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2017.10.8

オットー・ネーベル展
OTTO NEBEL


Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷)で
昨日から開催されている
「オットー・ネーベル展」に行ってきた。



オットー・ネーベル(1892-1973)という
画家のことは、このたび初めて知った。
ドイツ生まれだが、1933年にナチスからの
芸術家に対する迫害から逃れるために
スイスに亡命した。
その後、1952年になってやっとスイスの市民権を
獲得している。

ネットでこの展覧会のことを知り、
作品数枚を一目見て、これはナマで観たいと思った。
今回の展覧会は、日本初の回顧展ということだ。







ご覧のようにとてもポップな印象で、
絵画というよりは、イラストとか
デザイン画のようだ。

展覧会では、いくつかの時期に分けて、
作品が展示されていたが、
私は1930年代にイタリアへ滞在していたころの
色彩とタッチが好きだ。



『イタリアのカラー・アトラス(色彩地図帳)』と
呼ばれるスケッチブックには、
その街々の色彩をネーベルが感じたままに
言ってみれば、色の見本帳のようにまとめたもの。
作品として、作ったものではないのだろうが、
これがまた素晴らしい。



チラシやポスターに使われているこの
カラー・アトラスは、ネアーペル(ナポリ)の
11月の空と地中海の青を表している。

こちらはポンペイ。



ネーベルが影響を受けたという、
パウル・クレーや友人であった
ワリシ―・カンディンスキーの作品も
同時に展示されていた。
作風が似ていないこともないが、絵のタッチは、
全くネーベルの方に深みがあると思った。
それは、物凄く時間のかかる、
繊細な描き方をしているからだろう。
ネーベル自身が自分の作品リストを
細かく整理していることからも
その細かい几帳面な性格がうかがい知れる。

私が気に入った、1930年代の作品は、
すでに描かれてから、80年の時を
経ているわけだ。
勝手な想像だが、もしかしたら描かれた直後は、
もっと鮮やかな色を放っていたような
気がするのだがどうだろう。





2019.2.21

沖縄 レポート
沖縄県立博物館・美術館


沖縄は、5回目だったけど、
初めて沖縄県立博物館・美術館に行った。

美術館では、ちょうど写真展を開催中だった。



伊志嶺隆(1945-93)と平敷兼七(1948-2009)
というふたりの沖縄出身の写真家の写真展。

沖縄の日本への復帰(1972年)という激動の
時代に20代を過ごしたというふたり。
「沖縄」という土地のがそうさせるのかも知れないが、
写真はどれも「作品」というよりは「記録」、
それもただの記録ではなく、
「"沖縄"の記録」という独特の重みを
帯びているように感じた。

博物館の常設展示のテーマは、
「海と島に生きる−豊かさ、美しさ、平和を求めて−」。
沖縄の民族、文化、自然などの歴史が学べる
総合展示だ。
私はどうしても琉球王国の時代よりも
昭和の沖縄に興味を惹かれてしまう。

博物館の企画展は「沖縄が誇る 家宝の三線展」。



ギターなら、その違いも分かるけど、
三線はほとんど全部同じに見えて
よく分からなかったけど、
試奏コーナーに3本の材木の違う三線が
置いてあって、音を出してみると、
それぞれ違う音がしたのは、興味深かった。

もうひとつ、企画展、
「大嶺薫コレクション展『吉祥 “Kisshou” Lucky sign』」
というのも開催されていたが、
これは値打ちや良さがイマイチ分からず。



美術館・博物館、全部観られる
1DAY PASSPORT は、1,140円でした。





2020.8.2

珠玉のコレクション
SOMPO美術館 開館記念展




招待券を頂いたので、
西新宿のSOMPO美術館に
ゴッホの『ひまわり』を観に行ってきた。



『ひまわり』は、安田火災が創立100周年に
購入したものらしいが、一体いくらだったのだろうと、
ググってみると、なんと 58億円 でした。(1987年)

お金の話は、イヤらしいかも知れないけど、
絵具を買うお金もなかったゴッホの作品が、
その100年後にそんな値段で取引されていることに
なんとも複雑な思いを抱いてしまうのであります。



