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つつみしんやのひとりごと  
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2008.1.8

判決

ニュースでご覧になった方も多いだろう。

2006年8月福岡市で起きた飲酒運転3児死亡事故の判決。

裁判長は危険運転致死傷罪を否定、業務上過失致死傷と道交法違反を適用した。

検察側は危険運転致死傷罪などの併合罪の最高刑である懲役25年を求刑していたが、

判決は、業務上過失致死傷罪の併合罪の最高刑にあたる懲役7年6月だった。

危険運転致死傷罪というものの定義があいまいに感じた。

危険運転致死傷罪は、「正常な運転が困難な状態だった」ことを立証する必要があるらしい。

裁判長は「被告は酒に酔っていたが(事故前に)蛇行運転や居眠り運転はしておらず、

正常な運転が困難な状態だったとは言えない」として

危険運転致死傷罪の成立を否定したという。

「事故前に細い道をぶつかることなく通り抜けた」「証拠を隠滅しようとしたことなどから

判断力がなかったとは思えない」というのが

「正常な運転が困難な状態だったとは言えない」根拠のようだ。

被告はかなりの量の酒を飲んでいたようなのだが、裁判長のコメントは、

「酒を飲んでも正常な運転が出来る」と言っているようにも聞こえる。

酒を飲むと正常な運転が出来ないから、禁止しているのだろ?

ビール一杯でも反射神経が鈍ると、交通安全の講習で聞いたぞ。

立証できない、だから、「疑わしいしきは被告の利益に」の精神も良いが、

酒飲んで運転して事故起こして逃げたんだから、十分「危険」じゃないか。

被告が、7年入ろうと、25年入ろうと、亡くなった子供たちが帰って来る訳ではないし、

彼は、一生かけても償えない罪を背負い、苦しみ続けるのかもしれない。

そもそも私は、被告が何年入るべきかの判断など出来ない。

ただ、法律、判決が何かおかしいと思うのだ。

7年と25年? なんで間がないんだろう?


そして、今後こういう事故が起こらないようにするためには、

「酒を飲んで車を運転する」という行為 イコール 殺人行為なんだと

人々が気を引き締めるしかないのではないか。

そのためには、酒気帯びでも免許取り上げても良いのではないか、

とさえ思ってしまう。


正直言うと、私も20代前半の頃、何度か飲んで運転したことがある。

今思うと背中が寒くなる。





2008.1.12

パートナー

年末に録画したドリカムの番組を観た。

4年に一度の大イベント「DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」の舞台裏を

追ったドキュメンタリーだ。

吉田美和が、ちょっと情緒不安定なんじゃないか?と思えてしまうのも

今なら、そのわけが分かる。

おそらく、そのツアー中、ずっとご主人の具合が悪かったんだろう。

ツアーは、昨年9月23日に最終日を迎え、その3日後、ご主人は逝った。

本番前や、本番一曲目から泣いている彼女を見るのは

そのわけを知った今となっては忍びない。

さて、その番組の中で、ドリカムの吉田美和のパートナー中村正人がこんなことを話していた。

「パートナーには、無条件の愛を持つこと。

ちょっとでも、『俺がこんなにやってるのに・・・』とか思ったら、ダメだね。」

確かに。

音楽でも仕事でも友達でも夫婦でも、不満のある相手とは続かないもんな。

逆に、続けたかったら、自分の器を広げるしかないんだろうな。


もしかしたら、その番組ご覧になった方もいるかも。

バックコーラスのオーディションで最終選考まで残った女性がいたでしょ。

木本陽香。

前回(12/1)に続き、彼女をゲストに次のLIVEが決まりました。

山口豊&つつみしんや ギター・デュオ
guest vo 木本陽香
3月8日(土) 原宿 bar dAZE にて。
19:00open 19:45〜1st、20:45〜2nd

是非、来てね。





2008.1.17

1月17日

1月17日といえば、阪神・淡路大震災。

1995年のこと。

もう13年も経った。

当時、私は東大阪市に住んでいた。

地震があった、午前5時46分、なんと起きていた。

「あぁ〜早く寝ないと2時間しか眠れない〜」と焦って、布団に入ったその時だった。

神戸に比べれば、東大阪の揺れは大したことなかったのだろうが、

それでも私が体験した地震の中では最大だった。

住んでいた家の台所のタイルが少しだが、割れてはがれ落ち、

近所の家は、これも少しだが、瓦が落ちていた。

ちょうどその日は、大阪厚生年金会館で BAHO のコンサートがあり、

チケットを買っていて、楽しみにしていたのだが、当然、中止(延期)になった。

もし、東京で大地震があったら、被害はあんなもんじゃないだろう。

いつか、来るんだろうな、その日が。


私がいつも読んでるサイトに「さとなお.com」がある。

彼は阪神・淡路大震災の時、神戸にいた人で、

地震の時まず何をすべきか、を彼の実体験から書いていて参考になる。
  ↓
「地震が起こったらまずこれをしろ!」





2008.1.19

安全日と危険日

昨日、「もう一人子供が欲しい」という夫婦と話していて、「安全日」と「危険日」の話になった。

女性の生理のサイクルから最も妊娠しにくい日を「安全日」、

妊娠しやすい日を「危険日」と言う。

で、その夫婦は、子供が欲しいわけだから、危険日を狙うことになるのだが、

これっておかしくないか?という話になった。

妊娠を避けたい人達には“危険”日だが、

妊娠したい人達に“危険”という言葉は、ふさわしくないだろ?

だから、妊娠したい人達のために別の呼び名を考えた。

夫婦によって好きな言葉を使っていただきたい。

1.チャンス日  (もちろんその日がチャンスだ!)

2.可能日  (その日、最も可能がある日だからね)

3.やり日  (そう、やる日だ! ちょっと品がないか・・・)


ちなみに、調べてみると「安全日」だから、100%妊娠しないとは限らないらしい。

生理が規則的な女性には、ある程度安全日を推測可能だが、そうでない人には難しい上、

精子って、女性の身体に入ってから、長いと1週間〜10日も生きるらしい。

見上げたもんだ。

だから、「妊娠しない日はない」という見方もあるわけだ。


そういえば、彼女とエッチするのは、必ず「安全日」で、「コンドーム」をつけた上、

絶対「外出し」という友人がいたが、それなら避妊は完璧だろうが、楽しくないかもな・・・。


もうひとつ余談だが、女性は危険日の方がエッチな気分になるという意見もある。

これは、「種の保存」という観点から見れば、うなづける。

今日は、勉強になった。





2008.1.22

達人

今日のNHKの「プロフェッショナル」はイチロー・トークスペシャルだった。

彼は、他人のバットやグローブに触らないそうだ。

なぜなら、他人の物に触ると感覚が鈍るかららしい。

彼は、92年(と言ったと思う)からバット(のシェイプ)を変えていなくて、

今のバットは、彼の身体の一部になっている。

「このバットで打てなかったら自分のせいだ」と言っていた。

だから、「他のバットを握ってしまうことで、その身体の一部がバットに戻ってしまう」らしい。

スゴイ世界だなぁ。

「弘法筆を選ばず」という言葉があるが、それとは、対極の達人だな。


そして、「引退する時はどんな時ですか?」との質問に

「腹が出たら引退しますよ」と。

腹が出てるプロ野球選手はたくさんいるが、彼は(ビジュアル的に)許せないらしい。

ああ、私は引退せねば・・・。

そして、彼の目標は、50歳で4割を打って引退することらしい。

なんか、やってしまいそうで怖い。

いずれにしろきっと、イチローの腹は出ることはないのだろうな。





2008.1.26

人を聴く

ギターデュオの相方、山口豊に誘われ、溝の口の貸しスタジオでやっている

ジャズ・セッションに参加してきた。

「溝の口ジャズ同盟」といい、月に2回、定期的にセッションしているサークルだ。

人数が増えてきて、スタジオ一部屋では入りきらないようになり、ふた部屋借りてやっている。

今日、私が入ったスタジオには、ギターが3名、ベースが2名、ピアノが1名、ドラムが3名、

トランペット、アルトサックスが各1名いた。

それらの人達が、交代しながらセッションするのだ。

もちろん私は、一緒に行った山口以外全員初対面。

名前も知らない。

その初対面の人間が、「せーの!」で一緒に音楽を創っていくのだ。

ジャズ・セッションには以前、何度か参加したことがあるのだが、

めちゃくちゃ楽しかった時と、全然弾けなくて物凄く落ち込んで帰った日との差が激しい。

落ち込んだ日は、二度とセッションなんか行きたくない、と思ってしまう。

今日は割と楽しめた方だが、それでもやはり自分の未熟さを感じずにはいられない。

自分が演奏に参加せず、聴いていると、どの人が他人の演奏をよく聴いているかが分かる。

全然聴いとれへんな、という人も分かる。

「ジャズで一番大切なことは人の演奏を聴くことだ」と何かで読んだ覚えがある。

最初その意味も分からなかったが、最近は、ちょっと分かるようになってきた。

初心者は自分の演奏のことで精一杯で人の演奏を聴く余裕などない。

でも、それでは、ジャズにはならない。

ジャズは、コミュニケーションの音楽でもあるからだ。

なんてことも、少しは理解できるようになった。

自分が聴けているかどうかは、別としてね。

「人を聴く」ことが大切。

人生もまた然り、だな。





2008.2.6

学ぶこと、生きること

ジャズギター道場(私の通っている教室は「道場」と云う)へ通い始めて

もうすぐ、10ヶ月。

1年前に比べたら、少しはJAZZのフレーズも覚えた。

でも、練習でそのフレーズだけを弾くことは出来ても、自分のソロの中で

自由に取り込んで弾くことが出来ない。

知っているけど、使えない・・・。

何かに似ているな、と思ったら・・・人生そのものだ。

色んな本を読んだり、人の話を聞いたり、セミナーに参加したり、

上手く生きていくための、成功するための、人と幸せな人間関係を築くための

色んな方法を知っていても、それを「生きる(実践する)」のは、難しい。

どうすれば、学んだことを生きれるのか。

楽器の場合は、ただただひたすら反復練習を繰り返すしかなさそうだ。

どれくらい練習を積めばよいのか見当もつかないが。


では、人間関係においては?

