2025年
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2025.1.2
新 年
新しい年を迎えました。
2025年、令和7年。
昭和で言うと「100年」と聞いて驚きました。
でも、昭和37年生まれの私が、
今年で63歳になるのだから、
「37+63=100」。
何も驚くようなことではないと気付き
そのことに再び驚きました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
2025.3.8
宮 崎
宮崎は私にとっては所縁のある土地だ。
母は、韓国併合の時代に朝鮮半島で
生まれたが、終戦後10歳の時に
引き揚げて宮崎に移り住んだ。
祖父が宮崎の出身だったんだ。
私が小学6年生(1974年)まで、
祖父と祖母は宮崎の川南というところに住んでいた。
ポツンと一軒家のような家で、道路から
数十メートル奥まったところにあり、
隣の家までは、山を一つ越えなければならなかった。
6年生の時に祖父を迎えに行った時を含めて、
子供の頃に3回か4回、その母の実家である
川南を訪れた覚えがある。
お風呂は、屋外の五右衛門風呂。
家のすぐ裏には川が流れており、
そこでカニやエビを取ると祖母が
甘辛く煮てくれたものが夕食に並んだ。
母の兄弟は6人で、ほとんどが
中学を出ると就職のために宮崎を離れた。
叔母(母の9歳下の妹)は宮崎で看護学校を
卒業後、しばらくして大阪に出てきた。
彼女は、私と18歳しか違わなかったので、
母は「おばさん」と呼ばせるのに抵抗があったのだろう。
「広子姉ちゃん」と呼ばせた。
広子姉ちゃんは、大阪で同じ宮崎出身の
酒屋さんに勤める男性と結婚。
その後、独立し大阪でふたりで酒店を営んだ。
私は「広子姉ちゃん」が大好きで、
年に数回、泊まりに行くのが楽しみだった。
小学生の頃には、私の運動会に来てくれたり、
大人になってからも私のライヴを観に来てくれたり、
家族ぐるみで一緒に旅行をしたりと、
母の兄弟の中でも一番交流のあった家族だ。
ふたりには子供がいなかったので、
私たち姉弟をかわいがってくれた。
もう35年ほど前になるが、店を売却し、
故郷である宮崎に移り住んだ。
先日、その叔母夫婦に会いに宮崎に行ってきた。
ふたりに会うのは、2018年12月以来なので
6年4カ月ぶりだった。
叔母80歳、叔父84歳。
ふたりとも元気そうで、特にもうすぐ85歳になる
叔父は毎日身体を鍛えているので、
85歳とは思えぬ立ち姿、身体つきで、
日々の鍛錬の継続こそが老後の健康を
担保するのだと、感じ入ったのでした。
寒くなって、歩くことも走ることもサボり気味の
私には強力な刺激となりました。
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2008.8.31 告白 ~嘘泣き~
(初めての一人きりのお泊まりの想い出)
2025.3.14
腕 時 計
十数年 使っていたカシオの G-SHOCK 。
時計を合わす必要も電池交換の必要も
ないというソーラー電池の電波時計。
海外に行っても自動で時間を合わせられるし、
格好もよくてとても気に入っていたのだけど、
いよいよ寿命のようだった。
数か月前、時計は動いていて、電波も受信し、
デジタル表示の時刻は正確なのだけど
針が受信した時刻にならないで、
2分遅れたままであることに気付いた。
針も自動で合わせるメカニズムなので、
手動では動かすことができない。
これからも少しずつ針は遅れていくだろう。
修理に出そうと調べてみたら、部品の
保存期間を過ぎていて、修理することも
できないことが分かった。
現行品で同じデザインのものを探したけれど、
似ていても微妙に違っていて気に入らない。
