夫さんの
バンド・メンバーとして、ピーター・アースキンを
観たのが初めてではなかったかと思うのだが、
その時のエントリーに
「ピーター・アースキンのドラム!
なんて深いんでしょう」と書いている。
なるほど、あの時はそんな風に感じたのだな。
今日のピーターのドラムは、これまた変な言い方だが、
とても人間的に感じたよ。
そして、4ビートのレガートがこの上なく
気持ち良かった。
今回は「Steps Into The Weather」と
タイトルが付いているので、
ステップス・アヘッドやウェザー・リポートの
曲が中心だったようだ。
私は、その辺はあんまり詳しくないのだけど、
曲名が分かったのはマイク・マイニエリが
アレンジした『Young and Fine(Wether Report)』
とアンコールの『Dm(Mike Mainieri)』という
ブルースぐらい。
アンコールまでで 約80分くらい。
満席でした。
それにしても、マイク・マイニエリは
88歳というのには、驚いた。
年齢を感じさせない素晴らしい演奏だった。
ピーターは72歳だけど、この先輩のことを
とてもリスペクトしているのが、何度も
「Mike Mainieri!」と紹介することから
伝わってきたよ。
余談だけど、ピーターの奥さんは、日本人ということも
あってか彼の「ありがとうございます」は、
ほとんどなまっているようには聞こえなかった。
ちょっと太っていたのが気になる。
健康には気を付けて欲しいです。
[ MEMBERS ]
Peter Erskine (ds)
Mike Mainieri (vib)
John Beasley (p)
Bob Sheppard (sax)
Matthew Garrison (b)
@ BLUE NOTE TOKYO
2nd show
2026.8.12
死と生きる : 獄中哲学対話
池田晶子・陸田真志(著)

池田晶子と死刑囚・陸田真志との往復書簡。
陸田は、1995年 東京・五反田(めちゃ近所)の
SM クラブの経営者と店長を殺害。
動機は、金欲しさと彼らに「勝つ」ためだった。
殺人を起こしたような人が、
こんな風に覚醒することに驚き。
殺人を起こしたような人が、
27歳にして、こんな文章を書くことに驚き。
(それぐらい、金銭目的で知人を殺せる人間に
対し無意識なバイアスがかかりまくっている。)
陸田がそんな風になるのは、
刑務所で自省する時間、読書する時間を
得たからに他ならない。
陸田が池田に書いた一通目、
二通目の手紙が素晴らしい。
その後、何がと言語化できないのだけど、
陸田の手紙が、なんだか面白くなくなる。
すると、池田がズバズバとそれを指摘する。
その陸田の文章、全てが理解できたわけではない。
あまりに振り切っている部分があるのだが、
その難解さを池田が指摘する。
痛快であるが、互いにまさに命がけの対話である。
この往復書簡のやり取りの最中、
陸田は死刑判決を受けるも、控訴。
この控訴は弁護士が勝手にしたもので、
本人は取り下げようとするが、
池田の説得もあり、控訴することになる。
この本が発行されたのが、1999年。
死刑の確定は、2005年。
刑の執行は、2008年。
死刑執行の前年2007年に池田は癌のため
46歳で逝去。
死刑の確定後は、やり取りに制限があったと
しても、それでも1999年から2005年まで
5年以上あった。
ここに収録されている手紙のあとにも
ふたりのやり取りは続いたと推測するが、
残念なのは、続きが読めないことである。
ふたりがどんなやり取りを続けたのか、
池田からの刺激を受け、陸田はどんな風に
変化していったのか、大変興味があるところだ。
しかし、ふたりともすでにこの世にいない。
「死刑」の是非。
なぜ、殺人はいけないことなのに、
死刑制度があるのか。
なぜ(普通)人は人を殺さないのか。
あるいは、殺すことに躊躇があるのか。
「善く生きる」とはどういうことか。
そして池田晶子をして、「ようやく、私と
対等に語り合える相手が現れた」とまで
言わせた陸田とは何者なのか。
大変、興味深い、考えさせられる、
そして、視野が拡がる本。
自分が全く知らなかったけど、現実世界に
存在するえげつない世界と、生と死を形而上に
捉えた凄い世界を垣間見たような読後感である。
ところで、池田晶子の著書の多くは、
今も出版され続けているが、本書はすでに絶版に
なっており、私も中古本を入手した。
(実勢価格は、定価よりも500円から千円ほど高い。)
なぜ、この素晴らしい本が絶版になっているのか。
途中、特定の個人(著名人)を侮辱するような
これはあかんやろ、というような陸田の表現もあったし、
被害者遺族の感情もあるのかも知れないな。
(絶版の理由は、公式には明かされていないようだ。)
★★★★▲
2026.8.11
MARTIN TAYLOR