「どうすれば」なんて分かっても、これも知識でしかなく、

「そうできない」のだから、役に立たないかもしれないが、

結局、目覚めていることなんだと思う。

いつもいつも、自分が何をしているのか、誰に何を言っているのか、に。

楽器は、反復練習で弾けるようになると書いたが、

それは、つまり、曲の中で、自分が今どこにいて、何をやっていて、

何をやろうとしていて、どこに向かっていて、人が何を弾いているか、

それら全てに目覚めることなんだと思う。

道のりは長いぞ。





2008.2.7

Something

今日は、昨年 Raul Midon のコンサートで知り合ったK氏と初めて食事をした。

その出会いの様子は、こちらを読んでいただくとして、

彼は、シンガーソングライターであり、ギタリストでもあり、仕事は医療関係の

学校で教鞭をとっている。

先月27日、彼のライブを観に行き、今日の食事で会うのは3回目だ。

彼が、何度もLIVEをしたことがあるという、渋谷のイタリア料理店へ行った。

話題は、ほとんど音楽やギターの話で、かなりマニアックに盛り上がった。

彼は、盲目なので音楽雑誌などは読まず、情報は人から聞くしかないので

私の「オタク」な音楽&ギター話を喜んで聞いてくれた。

私は視覚障害の人とそんな風に付き合ったことがないので、

渋谷みたいに人が多いところで待ち合わせしても大丈夫なのだろうか、

彼は盲導犬を連れているので、どこのお店でも入れるのだろうか、

などなど、少々不安もあったのだが、そんな不安は不要だった。


彼が、そのイタリア料理店でやるライブというのは、

お店の休業日に借り切って、開く チャリティ・ライブ らしい。

お店はオーナーの好意で、無料で貸してもらえるらしい。

料理は、ボランティアのスタッフがカレーを作り、

その収益金を直接スリランカへ送るのだという。

一度のライブで8万円ぐらい集まるという。

彼は、スリランカへ盲学校の指導などで何度か訪れたことがあり、

その体験が、スリランカへのチャリティにつながっている。

私は、あまりボランティアやチャリティというものに参加したことがないのだが、

その話を聞いていて、泣けてきた。

彼に「今度一緒にやりましょうよ」と言われ、「やろう。やろう。」と言っていた。

4〜5月には、実現したいな。

決まったら、ここでも告知するので是非来てね。

今度は、一緒にギターを弾こう と言って別れた。


8年間連れ添ってきた盲導犬のファームは来月で引退だという。

ファームは、渋谷の案内が得意だったらしい。

彼には、ファームがそれを得意げにしているのが分かるらしい。

盲導犬に接したのも初めてだったが、信じられないくらいに賢い。


彼と出会った日、これは何かあるな、と感じたのだが、

そんなこんなで、今日は感動したのであった。





2008.2.16

的はずれ

またまた不適切発言が問題になっている鳩山法相。

鹿児島の選挙違反事件の無罪を「冤罪(えんざい)と

呼ぶべきではない」と発言したことについて、

昨日のTVで、彼の会見を見た。

曰く、「寝ないで考えた。午前中も考えたが、反省しなければならない」

って、どういうことやろ?

「冤罪」の言葉の定義の問題だと言い、

「二度と『冤罪』という言葉は、公式には使わない」とのたまわった。

なんでこんな人が大臣?・・・と首を傾げざるを得ない。


著名人のそういう発言で たびたび思うことがある。

例えば、鳩山法相の「反省しなければならない」。

どうして、「反省いたしました」 と言わないのだ?

「反省しなければならない」 と言われたら、

「それは、わかりました。で、反省したのですか?」 と

質問したくなる。

「人の揚げ足を取るな」 と言われそうだが、

「反省しなければならない」 と思うことと、「反省する」 ことは違う。

人が、溺れていて「助けたいと思う」 ことと、

実際に「助ける」 ことが、全然違うように。

もっと極端なのは、例えば、「がんばります」 ではなく、

「がんばろうと思います」 でもなく、

「がんばりたいと思います」 なんて発言も度々聞く。

「がんばりたいと思います」 と 「がんばります」 では、

ずい分距離を感じるのは、私だけだろうか。


あともうひとつ。

鳩山外相が、言葉の定義のことにしたり、

二度とその言葉を使わない と言ったりしていて、

なぜ自分の発言が問題になっているか その本質をつかめない

(少なくとも私にはそう見えた)でいることについて。

側近に、教えてあげられる人がいないのか、それとも本人の

理解力の問題なのかわからないが、似たようなことも多い。

例えば、ちょっと前の朝青龍問題でモンゴルの市民が

「どうしてサッカーをやっちゃいけないんだ!」 と怒っていたこととか、

某精神科医が婚約を断られたことを「そばを食べる時、音を立てたから」

と言っていたこととか、

船場吉兆の食品偽装問題で、ささやき女将が、

謝罪会見で息子に「模範解答」をささやいたことに対し質問され、

「精巧なマイクで一語一語聞き取られるということを、

全然、存じませんでした」 と、マイクの精巧さを 知らなかったことを

反省してたこととか・・・

ポイントがずれている人って、意外に多い。

これって人のことだから、分かるのかな。

もしかしたら、自分も気づかないところでそんな的外れな発言を

してるんじゃないか、と思うと、ちょっと寒くなる。





2008.2.18

KINKI UNIVERSITY

私の大阪の実家から、近畿大学までは、電車で20分ほど。

中学時代には、何度も模擬試験の会場として訪れたことがある。

いとこの兄ちゃんも通っていた。

さて、その近畿大学、略して「近大」の呼び名が、ちょっと問題に

なっていると今日、TVでやっていた。

問題は英語表記の「Kinki University」。

外国人に「どこの大学?」と聞かれ、

「キンキィ・ユニバーシティ」と答えると必ず笑われたり、驚かれたりするそうだ。

英語の「キンキィ(Kinky)」には、「(性的に)変態の」という意味がある。

つまり、「私、変態の大学に通っているの」って聞こえてしまうのだ。

大学の教員が海外で研究発表などをする際、笑いが漏れ、

大学の威厳を失いかねない、と英語表記の「Kinki University」を

「Kindai University」に変更することを検討し始めたらしい。

一方で、(スペルは Kinky と違うのだが)「Kinki University」と

プリントされたTシャツは人気で、「送ってほしい」

と海外から近大にメールが寄せられたりしているらしい。

アメリカの人気歌手、ビヨンセのバックバンドのベーシストから、

「ワールド・ツアーで近大Tシャツを着たいので送ってほしい」と

問い合わせもあったという。

大学関係者は「大阪の大学なので笑ってもらえるネタにはなるが、

一瞬でもおかしな大学と思われるのはうれしくない」と話しているらしい。

でも〜。

ここで、変えたらあかんやろ!

せっかく、世界に対し、インパクトのある名前やのに。

一回で覚えてもらえる名前やのに。

名前は、変でも、ちゃんとした大学やと思ってもらえるよう、

がんばったらええやないか。

私は近畿地方出身だが、近畿地方は変態地方か?

そんなこと言うたら、「キンキ・キッズ」は、どうなんねん!

そんなことぐらいで、名前を変えたらあかん!

むしろ、これはチャンスや!


と、思うねんけど、どうやろ?





2008.2.25

失敗からしか学べない

「失敗からしか学べない」 って誰の言葉だったろうか。

先月から、ARIETTA でパンのインターネット販売を始めた。

その管理を担当しているのだが、

代引きのお客さんに、普通の伝票で送ってしまったり、

(代引きは、代引き専用の伝票を使用する)

ひと月も前に頂いていた注文の発送をミスったり、

初めてのこととは言え、自分でも信じられないような、初歩的なミスを犯す。

しかし、そのミスのたびに、どうしてそのミスが起こったか、

そして、二度とそのミスを犯さないにはどうすればよいか、を考える。

ああ、ホンマに失敗からしか学べないのだな、と痛感する。

うまく行ってることって、学びがないわけではないけど、

失敗の方が、得られることは多い。

学びがあるのはうれしい、が、やっぱり失敗はうれしくない。





2008.2.28

恋愛講座

TVで紹介していたのだが、

“恋愛講座DVD” なるものが、存在するらしい。

しかも男性向け。

例えば、彼女に

「私と仕事と どっちが大事なの?」

って聞かれたら、何と答える?

