LAGUNA MOON MELLOW FLAVOR  LIVE GUITAR  LINK LYRICS


 つつみしんやのひとりごと  2018年 11月
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2018.11.1

デビュー45周年
神ドラマー 村上 “ポンタ” 秀一
ライブスペシャル 「音楽境地」(弐)

SEASONS OF LIFE・歌心
〜PONTAの音楽人生と、めぐる季節と、4人のいい女〜


ポンタさん、67歳。
デビュー45周年ライヴの第2弾。

4月6日に観に行った、
ポンタさんの45周年ライヴが、
あまりに面白かったので、
その日来ていた人にその夜限定で発売された、
今日のチケットを思わず申し込んでしまった。
4月は「奇跡のJAZZ FUSION NIGHT」で
インストが中心だったけど、
2回目となる今夜は、
「SEASONS OF LIFE・歌心」という
タイトルで 歌モノ中心。
チケットを買った時には、誰が出るのかも
分からずに申し込んでしまったけど、
まあ、誰が出ようとこういう
スペシャル・イベントは大体面白い。

その後、発表されたゲストは、
八神純子、EPO、八代亜紀、吉田美奈子、
伊勢正三という布陣。

トップバッターは、八神純子。
『思い出は美しすぎて』『みずいろの雨』など。
バンドがギターレスだったのは残念。
特に『パープルタウン』は、ギターが欲しかったな。
八神さんは、今年還暦だったようだが、
ますます凄い声です。

続いて、EPO。
ナマで聴くのは初めてだったけど、
私的には今日、一番印象に残った。
一度、ライヴに行きたいと思ったもん。
『土曜の夜はパラダイス』『う、ふ、ふ、ふ、』
『DOWN TOWN』など。

休憩を挟んで、伊勢正三。
こちらもライブは初めて。
ポンタさんは、「かぐや姫」の
解散ライヴのドラムだったらしい。
『なごり雪』は「イルカの曲だと思ってた」と
言っていたけど、実は正やんの曲。
イルカの『なごり雪』もドラムは
ポンタさんだったらしい。

車には USB で 250ギガぐらいの曲を
積んでいるのだけど、数日前に
たまたま風の『海風』を聴いた。
別に今日のことを考えたわけでもなく。
そしたら、演りましたよ。
まさか、『海風』が聴けるとは思わなかった。
ほかに荒木一郎の『空に星があるように』や
『22才の別れ』。
残念ながら、正やんの歌は、
ちょっと微妙だったなぁ。

そして、八代亜紀。
『五木の子守唄〜THE SHADOW OF YOUR SMILE』
『私は泣いています』などの昭和歌謡のメドレー、
圧巻は、『舟唄』。
これは、以前に PONTA BOX で、
レコーディングしたことがあるようで、
もの凄いリハモ(リハーモナイズ:コード進行を
変えること)がされていて、素人には
絶対歌えないであろうハーモニーの上で
八代さんは見事に歌っていた。
なんでも、レコーディング時に八代さんを
困らせようと、えげつないコードを付けたのだが、
八代さんは、一発で歌いきったとのこと。
凄いです。
そして、最後に『舟歌』あのセリフ。
これは、ナマで聴く価値がある。

そして、最後に吉田美奈子。
まずドラムとデュオで『Cute』。
Miles Davis の 『Seven Steps to Heaven』
Wayne Shorter の 『Footprints』
『It Don't Mean A Thing (if it ain't got that swing) 』
『Alfie』などスタンダードで来ました。

15分ぐらいの休憩を挟んで、3時間10分。
アンコールはなし。
前回の3時間40分に比べるとちょっと短いのは、
シンガーが入れ替わるだけで、
楽器のセッティング時間が なかったからかな。
席は、前から14列目でまあまあ良い席でした。


[ MEMBERS ]
村上“ポンタ”秀一 (Drs)
八神純子 (Vo)
EPO (Vo)
伊勢正三 (Vo&G)
八代亜紀 (Vo)
吉田美奈子 (Vo)
岡沢 章 (b) (PONTA BOX)
柴田敏孝 (P&Key) (PONTA BOX)
大坪稔明 (Key)

@ 中野サンプラザホール


The 45th Anniversary #2 音楽境地(弐)




3日連続のライブ。
一昨日の米国、昨日の英国に続いて
今日は、日本のアーティストでした。
ちなみに明後日は、伯国(ブラジル)の
アーティストを聴きに行きます。
なんて、国際的な毎日なんだろう。





2018.11.3

YAMANDU COSTA
ヤマンドゥ・コスタの神業


また、えらいもん観てしもた。
ヤマンドゥ・コスタ。
衝撃的。
やばいです。

ヤマンドゥ・コスタは、ブラジルのギタリスト。
1980年生まれとあるから、今年38歳か。

ギターは、7弦のガット・ギター。
独奏だけど、7弦なので、低音にも不足はない。
どこのメーカーのものか調べていないけど、
このギターが またよう鳴りよる。

パコ・デ・ルシアが「ジャンルを超えた後継者」として
称賛したらしいけど、ホントに神業です。
完全に何かが降りてきてます。
演奏中は、ほかの世界とコンタクトしているように見えます。

ほとんど目を閉じたまま、指板を見ることもなく
超絶なテクニックで弾き続けるけど、
テクニック以上に音楽が凄いです。
歌心、リズム、ダイナミクス、テクニック、
どれをとっても完璧です。

「演奏中、ほかの世界とコンタクトしている」と
書いたけど、曲が終わったら、
10秒ぐらい目を閉じたままぐったりしたような、
まだ目覚めていないような、不思議な表情をします。
あの間に、その世界とのコンタクトを切って、
こっちの世界に戻ってきているかのようにも見えました。

ギター・ソロの後ろに「宇宙」が見えたのは
人生で初めてです。
雄大です。

これは、ナマで体験していただきたい。
どれくらい凄かったかというと、
2曲目が始まった時、手の平がしびれてたの。
1曲目終わった時に力いっぱい拍手したので。
手の平がしびれるほど拍手するなんて、
初めてちゃうか。