7年ぶりにマーティン・テイラーのライヴを観てきた。
席は、中央(マーティンの正面)の前から
2列目で、マーティンの息遣いも分かる距離。
今年70歳になるマーティン。
バシッとスーツにネクタイで、いかにも
英国紳士という感じ。
もう何度も観ているし、今さらだが、上手い!
ギターにかぶりつきになって演奏するギタリストも
たまにいるけれど、マーティンはほとんど指板を
見ずに、お客さんを見ながら演奏する。
席が近かったせいもあるけれど、何度も
目があったような気がしたよ。
曲は、ノラ・ジョーンズの『Don’t Know Why』に
始まり、スタンダードでは『Girl Talk』、
『The Dolphin』 など。
トミー・エマニュエルとも録音した(その時の
エピソードを話していたと思うが、ほとんど
意味が分からず)カーペンターズの
『I Wan't Last a Day Without You』を
スローで初めてサンバに。
マーティンのオリジナル『True』、
『One Day』、『Down to Cocomo's』
『The Fair Haired Child』など。
ギターは、小ぶりな 15インチ・フルアコ。
マーティンが設計し、ロンドンの熟練職人に
よって製作されたという「JOYA」というギター。
ギターアンプは使わず、ラインで出力していたが、
ギターの前には生音を拾うマイクも立てられていた。
これは以前からそうだったと思うけど。
足元には ペダルが並べられていた。

上から順に ELECTRO-HARMONIX 社の
踏んでいる間、サステインが得られる「FREEZE」、
L.R.Baggs 社のアコースティック・ギター用のペダル
「SESSION」(コンプレッサー)、「EQUARIZER」、
「REVERB」、そして一番手前の大きなハコは
DI だろうか。
その左の銀色のハコは Fender 社のパワーサプライ
「ENGINE ROOM」。
聴きながら、もっと練習しようと思える
刺激的なライヴでもありました。
ギター1本で、スイング、サンバ、カリビアン、
バラード、何でもできる。
特にバラードの美しさは、特筆もの。
私は2部を観たけれど、1部2部通しで
観ているお客さんも結構おられた様子。
7年ぶりだから、皆待っていたんやな。
[ MEMBERS ]
MARTIN TAYLOR (gt)
@ COTTON CLUB
2nd show
ところで、私がマーティンのライヴを始めて観たのが、
2003年で、2004年、2005年と3年連続で観た。
3年ともすみだトリフォニーホールで 2003年は
ケイコ・リー、2004年は鈴木大介、2005年は
渡辺香津美との共演だった。
その次に観たのは、3年後の2008年の
コットン・クラブでの公演だった。
その空白の3年間について、マーティン本人が
触れている記事(2013年)を見つけた。
「Our elder son James has been my manager
for about 15 years, but sadly we lost our younger son
Stewart in 2005 when he was 21.
Losing Stewart almost destroyed me,
I was very ill for almost 3 years.
For quite a while I couldn’t play the guitar,
and had to start all over again.
During that time I had what I can only describe
as a spiritual experience,
which led me to follow a spiritual path,
and I started to play the guitar again.」
(Googleによる訳)
「長男のジェームズは15年ほど私のマネージャーを
務めてくれていますが、残念ながら次男のスチュワートは
2005年に21歳で亡くなりました。
スチュワートを失った悲しみは私を打ちのめし、
3年近くも重い病気に苦しみました。
しばらくの間ギターを弾くことができず、
一からやり直さなければなりませんでした。
そんな時、まさに霊的な体験としか言いようのない
出来事があり、それがきっかけで精神的な
道を歩むようになり、再びギターを弾き始めたのです。」
そんなことがあったなんて全く知らなかった。
今日も演奏された美しいバラード
『The Fair Haired Child(金髪の子供)』は、
息子スチュワートのことだった……。
2026.8.5
4 Guitarists Night

井上智、中井勉、高免信喜、小沼ようすけ、4人の
ジャズ・ギタリストのセッションを聴きに行ってきた。
満席でした。
中井さん、高免さんを聴くのは初めて。
おふたりとも、ニューヨーク在住のギタリスト。
井上さんも 2010年まで 21年間ニューヨーク在住だった。
本日のハコは、残念ながら9月で閉店が
決まっている、渋谷の BODY &SOUL。
何年か前に、青山から移転したのだけど、
こういう老舗がなくなるのは、さびしいね。
演奏は、Sextet(4人のギター、ベース、ドラム)
Trio(ギター、ベース、ドラム)、
Duo(ギター2人)という3つの編成で。
使用ギターは、次の通り。
井上智 / Abe Rivera
小沼ようすけ / Nishgaki Guitars
中井勉 / Gibson ES-335(1998)
高免信喜 / Gibson Johnny Smith