「そんな、しょうもないこと聞くな!」 と言うか、

「お前に決まってるやろ」 と瞳を覗き込んで 真顔で言うか・・・

正しい(?)回答は、

「そんな質問させて、ごめんな」

だそうだ。


そう言えば、20年ほど前、こんなことがあった。

当時、付き合っていた彼女も知っている、元カノの結婚が決まった。

その話をすると彼女が、

「さびしいのやろ〜」 と

ちょっと意地悪っぽく言った。

普段なら、「くだらんことを言うな」 と、腹が立ち

言わなくても良いような言葉を 吐いてしまうところだったのだが、

なぜかその時は、

「そんな風に言われる方が、さびしいなぁ」 と、穏やかに言葉が出た。

それを聞いた彼女は、しんみりと 「そうやなぁ」 と言って

その話はそれで終わった。

あまりの彼女の素直な反応に びっくりしたので、はっきり覚えている。

そして、「いつもこういう風に 言うたらええねんな」 と思った覚えがある。

が、もちろん、その後20年間、そんなこと言われたことないし、

その答えも使ったことはない。

つまり、そういう 「具体的な答え」 は役に立たない。

また、相手が変わり、背景が変わり、状況が変われば、

同じ質問でも 答えは変わってくるだろう。

その答えの 「抽象」 を掴まないと、応用が利かないのだが、

これがまた難しい。


ところで、“恋愛講座DVD” ってどんな男が買うんだろう。





2008.3.18

LIFE IS ・・・

例えば、職場や何かの活動のグループに

いわゆる 「合わない」 人がいたとする。

20代の頃は、「その人」 が問題だった。

「なんでこんな奴がいるんだ」 「一体何を考えとるんじゃ」

「よくこんなことができる(あるいはできない)な」

などと反応し、そういう人を許容できず、腹を立てた。

その頃は、「自分が」 反応しているにも拘らず、

それは、外の世界が原因だと思っていた。

(というかそう思っていることさえも知らなかった。)

そういう人がいる限り、世の中は良くならないかのような

自分の 「正義」 「こうあるべき」 に支配されていて、

しかも、支配されていることも知らなかった。


30代になると、ちょっとだけ賢く(?)なって、

「そういう人がいることは、どうしようもないことで、

例えば、その人がいなくなったとしても、次にも同じように自分に

合わない人、許せない人が 人生には現れるもんだ」

と思うようになった。

例えば、その人がイヤで、職場を変わったとしても 新しい職場で

内容は違っても 同じように自分と合わない人が必ずいるということが

理解できるようになった。

その頃は、そういう人に 「自分が反応している」 のは理解できるが、

やはり、反応の種、元、は 「その相手」 であり、「自分」 ではなかった。

だから、20代〜30代に通じて言えることは、どこかでその相手を

否定していて、相手を 「直そう」 とか 「変えよう」 とか

「これじゃいかん」 とか、そんな思いや考えが無意識にあったように思う。


40代になって、自分が反応してしまうその相手に、反応していない人も

いることに ようやく気づいた。

いや、そういう人がいることは、20代からも知っていたが、

反応する自分こそが真実で、反応しない人は

「ちょっとおかしいんちゃうか」 と思っていた。

でも、反応しない人がおかしい人ではなく、まともな人だとすると、

反応している自分がおかしい、ということになる。

いや、別に 「おかしい」 わけではないのだが、

必ずしも反応する自分が真実ではない ということに行き着くわけだ。

それに相手も自分のことを同じように 「合わない奴」 「難しい人」 って

思っているかもしれない、という想像もできるようになった。

ここまで来てようやく、その 「反応」 は、「その相手」 のことではなく、

「自分」 の中でだけに 起こっていることだと、理解できるようになった。

つまり、相手がそのままでも、ひっかからない、反応しない自分も

可能だ ということを、ようやく理解し 「始めた」。

それは、言い換えれば、「その人がその人のままでOKな自分」

「この世界でOKな自分」 ということだ。

そんな話は、30代でもさんざん聞かされてきたことなのだが、

どうも概念の域を超えなかったようだ。

理解し始めた とは言え、それでもやはり ほとんどの場合、

一々反応してしまうのだが、少しずつではあるが、その度合がゆるく、

又、その回数が少なくなっていっているような気がするのだ。

20代だったら、絶対許せなかっただろう場面で、大した反応もなく

通り過ぎていくようなことが、たまに起こってくるのだ。

きっと、こうやって少しずつ成長というか進化していくのかも知れない。


50代、60代になったら、もうちょっと反応しなくなって、

もう少しだけ人生のからくりが、理解できるようになるのかもしれない。

それが、「年を重ねる」 ということなら、大いに結構だ。

年を取れば取るほど人生は、穏やかに楽になっていくわけだ。

現実には難しい 爺さん、婆さん もいるようだが、

そうならないように 年を重ねたいし、重ねる道があるように思う。

そんな風に考えると、150歳ぐらいになると、ほとんどのことで

動じなくなり、200歳ぐらいになると全く動じない、人生のマスターに

なれるような気がする。

が、残念ながら、肉体の方がそこまでもたない。

年とともにある程度は、反応も緩やかになるだろうが、

私たちの寿命では、人生をマスターするには どうにもこうにも短すぎるのだ。

で、「反応」 をしない自分を磨きつつ、

もう一つのリリースへの道も歩むことになる。

それは、「反応」 しなくなることではなく、

「反応」 に、振り回されない自分を手に入れること。

以前、読んだラジニーシの本に、こんな風なことが書かれていた。

(本が手元にないので大分違うかもしれないが、私の記憶ではこんな風だ。)

 あなたは、空だ。
 感情は、雲だ。
 雲はやがて流れ消えてなくなる。
 雲が消えればそこには、晴れた空がある。
 あなたは、雲ではない。

つまり、人は、感情が起こってくる 「場」 ではあるが、「感情自体」 ではない、と

分かりやすく説いていた。

毎日のように、「カッとなって」 人を傷つけた、殺した、というニュースを聞く。

怒りは、雲であって、自分自信ではないと、掴むことが出来たなら、

犯罪も減るだろう。

あるセミナーでは、感情と行動を区別することで、

「感情を持つ」 ことを説いていた。

「腹が立っているから、仕事ができない」 ではなく、

「腹が立っている。そして、仕事をする」 というわけだ。


反応しない自分にしろ、反応 (感情) に振り回されない自分にしろ、

手に入れるための道のりは、遠く険しい。

頂上にたどり着くまでに、ほとんどの人が死んでしまう。

「どうせ、死ぬのだから」 と自暴自棄に生きることもできる。

が、生まれたからには、頂上に向かって昇り続ける、

それが人生という旅だろう。


ふっ、今日は、なぜか哲学的な夜だぜ・・・。





2008.3.20

Purpose of Life

「食べるために働いているのですか?働くために食べているのですか?」

と聞かれたら、何と答えるだろう?


3人の石工の話。

有名な話でご存知の方も多いと思う。

色んなところで聞いたり読んだりしたが、少しずつ違っていて

どれが元々の話か分からないが、概ねこういう話だ。

旅人が3人の石工に 「何をしているのか?」 と尋ねると、

1人目の石工は、「見ての通り石を積んでるんだ」

2人目の石工は、「食うために働いてるんだ」

3人目の石工は、「あそこに世界一の教会を建てているんだ」

と答えた。

この話を引用した講師や著者は、

「どの答えも間違ってはいないが、成功したければ、3人目のように

大きな目的を持って仕事に取り組め」

と説いていたり、どれが良いとは言わず、単に

「あなたはどうのように仕事に取り組んでいますか?」

と問いかけてきたりする。

多少使い方は違うものの、結局、3人目の答えが一番で、

「成功したいなら (または、有意義に生きたいなら)

そのように大きな目的を持て」 という風に使われていた。

私自身、そうありたいと、この話を初めて聞いた20代前半の頃より、

ずっと思っていたが、ここ数年、考えが変わってきた。

「行為=目的」 これが、今の私の理想だ。

冒頭の質問に答えるなら、

「食べるために食べ、働くために働く」 だ。


何のために音楽をやるのだろうと考えた時期があった。

そのたびに、色々な目的を創った。

「自己表現のため」

「音楽を通して人を力づけるため」

または 「癒すため」

あげくの果てに 「人類の進化を促すため」 だったり

「人々をいざなうため」 だったり (どこへ?)。

そんなことを考え始めたのは、3人の石工の話もそうだが、

「好きで音楽やっている人と、人の役に立つために音楽やっている人とでは、

どちらが大きな仕事を達成するでしょう?」

というような質問に出会ったからだ。

もちろん大きな仕事を達成したいと思っていた。

それで、目的を創るのだが、創った時は、なんとなくうれしくて、

自分がひと回り大きくなたような気がするのだが、

数日もすればそんなことは忘れてしまい、

また何かの壁に当たったときに、「何のためにやってるんや?」 と

自問自答を繰り返してきたのである。


それで、今のところ、私の結論は、こうだ。

・大きな目的を創らなければ、やりがいのない(やりたくない)ような
 仕事は所詮面白くないのだから、別にやらなくて良い。

・たとえば 「〜のため」 という目的を掲げても良いが、あくまでもそれは、
 (後付の)モチベーションを上げるためのテクニックにすぎず、
 その行為が自分のものになっていない場合、結局モチベーションは
 維持できない。

・面白いこと、好きなことは、目的なんかなくてもやる。

・「なんでやってるの?」 「何のためにやってるの?」 の質問に
 「好きだから」 「やりたいから」 に勝る答えはない。


時々、「人々にメッセージを伝えるため」 に活動していると言う芸術家がいる。

その人がそう言うのは否定しないが、それは、私は後付だと思う。

その人が、最初に歌を唄った時、最初に演奏した時、最初に踊った時、

最初に演じた時、最初に絵を描いた時、そしてそれが楽しい、面白い、

やりたいと感じた時、それが、その人がその行為を続けている 「元」、「源」

なんじゃないか。

その瞬間に 「〜〜のため」 なんてなかったはずだ。

好きだから、やりたいからやってきたそのことが、

人々の役に立つようになって、

例えば、「チャリティのため」 に演奏することはできるだろう。

「祈りのために」 演奏することはできるだろう。

いや、正確に言うと、「祈りのため」 に演奏するのではなく、

「演奏すること自体」 が、その人にとっての 「祈り」 なのだ。

けっして、祈りの 「ために」 演奏するのではない、と私は思う。

以下は、あるサイトで見つけた、

加藤登紀子が毎日新聞のインタビューに答えた言葉の一部だ。

  鳥はなぜ飛んでいるの? 飛ぶように生まれてきたから。
  人間はなぜ生きているの? 生きるようにできているから。
  理由なんていらない。
  おなかがすいたら食べる。けがすれば癒やす。
  生きることに目的も理由もいらない。
  生きることの中に答えがある。それが命だから。






2008.4.9

「きれくする」 って 言いますか?