さて、今回のコレクションでは、
東郷青児、ルノワール、ゴーギャンなども
展示されておりましたが、ゴッホの『ひまわり』は
別格の扱いで、その扱いにふさわしく、
展示物の中で強烈な存在感を放っておりました。

私は、この『ひまわり』は初めてで、
正直、以前感動した『アイリス』や
『ローヌ川の星月夜』ほど期待は、
していなかったけど、やはり一見の価値ありでした。
なんでしょうね、この人の絵は。

現在、国立西洋美術館では、
ゴッホの違う『ひまわり』が
ロンドン・ナショナル・ギャラリーから
来日、展示中なので、それも観に行かなきゃね。





2022.3.5

アート鑑賞

アーティスト Itu(イトゥ)さんの描いた
作品を観て来た。
Itu さんは、もう2年ぐらい毎月4人で、
飲んでいる会のメンバーの知り合いで、
以前から時々話には聞いていた。
パリでアーティスト活動を始めた、
その世界では、有名な人らしい。
3月1日から、ハイアット セントリック 銀座の
4周年に因んだ作品7点が同ホテル
4階 ライブラリーラウンジに展示されている。





ご覧のようにカラフルな色彩のものこら、
黒を主体にしたものまで。
Itu さんを直接知るHさんとふたりで
訪れたのだが、ふたりでソファに座って話していると
偶然 ご本人が現れたので、ご挨拶させて頂いた。
話には聞いていたけど、アーティストらしい過激というか
とてもカラフルな服装の方で、
作品とは裏腹にとても物静かな印象の方だった。

私が一番気に入ったのは、これ。



タイトルは「誕生」。
人にも木にも炎にも、はたまた別の生物にも
見える力強い作品だ。

すぐ近くのギャラリーのグループ展で違う作品も
展示してあるというので、Hさんと移動した。

そこでは、「幻獣展」という名で、5人の作家の
作品と、中世ヨーロッパの写本が展示されていた。



Itu さんは絵画だが、他の人は陶芸、木彫、鋳金。
私が気に入ったのは、百田輝さんという陶芸の作品。


人面獣


とら・のようなもの

トラだと思ったら「とら・のようなもの」と
タイトルにあった。
そうか、幻獣だからトラではないのだな。
展示品には値段も表記されていて、
聞いてみると購入可能なのだという。
中には一体200万円というモノもあったけど、
私が気に入った作品どちらも、数万円で
その気になれば買えるというのも嬉しかった。

こういうギャラリーにアートを観に来ることは
ほとんどないけど、なんだか楽しかったな。





2022.10.8

今日は、面白い一日だった。
午前中、65歳で絵を描き始めた
稲田泰樹さんの個展に行き、
ランチを、店主が64歳でカレー屋さんを
始めたルーキーで取り、
午後は、77 歳で初めて絵を描き始めた
ミッキー・カーチスさんの個展に行ってきた。
別に狙ってプランしたわけではないけど、
なんとなくこうなってしまった。
今年60歳になった私にすれば、
未来がワクワクする一日だったよ。



Tokyo Crisis 〜幻想か現実か〜
稲田泰樹展


稲田泰樹さんの個展に行って来た。
稲田さんは、妻の仕事の関係で
お世話になっているカヨちゃんのお父さん。
定年退職後65歳で絵を描き始めたという人で、
最近、テレビでも取り上げられたことがある。
もともと、大手電機メーカーで、
工場の設計をお仕事にされていた方で、
細かいものを描くのは得意だったようだが、
退職したら絵を描きたいと
思っていた訳ではないらしい。

ある日、昔、稲田さんが、描いたデッサンを
褒められたのを聞いていた奥さんが
勝手に絵の同好会(?)に申込み、
稲田さんに「行って来なさい」と勧めたのだという。
それから描き始め、2016年以降、
数々の賞を受賞している。

話題になっているのは「Tokyo Crisis」という
シリーズで、巨大なカニやロブスターが、
東京を襲っているちょっと怖い絵。
それらはアクリル絵の具で描かれていたが、
水彩、色鉛筆、カラーペン、パステルなど
まるでべつのアーティストの作品かと思うほど
様々な手法とタッチで描かれている。