音楽は、やはり(僕が知る限りの)南米的な印象。
ごくまれにギジェルモ・リソット(アルゼンチン
出身のギタリスト)で聴く、独特のハーモニーを
感じました。

一流ミュージシャンの「脱力」に興味があるのだけど、
ヤマンドゥは全然力が入っていない。
ギターは、適当に構えているかのようで、
固定してないようにも見えた。
時々、ギターをあごに当たるくらいに構えたり、
あんな風に弾く人も珍しい。
そして、3回ぐらい、右手の爪を削った。
それほどデリケートなのだろうな。

私は、今回の来日でヤマンドゥのことを
知ったのだけど、結構お客さんも入っていた。
知ってる人は、知ってるねんなぁ。
ブルーノートは、今日1日のみ。
観られて良かった。

(動画)この2曲、今日も演りました。

Yamandu Costa - Samba Pro Rafa
Yamandu - El Choclo

今日は、ヤマンドゥの正面、前から4列目。
目の前でこれ観たら、ぶっ飛ぶでしょ。


[ MEMBER ]
Yamandu Costa (Gt)

@ Blue Note Tokyo
2nd show




-----

(2018.12.11追記)
ブルーノートのサイトよりセットリストを転記。
[ SETLIST ] 2018 11.3 SAT. 2nd

1. LUCIANA
2. MEXIDAO
3. PARAGUAYTA
4. PORRO
5. EL CHOCLO
6. SAMBA PRO RAFA
7. SARARA
8. MILONGA CHORO
9. GALANTEO
10. EL NEGRO DEL BLANCO
EC. MANGORE





2018.11.5



いよいよ明日から、キューバへ行ってきます。
初 カリブです。
初 社会主義国です。

キューバへは、成田空港からまずメキシコシティへ行き、
メキシコシティから、ハバナへと飛びます。
メキシコシティの乗換えで、6時間以上待つので、
ハバナに着くのは、成田を飛び立ってから、
21時間ほどかかります。
家を出てから、ホテルまでだと24時間だろな。

キューバ6泊、帰りに再びメキシコに寄り
メキシコシティで1泊。
合計、7泊10日の旅となります。
時差の関係で、往路はその日にキューバに着くけど、
復路は、計算上、機中2泊となるわけです。

キューバの雨季は終わっているようだけど、
南国なので、雨はそれなりに降るのかもな。
良い天気が続くこと、旅の安全を祈って
行ってきます。
あと、良い音楽が聴けて、
良い写真が撮れますように。

そういうわけで、10日間ほど
この「ひとりごと」の更新をお休みします。





2018.11.15

帰国しました。

スタバも セブンイレブンも マクドナルドも
ない国、キューバ。
旅行中、キューバに対して一体どんなイメージを
持っていたんだろうと、何度も自問自答した。
何か思っていた感じと違う、と思うのだけど、
じゃあどんなイメージを持っていたのか、
言語化できないのだった。

キューバを離れる最後の日、
アメリカのクラシックカー(1953年製フォードの
オープンカー)に乗って、
ハバナ市街から海岸沿いを走った。
車の中から、沿岸道路の堤防に打ち寄せる波が、
堤防を越えて水しぶきを上げるのを見て、
「あ、これや!」と思った。
それは、映画『Buena Vista Social Club』に
挿入されるシーンのひとつだった。

キューバで6泊、最後の1泊は、
メキシコシティ。
ハバナでバス移動を含めた6泊の旅で
ある程度 疲労も溜まってきたところに
標高2,240 m という慣れない環境に。
キューバ4日目あたりから、
お腹の調子が悪くなり、後半はちょっと
しんどい旅となった。

色んなことがありました。
写真を含め、レポートは
少しずつアップしていきます。





2018.11.16

ハーレムの熱い日々
吉田ルイ子


ちょっと前に写真家の吉田ルイ子さんの
本のことを思い出した。
私が21〜22歳の頃だから、
今から34〜35年前に友人に勧められて知ったのが、
吉田ルイ子さんだった。
彼女の著作を2〜3冊読んだ覚えがあるが、
その中の一冊が「ハーレムの熱い日々」だった。
急に読みたくなり、新たに買い直し、
30数年ぶりに読み返してみた。

吉田さんがカメラを始めた当時から、
1960年代のハーレムの黒人達を
生き生きとした文章と写真でとらえている。
近代アメリカの歴史を知るにも
教科書よりよほどリアルに迫ってくる。
その時代、その場にいた日本人が
書いたという点でも興味深い。

黒人解放闘争を展開したブラックパンサーは、
映画『フォレストガンプ』にも登場するのだが、
本作と合わせると良く分かる。

白人より劣ると自ら思い込んでいた黒人が、
「ブラック・パワー」に目覚めていく様子が
よく分かる。
"Black is Beautiful" だ。

もしかしたら、黒人アーティストの中に
1950年代、白人のような髪型を
していた人がいたのに、
60年代後半あたりから、
いなくなっていくように見えるのも
60年代後半に高まりを見せた黒人の
公民権運動の影響なのかもしれない。


1967年、米国の公共広告賞を取った写真
「貧困のポケットの中に何が入っている?」



強烈な写真だ。
写っているのは、実際にハーレムに住む少年。
受賞後、当時の日本の写真雑誌にも紹介されたが、
撮影者が日本人とは紹介されなかったという。


★★★★☆





2018.11.18

CUBA・MEXICO Tour Report #1

キューバとメキシコのことを書きたいのだけど、
まだ写真の整理ができずにいる。
なにしろ、写真は2,500枚以上あるので、
ちょっと一仕事だ。
来週の3連休には、少し時間が取れそうだから、
少しは出来ると思う。

15日の朝に帰国して以来、体調が優れず
今朝の体重は、旅行に行く直前からすると
4キロ以上落ちている。
旅行中からするとかれこれ1週間以上、
お腹の調子が戻らない。
おまけにどうやら風邪をひいてしまったようだ。