先日、TVでお笑い芸人が、「きれくする」 という言葉を使っていた。

どうも 「きれい」 を形容詞だと勘違いしている人が、増えてきたようだ。

形容詞、例えば、「美しい」 の終止形は、「美しい」 で、

連用形は、「美しく」 だ。

しかし、「きれい」 は、形容動詞で、終止形は、「きれいだ」。

連用形は、「きれいに」 だ。

つまり、「きれいにする」 という表現が、正しいのであって、

「きれくする」 は間違っている。

が、言葉は生き物だ。

時代と共にどんどん変化していく。

だから、何割かの日本人が使い始めたら、それは、間違いではなくなる。

試しに 「きれく」 とキーボードをたたき、検索してみる。

なんと、ネットショッピングの商品の宣伝文句に使われている。
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縦ラインと切り返しがいい!
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おそらく、若い人が書いたのだろうな。

もちろん、この場合は、「脚がきれいに見える」 が正しい。

学校の先生が、「きれく」 という言葉を使っているのを指摘している

サイトもあった。

私は、初めて 「きれく」 という言葉を聞いたときのことをはっきり覚えている。

今から、20年ぐらい前、某家庭用品の訪問販売の説明会で、

当時、40歳くらいの女性が、「この洗剤できれくなります」 と

使っていたのだ。

あまりの違和感にはっきり覚えているのだが、

その時は、その人の育った地方の方言なのかな、と思った。


くだんの芸人は、(たぶん30歳ぐらいだと思う) トークの途中、

「さっきの話と違ってきている」 という意味のことを、

「ちがくなってる」 と言った。

「違う」 は動詞だ。

もうめちゃくちゃだ。

彼が、意図的に使っているとしても、TVの影響は大きい。

どんどん、子供たちの言葉は、変わっていくだろう。

私たちの世代でも、たまに 「好きくない」 といったりするが、

果たしてどれくらいの人が、それが元々正しい日本語ではないことを

知りつつ、使っているのだろうか。

「えっ?間違っているの?」 と思ったそこのあなた、

「好き」 も 「きれい」 と同じ形状動詞で、「好きだ」 が終止形。

「好きくない」 は、「好きでない」 または 「好きではない」 が正しい。

同じ形容動詞に、「静か」 がある。

「静かくしなさい」 なんて言葉を近いうちに聞くようになるのかもしれない。





2008.4.10

「きれくする」 って 言いますか? その2

くどいようだが、昨日の続き。

「きれい」 が、「きれくする」 などと間違った使われ方をし出した

一番の理由は、「きれい」 が、「い」 で終わることではないかと、私は思う。

形容詞は、「い」 で終わる。

「美しい」 「かわいい」 「悲しい」 「楽しい」 「大きい」 「小さい」

「長い」 「短い」 「広い」 「狭い」 などなど。

それらは、当然、「美しく」 「かわいく」 「悲しく」 と 「く」 が付く形に

変化し使われる。 (連用形)

それで、形容動詞である 「きれい」 も、形容詞と同じように

「い」で終わっているものだから、「美しく」 というように

「きれく」 と使い出したのではないか、と思うのである。

「きれく」 に違和感のない人たちには、どれが正しいのか

もう見分けられないかもしれない。

でも、仮定形を見れば分かりやすいだろう。

形容詞の仮定形は、「けれ」。

ほら、中学か高校の国語の文法で覚えさせられたでしょ。

「かろ、かっ・く・う、い、い、けれ、かれ 」って。(懐かしい・・・)

その「けれ」。

「美しければ」 「楽しければ」 「長ければ」・・・となる。

一方、形容動詞の仮定形は、「なら」。

「きれいならば」 「豊かならば」 「静かならば」・・・となる。

けっして、「きれければ」 とか 「静かければ」 って言わないように

「美しならば」 「楽しならば」 などとも言わないから、検証可能だ。

言ってたりして・・・。





2008.4.14

優先席

今日、横浜市営地下鉄に乗った。

車内には、「全席優先席」 と書かれたステッカーが貼られていた。

それだけなら、気にならなかったが、

駅のアナウンスで、「横浜市営地下鉄は全席 優先席です」 と 言っていた。

でも、そもそも、全ての鉄道で、全ての座席が優先席なんじゃないのか?

わざわざ言うことじゃないんじゃないか?

お年寄りや妊婦、身体の不自由な人が乗ってきたら、

全ての座席で席を譲るべきなのではないか?