私が会場で、鑑賞していると、
ちょうど他のお客さんが途切れたので、
稲田さんに直接、作品の解説を
伺うことが出来てラッキーだった。
どうやって描いたのかの数々の種明かしは、
アイディアの宝庫で、稲田さんの
発想の豊かさと個性に大いに刺激を受けたよ。

一筆書きで書いた、マリリン・モンローが
気に入ったので、購入した。




Yasuki Inada ART SITE

[参考動画]
65歳から芸術家デビュー 稲田泰樹さんのイキテクチカラ

【巨大生物が街を襲う】稲田泰樹さんの絵画




ミッキー・カーチス アート展




1938年生まれ、今年84歳になられた
ミッキー・カーチスさん。
77歳で、描き始めた絵は、インスタグラムで
人気が出始めたらしく、今回
初めての個展の開催となったようだ。
ミッキーさんは、ミュージシャンであり、
俳優でもあるが、画家の肩書も
追加されたわけだ。
偶然、個展が開催中であることを知ったので、
観に行ってきた。







ミッキーさんは、動物が好きと見えて、
ほとんどが動物の絵だった。
それも正面から見た顔が多かった。
300点ほど展示されていたが、
売れたものは、その場で持ち帰ることが
できるらしい。

一枚、トラの絵が気に入ったけど、
15万円(税別)だったので、諦めた。



@ DAIKANYAMA GARAGE(代官山)





2022.11.13

丹治思郷 生誕百年 記念展



書家の丹治思郷の「生誕百年記念展」に
行ってきた。

丹治先生は、2015年に91歳で逝去された。
私の大阪時代からの友人T君が、
丹治先生の弟子であったことで、
以前の書展で、先生にお会いしたこともあった。
書のことは、皆目分からないのだけど。

今回の「生誕百年 記念展」も
T君が手伝いに来ているというので、
観に行ってきたのだ。

会場は、東京銀座画廊。
今月8日に始まって、今日が最終日だった。
60点の書が、展示されていたが、
そのどれもがとてもダイナミックで、
生命力というか躍動力にあふれた作品だった。



草書なので、何が書いてるか読めないのだけど、
「一心不乱」「心郷」「北斗七星」だけは読めた。
読むんじゃなくて、感じるものだと言われるのだけど。



中でも なんだか心に染み入ってきたのはこれ。


平和

実物見ないと全然素晴らしさが
伝わらないと思うけど。


[ 関連エントリー ]
2009.11.6 書
2011.11.5 無記




没後30年 松村健三郎 展



10日ほど前だったか、テレビをつけたら
「わたしの芸術劇場」という番組で、
東京都立川市にある、たましん美術館で
開催されている松村健三郎展の特集を
やっていた。
なんだかとても惹かれたので、
たましん美術館まで観に行ってきた。

松村健三郎(1901-1992)は、
「生命即美術」(いいねえ)と捉え、
油絵、パステル画、書から彫刻まで、
色んな手法で作品を残した芸術家。
中でも1961年に 国立市に住居
「湛寂庵(たんじゃくあん)」を構えてからは
「SOUL GARDEN」シリーズと称して
自分ちの庭を描き続けた。
松村は絵を描くためにどこかまで
出かける必要などなかったのだ。
なんだか、ソール・ライターの
「神秘的なことは身近な所で起きている。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないんだ」
という言葉を思い出した。

これは「残雪」と題された作品。



この作品のキャプションには、
「1976年2月、1972年1月20日、
1974年2月13日、1975年1月25日」
と書かれていた。
つまり、何年もかけて同じ時期に、
何度も上から塗り重ねるのだという。
新しく描くのではなくね。
だから、絵具は結構な厚みになっている。

松村の絵画作品には、午前中に観た
丹治思郷の作品に通じる、生命力と
ダイナミックスを感じた。


紫陽花


向日葵

でも、松村の書は、丹治のそれとは
もう全く違う世界でなんだか興味深かった。






2022.11.19

ピカソとその時代
ベルリン国立ベルクグリューン美術館展




表題の展覧会を観に、
上野にある国立西洋美術館に行ってきた。
30分ごとの時間制でチケットを
売っていたけれど、結構、混んでました。



ドイツにあるベルクグリューン美術館は、
もともとは、ハインツ・ベルクグリューン(1914ー2007)
という個人が集めたコレクションから始まったらしい。
2000年に主要作品をドイツ政府が購入し、
現在は、ベルリン国立美術館群ナショナル
ギャラリーに属するとのこと。
ベルクグリューンはユダヤ人で、第二次大戦中は、
ナチスに迫害され、一時はアメリカに住んでいたこともある。

