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 つつみしんやのひとりごと 
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2023.1.25

小島良喜
ソロアルバム発売記念ライブ




12月には発売予定だった、小島さんの
ニューアルバムだが、残念ながら発売が遅れている。
アルバムの発売を前に、
「ソロアルバム発売記念ライブ」はすでに
あちこちで開催されることになってしまった。

東京は、目黒ブルース・アレイ・ジャパン。
もしかしたら、今日会場で買えるかなぁと
淡い期待をしていたけど、開口一番、
「皆様に謝らなければならないことがあります」と
アルバムの発売が遅れていることの説明があった。
音源は、出来上がっているのだけど、
ジャケットが中々決まらなかったとかで、
あの様子では、まだ1~2ヶ月かかるかも知れない。
2枚組だというので、楽しみにしている。

今日の席は最前列だった。
1曲目がループを流してのエレピの演奏
だったのだけど、その真正面で小島さんまで
2メートルも離れていないような距離だった。

2曲目以降は、ピアノ。
毎度のことながら、素晴らしい演奏だった。
曲は、『Truth In My Eyes』、『Family』、
『Are You Happy』、『Dragon Fly』など。
小島さん、曲名を全部言ってくれないので
「これなんだっけ?」と思っても あとで
調べようがないことが多いねん。
アンコールは、『My Foolish Heart』。
短めの休憩を入れて2時間35分ぐらいかな。
今日もたっぷりでした。

休憩の時、トイレで小島さんとばったり。
ああいう時、なんか気の利いたことが
言えたら良いのだけど、シャイな私は
何も言えず、無言で過ごしてしまうのでした。
二人だけだったので話すチャンスだったのに。
「Facebook にアルバムいつ発売ですか?
と書き込んだのオレです」と言えばよかったと
あとで、気が付いて後悔。


[ MEMBERS ]
小島良喜 (pf)

@ Blues Alley Japan (目黒)





2023.1.24

STEVE GADD BAND
10th ANNIVERSARY TOUR
<配信>


昨日、ブルーノート東京で観てきた
スティーヴ・ガッド・バンドがあまりに
良かったので、今日は配信で観たよ。

今回の来日は、ブルーノートでは、
4日間8公演。
それ以外にも今度の日曜日に
高崎芸術劇場 スタジオシアターでの
ライヴがあるのと、スティーヴは、
ブルーノート・トーキョー・オール・スター・
ジャズ・オーケストラとの共演も
2日間4公演あった。

今日は、ブルーノート公演の最終日で
そのラストショーが配信された。
曲は、昨日とほとんど同じだと思うけど、
昨日は演らなかった
『I Can’t Turn You Loose』が嬉しかったな。
この曲でジェフは、昨日は吹かなかった
トロンボーンを吹いたよ。
でも、やっぱり配信より、ナマがええわ。

昨年録音され発売された、スティーヴ・ガッド、
エディ・ゴメス、ロニー・キューバーが
ドイツの WDR ビッグバンドと吹き込んだ
CD では、『I Can't Turn You Loose』、
『Signed Sealed Delivered』、
『Watching The River Flow』など、
スティーヴの長年のレパートリーが
収録されているのだが、ギターの
Bruno Muller(ブルーノ・ミュラー)と
いう人が(ドイツ人なのだけど)
まるでコーネル・デュープリー +
エリック・ゲイルみたいなプレイをしている。
それはもちろん嫌いじゃないのけど、
あんまりそれっぽ過ぎるとあかんやろと思ってしまう。
もちろん、影響を受けているだろうし、
リスペクトしているのは、間違いない。
同じく このアルバムに参加している、
Simon Oslender(ジモン・オスレンダー)と
いう(これまたドイツ人の)ピアニストも、
かなりリチャード・ティー的なプレイを
しているので、もうそういう世界なんかもな。
きっと、あえてそういう風に演奏したんだろうけど
嬉しいながらも微妙な感じ。

なぜ、このアルバムのことを持ち出したかというと
マイケル・ランドウは、全くコーネル・デュープリー
みたいにならないんだ。当たり前やけどな。
やっぱりプロは、シグネチャー・トーンというか
個性がないとね。

ジェフ・ベックや高橋幸宏と
70代のミュージシャンが続けて亡くなった。
さびしくなる一方やけど、今年78歳になる
スティーヴには まだまだ元気で
ゴキゲンなグルーヴを聴かせて欲しい。

そういえば、スティーヴはエリック・クラプトンと
同じ年なんだ。(1945年生まれ)
4月のエリックの武道館公演は、
結局6公演ともチケットを買ったぜ。


[ MEMBERS ]
Steve Gadd (ds)
Michael Landau (g)
Travis Carlton (b)
Jeff Babko (key)
Walt Fowler (flh,tp)

[ SETLST ]
1. Hidden Drive
2. I Can’t Turn You Loose
3. Does’t She Know By Now
4. De Volta Ao Samba
5. Mercy On Your Soul
6. Oh, Yeah!
7. Duke’s Anthem
8. Sly Boots
9. Watching The River Flow

@ Blue Note TOKYO
2nd show





2023.1.23

STEVE GADD BAND
10th ANNIVERSARY TOUR

featuring MICHAEL LANDAU,
TRAVIS CARLTON,
JEFF BABKO & WALT FOWLER




スティーヴ・ガッドの来日は、おそらく、
2019年12月以来の来日ではないだろうか。
今回が、スティーヴ・ガッド・バンド 10周年
アニバーサリー・ツアーということなので、
2013年のアルバム『ガッドの流儀』が
このバンドのスタートだったんだな。
このバンド、メンバーはやや流動的で、
2019年の来日と今回では、ガッドと
ウォルト・ファウラー以外は入替っている。
ちなみこの2019年のブルーノート公演は、
CDになっております。

今までの来日メンバーは、
キーボードは、ケヴィン・ヘイズだったり
ラリー・ゴールディングスだったりしたが、
今回はジェフ・バブコ。
この人も上手い!(当たり前やけど)
トロンボーンもステージに用意されていたけど、
今回のショーでは吹かず。