ガイドさん1名(女性)をいれて、
合計12名のツアーだったが、
半分の6名が腹痛や下痢など
体調不良をおこした。
思った以上に、中南米の旅は、
ハードだったのだ。

ガイドのWさん(女性・50代)は、
とてもタフな人で、どこに行っても
体調を崩したことがないのだそうだ。
どこだったか忘れてしまったけど、
5人で行った旅では、4人が酸素吸入を
するまでの状態になったらしいが、
Wさんだけは、平気だったらしい。
旅行ガイドを務めるには、
強靭な身体とどこにでも寝られる、
何でも食べられる精神を
持っていなければならない。
とても、私のようなヤワな人間には
務まらないのだった。

今回の旅で残念だったのは、
自由時間が少なく、あまり写真が
撮れなかったこと。
市街を歩いていても観光客が邪魔で、
(と言っても自分もその一人なのだけど)
思うように良いものが撮れない。
2,500枚と書いたけど、何割かは、
移動中のバスの窓越しに撮影したもので、
バスの窓ガラスに遮光で色が付いていること、
バスが結構スピードを出して走っていたこと、
ゆっくり走るときは、道が悪く
大きく揺れてしまうことなどから、
バスの中からは、満足のいく写真は、
撮れなかった。
中には、編集すれば使えるものも
あるかもしれないけど。
何度も、「あ、バス止めて、ここで降ろして
写真撮らせて!」って言いたい所が
あったのだけど、団体ツアーでは、
そういうわけにもいかない。
写真が目的なら、一人で行くしかないな、
と思ったのでした。




3日目に宿泊したトリニダでの1枚。





2018.11.22

WILL LEE'S SUPER GROUP
featuring JEFF YOUNG, OZ NOY
& CHARLEY DRAYTON


ウィル・リー・スーパー・グループ名義での
コットンクラブ(東京)でのライヴ。
なんと、5日間10公演。
今日は、その2日目の 2nd show を観てきた。
ゴキゲンなライヴでした。

ウィル・リーは、9月に桑原あいのトリオで
観たばかりなのに、もう再来日。
そして、ギターのオズ・ノイも3月の
“OZONE SQUEEZE” に続いて、今年2度目。
ドラムの チャーリー・ドレイトン は、
たぶん初めて。
キーボードのジェフ・ヤングは、
2015年、2017年にジャクソン・ブラウンの
バンドで観ている。

誰かのサポートでのライヴより、
自分のリーダー・バンドということもあってか
ウィルの弾けぶりは、いつも以上。
66歳には、見えない。

途中、ウィルが「今日は、センセイが来ている」と
紹介したのが、チャック・レイニー。
2012年11月の "WILL LEE’S FAMILY" 名義の
コットンクラブでの公演時にも
客席に チャックの姿があったのだが、
今日は、ステージに呼び、レイ・チャールズの
"I Got A Woman"(と思う)を一緒に演奏。
まさか、チャックが5日間毎日来るわけでも
ないだろうから、これはラッキーやった。

そのほか、オズの "Come On" や、
ビートルズの "Eight Days A Week"、
ハイラム・ブロックの "Da Alley" など。
ハイラム同様、オズは変態ギターなので、
プレイは言うことないけど、
ハイラムのように暴れ回らないので、
もしかしたら、ウィルは寂しいかもな。
そういえば、2012年の "WILL LEE’S FAMILY" の
時のギターは、チャック・ローブで、
チャックもワイヤレスで客席を動き回って、
大暴れしてたもんな。
(ハイラム・ブロックもチャック・ローブも
死んでしまいました。)

あ、ジミヘンの曲も演った。(曲名失念)
ジェフ・ヤングも数曲でヴォーカル。
渋いです。
アンコール入れて、70分程度。


[ MEMBERS ]
Will Lee (b,vo)
Jeff Young (key,vo)
Oz Noy (g)
Charley Drayton (ds)
Guest : Chuck Rainey (b)

@ Cotton Club







2018.11.23

エリック・クラプトン〜12小節の人生〜
ERIC CLAPTON: LIFE IN 12 BARS


エリック・クラプトンのドキュメンタリー映画。
本日初日。
昨日予約しておいて、日比谷シャンテで
13:10からの上映を観たのだけど、
行ったら売切れになってました。

母親の拒絶、親友の妻への恋、失恋、
友人の死、ドラッグ、アルコール中毒、
最愛の息子の事故死・・・。
よく生きていたなと思う。
とっくに死んでいても不思議じゃない。

「自殺しなかったのは、酒が飲みたかったから」と
語るヤク中、アルコール中毒者を立ち直らせたのは、
音楽、ブルースへの愛だった。

私は、クラプトンのファンになって35年ほど経つ。
伝記も読んだし、数々のインタビューも
読んできた。
クラプトンほどになるとその数も多すぎて、
私が目にしてきたのは、ほんの一部だろうけど。
それでも大体のことは知っていたつもりだったけど、
知らないことも結構あった。
アレサ・フランクリンが、スタジオで
セッションすることになり、
クラプトンのサイケな服装に笑ってたのに
ギターを聴いたら笑うの止めたとかね。
あと、ジミヘンと会ったことがあるのは、
知っていたけど、あんなに仲良く
付き合っていたとは、知らなかった。

70年代、来日公演でも酔っぱらって散々だったと
いう話は、若い頃に聞いたことはあったけど、
客にめちゃくちゃ野次られたり、
客とケンカをする酔っぱらいエリックの
音声は、ちょっとショックだった。

黒人音楽に憧れてギターを弾いていた
エリックが、酔っぱらって、
人種差別発言をしてしまい、
自己嫌悪に陥ったり、
本作を観て、改めてその苦悩の深さを知った。

ジョージ・ハリスンの妻だったパティに
送ったラブ・レターなんてものも出てくる。

エリックが、ドラッグや酒に溺れていたのは、
70年代前半までのことと思っていたら、
私がエリックを良く聴くようになってからも、
彼はずっと苦しんでいたんだ。
友人の死、息子コナーの事故死など、
考えてみれば、エリックの人生は
本当に波乱万丈だ。