ベルクグリューン美術館の改修を機に
今回の日本での展覧会が可能になったらしく、
やってきた97点のうち76点が日本初公開だという。
その約半数がピカソ。(日本初公開は35点)

私は、ずっとピカソの絵の良さがわからなかったのだけど、
ひと月ほど前にピカソの画集を観て、
少し印象が変わっていたところに、
妻がこの展覧会に行きたいと言い出した。
展示物は、ピカソのほかに、パウル・クレー、
アンリ・マティス、アルベルト・ジャコメッティなど。

点数も多かったけど、ピカソが一番印象的だった。
ピカソというと、あの独特の作風が有名だけど
それ以外にもかなり色んなスタイルの作品があり、
いわば常に進化し続けていたアーティストだったんだな。
音声ガイド(声は俳優の長谷川博己)を
利用したおかげで、ピカソの作風が
何を意図し、どんな風に進化していったのか
大雑把ではあるけれど、知ることが出来た。

展示物は、一部を除いて撮影OKだったので、
いくつか紹介。
ギター好きだけに、ギターを題材にしたものを。

「ギターと新聞」(1916年)


「グラス、花束、ギター、瓶のある静物」(1919年)


「青いギターのある静物」(1924年)


「ギターを持つアルルカン」(1918年)


そして、今回の展覧会のチラシやポスターにも
なっているこの絵。

「緑色のマニキュアをつけたドラ・マール」(1936年)


ドラ・マールというのは、ピカソの彼女だった女性。
ドラ・マールはピカソからこの絵を贈られ、
別れたあとも大切に飾っていたという。
これは、インパクト大。

ピカソのコーナーの最後に展示されていたのがこれ。

「闘牛士と裸婦」(1970年)


なんと、ピカソ89歳のときの作品だ。


パウル・クレーは、作品を観て、なんとなく以前
展覧会に行った、オットー・ネーベルを思い出した。
調べてみると、パウル・クレー(1879ー1940、
スイス人)とオットー・ネーベル(1892ー1973、
ドイツ人、1933年スイスに亡命)は、
親交があったとのこと。
もしかしたら、互いに刺激があったのかも知れないな。

アンリ・マティスの有名な切り紙の作品は、
あまり魅力を感じなかったけど、
この頃の作風は好きだな。

「青いポートフォリオ」(1945年)


「ニースのアトリエ」(1929年)



ベルクグリューンは、額にもこだわっていたらしいが、
上の「ニースのアトリエ」の額なんて凄いよね。
こうなると額も作品の一部になってくるわな。

常設展も観たけど、たくさんあった19世紀の
宗教画は、あんまり良さが分からないなぁ。
ゴッホが1枚だけ(ばら)あった。


展覧会公式サイト





2023.1.13

肖 像 画

写真は先日の志の輔らくご in PARCO で
ロビーに展示されていた志の輔師匠の肖像画。
(撮影する私の腕が、ガラスに反射しているけど。)



一目見て、描いたのは
ヤマザキマリさんだと分かった。
私がヤマザキさんのファンだと
いうわけではない。
昨年発売された、山下達郎さんの
ニューアルバム、『SOFTLY』のジャケットが、
ヤマザキさんの手によるもので、
一目でそのタッチが同じであること、
それに加えて、達郎氏と志の輔師匠は
繋がりがあることを知っていたので、
すぐにそうだろうと思ったのだ。

SOFTLYのジャケット


実は、私はこのジャケットがあまり好きではない。
なんとなく達郎の音楽と合わないような気がするんだ。
ジャケットとしてではなく、肖像画として
この絵と出会っていたら、違った印象を
持ったんじゃないかとも思う。
もちろん、CD の音楽は素晴らしいので、
ジャケットの好き嫌いなど重要ではないのだけど。