ベースは、ずっとジミー・ジョンソンだったけど
今回はちょっと意外なトラヴィス・カールトン。
ラリー・カールトン(gt)の息子ね。
このバンドでは、ベースはあまり派手なことを
やらないので、トラヴィスも地味目だったけど、
ガッドを見つめる目が凄かったね。
なんというかもう何一つ聞き逃すまいという
姿勢を感じたね。

ギターは、2019年だけはデヴィッド・スピノザ
だったけれど、今回は再び マイケル・ランドウ。
デヴィッド・スピノザも良かったけれど、
マイケル・ランドウの匠の技も素晴らしい。

ギターは、たぶん Fender のマイケル・ランドウ・
モデルだと思われるが、前に使っていたのは、
カバードのハムバッキング PU 2発だったけど、
今日はオープン・タイプのハムバッキング PU。
私が見落としていなければ、
ずっとフロント・ピックアップだけしか
使っていないように見えたけど、
ピッキングの位置、指引き、ピック引きを
使い分けて、多彩なトーンを出していた。
まさに匠の技。
久しぶりだったので、ちょっと髪の毛が薄くなってたね。

バンドの演奏は、大人のジャズ。
円熟の極みなのだけど、時折、熱い場面もあった。
素晴らしい演奏で、大盛り上がりでした。
前から2列目だったけど、メンバーが
楽しんでいる感じも伝わってきて良かった。
ガッドのドラム・ソロも素晴らしかった。
スタンディング・オベイションです。

曲目は、『Mercy on Your Soul』、『Sly Boots』、
『Watching The River Flow』(アンコール)など。


[ MEMBERS ]
Steve Gadd (ds)
Michael Landau (g)
Travis Carlton (b)
Jeff Babko (key)
Walt Fowler (flh,tp)

@ Blue Note TOKYO
2nd show





2023.1.21

アンコンシャス・バイアス

昔からあった言葉だが、
特にこの数年、「バイアス」という
区別を良く聞くようになった。

この場合の「バイアス」というのは、
いわゆる「思い込み」のこと。
「信じ込み」と言っても良い。
「アンコンシャス」は、「無意識」という
意味なので、「アンコンシャス・バイアス」は
「無意識の思い込み」ということだ。

厄介なのは、無意識なので、
本人はそれが「思い込み」だと
自覚出来ないことだ。
「思い込み」ということは「真実ではない」
ということでもある。
その「思い込み」が浅ければ、他人からの指摘や
時には、自ら気が付くこともあるだろう。
しかし、それが本人にとって「疑いのない真実」で
ある場合は、他人の意見は耳に入らないだろうし、
よほどのことがない限り、自ら気付けることもないだろう。

アンコンシャス・バイアス(以下、「バイアス」という)は
例えば、「男は外で働き、女は家庭を守るべき」とか
「学歴がないと出世できない」とか
「お茶くみは女性の仕事」など様々である。
性別が絡むと、今では「ジェンダー問題」にも
関わってくるので、なおややこしい。
「ジェンダー」が絡むと
「ジェンダーフリー」、「ジェンダーレス」、
「ジェンダーニュートラル」(それぞれ区別が
あるらしい)などとより一層ややこしくなるので
ここでは触れない(区別が明確でないので、
難しくて触れられない)。

話をバイアスに戻そう。
数年前、大きな水害があった時、
比較的高齢の男性が逃げ遅れて
被害に遭ったという報道を観た。
彼らは、「これぐらいの雨なら大丈夫だ」
「今まで大丈夫だったから、今回も大丈夫だ」という
バイアスの為に避難し遅れて被害に遭った。
あの2011年の大震災の津波でさえ
そういう人がいたようだ。

バイアスにはいくつかのパターンがあるが、
前述の避難が遅れるケースは、
「正常性バイアス」と呼ばれるもので
「これぐらいは、大丈夫だ」という思い込みだ。

そのほか「親が単身赴任中」と聞くと
「父親」を思い浮かべるのも、
「日傘は、女性がするものだ」というのも
血液型で相手の性格を想像したり、
決めつけたりするのもバイアスだ。

そして、私たちはバイアスを正当化する証拠を
これまた無意識に収集しているのではないか、と思う。

例えば、血液型の性格分類では、
A型の人は几帳面と言われる。
そのことを信じている人が、几帳面に見える人に
血液型を尋ねたとき「A型」という答えが得られると
「やっぱり!そうだと思った!」という風に
その思い込み(信じ込み)が強化されてしまう。
そのとき相手が A型以外の答えをしたとしよう。
おそらく、「ふぅ~ん、A型かと思ったわ」という
程度の反応はあったとしても、自分のバイアスが
間違っていたとは思い至らない。
そもそもバイアスだとは思っていない(知らない)から。
そして、血液型の予想が外れたケースは記憶に残らず、
当たった場合だけのデータが蓄積され、ますます
バイアスは強化されていくのではないだろうか。

これは、人には「そのバイアスに見合った現実しか
見えない」ということも出来る。
エゴが自分を正当化するため、
バイアスの正当化に役立たないことは、
スルーしているとも言えるのではないか。

話しはそれるが、私は血液型占いを信じていない。
人間のタイプをたった4つに分けることに
ナンセンスさを禁じ得ないのだが、信じない背景には
こういうことがあった。
高校生の頃、まだ私は自分の血液型を
知らなかったのだが、友達の中で血液型占いが流行った。
その本を読んで、私は自分は B型に違いないと思った。
まさにその本に書かれた B型の性格が
自分と一致したのだ。
父親が B型だということも手伝った。
高校3年生の時、18歳になって、
血液型を知りたくて、献血に行った。
結果、私の血液型は O型だった。
それ以来、私は血液型占いを信じていない。
あのとき、その本に書かれたO型の性格を
自分のことだと思っていたら、(実際にO型であった
わけだから)私は血液型で人を判別する人間に
なっていたかも知れないと思う。
思い込みなんて、そんなもんではないだろうか。