コナーの死以降は、少し駆け足に描かれている
印象を否めないが、今は3人の娘に囲まれ、
幸せな人生を送っているクラプトン。
最後は、ハッピーエンドにまとめられていて、
ただただ、生きていてくれて良かったと思った。

自分の明も暗も、栄光も恥も、あそこまで
赤裸々にさらけ出すことが出来るのは、
エリックがただのスターではなく、
ブルースマンだからだろうか。
そんなエリックにB.B.King がステージで
送る承認の言葉が、これまた感動的。

もう来日は ないかも知れないけど、
長生きして欲しいです。


★★★★★



劇場のディスプレ
マーティンのギターも飾られてた。




ボヘミアン・ラプソディ

BOHEMIAN RHAPSODY


今日は勝手に秋の「ロック映画祭り」。
2本目は、大ヒット中の映画
『ボヘミアン・ラプソディ』。
言わずと知れた英国のロックバンド、
「QUEEN」の、というよりは、
ヴォーカルの フレディ・マーキュリー を
描いた伝記映画。

エリックの『LIFE IN 12 BARS』と
続けて観たおかげで、同じ時代(1970〜80年代)も
描かれていたこともあり、妙にリアルだった。
始まってまもなく劇中で CREAM の
『Sunshine of Your Love』が流れたしね。
こういう偶然にやられてしまうんよね。

冒頭の20世紀フォックス映画のファンファーレが、
ブライアン・メイのギター調で、
(おお、ここまで凝ってくるか〜)と
嬉しくなってしまった。
調べてみたら、ホンマにブライアン・メイと
ロジャー・テイラーが、録り下ろしたんだと!

映画は、1970年のクィーン結成のエピソードから、
1985年のライヴ・エイドのステージまでを
描いている。
フレディは、その後 1991年、45歳で他界。

ライヴ・エイドといえば、当時衛星中継で
観たんだろうか、ロンドン、ウェンブリー・
スタジアムに出演したフィル・コリンズ が、
コンコルドに乗って、アメリカ会場の
JFKスタジアムに駆けつけて、
エリック・クラプトンの演奏に参加したのが
印象に残っている。
(両会場に出演したのは、フィルのみ。)
クラプトンは、英国ではなく米国の方に
出演してたんやな。

閑話休題。
フレディに話を戻そう。
天才とひと言で片づけがちだけど、
天才も人間なんやなぁ。
凡人と同じように苦悩はあるんや。

前半、QUEENの4人が、こんなに
仲良かったのかって思っていたら、
途中でやっぱり、分裂が起きた。
でも、本当にメンバーに恵まれたんだと思う。
でなきゃ『Bohemian Rhapsody』は
生まれていないし、ライヴ・エイドの
出演もなかっただろう。

誰もやっていないとか、常識とか、
何か過去の例にとらわれたりする人は、
新しい何かは創り出せないんだと思う。
そういう意味で、フレディもエリックも
本当にアーティストだと思う。

後半、エイズであることを ライヴエイドの
リハーサル後、メンバーに伝えるシーンで、
「俺はエイズにかかった悲劇のヒーローに
なならない」と言うフレディ。
そしてこう続ける。
"I decide who I am"
(俺が何者かは、俺が決める。)
それまでも何度もウルウルしてたけど、
ここで涙腺完全崩壊。
最後までパフォーマーであろうとしたフレディ。
彼の死後に出た QUEEN の『Made in Heaven 』
(1995年)を聴いたた時、
「まだまだ歌いたかったんやろな」と、
涙が流れたことを思い出した。

実際のライヴエイドの映像と見比べるのも楽しい。

Queen - Live AID 1985 Full Concert
当たり前なのだけど、フレディ役の
ラミ・マレックは、フレディの振りしぐさを
凄くコピーしてます。


2016年の「QUEEN + ADAM LAMBERT」も
観たのだけど、1979年、高校生の時、
大阪フェスティバルホールで、
QUEEN のコンサートを一度だけ観た。
ナマでフレディを観たんだという記憶が
今となっては宝物です。


★★★★★





2018.11.24

CUBA・MEXICO Tour Report #2
現地ガイドさん、そしてキューバの歴史とゲバラ


キューバ6泊、メキシコ1泊の今回の旅行。
どちらも初めての国で知らなかったことばかりだった。
やはり何ごとも百聞は一見にしかず。
本やテレビからの知識と体験とでは、雲泥の差がある。

キューバでは、キューバ人ガイド Y さん
(43歳・男性)が、ずっと付き添ってくれたのだが、
この人が素晴らしかった。
とてもきれいに日本語を話す人で、
子供の頃の友人が、在日キューバ大使の息子だったらしく、
その友人の影響で日本に興味を持ったとのこと。
20代の時、まだ日本語を勉強する前に一週間だけ
日本に行ったことがあるけど、
日本語は、キューバにある外国語学校で
マスターしたらしい。
先生は、日本に留学経験のあるキューバ人だったらしいが、
この先生も素晴らしかったんだろうな。
20代後半から、日本語を学び始めて、
あんなに話せるようになるんだから、
本当に凄いと思う。

キューバ最終日の夜、ハバナ空港へ向かう
バスの中での Y さんの挨拶が素晴らしかった。
大体こんな内容。

「キューバの旅が皆さんの良い思い出になれば嬉しいです。
キューバには、まだまだ問題があります。
でも、キューバ人は、私個人も、
キューバはこれから必ず良くなっていくと信じています。
キューバ人の強みは、待つことです。
ヒッチハイクするために、
いつ乗せてもらえるか分からない車を
道路で待ち続けるように、キューバ人は待ちます。
このまま社会主義のままなのか、
資本主義になるのか、未来を予測することは出来ません。
でも、いずれにしろ良くなっていくと信じています。
そして、どんな風に変わっていったとしても、
私はいつでも、皆さんを両手を広げて待っています。」