そりゃ、ペースメーカーを付けてる人のために携帯電話をオフに

して下さい、というコーナーがあっても良いだろう。

でも、わざわざ「優先席」 なるものを設けなければならない、

私たちのあり方を省みる必要があるように思う。

全ての座席が優先席なら、そんなもの作る必要なかったはずだから。





2008.4.17

人は変えられない

誰かの悩みや問題を聞くと、

「こうすればいいのに」 とか 「ああすればいいのに」 とか

思ったり、「どうしてこうしないのだろう」 と

疑問に思ったりすることがある。

自分が当事者なら、自分だって きっとそんなに簡単にはできないことは

明白なのに。

そして、求められてもしないのに、意見やアドバイスを言いたくなる。

相手は、ただ聞いて欲しいだけかもしれないのに。

「ちょっと私の考えを言ってもいい?」 と前置きしてから

言うこともできるが、そう言われて、

「あんたの意見は聞きたくない」 という人は、ほとんどいないだろうから、

結局、押し売りのような気がする。

もちろん、その押し売りの中には、相手が見落としているような重要なことや

時には、「言ってくれてありがとう」 と感謝されるような内容も

あるかも知れない。

でも、その言いたくなる根底には、あなたの力になりたいという

優しさと同時に、相手を変えたいという欲求があるように思う。

「あなたのそのやり方じゃダメだから、こうしなさい」 と、

まるで、自分のやり方こそが正しいかのような、

自分こそが正義であるかのような、大きな勘違いがあるように

思えてならない。

だから、私はいつも迷う。

どこまで、言うことが本当に相手のためなのだろう。

どこまで、黙って聞くことが相手のためなのだろう。

先日、ある霊能者(?)にそのことを質問した。

答えは、二つ。

一つ目は、「相手は、ただ聞いて欲しいだけだから、何も言わなくて良い」

二つ目は、「黙って聞いているだけが、愛ではない。言うべきことは言う。

それは、自分の内なる声に従いなさい」 というようなこと。

あぁあ、やっぱり、答えは一つじゃないんだな、人生って。

ややこしいの、ほんま。





2008.4.20

サイバー社会の実際

私のクレジットカードが不正使用されたことは、

3月29日のひとりごとでも書いた。

あの時は、どこからその個人情報が漏れたのか、分からなかったが、

その後、某楽器店からのメールでその一部始終が明らかになった。

その楽器店から、個人情報が漏れ、カードの不正使用に

至ったことは、TVのニュースでも報道されたらしいから、

ご覧になった方もいるだろう。

私の場合、不正使用はカード会社が発見してくれたおかげもあり、

経済的被害はなかった。

強いて言うなら、カードを作り直したために、今まで使っていた

ショッピングサイトで登録をし直さなければならないことぐらいが

被害と言えるものだ。

ところで、その楽器店へは、かなりの数の問合せが届いたようだが、

全体的に見てその対応は、私には誠意があるように感じた。

まず、4月4日に、

「弊社サイトから、顧客の情報が流出している可能性があると

クレジットカード会社からの指摘を受け、

セキュリティ対策を専門とする第三者機関に調査を依頼したところ、

外部からの不正アクセスによって個人情報が流出した可能性

が高い、との報告がありました。詳細が分かり次第、連絡します」

と言う内容のメールが届いた。

その後、数回に渡り、調査の進捗状況、お客様へのお詫びと対応などの

メールが届き、4月18日にウェブサイトで社長名義で

「不正アクセスに伴うお客様情報流出に関するお詫びとお知らせ」を

公開した。

そこには、カード会社から、指摘を受けてからの事件の流れ、

クレジットカード会社がけっして公開しないであろう内容、

現在のサイバー社会の問題点、クレジットカード会社の問題点、

社長自身が今回の件を通して感じたこと、

等が非常にリアルに書かれている。

おそらく、通常のこの手の事件では、一般の人は知ることが

出来ないのではないか、と思うような内容だ。

中国で、不正アクセスに成功したことが、ブログに書かれ、

その攻撃手法まで公開されていたという、ビックリするような

ことが書かれている。

興味のある方、ネットでクレジットカードを使われる方は、

是非読まれることをお勧めする。

長いので、15ページあたりからだけでもどうそ。
  ↓
「不正アクセスに伴うお客様情報流出に関するお詫びとお知らせ」





2008.4.29

国民の祝日

今日4月29日は、国民の祝日。

元々昭和天皇の誕生日で、私が子供の頃は、

「天皇誕生日」 という祝日だった。

1989年1月7日の昭和天皇崩御により、天皇誕生日としては

存続できなくなり、「みどりの日」 と名称が改められたのは周知の通り。

今日、TVを見ていたら、「今日は、昭和の日」 と言っていた。

調べてみると、昨年から、4月29日は、「昭和の日」 という名称に変わり、

「みどりの日」 は、5月4日に移動したらしい。

知らなかった。

これって、常識的に皆、知ってることなのかな。

休日の名前なんていちいち気にとめていないし、関心ないから、

そのうち忘れてしまって、来年、また同じことを思うかもしれない。





2008.4.30

そんなに褒められたいのか。

人の評価など気にしない人生を生きたいと思うのだが、

時々、認められたい、褒められたい自分を発見し、あきれてしまう。

わざわざ言わなくても良い、「それ、ボク知ってるよ」 だったり、

「それ、ボクできるよ」 だったり、

「それ、ボクがやったんだよ」 だったりを

言う前にキャッチして言わずに済むこともあるが、

思わず、言ってしまい、ちょっと恥ずかしくなることもある。

「何をそんなにアピールしたいねん!」

「何をそんなに認めて欲しいねん!」 と

自分にツッコミたくなる。

「能ある鷹は爪を隠す」 というが、大して能がないから、

アピールしたくなるんだろうか。


その認められたいという反応は、特に、先生だったり上司だったり、

自分より立場が上の人に対して、多い。

何がそんなに欲しいんだろう。

まったく。





2008.5.3

言葉を覚える理由(わけ)

先日たまたま観たTV番組で 興味深いことを言っていた。

それは、人間と動物の違いについてだ。

一部の動物は人間と同じように学習する。

しかし、その学習の目的が人間と動物とでは違う。

動物の学習の目的は、食料をとるためだ。

それ以外の目的で学習しないらしい。

しかし、人間が言葉を覚えていく過程は、食糧確保のためではない。

幼い子供は、どうして言葉を学習していくか。

それは、自分が新しい言葉を話すと、

大人(親)たちが、驚き、喜ぶからだそうだ。

子供は、その大人(親)たちの喜ぶ顔見たさに言葉を覚えるのだそうだ。

食料のためではなく、人を喜ばせるために学習する、

それが、人間と動物の大きな違いだと言っていた。

なんとなく、ええ話ではないか。





2008.5.10

地上を走る理由(わけ)

東京の地下鉄、丸の内線は、数箇所で地上を走る。

茗荷谷・後楽園・御茶ノ水・四ツ谷の各駅付近だ。

私は、以前、四谷に勤めていたことがあるし、

今でも南北線と丸の内線の乗換えで四ツ谷駅を利用する。

考えたこともなかったが、何故、地上に出るのか?

またすぐ、地下にもぐるのに。

今日、たまたまTVで観たのだが、その理由は、GHQ にあるらしい。

戦後アメリカの占領下にあった日本。

GHQ は、敗戦国である日本に地下鉄のようなインフラは不要だと、

日本が地下鉄を作ることを認めなかった。

そこで、日本側は、

「いやいや、そんな大そうなもん違いますねん。

地下鉄言うても 時々、地上 走って、時々 地下を走りますから、

そんな、全部地下走るような ごっついもん、作れますかいな」

と、GHQ を説き伏せたというのだ。

上の文章は、私の創作で、実際に大阪弁でGHQに言ったわけではないが、

内容はそういうことらしい。

元東京都副知事のおじさんが、話していたので、本当だろうけど、

ホンマかいな、という話だった。

ちなみに軽くググッテ(Googleで検索して)みると、四谷に関してだが、

「四谷は、谷だから地上に出ただけ」

「駅が江戸城の外濠の中にあり、乗客の利便性も良く、

地下に駅を作るよりも安く駅が作れた」

というのは見つけたが、GHQがらみの話は、上位には発見できず。

その番組では、東京の「地下」 に関することの特集だったのだが、

「地下にいる時、地震にあったら、地上に出ないほうが安全」 と

言っていた。

地下の建造物の方が、耐震強度が強く作られているそうで、

あの阪神大震災の時も、地上はめちゃくちゃだったが、

地下はほとんど大丈夫で、深い地下ほど被害がなかったそうだ。

でも、地下にいると、なんとなく生き埋めになりそうな気がして

早く地上に出たい、と思うのは、私だけじゃないだろう。

たまに大江戸線のような、深いところに駅がある路線に乗る時、

「地震来たら、終わりやろな」 と思っていたが、

そこにいたおかげで命拾いすることがあるのかも知れない。





2008.6.24

一期一会

友達と飲んだ後、良い気分になり、ひとりでBARへ行った。

客は、年老いた男性が ひとりだった。

私が店に入ったとき、店主が彼に向かって、

「救急車呼びましょか?」 と話していていたので、

(おいおい大丈夫かよ) と思ったのだが、

後でそれは冗談だと分かった。

何かのきっかけで、そのおじいちゃんと話しだした。

おじいちゃんは、79歳。

今日は、ここで3軒目だという。

すこぶる元気。

おじいちゃんと言っても、私の父が今年78歳だから、同年代だ。

なので、私は、「お父さん」 と呼んだ。

「あなたは、いくつかね?」 と聞かれたので

「45歳です」 と答えると、

「1年、1000万円でいいから、買いたい」 と言う。

私は、思い切って

「800万に負けておきます」

と、出血大サービスのつもりで言ったが、結局 買ってくれなかった。

さて、そのお父さんの中々貴重な面白い話。

そのお父さん、元は、小さな町工場を経営していたそうだが、ある時、

「大金が、入ったんだ」 と言う。

宝くじでも当たったのかと思ったら、

(いつ買ったのか聞きそびれたが、) 200万円で買った土地が、

バブルのあおりで、7億円になったのだという。(なんと350倍!)

22年前、その土地を売り、入ったお金で、郊外の土地を買い、

マンションを建て、今はその家賃収入で暮らしていると言う。

その件にまつわる親戚の反応の話や、

9年前、娘さんが、「一週間だけ」 と連れて来た犬の散歩を

毎朝、9年間続けている話、

毎朝、腕立て伏せ、背筋、腹筋運動30回を欠かさない話など

面白くて飽きなくて、気がついたら、1時間半ぐらい喋ってた。

「じゃあ、また」 と握手して分かれたが、

また、会う機会があるのかどうかも分からない。

でも、いい時間だった。





2008.6.28

もしかしたら。

「自分の人生は、自分が創作者だ」 と、

色んなところで話を聞き、本でも読んだ。

そのことに異論はない。 だが、

例えば、今日ランチにカレーを食べるか ラーメンを食べるかは、

自分で決められるが、初めて入るその店の味までは自分の責任ではない、

その味まで 自分が創ったのではないだろうと、思っていた。

自分は自分の人生の創作者だが創作には限界がある、

または、創作できるのは人生の一部である、と思っていたのだ。

が、もしかしたら、全部、そう、他人の幸福も、

世界の片隅で起こっている不幸までも 何もかも全部、

自分が自分の人生で見聞き、体験するもの全てが、

自分の創作物なのではないかと、思うようになってきた。

おそらく、「人生はあなたの創作だ」 と、説いてきた先人達は、

ずっとそう言ってきたんだろう。

そんな風に考えるようになったのは、以前にも紹介した、

「引き寄せの法則」 を読んだことが発端。

そして、自分でそれを試し始めたせいか、

その考えをサポートするかのような色んな情報が入ってきた。

そのひとつ、友達が教えてくれたこんな話。

患者を診ずに癒すセラピストの話

強烈。

ちなみに、来月、彼は来日するようだ。

そして、もひとつ、「ザ・シークレット」。

これも引き寄せの法則そのものを紹介した本と映画。

DVDの前半25分がここで観れる

それと、「引き寄せの法則」 を読む少し前に、古い友人が送ってくれた、

小冊子 「ツキを呼ぶ魔法の言葉」。

「引き寄せの法則」 とは、言ってないけど通じるものがある。

ザ・シークレットの翻訳者、佐野美代子さんのブログをたまたま見つけて、

読んでいると、「ザ・シークレット交流パーティ」 というパーティの

レポートがあって、そこに 「ツキを呼ぶ魔法の言葉」 の著者、五日市剛氏

乾杯の音頭を取っている写真が・・・。

う〜む、繋がっている・・・。





2008.6.29

外なんてない

昨日紹介した 「患者を診ずに癒すセラピストの話」

ハワイの 「ホ・オポノポノ」 という癒しのプロセスの話だ。

読まれてない方は、是非ご一読を。

昨日は説明不足だったと思うので補足する。

「ホ・オポノポノ」 は、「引き寄せの法則」 とは、全く関係ない話なのだが、

私の中では、何かがつながっているのだ。

で、ひっくるめて紹介している。

さて、その 「患者を診ずに癒すセラピストの話」 に

「外なんてない」 という言葉がある。

衝撃的で、その言葉だけでは不十分で、初めは理解できない。

数日前、同じ言葉を あるセミナーで聞いた。

これまた、偶然である。

そのセミナーは、「引き寄せの法則」 とも、

「ホ・オポノポノ」 とも 関係ない。

たまたま、「私たちがどのように世界と関わって、自分の人生を

創り上げているのか」 の説明に、一つの解釈として、そのことが出てきた。

たぶん、「ホ・オポノポノ」 のイハレアカラ・ヒュー・レン博士とは、

背景が違うのだろうが、私には、同じことに聞こえた。

「外なんてない」。

完全に理解し、そのことを生きるには少し時間がかかりそうだが、

人生、変わってしまうな。





2008.7.14

人間ウォッチング in the Bus

昨日は、たくさんバスに乗った。

バスに乗っている人々は、電車とはまた一味違って面白い。

そんな、興味深い人々のことを書いてみよう。

まず、めちゃくちゃカワイイ女の子と彼氏らしき男とのカップルを見た。

女の子は、ホントにかわいくて じっと見ていたかったのだが、

そうするとあまりにも危ないおっさんになってしまうので

じっと見ずにチラチラ見ていた。(それでも危ないか。)

彼氏が、バスの中の張り紙を読もうと 彼女に背中を向けたその時、

私は見てしまった。

彼女の人差し指が、すっぽり鼻の穴に入っていくのを。

あぁぁ、そんなかわいい顔で、人前で 鼻の穴ほじくるの、やめて!