再び、話を戻そう。
問題は、バイアスはその人にとって真実であることだ。
若い頃なら、自分の思い込みが
間違えていたことを受け入れやすいだろう。
(もちろん人によるし、そのトピックによるけど。)
しかし、年を重ねれば重ねるほど、
そのバイアスが正しいという
体験が積み重ねられていく。
つまり、思い込みではなく、
真実であるかのように「固定」されていく。
それが、人生に大きな影響がなければ幸いだが、
洪水や津波のとき、逃げ遅れた被害者のように、
取り返しのつかない結果を招くこともある。

還暦を過ぎて、最近、自分はいつまで
柔軟な頭でいられるのだろうと、不安になってきた。
(というか、すでに柔軟ではないだろうな。)
人間である以上、既に数々の無意識な
バイアスがあることは仕方がない。
バイアスがない人なんていないんだから。
人生、いかにニュートラルでいられるかは、
自分の観点の多くがバイアスであることに
気付けるかどうか、単なる思い込みであると
受け入れられるかどうかだと思う。
それが、これから高齢者になっていく私
(私たちの世代)の大きなテーマだろう。

さて、どうするかな。





2023.1.21

高橋幸宏

1月11日に 高橋幸宏さんが亡くなった。
死因は誤嚥性肺炎。
享年70歳。
この数年、体調が良くなかったようだけど、
早すぎるなぁ。

高橋幸宏といえば、
「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」の
メンバーとして有名だが、それ以外にも
多くの活動をした。
私は、彼のことに詳しくないけど、
「サディスティック・ミカ・バンド」
「サディスティックス」にも参加していたし、
おそらくは知らず知らずに彼の演奏を
多く耳にしていたことだと思う。

記憶では、誰かのライヴのドラムが
高橋ユキヒロだったような気がするのだが、
誰のライヴだったか 思い出せない。

2020年に観たドキュメンタリー映画
『音響ハウス Melody-Go-Round』で
レコーディングのときでも
オシャレしてくる姿が印象的だった。

たくさんのミュージシャンが追悼の
コメントを発表している。
それだけ影響力があった人ということなんだけど
細野晴臣さんのコメントが素晴らしい。

「人の人生は一冊の本のようだ。
いま『高橋幸宏』という本を読み終え、
多くのファンがあとがきを書こうとしている。
物語は終わったが本は消えず、ずっとそこにある。
幸宏の死は世界に反響を及ぼした。
彼が海外のミュージシャンに与えた
影響の大きさを今更ながら知り、
高橋幸宏が実は大スターであることが判明した。
細野晴臣」


合掌。


* * * * *

ところで。
誤嚥性肺炎は、食物や唾液などが誤って
気道内に入ってしまうことから起きる肺炎らしいが、
近年日本人の死亡原因第3位だという。
特に後期高齢者の肺炎のほとんどは
誤嚥性肺炎だと考えられているらしい。

私も最近、飲み物を飲むのにゆっくり飲まないと
変なところに入りそうになることがある。
だんだん、飲み込む力が弱ってくるのかな。





2023.1.19

ドキュメンタリー・オブ・
エンニオ・モリコーネ

Documentary of ENNNIO MORRICONE




先日観たドキュメンタリー映画
『モリコーネ 映画が恋した音楽家
(以下、『モリコーネ』という)』が
あまりに素晴らしかったので、
エンニオについて、調べていたら、
『ドキュメンタリー・オブ・エンニオ・モリコーネ
(以下『ドキュメンタリー』という)』という
テレビのドキュメンタリーのDVD を発見。
すでに廃番だったが 中古品で入手した。

1995年の作品で、パッケージには
ドイツ・フランス・イギリス合作と記載があるが、
冒頭には、「a ZDF Arte - BBC Television
co - production」と表示される。
(ZDF は、ドイツの公共放送局、
BBC は、イギリスの公共放送局)

先日劇場で観た『モリコーネ』が、
157分もあったのに対し、こちらはテレビ用という
こともあってか、55分と短い。

一番の大きな違いは、『ドキュメンタリー』は、
エンニオの光の部分に焦点を当てているが、
『モリコーネ』の方は、光だけではなく、
彼の人生の陰の部分にもスポットを当てていた。
その結果、『モリコーネ』の方が、エンニオという
人物を深く描く結果になっていると思う。

あれだけの人物を描くのには、55分では足らんわな。
157分でも足らんけど。
そして、『ドキュメンタリー』が制作された
1995年時点では、エンニオはオスカーを獲っていない。
(オスカー受賞は、2006年と2015年。)
賞のために作曲をしているわけではないが、
エンニオを語る上では重要なパーツだ。
事実、『ドキュメンタリー』でも『ミッション』が
オスカーを獲らなかったことに出演者は言及している。

『ドキュメンタリー』に登場する映画は、
『モリコーネ』でもほとんど出てくるのだが、
『モリコーネ』では、触れられなかった作品も
いくつか紹介されるので、両方観たおかげで、
より理解が深まったね。
『モリコーネ』の監督、ジュゼッペ・トルナトーレも
もちろん登場するが、『モリコーネ』ほど
大物はたくさん登場しない。

しかし、『モリコーネ』には登場しなかった、
エンニオの息子(三男)アンドレア・モリコーネ
(作曲家)が、『ニュー・シネマ・パラダイス
愛のテーマ』の作曲家として、登場する。
あれは、エンニオの曲だと思い込んでいたものだから
驚いてしまった。
調べてみると、あの曲のクレジットは、
「Ennio Morricone & Andrea Morricone」。
親子の共作ということのようだ。