しかし、志の輔師匠の肖像画は良いと思った。
同じように写実的に描かれているのに
何が違うんだろう。
達郎の方は、微かに微笑んでいるようで
ありながら、何となく暗い印象を
受けたことは否めない。
それは、達郎自身の世界への憂いの
現れなのかも知れないとも思うけど。

ヤマザキマリさんは、『テルマエ・ロマエ』で
有名だけど、若い頃、イタリア、フィレンツェに
留学していた。
国立アカデミア美術学院で
美術史・油絵を専攻していた人だ。
漫画家というだけではなく、
本格的な美術の人なんだな。


志の輔肖像画のアップ








2023.1.14

面構(つらがまえ)
片岡球子展 たちむかう絵画




横浜のそごう美術館で開催されている
「面構 片岡球子展 たちむかう絵画」を観てきた。
片岡球子は、1905(明治38)年
北海道札幌市生まれの日本画家。
2008年、103歳で没。
長生きだったんだな。

「面構(つらがまえ)」は、片岡球子が
ライフワークとしてこだわり続けたシリーズらしい。
彼女の絵には、見覚えがあったが、
名前が出てくるほどではなかった。
だが、この展示会を知って、これは観なきゃと思った。

片岡は、1966年から2004年まで38年間で
「面構」を44点描いた。
彼女は、ただの肖像画ではなく、
人間の「魂」を描きたいと考えていたという。
本展では、その44点中42点と関連のある
作品も合わせて展示されていた。

そごう美術館の説明には、
「本展は、片岡の迫力ある面構シリーズの
初期から晩年までを網羅した初の展覧会。
面構の創造の過程を含めたデッサン帖や
初公開の小下図など資料と共に
最晩年までの本画約45点をかつてない規模で
集結した最初で最後の大展覧会」とある。
普段は、全国の美術館などに散らばっている
「面構」作品を一挙に観られる貴重な
機会であるわけだ。

上のチラシ画像に使われているのは、
葛飾北斎だが、足利尊氏なども
非常に味のある絵なのだ。



さて、感想だが、まずその迫力に圧倒された。
1枚1枚がでかい。
これは実物を見ないと、図録や写真では、
作品の持つ「力」が間違いなく伝わらない。
彼女は、103歳で亡くなったのだが、
展示されていた作品の中には、
90代で描かれたものが、10枚あった。
最晩年の作品は「面構」シリーズの
44作品目で、99歳のときのものだった。
90を過ぎてなお衰えぬ、その創作意欲と
情熱に心を打たれた。
99歳。私にまだ39年もあるではないか。
(健康に生きていたらだけど。)
なんだか、大いに勇気をもらった感じだ。

90代の絵は、若い頃の絵とは違って、
シンプルに言い換えれば
あっさりした仕上がりになっている。
それは、体力の問題もあったかもしれないけど、
70年以上描き続けた末にたどり着いた
境地なのかもしれない。
「若い頃の絵とは違って」と書いたが、
「面構」シリーズを始めたのが、1966年なので
今日観てきた作品は、ほとんどが
片岡が60代以降のものだ。

作品は、平面なのに不思議と立体的。
パースをつけて、立体的に見せようというような
手法ではなく、作品によって部分によって
立体的だったり、平面的だったりと、面白い。
描かれている人物が、どういう人間か、
自然にイメージが湧いてくる。
ふてぶてしい人、物静かな人、滑稽な人、
誠実そうな人、ちょっと腹が黒そうな人、
小難しそうな人などなど。
対象となる人物を徹底的にリサーチし、
歴史上の人物で、資料が不十分な場合は、
その人のキャラクターを自ら創作し、
その本質に迫ろうとした。
なんだか、写真家・土門拳を思い出した。
彼も本質を撮ろうとシャッターを切るまで
長時間、被写体を観察していたと読んだ覚えがある。
そして、着物の細かい柄がまあ見事である。

その本質の描き方がだが、写実的な印象のものあれば、
ともすれば漫画的な表現のものあった。
例えば、『笑ゥせぇるすまん』や『魔太郎がくる!!』を
思い出したものもあったので、もしかしたら
藤子不二雄は、影響を受けたのかと思ったほどだった。