文章にすると伝わらないだろうけど、
この「キューバ人は待つ」と、
「皆さんを両手を広げて待っています」という言葉に
とても心を打たれた。
バスを降りて握手をしたときに思わず、
落涙したほど感動的だった。

その背景には、数日間の滞在で
ほんの少しだけど、キューバのことを
知ったからということも大きい。
確かにキューバの人々は、
ずっと待ち続けているんだ。

キューバは、15世紀の終わりに
コロンブスによって「発見」された。
(そもそも、この「発見」ってなんなんやろな。
完全に西洋人目線やん。)
そして、その後スペインに支配される。
原住民は、植民地化が進むうちに
スペイン人による虐殺、虐待や疫病によって
そのほとんどが絶滅したという。
それからスペインの支配が続き、
19世紀、独立戦争の末、独立ではなく、
今度はアメリカの支配下におかれることになる。

1953年、フィデル・カストロらが
革命を試みるが失敗に終わり、投獄された。
その後、恩赦により解放されたカストロは、
メキシコに亡命、そこでアルゼンチン人の
チェ・ゲバラに出会うわけだ。

1956年12人乗りの船(グランマ号)に乗った
カストロ、ゲバラら 82人が、
メキシコからキューバに向かい上陸。
12人乗りの船に82人・・・。
もう革命以前にその航海が命懸けです。
(そのグランマ号もハバナの革命博物館で
見て来たのだけどなぜか写真が見当たらず。
革命博物館に行った時、腹具合が悪かった影響大。)

1958年、ゲバラらが、政府軍の武器と兵士を
乗せた装甲列車を転覆させたゲリラ作戦の
現場にも訪れた。(サンタ・クララ)



当時、ゲバラらが襲ったコンテナが、
そのまま展示されている。
コンテナに残された弾痕が生々しい。



線路を剥がして、列車を脱線させたブルドーザー。



武器が十分にない、革命軍は
火焔瓶で列車の中から、
敵兵士を追い出させたとか。



カナダドライのジンジャエールとコカコーラの瓶です。

公園に作られたモニュメントは、
「爆発」を表しているとのこと。



コンテナの色を塗り直している職人さんたちに
カメラを向けると頼んでないのに整列。



この後、ツアー一向と記念撮影。
人懐っこい南国人という印象。

話を革命に戻すと、
いよいよ1959年に革命政権が誕生した。

キューバ人でもないのに、命を懸けて
闘ったゲバラの、キューバにおける扱いは
相当なもので、あちこちにゲバラの肖像画が
見られた上、サンタ・クララの霊廟と
ゲバラ博物館も大変立派なものであった。
残念ながら、霊廟は改装中で中には
入れなかったのだけど。



この下に霊廟と博物館。
壁沿いに小さく写っているのが人だから、
その大きさが分かってもらえると思う。
なお、博物館も霊廟も館内は撮影禁止。

こちらは、ハバナのゲバラの邸宅。



ベッド。



あんまりここで寝てないんだろうな。
ベッドの上の写真は、このベッドに
腰かけてカストロと話すゲバラ。

ハバナ、革命博物館のゲバラの顔の像。



こちらも革命博物館内、やや微妙な人形。



ハバナ、革命広場前の内務省の建物。



パラデロのショッピングモール内のお店の壁。



サンタ・クララの役所の前。
右手に葉巻、左手に子供を抱えるゲバラの像。



花が手向けられています。
ここは、ゲバラと手をつないで写真を撮れる
スポットとして、ゲバラ・ファンには有名なようだ。

サンタ・クララの街中、
ゲバラの肖像を飾る商店。




今回のキューバ旅行を言い出した人が、
若い頃からのゲバラ・ファンであったので、
旅行会社のツアーではなく、特別に組まれた、
ゲバラ所縁の土地を訪れる旅だった。
もちろん、ゲバラ以外にもヘミングウェイの家や、
ハバナクラブ(ラム酒)の博物館、
キューバ最大のリゾート地バラデロなどにも
行きました。

ちなみにゲバラはキューバ革命の直後、
1959年7月に来日している。
来日中、予定にはなかった広島へ行きたいと
言い出し、予定を変更し広島平和記念公園や
原爆資料館、原爆病院を訪れたという。
当時は、日本でのゲバラの知名度は低く、
ほとんど報道されなかったようだけど。

ガイドの Y さんの話では、
ゲバラと並んで(というかキューバ人には
ゲバラ以上に)の人気のある革命兵士が、
カミロ・シエンフェゴス。
カストロが、富裕層の人間であったのに対し、
カミロは、庶民階層出身。
革命後28歳で飛行機事故で死亡。
機体も死体も見つかっておらず、
事故なのか、殺されたのかも不明。
謎の死を遂げていることもあってか、
キューバでは英雄視されているそうだ。
残念ながら、カストロは長生きしたためか
そういう意味では、あんまり人気はないらしい。





2018.11.25

ついに写真家デビュー?