もう20年以上前に、ロバート・デニーロが、
出演しているという理由で『ミッション』を
ビデオで観た覚えがあるのだが、
「面白くなかった」という記憶しかなく、
音楽のことなど覚えていない。
たまに何かの機会に『ミッション』の曲を
誰かが演奏しているのを聴いたことはあるけど、
あまり印象に残っていない。
しかし、『ドキュメンタリー』では、
『ミッション』の音楽は「映画音楽を変えた」とか、
「史上最高のサントラ」とまで絶賛している。
またこの度色々読んでいる中には
『ミッション』に対し「映画は面白くないけど
音楽は素晴らしい」というものもあった。
これだけ『ミッション』の音楽が評価されて
いるのだから、もう一度観てみようかな。


(2023.1.21 追記)
一昨日のエントリーにちょっと補足。

『ドキュメンタリー』は1995年の製作でなので、
エンニオが亡くなる2020年までの約25年については、
当然、触れられていない。

『ドキュメンタリー』では、『ミッション』が
ピークとも思えるような描かれ方をしているが、
その後、ジュゼッペ・トルナトーレとのコンビで
『明日を夢見て』、『海の上のピアニスト』、
『鑑定士と顔のない依頼人』などの作品を生み続けた。
ペースは、60年代70年代ほどではないけど。
(むしろ、その時代が異常な数だった。)

2006年には、アカデミー賞名誉賞を受賞。
2015には、クエンティン・タランティーノ脚本・監督の
『ヘイトフル・エイト』で初のアカデミー賞作曲賞を受賞。
1995年以降の活躍も目覚ましいのだ。

そして、おそらく1995年以降、
『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年)の音楽の
評価も上がり続けていたに違いない。
映画の公開から、35年が経ち
今やスタンダードと化しているのだから。
そんなわけで、『モリコーネ』でも『ミッション』に
ついても、もちろん取り上げられているが、
『モリコーネ』では、それがピークとしてではなく、
多くの偉業の一つとして扱われているのだと思う。





2023.1.18

反復練習

練習というのはできないことを
できるようになるためのものである。
というのは当たり前過ぎることだが、
若いころには、この当たり前のことが
十分に分かっていなかったように思う。
私の場合、練習の対象はギターだが、
ついつい、できることを繰り返して
良い気になって、それで練習しているような
錯覚に陥っていたからだ。

できないことをできるようになる練習とは
何度も何度もできるようになるまで
繰り返すことだと思っていた。
あながちそれは間違っていないが、
ポイントは、その繰り返し方というか、
何を繰り返しているのか、という点だ。

楽器練習の場合、多くの指導者が
非常に遅いテンポで、ゆっくりと弾くことを
推奨している。
私も若いころにそのことを教則本で
読んだ覚えがあったが、本格的なレッスンを
受けずに我流で学んでいった場合、
この「ゆっくり弾く」というのがとても難しいんだ。

一番効果的な練習方法は、間違わずに
弾けるゆっくりなテンポで何度も練習し、
徐々にテンポを上げていくことにある。

しかし、我流で学ぶアマチュアの多くは、
どうしても、速いテンポで弾きたくなって
ちゃんと弾けないテンポで弾いてしまう。

そうすると、当然 間違う。
やり直す → 間違う
やり直す → 間違う
という風に「間違いを繰り返す」ことになる。

とするとどうなるか、
脳は繰り返される「間違い」を記憶しだす。
だって、間違いを反復しているのだから。

先日、ネットのあるサイトで読んだ練習方法には
こう書かれていた。

「繰り返し練習によってできるのは
完璧 (perfect) ではなく、
固定 (permanent) である」

つまり、雑な練習を繰り返していると、
雑な演奏が固定化されてしまうのだ。

もうひとつ、ただゆっくり弾けば良いというわけでもない。
「弾きたい表現を細部まで明確に思い描き、
それを演奏で確実に再現する、という弾き方を
繰り返す必要がある」とも 書かれていた。

つまり、フレーズをただゆっくりなぞるのではなく、
徹頭徹尾、音楽的に演奏せよ、ということだ。

ただ1小節の練習であっても、
機械的に繰り返すのではなく、
そのイメージが明確であれば、
大変内容のある、取り組みがいのある練習に
なるということだ。

私は若いころ、雑な練習ばかりしていたと思う。
ようやく、この数年、丁寧に練習できるように
なってきたけど、それでもまだまだ雑な面が
あることを否めない。

「本当に素晴しい結果を求めるなら、
とても注意深く、創造的に、
規律と自由を混ぜる必要がある」とは、
ビル・エヴァンスの言葉である。

確かに、私が憧れる、神業のような
プレイヤー達の演奏は、
その細部まで、とても注意深く、意図的で
創造的で、そして自由なのであった。





2023.1.17

片岡球子の言葉
精進ひとすじ




先日、横浜のそごう美術館で
「面構 片岡球子展 たちむかう絵画」を観てきた。
そのとき、ミュージアムショップで
『片岡球子の言葉 精進ひとすじ』を
買ったのだが、読みやすい本だったので、
その日のうちに読み終えた。
表紙は、今回の展覧会でも展示されている
「面構」の 徳川家康(1967年)。

前半は、片岡がどこかで語った
言葉を集めたもの。
後半は、1981年に行なわれた
瀬戸内晴美(寂聴)との対談。

本のオビに書かれた言葉は
「絶望ではない。渡ってやろう。」
若い頃、落選し続けた片岡は、易者に、
「鴨緑江(おうりょくこう)をハダシで
渡り切られたらアナタは絵かきになれるだろう」
と言われ、片岡は反射的にそう思ったという。
そして、それからずっと「鴨緑江の向こう岸に
着こうとして勉強しているのです」と書いている。
(鴨緑江というのは、中国と北朝鮮の
国境に流れる川。)