一番印象に残ったのは「面構」がシリーズになる
ずっと前、1942年に描かれた「祈祷の僧」。



武将であったり、高僧であったり、
浮世絵師であったりと、ほとんどの作品は、
誰を描いているのか、名前があるのだが、
この作品は誰だか分からない。
キャプションには、次のように書かれていた
「(前略)下宿に毎月来訪する行者に
モデルを依頼したが、一度断られるも
あきらめず、寒中21日間の水行を条件に
提示されると、それをこなして承諾を
得るという徹底ぶりであった。(後略)」
片岡のその覚悟と情熱が祈る行者の顔に
現れているように感じた。
いや、逆かも知れないな。
そこまでして、書きたかった行者のあり方が、
この絵には現れているのかも知れない。





2023.1.17

片岡球子の言葉
精進ひとすじ




先日、横浜のそごう美術館で
「面構 片岡球子展 たちむかう絵画」を観てきた。
そのとき、ミュージアムショップで
『片岡球子の言葉 精進ひとすじ』を
買ったのだが、読みやすい本だったので、
その日のうちに読み終えた。
表紙は、今回の展覧会でも展示されている
「面構」の 徳川家康(1967年)。

前半は、片岡がどこかで語った
言葉を集めたもの。
後半は、1981年に行なわれた
瀬戸内晴美(寂聴)との対談。

本のオビに書かれた言葉は
「絶望ではない。渡ってやろう。」
若い頃、落選し続けた片岡は、易者に、
「鴨緑江(おうりょくこう)をハダシで
渡り切られたらアナタは絵かきになれるだろう」
と言われ、片岡は反射的にそう思ったという。
そして、それからずっと「鴨緑江の向こう岸に
着こうとして勉強しているのです」と書いている。
(鴨緑江というのは、中国と北朝鮮の
国境に流れる川。)

この言葉に象徴されるように、
本書からは片岡の絵を描くことへの
半端ない覚悟と情熱、終わりなき探求と
改善の精神が伝わってくる。

あの「面構」シリーズについては、こう書いている。

そこには人間の魂がのりうつっているものだと
解釈して、その人物を解剖しようという試みです。

「面構」も日本のためにいい仕事をした男性を描く。
これが死ぬまでの画家の仕事だと
覚悟を決めて始めたことです。

面構は死ぬまでやります。
自分で発心して始めたことですから、
途中でやめたら意地が通りません。


「面構」シリーズの背景のほんの一端だけど、
そういう覚悟や思いを知った上で、もう一度 観に行きたい。
今月29日迄なので、行けるかな

1966年当時、「面(つら)」という言葉は
女性は使わなかったらしい。
当時、「面構(つらがまえ)」は「めんこう」
「めんがまえ」と読まれてしまうため、途中から
「つらがまえ」と読み仮名をつけたという。

今、気付いたけど、昨日1月16日が
片岡の命日だった。
(2008年1月16日 逝去。享年103歳。)
合掌。


★★★★☆





2023.2.18

レオポルド美術館
エゴン・シーレ展




上野の東京都美術館で開催中の
エゴン・シーレ展に行って来た。
コロナの閉塞感から解放されつつある、
天気の良い土曜日ということもあってか、
思っていた以上の賑わいだった。
1時間ごとに区切られた入場券が
販売されているのだが、
数日前に購入していたから
良かったものの、当日券では
もしかしたら何時間も待たなければ
ならなかったかも知れないほどの人出だった。

さて、エゴン・シーレ。
1890年、オーストリア生まれ。
その才能を認められ、
1906年、特別扱いで最年少で
ウィーン美術アカデミーへ入学。
1907年、グスタフ・クリムトと出会う。
「僕には才能がありますか?」というシーレの問いに
クリムトは、「才能がある?それどころか
あり過ぎる」と答えたという。
17歳の時に書いた絵も数点展示されていたが、
とても17歳とは思えない完成度だった。
1909年、保守的なアカデミーに耐えきれず退学。
仲間達と新たな芸術集団を立ち上げた。