一眼レフカメラを手に入れて、
本格的(?)に写真を撮り始めて、
8年が経った。

いまだにカメラの使い方を
完全に把握していないのだけど(汗)、
おそらくは数万枚シャッターを切って来た。
それだけやれば、少しは上達したのではないかと
自負しているが、出来上がった写真を見ると
もう一度、その時の現場に戻って、
撮り直したいと思うことも多い。

このたび、某ホテル運営会社がオープンした、
とある地方のビジネスホテルの
客室に私の写真が飾られることになった。
全室飾ることになると、100枚以上になる。
うむ、これは写真家デビューと
言ってよいのではないか。
もちろん、飾られた写真に私の名前が
記されるわけではないが、
世界中から、泊まりに来た見知らぬ人が、
たとえ一瞬でも、その写真に目をやると
いうのは、なんとも言えぬ胸の高まりを覚える。

今まで撮りためてきた写真の中から、
その飾るための写真を選んでいるのだが、
目的があると面倒な編集作業でも楽しいもんだ。
違う客室に同じ写真があってもよいのだけど、
この際、できるだけ色んな写真を
見てももらいたいもんね。

あわよくば、写真を見た宿泊客から、
「この写真は、誰の写真ですか?」と
ホテルに問い合わせが入り、
「ぜひ、欲しいのですが」なんて ことに
なれば良いな〜と夢見る56歳のおっさんなのだ。

1985年23歳の時の写真(U.S.A)。
(ホテルに飾るかどうかは未定)















2018.11.26

『ボヘミアン・ラプソディ』を考える

先日観てきた映画『ボヘミアン・ラプソディ』。
英国のロック・バンド「QUEEN」の
フレディ・マーキュリーを描いた作品で、
大変高い評価を得ている一方で、、
一部マニアックのな QUEEN のファンには
不評のようだ。

というのも、事実と違う演出が
多々あるというのだ。
例えば、映画では1985年ライヴ・エイドの前に
フレディがメンバーに HIV に感染していることを
告白するが、実際には感染が診断されたのは、
1987年だったとか、ジム・ハットンと
会ったのも1987年だったとか。

そういう事実と違うことがたくさんあって、
嫌悪感さえ持った人たちがいるようなのだ。
おそらく、コアな QUEEN(フレディ)ファンで、
自分が知っている情報と違うことを
許せないのだろうな。

で、この創作部分を事実と思いこんでしまう人が
いるんじゃないかと危惧する人もいるようだ。
思いこんだって、誰も何も困らないんだけどね。

映画を作る上で、事実通りに作ろうとすると、
時間的に難しかったり、ストーリー的に
複雑になったり、色んな事情から、
多少、演出やフィクションも加わるのは、
仕方がないことだと思う。

それは、観る側も分かっていることとして
映画に臨まないと、楽しめないだろう。

事実を基にした映画は数々作られてきたけど、
100%事実通りなんてことはあり得ない。
というか、そもそも「事実」ってなんだ?
ってことになる。

たぶん伝記か公式の発表には
フレディが、HIV と診断されたのは、
1987年とあるので、批判している人は、
そういうことを書くのだろうけど、
それだって本当かどうか分からない。
フレディは、1985年から知っていたかもしれない。
そんなことは、誰にも分からない。

一つの情報を「真実」だと信じ込むのも
「無知」と変わりないように思う。

私としては、一人のロック・スターの
人生の一部を覗けただけで価値があるな。
たとえそれに、フィクションの部分が
多かったとしてもね。
フィクションって、ロック・ミュージックと同じ
「創作」だからね。

例えば、誰かの楽曲をカバーして、
メロディをフェイクするのは、
演奏者の自由だけど、オーディエンスは
いちいちオリジナルとメロディが違う、
リズムが違うとは言わない。
それが、その演者の表現だから。

同様に映画は、原案や元になる史実や
事件があって、製作者がそれをネタに
創作しているんだと思えばどうだろう。
もちろん例えば、その実在した人物の
名誉を傷つけるとか、悪意を持って
事実を変えるとか、その辺は誠意に依る
限度はあると思うけどね。

この映画が商品化される時には、
ノーカット版が付くという話も読んだ。
本当かどうかは未確認だけど。
5時間ほどあるというから、
もしそれが出たら、心して観なきゃならんな。


ところで、本作、公開当初は「IMAX」上映だった。
実は、11月17日の21:15から回のチケットを
その前日に予約していたのだが、夕方から
キューバ旅行の疲れ(2日前に帰国)からか、
しんどくなって、とりあえずいったん
家に帰って、2時間ぐらい寝れるなと、
思って寝たら、そのまま起きられなかった。
チケット代は、無駄になったけど、
まあいいやと思っていたら、
翌週、観に行った23日には、
もう IMAX は終了していたのだ。
残念。
でも、今まで数本、IMAX で観たけど
そんなに言うほど凄いと思ったことないねんけどね。





2018.11.28

CUBA・MEXICO Tour Report #3
何も知らなかったキューバ


キューバについては、何も知らなかった。
まあ、今もほとんど知らないのだけど。

スタートは数年前に観た
「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」。
とにかく、漠然としたあこがれだけで、
行きたいと思っていたら実現したのだった。

2015年オバマ政権時代の米国とキューバが、
54年ぶりに国交を回復したが、
トランプが大統領になってから、
両国の関係は、良好とはいえないようだ。

たかだか6泊だけだが、私が見てきた
キューバは、先進国という感じではなく
これからの国という印象だった。
マニラ(フィリピン)もそんな感じだったが、
フィリピンには勢いを感じた。
キューバには、勢いよりも、
戸惑いのようなものを感じた。
キューバ人ガイドのYさんが言っていた、
「キューバ人は待っている」という言葉が
ピンとくる。
何かを待っている感じ。

1990年代の社会主義国の崩壊は、
キューバに大きな影響を与えた。
Yさんの語るキューバの歴史を
聞いていると、外国や世界情勢に
翻弄され続けてきたんだと思った。
もちろん、どこの国だって世界の
影響を受けているんだけど、
日本のそれとは、文脈が違うような気がする。

物がない国で、今も配給制度がある。
ガイドのYさんに実際の配給手帳も
燃せてもらったが、配給も有料で、
十分ではないらしい。


配給に並ぶ人々。

ツアーで一緒だったSさん。
ホテルの部屋でお香を焚こうと
100円ライターを持っていたのだが、
帰り、ハバナからメキシコシティへ
飛ぶときに空港の手荷物検査で
取り上げられた。
キューバに入国する際は、
引っかからなかったのに。
ツアーメンバーの一人が、
道端で、100円ライターを修理して
売っている人を見かけたという。
100円ライターは貴重な物資なのだろう。