この言葉に象徴されるように、
本書からは片岡の絵を描くことへの
半端ない覚悟と情熱、終わりなき探求と
改善の精神が伝わってくる。

あの「面構」シリーズについては、こう書いている。

そこには人間の魂がのりうつっているものだと
解釈して、その人物を解剖しようという試みです。

「面構」も日本のためにいい仕事をした男性を描く。
これが死ぬまでの画家の仕事だと
覚悟を決めて始めたことです。

面構は死ぬまでやります。
自分で発心して始めたことですから、
途中でやめたら意地が通りません。


「面構」シリーズの背景のほんの一端だけど、
そういう覚悟や思いを知った上で、もう一度 観に行きたい。
今月29日迄なので、行けるかな

1966年当時、「面(つら)」という言葉は
女性は使わなかったらしい。
当時、「面構(つらがまえ)」は「めんこう」
「めんがまえ」と読まれてしまうため、途中から
「つらがまえ」と読み仮名をつけたという。

今、気付いたけど、昨日1月16日が
片岡の命日だった。
(2008年1月16日 逝去。享年103歳。)
合掌。


★★★★☆





2023.1.16

一流人の不思議な共通点

先日読んだ書籍『三流シェフ』の著者、
フランス料理の三國清三シェフ。
一昨日、絵画展を観てきた日本画家の片岡球子。
そして、昨日ドキュメンタリ―映画を観てきた
作曲家 エンニオ・モリコーネ。
この3人の不思議な共通点について書きたい。

子供の頃、医者になりたかったという
片岡とモリコーネ。
そして、親友に「絵描きになるわ、断然。
あんたには、その方が、ずっと意義がある」と
言われ、絵描きになったという片岡と、
「父が『トランペットを学べ』と言い、私を音楽院に
入学させた。トランペット奏者にすると決めたのは
父だ」というモリコーネ。
ふたりともまるで自ら選んでいないかのようだ。
(モリコーネは、トランペット奏者になったあと
作曲家になる。)

ミシュランの星が取れなかった三國シェフ、
「落選の神様」と言われるほど展覧会に
落選した片岡、アカデミー賞作曲賞に5回
ノミネートされるも受賞を逃したモリコーネ。

結果的にモリコーネは、2006年にアカデミー賞
名誉賞を受賞、2015年6回目のノミネートで
作曲賞を受賞した。
片岡は、幾度かの落選のあと、25歳で
初入選、その後 また落選し続け、34歳で
二度目の入選を果たすまで「落選の神様」と言われた。
37歳以降は、受賞が続くようになった。
三國シェフは、今まで ミシュランの星は
取っていないが、フランスの名誉ある勲章や
名誉博士号などを贈られている。

師匠のひとりアラン・シャベルに
「洗練されていない」と言われた三國シェフ、
師匠であった吉村忠夫に破門になった片岡、
師匠であったゴッフレド・ペトラッシに
映画音楽のような商業音楽を書くことは
「反芸術的で道徳的でない」とまで言われたモリコーネ。

そして、それぞれの難しい時代を駆け抜け、
成功した3人。
その師3人は、弟子の成功を祝福した。

なんでしょうね。
この共通点。





2023.1.15

戦場のメリークリスマス
Merry Christmas, Mr. Lawrence




意外なことに私はこの超有名な映画
『戦場のメリークリスマス』を劇場はおろか
ビデオでさえ観た覚えがなかった。
観なかった理由も分からない。
公開されたのは、1983年だから
ちょうど40年前だ。

このたび、4K修正版が公開されたので、
この機会に劇場で観ておきたいと思った。
それに、なんでも今年、大島渚作品が
国立機関に収蔵される予定のため、
今回が最後の大規模ロードショーだというのも
劇場鑑賞の後押しになった。

ちなみに同じ大島渚監督の
『愛のコリーダ』もデジタル修復版が
今年公開される。
『愛のコリーダ』は、公開時ではないけど、
19歳のときに劇場で観た。
文化的には、色んな意味があるのだろうけど、
若い頃の私には「藤竜也がず~っと
やってる映画」という印象しか残らなかった。
今観たらどう思うか 分からないけど。

閑話休題、『戦場のメリークリスマス』に戻ろう。
残念ながら、私には どうしてこの映画の
評価がそんなに高いのか分からなかった。
音楽は、映画にも出演している坂本龍一。
彼は、のちに映画『ラストエンペラー』で
アカデミー作曲賞を受賞するが、
本作が初めて手がけた映画音楽だった。
その一度聴いたら忘れられないメロディーは
文句なしに素晴らしいと思うのだが、
映画の方はイマイチよく分からなかった。
戦争が招く狂気、日本人と欧米人の「恥」と
「誇り」の違いなど、ポイントはいくつもあると
思うのだが、捕虜のセリアズ(デビッド・ボウイ)の
ヨノイ大尉(坂本龍一)へのキスも、ラストの
ハラ(ビートたけし)の「メリー・クリスマス」
というセリフの意味もよく理解できないでいる。
無理やり説明しようと思えば出来るけど、
なんだかピンとこない。
偏った見方だけど、デヴィッド・ボウイ、
坂本龍一、内田裕也、ジョニー大倉などの
ミュージシャンや、ビートたけしというお笑い
芸人を起用したことで注目されたということも
あったのかも知れない。
(若い頃の、内藤剛志も出てます。)

戦闘シーンが一切登場しない異色の
“戦争”映画と言われる本作、原作は、
ローレンス・ヴァン・デル・ポストというの
インドネシアのジャワ島での収容所経験を
元に書いた『影の獄にて』に収録されている短編。
なので、実際にあったことも含まれているのかも知れないな。

残念だったこと。
4K修復版ということで、映像はきれいだったけど、
映画の冒頭、数か所、ビートたけし、坂本龍一、
トム・コンティ(の日本語)のセリフが聞き取れなかった。
これは、なんでだろうな。
英語のセリフは字幕のおかげで分かったけど、
日本語が何言うてるか分からんというのは、困ったものだ。

もうひとつ。
デヴィッド・ボウイが脱走しようとするシーンで、
敷いていた毛布(字幕は絨毯となっていた)を
丸めて持って出るのだが、次のシーンでは、
まるで新品を買ってきたみたいに、きれいな筒状に
巻かれているのには、驚いてしまった。
坂本龍一が化粧しているのも、私としてはちょっと微妙。