1912年には、猥褻な絵を頒布(はんぷ)
したとして、逮捕されている。
1915年、エーディトと結婚した3日後に
第一次世界大戦が勃発。
徴兵されるも、上官の計らいで
絵を描くことが許されていたようだ。
ようやく戦争が終わろうかという時期に
28歳でスペイン風邪に罹り 死亡。
妊娠中の妻エーディトが、同じく
スペイン風邪で亡くなった3日後だった。

画家として活動は、ほんの10年間だった。
戦争も終わり、やっと認められて来て
これからという時だったろうに、
新婚生活3年、妻が身ごもったままでの
ふたりの死はとても悲しい最期だ。

シーレの絵は、重厚なタッチで、
鑑賞者に何かを問うてくる。
エーディトの前の恋人ヴァリー・ノイツェル
肖像画とエーディトのそれを比べると、
全くタッチが変わっている。
エーディトといることで、シーレの心は癒され
落ち着いていたのではないかと勝手に想像している。

死んでから売れる(有名になる)画家が
多いのは、ひとつには本人が若いうちに
死んでしまうということも大きな要因だろう。
シーレも第二次世界大戦が
終わるまでは忘れ去られていたという。
その作品の多くはレオポルト夫妻によって
コレクションされ、現在はウィーンの
レオポルト美術館に収蔵されている。
今回の展覧会は、エゴン・シーレ展とあるが、
シーレの作品と共にレオポルト美術館から
クリムト、ココシュカ、ゲルストルなどの
同時代作家たちの作品も合わせて
約120点が紹介されている。

撮影がOKだったコーナーのシーレの街の絵。


Stein on The Danube U
ドナウ河畔の街 シュタインU(1913)



Krumau on the Vltava (The Small Town W)
モルダウ河畔のクルマウ(小さな街W)(1914)



The Small Town V
小さな街 V(1913)

ポスターになっている自画像も良いが、
落ち着いた色調のこの街の絵たちも好きだな。





2023.3.5

『ピカソのセラミック−モダンに触れる』展
Picasso Ceramics: The Modern Touch




昨日は、東京、青山にあるヨックモック
ミュージアムでピカソのセラミックを観てきた。
セラミックというのは、陶磁器のことだ。

ピカソのことは、長い間、変な絵を描く画家
というイメージしか持っていなかったのだけど、
昨年、国立西洋美術館で「ピカソとその時代
ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」で
その実物を見て、印象が変わった。
やはり、美術品は実物を見ないと分からないんだ。

ピカソは絵画だけでなく、版画、彫刻、陶器も
数多く製作したアーティスト。
今回の展示会では、ビデオも数本観られたのだが、
陶芸家がろくろを回して作った瓶を
あれよあれよという間にハトに作り変えたり、
陶器に絵を描いたりするそのスピードに驚いた。
とてもじゃないが、考えてやっている風には見えない。
最初から、完成形が見えているのか、
何も考えずお構いなしにやっているのか
分からないが、とにかく彼が多作な
芸術家であったことが頷けるビデオだった。

驚いたことに、ピカソは自分が作った作品を
陶芸家たちに複製して量産することを認めていた。
それは、ピカソが世話になった陶芸の工房への
恩返しでもあったようだ。
もちろん、複製の製作にはピカソは
監修として関わり、チェックをしていたようで、
ビデオのインタビューに答えていた陶芸家は
ピカソに「俺より上手い」と言われ、
とんでもないことをしたと思い、
作り直したというエピソードを話していた。
ピカソは、教え方も上手かったのだという。

その複製は「エディション」と呼ばれ、
実物を見れば、ちゃんとピカソの手による
オリジナルか、エディションかは分かるように
なっているのだが、素人が観たら分からない。
それに、エディションもその時にピカソ本人の
監修のもとに作られたものだけだから、
複製といえども十分に価値があるものなのだ。

展示されているセラミックを観て感じたのは、
それらの作品が、とても大衆的な印象であること。
とてもシンプルなのに、踊る人の絵がとても躍動的であること。
どうかすると、和風に見える(例えば魚の絵)
ものもあったこと。
そして、一見、雑なのに繊細さも同時に
持ち合わせていることなど。
やはり、本物を観るのは学びがあるね。



 ひとりごと