みやげ物は、ラム酒(ハバナ・クラブ)と
葉巻以外は、美術品(オブジェや絵画)が
目立ったが、大したものはない。
みやげに買ってきたTシャツは、
(帰国後気付いたのだが)Made in China、
Made in Bangladesh だった。
(1枚、キューバ製らしきものもあった。)

おばさん(というよりはおばあちゃんか)が、
ストリートで演奏している音楽に合わせて、
近づいてくる。
気が付くと私も手に手を取って踊っていた。
数十秒も踊ると、手を出して
「はい、お金ちょうだい」
(実際は、何と言っているのか分からない。)

葉巻をくわえ、オシャレをしたおじさん、
おばさんが一緒に写真を撮ろうと
寄ってくる。
写真を撮れば、チップを払うのだ。

これは、文化なのだろうし、
立派な仕事なんだろうけど、
日本ではあまり見かけないことなので、
戸惑ってしまう。
(日本でも着物を着て、外国人と一緒に
記念撮影して、お金をもらっている人が
いるかもしれないけど。)

キューバでは、外国人用とキューバ国民用と
2種類の通貨がある。
外国人用のペソは、CUC(クック)といって
1CUC=1USドル。
私がハバナで両替した日は、
手数料を入れて、1ペソ=約118円ほどだった。
キューバ国民が使うのは、人民ペソ(CUP)。
1CUC=24人民ペソ。

500mlのペットボトル入りのミネラル・
ウォーターは、街中で、0.5 CUC(約59円)。
ホテルやレストランでは、
2〜3 CUC(236〜354円)。
この水が、飲めなくはないが、あまり美味しくない。



そして、クレジット・カードはほとんど使えない。
バラデロというリゾート地の
ショッピングモールで、一度 VISA を
使ったが、20%ぐらい高く取られてしまった。
説明を求めると、米国ドル換算になるとかで
この値段になる、と言われた。
やり取りは、英語でも大変なのに、
スペイン語なのでもっと大変だ。

食べるものは、一度も美味いと思わなかった。
フルーツもイマイチ、水くさいスイカ、
味の薄いメロン(?)、パイナップルは、
まあまあだったな。







そこら中の道端で、ヒッチハイクのために
人が立っている。
交通が整備されていないのだ。
自動車を持てない人たちも多いのだろう。

アメ車のクラシック・カーで
タクシーをやっている人たちは、
外国人相手なので、稼いでいるようだ。



私達もオープンカーでハバナ市街を
30分位周ったけど、なんとなく、
渋谷界隈を走るゴーカートに乗った、
外国人をバカにできないような気がした。



ハバナから車で少し走ると、
さとうきび畑と時々マンゴ畑、
そして牧場、たまにジャングル。
ほとんど山はなく、平地。
信号もほとんどない。



トリニダという海辺の街のホテルでは、
ちょっと雷が鳴ったなと思ったら、停電した。
もう、辺りが暗くなり始めた頃で、
客室内は真っ暗。
夕食前だったので、このままだと
食事にありつけないかもと心配した。
復旧までに30〜40分位、外にあるバーで過ごした。
バーテンダーに「モヒート」を
注文したら、「今、それどころちゃうねん」って
(スペイン語で)言われた。
停電も珍しくないのかもしれないな。

イタリアや、フィリピンでも見かけたけど、
便座のないトイレが多い。
今回、ついに便座のないトイレで、
用(大きい方)を足した。
腰を浮かしたままするのだが、
やれば出来るもんだ。
でも、腰痛持ちは無理だろうな。



キューバではないけど、
ツアー最終日の朝、メキシコのホテルで、
うっかりチェック・アウトしてから、
朝食のビュッフェへ行った。
レストランに入る時、ルームナンバーを
訊かれたので答えた。
食べ終わる頃、ボーイが伝票を持ってきた。

朝食付きの宿泊だったのだが、
どうやら、チェックアウトしたので、
有料だと言っているようだ。
日本であれば、コミュニケーションで
なんとかなりそうなことだけど、
これまたスペイン語だ。
先にチェックアウトしてしまった、
私の不注意だ。
仕方なく、2人分で3,000円ぐらい払う羽目に。

(訂正 2018.11.30)
旅行中のメモを見ると「2人分で300ペソ」とあった。
1円=6.7ペソ ぐらいだったから、
「2,000円ぐらい」の間違い。


考えてみたら、あれで無料で朝食が
食べられるなら、泊ってもいないのに
適当なルームナンバーを言えば、
良いということになってしまうもんな。

食事は、キューバよりは少しは美味しかったけど、
また食べたいと思うものはなかった。







メキシコでは、レストランで演奏していた
バンドが、私たちが日本人だと知ると
『川の流れのように』をラテン・アレンジで
日本語で歌ってくれた。
もろ、観光客対応な感じで、
あんまり嬉しくなかった。
まあ、観光客なんだけど。



キューバも道は悪かったけど、
メキシコも道が悪い。
ティオワンカン遺跡近くの道が、大きめの
丸い石を敷き並べたようなガタガタ道だった。
観光客が来る、こんなところぐらい、
道を整備したらいいのに、と思っていたら、
ガイドさんの話のよると、
平らな道にすると、メキシコでは、
とたんにレース場になってしまうそうで、
わざとガタガタの道にしているそうな。

メキシコなどに海外出張慣れしている人の勧めで
トイレット・ペーパーを持って行った。
日本のトイレット・ペーパーは優秀だ。
海外旅行に行く際は、持って行った方が良い。
行きはトランクも空いているしね。

思いつくままにキューバ、メキシコでのこと、
その印象を書いた。
レポートは、まだ続きます。





2018.11.29

CUBA・MEXICO Tour Report #4
ミュージック編


本当は、ハバナの現地の人が聴きに行くような
ライヴ・スポットに行きたいと思っていたけど、
ツアーでスケジュールが組まれている上、
体調不良などもあって、叶わなかった。
ただ、あちこちで生演奏には接することが出来た。
良く演奏されていた曲は、世界的に有名だからか
ラテンの超スタンダード、"Quien Sera"、
"Quizas, Quizas, Quizas"、
"Besame Mucho" あたり。