★★★☆☆




モリコーネ 映画が恋した音楽家
Ennio




2020年7月、91歳でこの世を去った
映画音楽の巨匠 エンニオ・モリコーネの
ドキュメンタリー映画を観てきた。
期待を大きく上回る感動作だった。

監督は、ジュゼッペ・トルナトーレ。
『ニュー・シネマ・パラダイス』、『明日を夢見て』、
『海の上のピアニスト』、『マレーナ』などで、
モリコーネと組んできた、こちらもイタリアの巨匠だ。
本作は、モリコーネが亡くなってから
製作されたのではなく、生前から5年以上に
わたる密着取材を敢行していた作品だという。
結果的に追悼的な映画になったというわけだ。

私は映画音楽も割と好きなので、
この映画は、公開を知って 絶対に観たいと思い、
手帳に公開日(1/13)を記入したほどだった。
1961年以来、500作品以上という驚異的な数の
映画と TV作品の音楽を手掛けてきたというモリコーネ。
中学生の頃、『夕陽のガンマン』(クリント・
イーストウッド主演のマカロニ・ウエスタン)の
テーマ曲のシングル盤(レコード)を買ったが、
思えばそれが私のモリコーネとの出会いだったわけだ。

1960年代当時、現代音楽の世界では
映画音楽は、芸術的価値が低かった。
そのためモリコーネは、何度も映画音楽を
やめようと思うが、映画界が彼を放さなかった。

その葛藤の中、映画音楽というジャンルを確立し、
芸術的価値をも高めていく数十年にわたる
その業績は、マエストロという敬称に相応しい。

作曲家としての妥協なき姿勢、誇りとこだわり、
溢れ続けるメロディとアイディア、
その仕事の歴史、モリコーネの人となりを
これまた凄いメンバーのインタビューで紡いでゆく。
クリント・イーストウッド、ジョン・ウィリアムズ、
ブルース・スプリングスティーン、ハンス・ジマー、
クエンティン・タランティーノ、ウォン・カーウァイ、
オリヴァー・ストーン、クインシー・ジョーンズ、
パット・メセニー、ジーン・バエズ、
セルジオ・レオーネ、ベルナルド・ベルトルッチなどなど
そうそうたるメンバーだ。
この登場人物を見るだけでも、モリコーネの
偉大さが分かろうというもの。

タランティーノは、「(モリコーネは)モーツァルト、
ベートーヴェン、シューベルトに匹敵する」と
言っていたよ。

157分とやや長尺なドキュメンタリーだが、
モリコーネの魅力がたっぷり。
彼の音楽が使われた映画のシーンも
たくさんあって映画ファンには嬉しい。
もう一度観たいぐらい。

90年代にビデオで観て、全く良さが
分からなかった『ミッション』や、観たけどもう
ほとんど忘れている、『アンタッチャブル』、
『海の上のピアニスト』『ワンス・アポン・ア・タイム
・イン・アメリカ』なども もう一度 観直したくなったよ。

モリコーネは、この映画の完成の前に亡くなった。
最後に、その旨や「モリコーネに捧ぐ」というようなことが
字幕で出てくるかなと思っていたら、なかった。
プログラムには、こうある。

本作の編集中にモリコーネは亡くなったが、
トルナトーレは、今日モリコーネがもう肉体的には
いないという事実を、観客に思い起こさせるような
作りにはしなかった。
トルナトーレは、その理由をこう説明する。
「私はエンニオについて語るというよりも、
彼の音楽と同じように、今も皆の中に
生きているエンニオを見せたかった。
生きていてまだ元気に作曲をしている
人物かのように、そして夜には一緒に出掛けて、
ワイン一杯を前に語り合うことができる存在かの
ように、現在形で語るほうが良いと思ったからだ」


★★★★★


ところで、映画の内容とは関係ないけど、
原題は『Ennio』なのに、邦題は『モリコーネ』。
日本では、どうも苗字の方が、一般的に
浸透している方が多いような気がする。

例えば先日亡くなったジェフ・ベックのことを
私は親しみを込めて、ジェフと書くし、
エリック・クラプトンのことも、エリックと書く。
しかし、世間一般には、ベック、クラプトンと
書かれることが多い。
まあ、ジェフ・ヒーリー、ジェフ・ゴラブ、
ジェフ・ポーカロとミュージシャンにジェフが多いし、
エリックなら、エリック・ゲイル、エリック・ジョンソン、
エリック・アンダースン、エリック・ドルフィーなど、
これまた多いので、区別のためということもあるだろう。
しかし、不思議なことに
マイケル・ジャクソンは、マイケルなんだな。
マイケル・シェンカー、マイケル・フランクス、
マイケル・センベロ、マイケル・ナイマン、
マイケル・マクドナルド など、マイケルも
いっぱいいるのにね。
まあ、ジャクソンというと、これまた多すぎて
誰のことか分からんということもあるかもね。
(ジャーメイン・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン、
ラトーヤ・ジャクソン、ポール・ジャクソン、
ジョー・ジャクソン、ジャクソン・ブラウンなど。)
思うに、 エンニオ・モリコーネの場合、
「エンニオ」より「モリコーネ」の方が、
音的に日本人には語呂が良いこともあるのかも知れない。





2023.1.14

面構(つらがまえ)
片岡球子展 たちむかう絵画




横浜のそごう美術館で開催されている
「面構 片岡球子展 たちむかう絵画」を観てきた。
片岡球子は、1905(明治38)年
北海道札幌市生まれの日本画家。
2008年、103歳で没。
長生きだったんだな。

「面構(つらがまえ)」は、片岡球子が
ライフワークとしてこだわり続けたシリーズらしい。
彼女の絵には、見覚えがあったが、
名前が出てくるほどではなかった。
だが、この展示会を知って、これは観なきゃと思った。