仕方なく、実物を見ずにネットで
カシオの wave ceptor を買った。
カッコ良さそうなものを選んで。
しかし、届いたものは、どうにも安っぽくて気にいらない。
1万円もしないものだったので、思っていたものと
イメージが違ったんだ。
やはり、実物を見てから買おうと
それから、腕時計探しの旅が始まった。
店舗で見ても「これだ!」というものが見つからず、
買わずに帰ってきたことが数回。
それで、ネットでデザインの気にったものを
ピックアップし、店舗で実物を見に行ったのだけど
10個ぐらいピックアップして見ていると、
どれが欲しいのか分からなくなって、
結局買わずじまい。
ようやく、シチズンのカッコいいやつを見つけて、
それにしようかと思ったのだけど、
それは電波時計ではない上に、
実物があまりにも重たかったので断念した。
で迷った挙句、購入したものがこれ。
CB5874-90E
定価は60,500円だけど、ビックカメラにて
4万円台前半で購入。
前述の10年以上使ったという G-SHOCK が
2万5千前後だったような気がするので、
比べると ちょっと高い時計を買ったと思う。
腕時計を買おうと決めてから、
数か月かかったけど、とても気にっている。
もちろん、ソーラー電波。
前述の買わなかったシチズンのカッコいいやつは、
10万円以上していたので、
それを理由に迷っていると 一緒にいた妻が
「(欲しければ)買えばいいじゃない」
と背中を押した。
それで、ショーケースから出してもらってみたら、
結局 重たくて、その上、電波時計ではなかったので
やめたのだけど、その時、面白いことに気付いた。
ギターなら10万でも20万でも、もっと高くても平気で
買うのに、どうして腕時計にはこんなに けち臭いのか。
人生、ギターを触っている時間より、
腕時計をしている時間の方が断然長いのに。
何だか分からないけど、深層心理に高い時計を
買うことは、不要な贅沢のように刷り込まれて
いるかのようだ。
ギターなら、色んな理由を付けて買うくせに
我ながら面白いなあと思ったのでした。
まあ、結局、時計よりギターの方が好き、
というだけなのだけどね。
初めて持った腕時計は、高校入学のお祝いに
叔母に買ってもらった SEIKO だった。
もう47年も前だけど、叔母と一緒に買いに行って、
気に入ったのを選んだら、27,000円だった覚えがある。
今回の時計を買うまでの人生最高額の時計だ。
私は何も考えず無邪気に選んだけど、
当時の物価を考えれば、もしかしたら、
叔母には 予算オーバーだったかもな。
2025.3.17
どう見えているのかしら
新宿駅で山手線に乗った。
満員というほどではないけど、
立っている乗客も多く そこそこ混んでいた。
私が立った前には西洋人らしき外国人女性
(40代ぐらいかな)が座っていた。
私がその人の前に立ったとき、
彼女が顔を上げたので、目が合った。
彼女は、自分の座っている席を指差し、
ジェスチャーで
「座りますか?席譲りましょうか?」と
聞いてきた。
私は、笑顔で断ったのだけど、
一体何歳に見えたのかなぁ。
電車内で席を譲られそうになったのは、
人生で初めてだわ。
あとでよくよく考えてみると、傘を持っていて、
それを床に突いていたので、
杖を突いているように(足が不自由な人のように)
見えたのかなとも思うねんけどね。
2025.4.5
偉大なる なかさん
3月30日のことだ。
午前2時半頃、妻の話し声で目が覚めた。
誰かと電話で話しているが、妻の話す言葉から
一瞬で事態は飲み込めた。
通話の相手は、妻の姉だ。
山形の老人ホームにいる義母の危篤の知らせだった。
義母は、その日(29日)もいつものように夕食を
食べたらしく、特に変わったことはなかったようだ。
義母が入所しているのは、特別養護老人ホ―ム。