そして、二人目は、おばちゃん。

私は、立っていて、i Pod で音楽を聴いていたのだが、

前に座っていた男の子が、スゴイ後ろの振り向き方をした。

まるで、後ろの人に、振り向いたことが分かるように 大げさに

振り向いたかのような 振り向き方。

(なんやろ?) と思ったが、そういえばさっきから電気ヒゲ剃りのような、

「ブゥ〜ン」 という音が、している。

私は、ヘッドフォンで音楽を聴いているから、そんなに気にならなかったが、

何もしていなければ、あの 「ブゥ〜ン」 は、結構うっとうしい音だっただろう。

それで、その音を出している人を、男の子が振り向いて見たわけだ。

私も、(何の音だろう) と振り向いてみた。

すると、おばちゃんが、電池式の携帯扇風機(10cmぐらいの

おもちゃみたいなの) で、顔に風を当てていた。

一応、車内は冷房が入っていたのだが、確かに昨日は暑かった。

でも、そのミニ扇風機は、どう見ても、涼しそうには見えない。

おまけに、その音が周りの人に、迷惑。

でも、なぜか私は見てて面白かった。

中々、あんなおばちゃん おれへんで。





2008.7.22



昨日は、3歳児と1歳児がいる友人宅へ遊びに行ってきた。

3歳児は、ちょっと前までは話せなかったのに

色々話が出来るようになってきて、面白い。

1歳児は、やっと立てるようになったが、まだ歩けない。

昨日、初めて知ったのだが、赤ちゃんのヨダレは臭くない。

だっこしてると、腕にトロ〜ンと垂らされたりするのだが、

無臭なのだ。

大人になると、自分の唾でさえ、臭いのにな。

どうも食べ物と関係あるようで、大人と同じようなものを食べだすと

臭くなるらしい。

大人になるって臭くなることなのね・・・。





2008.8.6

継続することの大切さ

私には、上達したいことが2つある。

もちろん、生きること自体、上達したいのだが、

そういう意味ではなく、具体的なことで。

それは、ギターと英語。

おかげで、どちらについても、家にはたくさんの教材がある。

「売ったろか?」 というぐらい持っている。

何十万円もする教材は持っていないのだが、

数千円のものが、たくさんある。

数千円だからか、ちょっとやっては、違うものが欲しくなって、

それっきりになったり、ひどいものは、買っただけで、

何もしていないものまである。

で、英語について、ひと月ほど前からひとつの教材にしぼって、

ほとんど毎日、数十分〜1時間ほど取り組んでいる。

それは、中学生レベルの英単語で簡単な英作文をする教材だ。

買ったのは、たぶん、1年以上前で、少しやっては、違う教材を

また少しやり、また違う教材を少しやり、という風だった。

なので、いつも最初の方をやることになる。

つまり、前進しない、ということになる。

で、ちょっと1冊、完全にマスターするまでやってみようと

始めてみたのだが、これが、良い。

何が良いって明らかに英語力がついているのが、自分で分かる。

色んな文型の簡単な英作文をすることで、

中高時代嫌いだった英文法のことが、少しずつ分かって来たのだ。

はは〜ん、そういうことか、ってな感じだ。

なぜ、その教材にしたかというと、今まで色々な教材をかじって、

付録のCDを i-Pod に入れて聴いたりしているので、

少しずつ聴き取れるようにはなっているような気がするものの、

一向にスムーズに話せるようには ならなかったので

話せるようになるには これが一番いいだろうと思ったためだ。

実は、外人の話す英語が ほぼ完全に聞き取れるのに

英語が話せない日本人は結構いるようで、

それは、明らかに語学の習得の仕方を間違っているからなのだが、

そういう日本人自身が、話せるようになるために編み出した

習得方法の教材なのだ。

今、中学2年レベルの途中。

これ、最後までやってマスターしたら、かなり話せるようになると思う。


考えてみれば、ギターの教材でも1冊を全部やりきったものなどない。

いくつかのエクセサイズをちょこっとやってみるだけで、

「マスターする」という言葉からはほど遠い。(トホホ)

もちろん自分に合った教材でなければならないだろうが、

これと決めたものを最後までやることの大切さを

今更ながらに実感しているのであった。(遅!)

でも、すぐに他の教材に浮気したくなるので、

その欲求を抑えるのも大変なんだけど。





2008.8.9

これでいいのだ

今月2日、赤塚不二夫さんが亡くなった。

私が最初に接した赤塚作品は、「おそ松くん」 だった。

たぶん、幼稚園ぐらいだっただろう。

今でもはっきり覚えていることがある。

「おそ松くん」 に登場するチビ太が、

「おでん」 を好きで、度々おでんが登場するのだが、

そのおでんというのが、串にネタを刺してあり、

めちゃくちゃおいしそうだったのだ。



当時、私はおでんを食べたことがなかったのだが、

食べたくて仕方なかった。

後に初めておでんを食べた時、

串に刺してなかったので、がっかりした覚えがある。

たぶん、甘いお菓子のようなものを想像していたのだろうか、

味もあんまり喜べなかった記憶がある。

もうひとつ、私が人生で初めて出席した結婚式が、

叔母(母の妹)の結婚式だが、その席で、姉と2人で

「シェー!」 のポーズをとっている写真が残っている。

たぶん、3歳ぐらいじゃないかな。



「おそ松くん」 「ひみつのアッコちゃん」 「もーれつア太郎」

「天才バカボン」・・・

私たちの世代では、赤塚作品を観なかった子供はいないだろう。


葬儀でのタモリの弔辞は、

原稿が白紙だったとのうわさがある。

確かに白紙に見える → YouTube

白紙でなくても素晴らしいが、

白紙だとしたら、ちょっとスゴイ。

 ↓

8月の2日に、あなたの訃報に接しました。
6年間の長きにわたる闘病生活の中で、
ほんのわずかではありますが、回復に向かっていたのに、
本当に残念です。
われわれの世代は、赤塚先生の作品に影響された
第一世代といっていいでしょう。
あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクターは、
私達世代に強烈に受け入れられました。

10代の終わりから、われわれの青春は赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して 九州から上京して、
歌舞伎町の裏の小さなバーで ライブみたいなことをやっていたときに、
あなたは突然私の眼前に現れました。
その時のことは、今でもはっきり覚えています。
赤塚不二夫がきた。
あれが赤塚不二夫だ。
私をみている。
この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。

終わって私のところにやってきたあなたは
『君は面白い。お笑いの世界に入れ。
8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。
それまでは住む所がないから、私のマンションにいろ』
と、こういいました。
自分の人生にも、他人の人生にも、影響を及ぼすような大きな決断を、
この人はこの場でしたのです。
それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。

しばらくは毎日新宿のひとみ寿司というところで 夕方に集まっては、
深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタをつくりながら、
あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。
お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。
ほかのこともいろいろとあなたに学びました。
あなたが私に言ってくれたことは、未だに私に金言として心の中に
残っています。
そして、仕事に生かしております。

赤塚先生は本当に優しい方です。
シャイな方です。マージャンをするときも、相手の振り込みで上がると
相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしか上がりませんでした。
あなたがマージャンで勝ったところを みたことがありません。
その裏には強烈な反骨精神もありました。
あなたはすべての人を快く受け入れました。
そのためにだまされたことも数々あります。
金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。
しかしあなたから、後悔の言葉や、相手を恨む言葉を聞いたことが
ありません。

あなたは私の父のようであり、兄のようであり、
そして時折みせるあの底抜けに無邪気な笑顔は
はるか年下の弟のようでもありました。
あなたは生活すべてがギャグでした。
たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀のときに、大きく笑いながらも目から
ぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺のときたこちゃんの額をピシャリと叩いては
『このやろう逝きやがった』 とまた高笑いしながら、大きな涙を流してました。
あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、
受け入れることです。
それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、
また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に
明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち 『これでいいのだ』 と。

いま、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が思い出されています。
軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、
そして海外でのあの珍道中。
どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのか と思うばかりのすばらしい
時間でした。
最後になったのが京都五山の送り火です。
あのときのあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、
一生忘れることができません。

あなたは今この会場のどこか片隅に、ちょっと高いところから、
あぐらをかいて、肘をつき、ニコニコと眺めていることでしょう。
そして私に 『お前もお笑いやってるなら、弔辞で笑わせてみろ』 と
言っているに違いありません。
あなたにとって、死も一つのギャグなのかもしれません。
私は 人生で初めて読む弔辞があなたへのものとは 夢想だにしませんでした。

私はあなたに生前お世話になりながら、
一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言うときに漂う
他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
しかし、今お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の一つです。
合掌。
平成20年8月7日、森田一義






2008.8.16

オリンピック

TVでは、連日オリンピック。

北島選手、200メートルも「金」 獲ったね。

おめでとう。

他にも日本勢は、レスリングの吉田選手など

金7つを含む、17のメダルを獲得しているが、

中国は、金27を含む47のメダルを獲得し、

メダル数ではダントツの1位だ。(8/16 現在)

スポーツは、参加することに意義がある、とか言っても

やっぱり、勝ちたいよな。

今年は、五輪のおかげで高校野球があまり注目されず、

ちょっとかわいそうだな、なんてと思ってしまうが、

ボールを追いかける球児には、そんなこと、関係ないんだろうな。


さっき、メダル数を調べようと Google に 「オリンピック」 と入れて

検索したら、JOC (日本オリンピック委員会の公式サイト) より上に

スーパーのオリンピックが、表示された。

これって、どーなのよ?