片岡は、1966年から2004年まで38年間で
「面構」を44点描いた。
彼女は、ただの肖像画ではなく、
人間の「魂」を描きたいと考えていたという。
本展では、その44点中42点と関連のある
作品も合わせて展示されていた。

そごう美術館の説明には、
「本展は、片岡の迫力ある面構シリーズの
初期から晩年までを網羅した初の展覧会。
面構の創造の過程を含めたデッサン帖や
初公開の小下図など資料と共に
最晩年までの本画約45点をかつてない規模で
集結した最初で最後の大展覧会」とある。
普段は、全国の美術館などに散らばっている
「面構」作品を一挙に観られる貴重な
機会であるわけだ。

上のチラシ画像に使われているのは、
葛飾北斎だが、足利尊氏なども
非常に味のある絵なのだ。



さて、感想だが、まずその迫力に圧倒された。
1枚1枚がでかい。
これは実物を見ないと、図録や写真では、
作品の持つ「力」が間違いなく伝わらない。
彼女は、103歳で亡くなったのだが、
展示されていた作品の中には、
90代で描かれたものが、10枚あった。
最晩年の作品は「面構」シリーズの
44作品目で、99歳のときのものだった。
90を過ぎてなお衰えぬ、その創作意欲と
情熱に心を打たれた。
99歳。私にまだ39年もあるではないか。
(健康に生きていたらだけど。)
なんだか、大いに勇気をもらった感じだ。

90代の絵は、若い頃の絵とは違って、
シンプルに言い換えれば
あっさりした仕上がりになっている。
それは、体力の問題もあったかもしれないけど、
70年以上描き続けた末にたどり着いた
境地なのかもしれない。
「若い頃の絵とは違って」と書いたが、
「面構」シリーズを始めたのが、1966年なので
今日観てきた作品は、ほとんどが
片岡が60代以降のものだ。

作品は、平面なのに不思議と立体的。
パースをつけて、立体的に見せようというような
手法ではなく、作品によって部分によって
立体的だったり、平面的だったりと、面白い。
描かれている人物が、どういう人間か、
自然にイメージが湧いてくる。
ふてぶてしい人、物静かな人、滑稽な人、
誠実そうな人、ちょっと腹が黒そうな人、
小難しそうな人などなど。
対象となる人物を徹底的にリサーチし、
歴史上の人物で、資料が不十分な場合は、
その人のキャラクターを自ら創作し、
その本質に迫ろうとした。
なんだか、写真家・土門拳を思い出した。
彼も本質を撮ろうとシャッターを切るまで
長時間、被写体を観察していたと読んだ覚えがある。
そして、着物の細かい柄がまあ見事である。

その本質の描き方がだが、写実的な印象のものあれば、
ともすれば漫画的な表現のものあった。
例えば、『笑ゥせぇるすまん』や『魔太郎がくる!!』を
思い出したものもあったので、もしかしたら
藤子不二雄は、影響を受けたのかと思ったほどだった。

一番印象に残ったのは「面構」がシリーズになる
ずっと前、1942年に描かれた「祈祷の僧」。



武将であったり、高僧であったり、
浮世絵師であったりと、ほとんどの作品は、
誰を描いているのか、名前があるのだが、
この作品は誰だか分からない。
キャプションには、次のように書かれていた
「(前略)下宿に毎月来訪する行者に
モデルを依頼したが、一度断られるも
あきらめず、寒中21日間の水行を条件に
提示されると、それをこなして承諾を
得るという徹底ぶりであった。(後略)」
片岡のその覚悟と情熱が祈る行者の顔に
現れているように感じた。
いや、逆かも知れないな。
そこまでして、書きたかった行者のあり方が、
この絵には現れているのかも知れない。





2023.1.13

肖 像 画

写真は先日の志の輔らくご in PARCO で
ロビーに展示されていた志の輔師匠の肖像画。
(撮影する私の腕が、ガラスに反射しているけど。)



一目見て、描いたのは
ヤマザキマリさんだと分かった。
私がヤマザキさんのファンだと
いうわけではない。
昨年発売された、山下達郎さんの
ニューアルバム、『SOFTLY』のジャケットが、
ヤマザキさんの手によるもので、
一目でそのタッチが同じであること、
それに加えて、達郎氏と志の輔師匠は
繋がりがあることを知っていたので、
すぐにそうだろうと思ったのだ。

SOFTLYのジャケット


実は、私はこのジャケットがあまり好きではない。
なんとなく達郎の音楽と合わないような気がするんだ。
ジャケットとしてではなく、肖像画として
この絵と出会っていたら、違った印象を
持ったんじゃないかとも思う。
もちろん、CD の音楽は素晴らしいので、
ジャケットの好き嫌いなど重要ではないのだけど。

しかし、志の輔師匠の肖像画は良いと思った。
同じように写実的に描かれているのに
何が違うんだろう。
達郎の方は、微かに微笑んでいるようで
ありながら、何となく暗い印象を
受けたことは否めない。
それは、達郎自身の世界への憂いの
現れなのかも知れないとも思うけど。

ヤマザキマリさんは、『テルマエ・ロマエ』で
有名だけど、若い頃、イタリア、フィレンツェに
留学していた。
国立アカデミア美術学院で
美術史・油絵を専攻していた人だ。
漫画家というだけではなく、
本格的な美術の人なんだな。


志の輔肖像画のアップ








2023.1.12

ジェフ・ベック死す

享年78歳。
死因は、細菌性髄膜炎で、
今月10日に亡くなったとのこと。

昨年、「Jeff Beck & Johnny Depp」名義の
アルバム『18』を発表したばかりだし、ライヴも
やっていたみたいだし、エリック・クラプトンより
健康そうに見えたし、まだまだギタリストとして
進化しそうだったし、来日もしてくれると
思っていたので、突然の訃報は、あまりにショックだ。