この写真は、キューバのレストランでの一コマ。



バンドメンバーに促され、ボンゴを叩いた
こういうのは、単純に楽しい。

こちらは、ツアー最終日、メキシコのレストランで。



この時は、バンド・メンバーに
呼ばれたわけでもないけど、
パーカッショニストが、ボンゴの前を離れて、
他の客の相手をしているうちに、乱入。
帽子は、バンドの人が被せてくた。
隣のテーブルのフィリピン人観光客に
凄くウケて、写真をバチバチ撮られたので、
今頃、フィリピンでは有名な
パーカッショニストになっているだろう。(嘘)

キューバのみやげ屋で、女性店員に勧められたCD。



新品(だと思いたい)のはずなのに、
袋にも入っていないし、封もされていない。
聴いてみると、ご機嫌なキューバン・ミュージック。

ググってみると、ジャケットの人は、
ダヴィ・カルサド(David Calzado)という人。
今年61歳のベテランのようだ。
このアルバムは、ダヴィ・カルサドがらみの
ベスト盤のようで、disk union のサイトでは、
2,257円で売られていたようだけど、
現在は注文不可になってた。
「おお、日本では入手困難か」と思ったら、
Amazon では、中古盤が529円で売ってた。
それどころか、Amazon Music Unlimited で
(ただで)聴けるやん!
CD代、いくら払ったか覚えてないねんけど、
1,500円くらいだったような気がする。

ダヴィ・カルサの音楽は、
「Timba(ティンバ)」と呼ばれる
サルサの発展形。
ティンバって、初めて知った。
あんまりサルサとの違いが分からないけど。

もともとキューバで、スペイン+アフリカで、
「ソン」が生まれ、そこにアメリカの要素も
加わって、「サルサ」になって、
そこにもっと現代の音楽の要素が加わり、
複雑になってきたのが、
「ティンバ」ってことかな。
めっちゃ大雑把やけど。

これは、CDショップの前にあった
「5 LEGENDS OF CUBAN MUSIC」と
書かれた看板。
「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」の面々です。



この壁画は、ちょっとオマーラ・ポルトゥオンド
にも見えるんやけど、違うかなぁ。(ハバナ市内)




余談だが、スペイン語ってほとんど
ローマ字読みでOKらしい。
「David」は、英語なら「ディヴィッド」だろうけど、
スペイン語では、「ダヴィ」。
最期の「d」は発音しないようだ。
ローマ字読みなので、「Cuba」は「クゥーバ」。


あんなにしんどい旅行で、
途中でもう帰りたいと思ったのに、
なんだか また行きたくなってきた。
今度行くとしたら、ハバナだけに絞って、
数日間滞在したいな。
観光ツアーではなく、もっと現地に触れたいと思う。





2018.11.30

CUBA・MEXICO Tour Report #5
成田からハバナへ


すでにキューバのことを大分書いたのだけど、
今日は、初日のことを書こう。



11月6日。
成田からメキシコシティまで約12時間のフライト。
航空会社は、「AERO MEXICO」。
メキシコとは読まず、「アエロメヒコ」と読むようだ。
メキシコシティまで、一睡もできず。(意外にデリケート)
機内で映画3本観賞。

メキシコシティでハバナ行きへの乗換に
6時ほど待ち時間があった。
一緒に行った人が、空港内のラウンジに
入れるカードを持っていたので、
ゲスト扱いで一緒に入れてもらった。
空港のラウンジって初めて入ったけど、
飲み物も食べ物も無料の上、
何時間 いても良いようで、
旅の多い人にはありがたい施設だと思った。

メキシコシティから、ハバナまで、約3時間。
機内でワインを飲もうとしたら、なかったので
メキシコのビールを飲んでみたら、
薄くて美味しくなかった。



ここでやっと1時間ほどうつうつした。

ハバナ空港に着いたのが、現地時間の22:30頃。
空港内がやたらと暗い。
日本でいうと営業を終えた何かの施設のようだ。

夜遅かったからか、混んでいると聞いていた、
空港の外にある両替所は、がら空きだった。
っていうか、そんな時間(23時ごろ)でも
開いてるのにもビックリ。

ガイドさんが「物価が安い上、
そんなにお金を使うところがないので、
1万円ぐらいで十分でしょう」と言うので
1万円をキューバ・ペソ(CUC)に両替。
妻の分と合わせて、2万円=170.45CUC。
CUC は、USドルと同じということだが、
この日のレートは、手数料込みで
1CUC=117.3円。
私は2万円で両替したが、
1万円だけ両替した人とレートが違っていた。
どういう計算か分からないけど、
手数料が違ってくるのかな。

1万円では、すぐに足りなくなり
後日、追加で両替したが、それは、
ショッピング・モール内にあった
両替所で、1CUC=117.9円。

空港から、ホテル(Hotel Nacional de Cuba)
まで バスで約30分。
空港の外も暗い。
ホテルに着くまで、日本では考えられないくらい暗い。
外灯が少ないのだ。
昭和40年代前半の日本のようだ。
あの頃って、夜出かけるとき、
懐中電灯持って出たもんね。
車もあんまり走っていないし、信号もほとんどない。
日本が明るすぎるのかもしれない。

ホテルに着いたのは、家を出てから
26時間ぐらい経ってたということか。
まあ、メキシコで6時間待ったからな。

Hotel Nacional de Cuba は、
5つ星ホテルだが、1930年の建物らしく、
歴史を感じさせる。
違う言い方をすると、古臭くて
日本的な最新設備完備のホテルとは程遠い。
そんなもの求めるなら、キューバに
行ったらあかんのやろな。

ホテル外観





室内



部屋からの朝の眺め(確か7階だったと思う)



ロビー



なんと、ロバート・プラントが泊ったようで、
写真とサインが!



98年に泊ったということなのかな。



ひとりごと