井上さんと小沼さんの機種名までは分からないけど。
4人ともいい音だったね。
高免さんが、フェンダーのデラリバで鳴らしているのに
小沼さんのアンプは、Henriksen の Bud SIX。
めちゃくちゃ大きさに差があるのに、
出音に差がなく、Henriksen の優秀さを再確認した。
ヴォリュームが、4人そろってなかったのは残念。
演奏は全員素晴らしく、甲乙付けられない。
付ける必要もないけど。
曲は、スタンダード中心に、メンバーのオリジナルも。
印象に残ったのは、井上さんアレンジの
『In a Sentimental Mood』。
出だしのメロディを4人のギタリストで、
2音ずつ弾いたり、テーマを4本でハモったり。
4人でハモるのは、まるでギター・ビッグバンドの
ようにも聞こえたよ。
ギターが たくさんあるライヴは楽しい。
[ SETLIST ]
1. Django (J. Lewis) / Sextet
2. All Waltz (N. Takaman) / 井上・高免 Duo
3. ? / 小沼・中井 Duo
4. In a Sentimental Mood (D. Ellington) / Sextet
5. Road Song (W. Montgomery) / Sextet
(休憩)
6. Isn’t She Romantic / 小沼 Trio
7. Autumn Leaves / 高免 Trio
8. Nutville (H. Silver) / 中井 Trio
9. It Might as Well Be Spring (R. Rodgers) / 井上 Trio
10. Jingles (W. Montgomery) / Sextet
EC. ?(Blues) / Sextet
[ MEMBERS ]
井上智 (g)
中井勉 (g)
高免信喜 (g)
小沼ようすけ (g)
Pat Glynn (b)
Gene Jackson (ds)
@ BODY & SOUL
終演後のメンバー

(2026.8.11 追記)
先日、このエントリーをアップした。
セットリストも書いたのだけど、3曲タイトルが
分からなかったので その日は「?」としておいた。
BODY &SOUL のウェブサイトには、
ライブレポートのコーナーがあって、ライブの翌日に
演奏曲やライブの雰囲気を伝えたレポートが
更新される。
この作業は大変なことだと思うのだけど、
読者やファンには嬉しいサービスだ。
件のタイトル不明もここを見れば分かると
思って「?」は後から書き直そうと思っていた。
タイトル不明曲は次の2曲。
(1)1st set の小沼・中井デュオの曲
(2)2nd set の小沼さんのソロ曲。
(3)Encall のブルース曲。
(1)の方は、どういうわけか記載されておらず。
各々作曲家の名前や何のミュージカルのために
書かれた曲かなどの情報も合わせて
書かれているに なんで書いてないのかな。
(2)はスタンダードなので、聞き覚えのある
曲なのに、タイトルが分からなかったのだけど、
リチャード・ロジャースの『Isn’t She Romantic』と判明。
(3)これは明らかにブルースだったのだけど、
ライブレポートには、「ボビー・ヘブの♪Sunny」と
書いてあった。
いやいや、それなら私でも分かったよ。
絶対違うと思うねんけどな。
それとも『Sunny』と分からないほど
激しいアレンジだったのか。
そんなことないと思うねんけどな。
「ライブレポート」にはコメントを送れるようになっている。
気になるので、送ってみた。
(1)の曲名が知りたい、
(3)は『Sunny』で間違いないですか、と。
しかし、4日経ってもそのコメントは表示されず
回答もない(コメントの表示はお店側が決める)。
まあ忙しいから、一々応えてられないのかも
知れないけど、ちょっと残念ね。
2026.8.4
MARIA SCHNEIDER ORCHESTRA