そんな風に思うのは私だけではなく、
多くのロック・ファンの共通認識だったのではないかと
渋谷陽一氏のコメントを読んで思った。
曰く、「いわゆる3大ギタリストと言われる、
クラプトン、ベック、ペイジのなかで、
なんの根拠もないが一番長生きをしてくれるの
はジェフ・ベックだと思っていたので、
突然の訃報に受身がとれないでいる。
同じ思いの人は多いのではないか」。

そう、私もなんの根拠もなくジェフは、
もっと長生きしそうに思っていた。
本当かどうかは知らないけど、何かの記事で
彼はヴェジタリアンだと読んだこともあるし、
見ての通り、20代から変わらぬ体型、
そして色んな記事で目にする、
少年のような音楽やギターに対する眼差し。
それらは、全てジェフを死のイメージから
遠ざけていたように思う。

それって勘違いなんだよね。
そんなの長生きする根拠ではないんだ。
死なない人はいないし、真面目に考えれば
死に年齢は関係ない。
100歳まで生きる人もいれば、
0歳で死んでしまう人もいる。
平均寿命(余命?)などという統計が
人間を勘違いさせているだけなんだと、
時々、思い出す必要があるよね。

彼は、生きていれば、まだまだ新しい音楽を
生み出したに違いない。
私の中では、(ギターはめっちゃ上手いけど)
ちょっと不器用な面も感じたジェフ。
私の場合、彼の激しいロックより、
例えば スティービー・ワンダーの
『Cause We've Ended as Lovers』はもちろん、
BBA の『Sweet Sweet Surrender』や
ロッド・スチュワートとコラボしたカーティス・
メイフィールドのカヴァー『People Get Ready』、
ストラトのアームを征服したとも言える
『Where Were You』、ジョージ・マーティンの
アルバム『In My Life』に収録された
『A Day in the Life』(ビートルズのカヴァー)など、
バラード系でその演奏・表現力に大いに感銘を受けた。
ミスター・ストラトキャスターは、
私の中ではジェフなのです。
残念です。

合掌。


長年 私の部屋に飾っているジェフの
雑誌の切り抜き写真(左)。



右は、ジェフとも共演歴のある、
スティーヴィー・レイ・ヴォーン。
スティーヴィーは、1990年35歳という若さで
ヘリコプターの墜落事故で死んでしもた。
嗚呼。





2023.1.11

ボクは五才



小学生だった頃、講堂で映画鑑賞の時間があった。
たぶん1年に1~2回程度だったように思う。
6年間で、少なくとも5~10本ぐらいのの映画を
観たのではないかと思うが、ほとんど覚えていない。
そんな中、1本だけタイトルを覚えている映画があった。

『ボクは五才』。
1970年(私は小学2年生)、大阪万博の年に
公開された作品で、私が観たのは、
3年生か4年生の時だったかも知れない。

覚えていたのは『ボクは五才』というタイトルと、
5歳の子供がひとりで四国から大阪まで
旅をするということだけ。
そして、その映画が「良かった」という感想。
50年経っても覚えているほど、小学生の
私にインパクトがあったんだな。

もう少しあらすじを書くと、高知県に住む5歳の
幼稚園児が、出稼ぎに出ている父親に会うために
ひとりで大阪まで無銭旅行するというもの。
子供のロードムービーだ。

その映画のことは、すっかり忘れていたのだけど、
先日、何か面白い映画はないかと、
映画館で上映中の映画を物色していた時のこと、
『ボクは五才』というタイトルが目に飛び込んできた。

有楽町の角川シネマで、
「大映創立80周年記念映画祭
ROAD TO THE MASTERPIECES」という企画で
古い日本映画を上映中なのだが、その中に
『ボクは五才』もあったのだ。
期間中、数回上映されるのだが、
スケジュールが合わず難しい。

ヤフー映画のレビューを読むと、私同様に
「小学校の講堂で観た」というものも数件あった。
そして「DVD化してください」「DVD化希望」
「DVD化にご協力を」というコメントも見られた。
そうか、DVDにはなっていないのか、と思ったが、
それらのコメントは、10年ほど前のものだと気付き、
調べてみると、2016年にDVDが発売されていたのだった。
これは観なければと思い、即、購入。
少し安くなっていて、2,200円だったよ。

なんとなく、ドキュメンタリーだったような印象が
あったのだけど、宇津井健、左卜全、
ミヤコ蝶々などが出演している「映画」だった。
なぜ、ドキュメンタリーのような印象が
あったのかは分からないけど、
「実際にあった出来事」というナレーションが
入るので、そのせいで実際にあったことと
無意識に刷り込まれたのかもしれない。

なにしろ、50年ほど前、子供の頃に観た映画だ。
子供がひとりで四国から大阪まで旅をすると
いうこと以外、何も覚えてはいなかった。

主人公・太郎は母親に死なれ、父親は出稼ぎに
出ていて、祖父母やおじさん、おばさん、
いとこたちと大家族で暮らしているのだが、
ただ父親に会いたい一心で、冒険する様は、
無垢で、そしてたくましくも危なっかしい。
舞台が1970年なので、街の風景や、
走っている車、人々の服装なども
私の世代には、楽しめる。

もちろん、太郎は大阪にたどり着き、
父親との再会を果たす。
この再会が感動的なのだな。
ベタベタなんだけど、泣けるんだよ。

主題歌『天使の無銭旅行』も太郎が
唄っているのだけど、これがまた切ない。
(ギターでカヴァーしようかしら)

太郎を演じるのは、岡本健という子役。
調べてみると、現在はグラフィック・デザイナー
として、活躍しているとのことだ
私より少し若いので、今は 50代後半だろう。

そして・・・発見したよ。
なんと、YouTube で全編観られるよ!(89分)
違うチャンネルで2つあったので
両方リンクを貼っておく。
気になる方は、ぜひご覧ください。

ボクは五才

ボクは五才


★★★★▲


shinya◇shin223.com
メールをくださる方は、上記アドレスの◇を@に変えて送ってください。(スパムメール対策)

 ひとりごと