2時間おきに職員さんが見回りをしてくれているらしく、
深夜1時過ぎの巡回の時に義母の異常
(息が荒く、目を開けたまま様子がおかしかった)が
発見され、すぐに救急搬送されたのだった。
姉さんはスマホのビデオ電話で、義母の様子を見せてくれた。
義母は、酸素マスクを装着していた。
苦しそうには見えなかったけど、目を開けたままで、
全く瞬きをしなかった。
意識はないように見えるが、そういう状態でも
声は聞こえている、という話しは何度か読んだことがある。
妻の声が聞こえているのか、話していると
義母の目から涙が溢れそうになっているのが見えた。
ビデオ電話を切ってしばらくして、再び電話があった。
3時半頃、義母は息を引き取った。
90歳だった。
足が悪く歩けなくなってから何年も経っていたし、
私が面会に行っても、誰か分からなくなっていたし、
いつ何があってもおかしくない状況だった。
あっけないと言えばそれまでだけど、
(たぶん)苦しみもせず、入院もせず、
ある意味 子供孝行な最期だった。
死因は不整脈ということだから 心臓だが、
老衰と言って良いと思う。
妻は、その日どうしても外せない仕事があったので、
山形に行くのが夜になる。
私はひと足先に山形に行くことにした。
2時半に起きたまま寝なかったのだけど、
色々準備をしていると家を出るのが9時半を過ぎていた。
10時20分ごろ東京駅に着いたけれど、
11時まで山形新幹線がなかった。
東海道新幹線とは、本数が違う。
11時発のつばさに乗って、山形の実家のある町の
葬儀会場に着いたのは、14時頃だった。
私が到着した時、姉夫婦はちょうど葬儀屋との
打合せ中だった。
その日は、お通夜ではなく、布団の上に
寝かされた義母に何人かの人が手を合わせにやってきた。
亡くなったのが義父ではなく、義母であったことは
皆を驚かせたようだった。
というのも、義父は義母より年上で、93歳。
順番からいっても、皆が義父が先だろうと思っただろうし、
女性の方が長生きというのは、一般的な話だ。
夜、妻が到着した。
その会場は、ホテルのように宿泊の部屋も併設されて
いたので、私たち夫婦は、そこに泊めさせてもらうことにした。
冠婚葬祭の風習は、地域によって様々だ。
本木雅弘が主演した映画『おくりびと』は、
山形(庄内地方)が、舞台だったが、
葬儀屋さんとの打ち合わせのとき、
「おくりびとを依頼しますか?」という話があった。
今回は送り人をお願いしなかったので、
お通夜(3月31日)のとき、参列した
近しい者達で故人の旅支度を整えた。
身体、といっても足や手、首、顔など露出している部分を
ペーパータオルで優しく拭き、足袋、脚絆、手甲などを付け、
遺体を皆でお棺に収めた。
頭陀袋を胸の上に載せ、白装束を重ね、
編み笠、草鞋、杖を持たせた。
この作業のとき、旅支度を手伝う参列者は、
腰に縄を縦結びになるように巻く。
これは、故人に連れて行かれないようにとの
意味があるらしい。
4月1日。
4月だというのに寒い朝だった。
午前9時からお別れの儀。
故人の肌に触れられるのは最後。
義母の頬はぷるぷるしていて、そして、冷たかった。
釘打ちの儀(お棺のふたを釘打ちする真似だけ)の後、
マイクロバスで火葬場へ向かう。
遺体も一緒に乗れるバスは初めてだ。
4月だというのに山形は薄っすらと積もるほとの雪だ。
確か昨年の姉の火葬の日も涙雨だったが、
涙雪なんてものもあるのだな。
火葬が始まると雪が強くなってきたような気がする。
火葬中も線香の火を絶やさないように
10分ほどおきに線香をたきに祭壇に行った。
義母は、あっと言う間に灰になった。
歩けなくなって、何年も経っていたせいで、
骨も弱っていたんだろうか、膝から下の足の骨は
ほとんど見当たらなかった。