2年ぶりにマリア・シュナイダーを聴きに行って来た。
前回は、バンドメンバーが日本人で、
会場が東京芸術劇場 コンサートホールだったけど、
今日は9年ぶりのブルーノート公演。
メンバー総勢19名は、9年前とほとんど同じ。
5日間(10公演)の初日の 2nd show。
残りの8公演全てソールドアウトという大人気。
たぶん今日も満席だったので、売り切れていただろう。
毎度思うけど、マリア・シュナイダー、可愛いです。
65歳(今年66歳)とは、とても思えない。
そして、指揮する姿が凛々しい。
腕、手、指の動きが素晴らしい。
その指揮している最中の、
手の写真を撮りたいと思ったわ。
素人が、指揮をすると演奏されている音楽に
合わせて、指揮をしてしまう。
マリアの動きを観ていると、音楽に合わせて
いるのではなく、彼女自らが音楽をジェネレイト
していることに気付いた。
18人のバンドメンバー「オーケストラ」という楽器を
演奏しているかのようなのだ。
全曲良かったが、曲名が分かったのは
『American Crow』、『Don'T Be Evil』、
『Stone Song(「石のささやき」と日本語で
紹介してた)』の3曲。
彼女の曲(というよりは、アレンジといった方が
よいかも知れない)は、独特だ。
うまく言語化出来ないけど、ちょっと現代音楽的な
要素もありつつ、美しいハーモニーも生かす。
管楽器の表現の際までを自由に使い、
なおかつソリストの個性を引き出す。
上手く言えてないけど、そんな感じ。
9年前のエントリーにも時間が経つのが
速かったと書いているが、今日も然り。
あっという間に時間が過ぎたよ。
[ MEMBERS ]
Maria Schneider (comp,cond)
Steve Wilson (as)
Dave Pietro (as)
Rich Perry (ts)
Donny McCaslin (ts)
Scott Robinson (bs)
Greg Gisbert (tp)
Michael Dudley Jr. (tp)
Nadje Noordhuis (tp)
Mike Rodriguez (tp)
Keith O'Quinn (tb)
Ryan Keberle (tb)
Evan Amoroso (tb)
George Flynn (tb)
Julien Labro (acc)
Jeff Miles (g)
Gary Versace (p)
Jay Anderson (b)
Johnathan Blake (ds)
@ BLUE NOTE TOKYO
2nd show
[ 関連エントリー ]
2017.6.10 MARIA SCHNEIDER ORCHESTRA
2024.7.28 マリア・シュナイダー plays マリア・シュナイダー
2026.8.3
美しき愚かものたちのタブロー
原田マハ (著)

川崎造船所(現・川崎重工業)の
社長であった松方幸次郎という人は、
まだ日本に西洋美術館がなかった時代
(1920年前後)に、本格的な美術館を
創設しようと、ヨーロッパで膨大な数
(1万点に及ぶと言われている)の
美術品を集めた人で、その作品群は
「松方コレクション」と呼ばれている。
現実には、松方が創ろうとした美術館
(場所や「共楽美術館」という名前まで
決まっていた)は、川崎造船所の破綻や
第二次世界大戦によって実現しなかった。
が、その膨大なコレクションが、
フランスに残されたままであった。
松方は、なぜ美術品のコレクションを始め、
美術館を創ろうとしたのか。
そして、戦争でフランスに接収された
「松方コレクション」を日本が取り戻すまで、
どんなドラマがあったのか。
本作は史実に基づいた小説で、
実在した人物が多く登場する。
原田マハさんによると、タイトルの
「美しい愚かもの」とは、ゴッホ、モネ、
マティスといった当時のフランスのアカデミーでは
斬新すぎて評価されなかった画家たち、
そして、美術館を作ること、コレクションを守ることに
命を懸けた登場人物たちのことで、その美しいまでの
彼らの愚直さに、敬意を込めて付けたとのこと。
「タブロー」というのはフランス語で「絵画」のこと。
現在の日本には、当たり前のように美術館が
あるけれど、この小説を読めば、日本に美術館が
できるまでには、多くの人の苦労と大変なドラマが
あったんだと知ることができる。
1959年にフランスから寄贈(取り返しただけなのに
フランス政府は「返還」とは言わない)された
松方コレクションの受け入れ先として、
上野にある国立西洋美術館が、設立された。
2019年6月、国立西洋美術館は、
開館60周年を迎え「松方コレクション展」を開催した。
(本作は、それに合わせ 同年5月に出版された。)
その頃の私は、松方幸次郎のことも
この小説のことも知らなったので、
展覧会には行っていない。
この小説を読んでいたら、絶対に行っただろうなぁ。
★★★★▲
実写化するのは大変だろうけど、
映画にしても良いと思う。
松方幸次郎は、役所広司、
吉田茂は、小日向文世、
田代雄一は、妻夫木聡、
年老いた日置釭三郎は、遠藤憲一で
どうだろう。
ところで、2022年に先にこの小説を読んだ妻が
松方幸次郎の話をし出した。
写真はその頃に見つけて買った2019年の
国立西洋美術館「松方コレクション展」の図録。
↓

中古品だがとても状態の良いものを入手できた。
分厚いです。
|