2008.8.24

アドレナリンと世界新

エレーナ・イシンバエワ選手が、棒高跳で世界記録を更新し、

金メダルを獲ったことは、皆さんご存知だと思う。

彼女は、今年、2月16日に室内の世界新、4.95m、

7月11日に屋外の世界新、5.03m、

同じく7月29日に、5.04m、

そして8月18日、北京で、5.05m、と、

今年だけで4回、世界新記録を出している。

ジュニア、ユースの頃の世界新も合わせると、トータルでは、

28回世界記録を更新したようだ。

その彼女が、興味深いことを言っていた。

「練習では、もっと高く飛んでいるのでは?」 の問いに

「練習では、4.80mまでしか、飛びません」 と。

試合と練習では、アドレナリンの量が違うようで、

試合でこそ、記録が出せるというのだ。

素人の私には、

「練習で出来ていることが、本番(試合)で出来るかどうか」 が、

ポイント (実際、私のギター演奏ではその通り) のように思うのだが、

そうではないらしい。

室内と、屋外で世界記録が違うのは、屋外の方が、

大きな会場で観客も多く、アドレナリンも大量に出るということか。

そして、練習で 4.80m しか、飛ばないことについて、

「基本が大切」 とも言っていた。

気の遠くなるような、基本練習の先に、アドレナリンの力も加わり、

新記録が出せるということなのだろう。

「練習で出来ることが、本番で出来るか?」 が、テーマのうちは、

まだまだなんだ、と痛感した。





2008.10.9

ミュージシャン

先日、中学生の娘を持つ、ある男性(30代)が話し始めた。

 「娘が、歌手になりたいって言うんです。

 映画の 『NANA!』 の影響みたいなんですけど、

 自分でオーディション見つけてきたりしてるんです・・・」

彼は、私が音楽をやっているので、

その話をしようと思った、と言ったが、

どうも、何か相談したいわけではなく、

ただ、話したいだけのようだった。

娘には 「お父さんは、応援するよ」 と伝えたと言う。

それならば、私からは何も言うことはなかったが、

(何か話さなきゃ) と思い、話しているうちに

自分の考えが、整理されていった。


プロのミュージシャンは、もちろん目指さなければなれない職業だが、

自分が、なりたくてなれるものではない。

プロかどうかを認めるのは、自分ではなく、他人だからだ。

世間の人が、その人の音楽を 「お金を払ってでも聴きたい」 と

思わなければ、歌や楽器がうまいだけでは、プロにはなれない。

「プロになれなかったから」 音楽をやめていく人は、

ミュージシャンではない。

プロであろうがなかろうが、音楽を続けてゆく人が、

ミュージシャンだ。

そんな、大勢のミュージシャンの中のほんの一握りの人達が、

プロとしてやっていけるのだ。

音楽が好きで、歌うこと、演奏することが喜びで、

本気で一生懸命取り組んでいる、ほんの一握りの人達だけが、

聴衆に感動や力や愛を与え、プロとして選ばれるのだ。

音楽が、好きならプロを目指すよりも、まず、歌うことだ。

演奏することだ。

本気で音楽に取り組み、その音楽に魅力があれば、

プロになるチャンスが来るかもしれない。

でも、音楽はプロになるためにやるものではない。


聞きようによっては、これって、プロを目指し、ダメだった人間の

言い訳に聞こえるかもしれないが、

彼は、「まったくそう思います」 と、私の考えに同意してくれた。

今、ふり返ると、私は中途半端だったと思うので、

プロになれなくて当然だと思っている。

そして、今では、自分にはプロとしての才能がないことも認識している。

面白いことに、今の方が、(なんとか早くプロにならなきゃ) と

焦っていたときよりも、音楽が楽しい。

人間、歳を取らなければ分からないことが、いっぱいあるんだな。

ただ今でも、演奏は、「お金を払ってでも聴きたい!」 と

思ってもらえるようなものを目指している。





2008.10.30

振込め詐欺

振込め詐欺のことをTVでやっていた。

手口は多様化し、被害額は今年は6月までで160億円を

超えているという。

1番多い手口が、息子に成りすまし、

「会社の金を使い込んですぐに返さなきゃいけない」 とか、

「会社の車で事故った」 とか、仕事に関するネタ。

2番目が、金融関係。

「返済日が来たので、どうしてもすぐに返さなきゃいけない」

といった類いのものだ。

この2つの手口で約74%になるらしい。

驚いたのは、「彼女を妊娠させてしまったので中絶費用が要る」

というもの。

6.8% もあるそうだ。

私なら、仮にそういうことがあったとしても、

絶対、おかんに言わないな。

って言うか、言いたくないし、言えないな。

だから、例え自分が振込め詐欺の手口を考えるとしても

絶対思いつかないだろう。

考え出した犯人は、彼女を妊娠させたら、親に泣きつくような

奴なんだろうか。





2008.10.30

本物

ご周知の通り、一昨日、女子マラソンの高橋尚子選手が

引退を表明した。

高橋選手といえば、忘れられない話がある。

彼女が、シドニーで金メダルを獲った後、本を読んだ。

今、手元にないのでタイトルが分からないが、

確か小出監督が書いた本だったような記憶がある。

その本の中で、シドニーで金メダルを獲った翌朝、

つまり、42.195km を本気で走った翌朝、高橋尚子は、

ジョギングしていた、と書かれていたのだ。

普通の感覚だと、ちょっと休まないか?

翌日ぐらい、走りたくないと、思わないか?

そこが、金メダルを獲り、世界記録を出す人は、違うのだ。

彼女は、心底 “ 走ることが好き ” なのだ。

だから、オリンピックの試合の翌朝も、走るのだ。

Qちゃん、お疲れ様。

これからは、記録や成績を気にせず、走れるね。


2年前に亡くなった ピアニストの本田竹広氏もそうだった。

彼が、亡くなる少し前、TVで彼のドキュメンタリーを観た。

彼は、1997年 脳梗塞の後遺症で左片麻痺となるが、

1999年 リハビリテーションを経て音楽活動再開した。

その日常を追ったドキュメンタリーだったが、

ライブ演奏を終え、一杯飲んだ後、明け方近くに自宅に帰り着き、

それから、彼は、練習を始めた。

当時彼は、50代後半だった。


本物とは、誰か、分かる話だ。





2008.10.31

本物 -2

昨日の話の続き。

高橋尚子がオリンピックで記録を出した翌朝に走っていたり、

本田竹広(ピアニスト)がライブを終えて、

明け方近くに帰宅してから練習していたり、

そういう話を知って、私もライブがあったある日、

深夜に帰宅してから練習したことがある。

まるで、そうすれば自分も一流の仲間入りが出来るような気がして。


ギターを弾き始めると、なんてことはない。

いつもと同じだ。

ライブの後の練習だからといって、何かが特別なわけではない。

普段の練習となんら変わりないのだ。

ライブの後だろうが、前だろうが、関係ないのだ。

何が言いたいかというと、つまり、

高橋にとって走ること、本田にとってピアノを弾くこと、は、

毎日歯を磨くがごとく、当たり前のことなのだ。

だから、試合の翌日でも走る。

ライブの後でも練習する。

ただ、シンプルに「継続する」。

その延長にしか、大きな成果はない。

「小さいことを積み重ねるのが、

とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています」

という、イチローの言葉を思い出す。


昨年、亡くなった世界的サックス奏者のマイケル・ブレッカー。

彼のこんな話を読んだことがある。

世界ツアーを周って最後に東京に来たマイケル。

さすがに少し疲れているようだ。

ある人が、「ニューヨークに戻ったら、何をしたいですか?」 と訊いた。

すると彼は、パッと元気な笑顔になって、こう答えたという。

「ニューヨークに戻ったら、練習するんだ!」





2008.11.8

私が私であること

数日前から、「私が私である」 とは、どういうことかを考えていた。

きっかけは、数日前に発売された David T Walker の

ニューアルバム “THOUGHTS” のライナーノートに書かれていた

David の言葉だ。

「18歳の頃、あるライヴの時に 演奏をはじめて長い間やめなかったことが
あったんだ。その時に急に “僕” になったんだ!
それは、凄い衝撃だったよ。その後は、他のギタリストたちが どうかとか、
僕よりレベルが上だとか下だという様な考え方を しないようにもなった。
それをきっかけに、ステージに上がると ただ自分を表現すればいいんだ
と思うようになったんだ」

これは、1984年のインタビューの時の言葉らしいが、非常に興味深い。

話がそれるが、ずい分前だが、David のインタビュー記事で、

こんな話も読んだ覚えがある。

ある日、家に見知らぬ男が訪ねてきた。
彼は、宇宙のある星からやってきたという。
そして、「キミは選ばれた人間だからギターを演奏し続けなさい」
というようなことを言い、目の前から突然消えた。

さすがに、David もこの話は 人にあんまり話していない、

と言っていたが。

それは、さておき、「私が私である」 こと。

David のその言葉を読んでから、ずっとそのことが引っかかっている。

果たして、私は 「私でいる」 のだろうか?