葬儀は、お寺の都合で火葬から4日後の4月5日。
私の知る限り、葬儀の後に火葬するのが一般的だと
思っていたけれど、妻の実家の地域では、
通常、お通夜のあと荼毘に付し、そのあとに
葬儀を執り行うらしい。
葬儀に参列した者で、火葬場へ向かう
霊柩車を見送るようなことはないわけだ。
義母は、いつもマイペースで、独特な人だった。
私の人生でも、特別に個性的な人だった。
私には、全く周りの人の目など気にしていないように見えた。
中々あんな人はいないと思う。
以前は思わなかったけれど、
妻は歳を取ってきたせいか、
この頃は義母に似ているなと思う瞬間が増えてきた。
それは見た目のことだけど、妻もかなりユニークな人間だ。
義母の名前は「なか」。
本人は「子」が付いていなかったのが不満だったらしい。
そういえば、親戚の中には「なか子ちゃん」と
呼ぶ人もいる。
私たちは「なかさん」と呼ぶ。
本人に向かっては呼ばなかったけど。
今回のタイトルの「偉大なるなかさん」。
私には、妻を産み、育ててくれただけで、
偉大な人に違いない。
ありがとう、なかさん。
おやすみ、なかさん。
さようなら、なかさん。
これから、葬儀のため山形へ向かいます。
2025.4.6
偉大なる なかさん(2)
妻の母、なかさんの葬儀が昨日、執り行われた。
妻の実家のある山形の町の古いお寺の本堂で。
そのお寺の墓地には妻の両親の先祖が
並んで眠っている。
母方のお墓は、別の墓地にあったのだが、
義父がそこに移したんだ。
おかげで私たちは、一度のお参りで
父方母方両方の先祖に手を合わせることができる。
歴史のあるお寺なのは一目で分かるが、
ググってみると「寺の創建は貞観元年」とある。
「貞観元年」っていつやねん。
今度は「貞観元年 西暦」とググってみる。
「貞観」は「じょうがん」と読む。
「貞観元年」は、なんと西暦859年だ。
平安時代にできたお寺なんだ。
義父は、大工の棟梁で、弟子に限らず、
おそらく色んな人の面倒を見たんだと思う。
義母は、おかみさんということなので、
同様に義父の仕事関係者とも関わりがあったんだろう。
それは、お通夜や葬儀に参列した方たちの
様子から伺い知れる。
特にKさんは、親戚ではないのだけど、
私が「誰よりも親戚」とあだ名を付けたほどで、
葬儀の間は、膝の上になかさんのひ孫を
乗せて、完全に親族のように溶け込んでいた。
Kさん(76歳)は、義父の兄弟子の
息子さんらしいが、とても気さくで冗談を飛ばしてくれる。
ただ、方言が結構強いので、
時々何言ってるか分からない。
Kさんは義母のことを「なかちゃん」と呼ぶ。
その様子から、きっと妻の両親に世話になったと
思っているんだろうなと推測する。
妻の話では、子供の頃は常に色んな人が
家に出入りしていたらしい。
田舎ということもあるかも知れないけど、
両親の人がらを考えても、かなりオープンな
家だったんだろうと思う。
葬儀の弔辞は、孫のYちゃんが読んだ。
Yちゃんの両親(姉夫婦)は共働きだが、
その会社が、実家の2階にあったこともあって、
Yちゃんは「ばあちゃんが育ててくれた」というほど。
その弔辞が本当に素晴らしく、終わった時に
私は拍手を我慢しなければならなかった。
なかさんは、4年ほど前に歩けなくなって
特別養護老人ホームに入った。
それをきっかけに、一人になった義父は
弱っていったように思う。
2年ほど前に、脳梗塞で救急搬送され、
その後、奇跡的に義母のいる特老に
入所することができた。
施設のスタッフさんの尽力だが、
夫婦での入所は前例のないことだという。
そういうわけで、なかさんはこの2年間、
夫婦で一緒に過ごすことができた。
隣同士の部屋で、食事の時は、
毎日向かい合って。
最後の2年間を夫婦で過ごせたことは、
なかさんにとって、幸せなことだっただろう。
合掌。