否、こんな疑問が出てくるということは、

私は私になっていない ということだろう。

では、私は、毎日、誰なんだろう?

昨日、渡辺香津美がホストを務め、合計6人のギタリストが

出演する 「GUITAR HARMONIZR vol.1」 というコンサートに

行ってきた。

会場は、渋谷の C.C.Lemon ホール。

以前の渋谷公会堂だ。

出演は、渡辺香津美、野呂一生、天野清継、小沼ようすけ、山本恭司、

そして、よっちゃんこと野村義男。

この6人のギタリストと、松本圭司(Key)、グレッグ・リー(B)、

村石雅行(Ds) のサポートという豪華なメンバー。

この中からいくつかの組み合わせで、Jazz、Fusion、Rock を聴かせてくれた。

最後は、6人全員が一列に並び、数曲演奏したのだが、

Beatles の 「Hey Jude」 のメロディを 数小節ずつ交代で弾くのを

聴いていた時、突然、「私は私であること」 を感じた。

正しくは、「彼らが彼らである」、いや、「彼らひとりひとりが、

それぞれ彼らひとりひとりであった」 のだが。

同じ曲を弾いても、6人それぞれが、その人独自の表現をしていた。

誰かと闘うでもなく、媚びるでもなく、威張るでもなく、卑屈になるでもなく、

“自分を表現” していた。

ああ、これが、「私が私であること」 か・・・。

いや、だから 私が私になったわけではなく、何と言うか、

「私が私である」の片鱗を 感じたんだ。

うまく書けないけど。

そういえば、昨年の来日公演で David は、

“Thank You For Letting Me Be Myself” って 歌ってたっけ。





2008.11.9

私が私であること その2

私が、私でないとしたら、私は毎日、誰なのか?

いや、たぶん、その 「誰」 に該当する答えは なくて、

「私でない何者か」 に なろうとして生きているような気がする。

例えば、

私は、けちで臆病な人間なのに、そのことを隠し、

大らかで勇敢な人間でありたいと願い、

そのように振舞おうとする。

が、所詮、偽者なのでボロが出る。

そんな時、自分という人間の小ささを嘆き、批判し、否定する。

そんな風に考えると、

「私が私である」 ということは、言ってみれば

ひとつの 「悟り」 のように思えてくる。

「私が私であれば」 私を批判したり、嘆いたりすることはないのだから。

しかし、これは罠だ。

「悟り」 だと言い出した瞬間、

「私が私であること」 は、私の人生から遠のいていく。

なぜなら、「悟り」 は、そう簡単には手に入らないから。

ああ、ややこしい。

秋の夜長は哲学的なのだ。





2008.11.10

アメリカ大統領

オバマ氏、米大統領当選という話も たった数日経っただけで、

ずいぶん前の話のような気がするな。

さて、オバマ氏は47歳で、大統領になった。

ちなみに 私は、46歳で、同年代だ。

47歳って若い大統領だと思って調べてみたら、

42代大統領 ウィリアム・ジェファーソン・クリントンと

18代大統領 ユリシーズ・シンプソン・グラントは、46歳。

35代大統領 ジョン・フィッツジェラルド・ケネディは、43歳。

一番若かったのは、

26代大統領 セオドア・ローズヴェルト、42歳。

ひぇ〜。

アメリカでは、リンカーン、ジェームズ・ガーフィールド、

ウィリアム・マッキンリー、ケネディと、現職の大統領が4人も暗殺された。

フォードやレーガンなど暗殺未遂も入れるとかなりの数になりそうだ。

オバマ氏は黒人初の大統領ということもあって、

白人至上主義者らに狙われる危険もある。

アメリカでは、今でも白人優越主義を唱える秘密結社「クー・クラックス・

クラン(KKK)」などが活動しているという。

アメリカだけでなく、人種差別・偏見の問題は、日本人の想像を絶するようだ。

なんでも、早速イタリアの首相が、オバマ氏のことを

「日焼けしている」 と発言して問題になったようだ。


ちなみに日本はというと、

安倍晋三氏が52歳で内閣総理大臣になったのは、戦後最年少だが、

最も、若かったのは、

なんと 第一代 内閣総理大臣、伊藤博文で44歳であった。





2008.11.11

アメリカ大統領 その2

20年以上前、アメリカに行った時、驚いたことのひとつに

米国民の大統領の扱いがある。

当時、レーガンが大統領だった。

もしかしたら、観光客向けなのかもしれないが、

大統領の顔写真の絵葉書が、売られていたのだ。

当時の日本の首相は、中曾根康弘氏。

総理大臣の絵葉書は日本では見たこともなかったし、

当時の私には、どう考えてもあり得なかった。

今だって麻生首相の絵葉書ってどうよ、って感じだろ。

それに、国旗の扱いも違う。

日本では、日の丸が何かと微妙な存在であるのに対し、

アメリカでは、星条旗が愛されている (ように感じる)。

ちょうど、アメリカに行ったその頃、

ブルース・スプリングスティーンの 「Born in The USA」 が

流行った後で、そのアルバムのジャケットに

星条旗がデザインされていたので、大統領の絵葉書の件と共に

印象に残っているのだ。

しかし、日本にも政治家が、国民のあこがれ、ヒーローだった時代が

あったという。

明治はそういう時代だったと、

今、読んでいる司馬遼太郎の 「坂の上の雲」 には書かれている。





2008.11.12

欲 深 い

ずっと、やろうやろうと思っていて やってなかったことの一つに

使わない音楽機材や弾かないギターなどの処分があった。

楽器店に買い取りに持っていっても二束三文なので、

ネット・オークションに出すつもりでいたのだが、

面倒で中々手をつけなかったのだ。

先月、ギターやシンセサイザーなど数点を

知人がまとめて買い取ってくれたのをきっかけに、

オークション出品にやっと手をつけた。

やり始めると、思っていたほどの作業量でもなく、結構楽しい。

何より、毎日自分が出品しているものの値段が上がっていくのは

エキサイティングだ。

すでに9品出品し、ほとんどオークションは終了した。

先日、落札されたものの中にエレキギターがあった。

楽器店に持っていっても、せいぜい、10,000円。

良くても15,000円、もしかしたら、数千円かも、という品物だ。

でも、中古店で売っている値段は、たぶん、40,000〜50,000円だろうから、

まぁ、25,000円で売れたらいいやと、即決価格を

25,000円で出品した。

オークションに明るくない方のために説明しておくと、

即決価格というのは、「この値段で買ってくれるなら、

即あなたに譲ります」 という値段で、その価格で入札した人が

現れた瞬間、オークションは終了し、その入札者が落札者となる。

では、その値段で入札する人がいなかった場合どうなるかというと、

出品する時に設定した、終了日時が来た時点で、

一番高く入札している人が 落札者となる。

なお、即決価格は、決めなくても良い。

話を戻すと、開始価格 3,000円、即決価格 25,000円で始めた

そのE・ギターのオークション、終了日時を一週間先に設定したのだが、

なんと開始から、2時間も経たないうちに即決価格 25,000円で

落札された。

その時の、心境。

(ああ、30,000円にしとけば 30,000円でも売れたやろな。)

(いや、35,000円でもよかったかも知れん。)

と、なんとも欲深い。


また、先日、某有名アーティストのコンサートのチケットを

取ったのだが、行けなくなった。

なんと 14,000円もする席だ。

とりあえず開始価格 5,000円で出品。

たぶん、10,000円以上にはなるだろうと、即決価格は

元の値段 14,000円に設定。

結果は、3人が入札。

落札価格は、8,750円。

その時の、心境。

(開始価格を 10,000円にしといても 入札があっただろうに、失敗したな。)

と、なんとも欲深い。


でも、(こんなもん売れるんかいな) というものが、

数千円で落札されると 素直にうれしいし、

一週間、大勢の人が入札して、結果的に即決価格で落札されたり、

即決価格まではいかなくても、そこそこの価格で終わると満足がある。

また (これは、値打ちあるで) というものが、意外と誰も入札してこず、

がっかりして、仕方なく再出品時に開始価格をさげているものもある。

まあ色々だな。





2008.11.16

京都魂

ミシュランのレストランガイド東京版が話題になったのは、

去年のことだったか・・・。

早いなぁ、今年ももうすぐ終わりだ。

さて、今年のミシュランガイド・アジア版は、香港マカオが出るらしい。

なんでも、京都も候補に上がっているのだが、

京都は、ミシュランの取材を断っているお店が多いらしい。

外国文化の人に評価されたくない。

京都の文化は、一度や二度、来て食べただけで分かるものではない。

というのが、取材拒否の主な理由らしいが、

そんなことが話題になってしまった以上、

ミシュランも京都版の出版は諦めざるを得ないだろう。

それでも、出版したら、

「ホントに載せたかったお店には、

取材拒否されたので載ってない」 レストランガイド、

ということになる。

そんなもん、誰も読まんわな。

実は東京版も取材拒否した有名店があるそうだが、

どっちにしても私が行くようなお店は載ってないので関係ないか。





2008.12.3

言いまつがい

NHK でどこかの大学の先生が、

最近の大学生の大麻の問題について話していた。

「大麻を吸うと、ふだん面白くないことでも

腹をころげて笑う」 と真顔で 言っていた。

たぶん、「腹を抱えて笑う」 と 「笑いころげる」 が、

ごっちゃになったんだろうな。

マジメに話していただけに、可笑しかった。



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