2025.4.15
そろそろ 練習 再開
昨年11月にフルマラソンを走ってからも
週一ぐらいでジョギングを続けていたのだが、
冬場は、寒くてやめてしまっていた。
ジョギングの最後は12月11日。
その日のメモには
「気温は10℃を切っていたようだ。
風も強くて寒くて、走っていると鼻水も出るし、
1周でやめた」とある。
「1周でやめた」というのは、練習用のコースを
決めていて、2周走るつもりでいたのに
寒くて断念したということなんだ。
そのコースは1周が4,360メートル。
それからも、例えば青山や品川あたりから
4~5キロぐらい歩いて帰ることは、
月に数回あったけど、しっかり「歩く」「走る」という
意識で練習としてはやっていなかった。
ようやく再開する気になったので、
先日からボチボチと始めた。
11月のマラソン全体でみると、1キロあたり
9分35秒で走ったことになるのだが、
12月の練習では、4,360メートルの1周目なら
8分30秒台で走れるようになっていた。
もちろん、距離が延びればそこからどんどん
ペースは落ちるのだけど、昨年の夏、
ジョギングを始めた時のことを思うと
これは自分的には凄いことなんだ。
めちゃくちゃ遅いけど。
今日は、そのコースを1周走ったが、
いきなり張り切ったら、故障の元なので
かなりゆっくり目にジョギングしたら、
1キロ10分を超えるスローペースだった。
(歩いているのと変わりません)
これから徐々に戻していきたいと思う。
昨日は、クラプトンのコンサートの後、
武道館から歩いて帰った。
距離にして約10キロ。
5キロぐらいなら全く疲れないのだけど、
昨日は驚くほど疲れた。
100キロウォークの練習をしていた時には、
10キロなんて全く疲れなかったのに、
やはり続けていないと体力は見事に落ちるんだな。
知ってはいるけど、改めて痛感。
ジョギングでもウォーキングでも
どちらでもいいから、その日の気分で
練習と意識してやろうと思う。
2025.5.6
アルトラ 買いました
当たり前のことだが、歩いたり走ったりするのに、
靴はとても重要なツール。
しかし、スピードや快適さを追い求めるあまりに
現代の靴は、本来の人間の足が持っている力を
奪ってしまっている。
『歩く マジで人生が変わる習慣』 (池田光史著) を
読んでそんな風に感じた。
その本で、知ったアルトラ(ALTRA)という
アメリカのシューズ・メーカーがある。
昨年のフルマラソン用に買ったアシックスの
シューズは、ちょっとクッションが良すぎるような
気がしていたのだが、その本を読んで、
俄然 アルトラのシューズに興味が湧いた。
銀座に世界初となるアルトラのフラッグシップ
ストアが、この2月にオープンしていたので、
GW中の一昨日に行ってきた。
ショップに到着したのは、午後3時ごろだったと
思うが、入店の人数を制限しており、外に
5~6人が並んでいた。
20~30分ぐらい待っただろうか、
ようやく店内に入れたが、それからもスタッフが
先に来ている客の対応が終わるまで、しばらく待った。
マラソンの初心者であることを伝え、
スタッフの説明を聞いてから、試着してみた。
アルトラの靴は、「ゼロドロップ」といって、
かかととつま先の高低差がないものがある。
それが理想なのだけど、かかとが高い靴に
慣れている者がいきなりゼロドロップの靴で
走ると足を傷めることがあるので、徐々に
慣らしていった方が良いらしい。
そういう初心者向けの靴があるんだ。
4ミリかかとが高い「EXPERIENCE」という
シリーズで、適度なクッションもある。
で、購入した靴「EXPERIENCE FLOW」がこれ。
靴の形が足の形
靴底の厚みを「スタックハイト」というらしい。
この靴のスタックハイトは、つま先側が 28ミリ、
かかとが 32ミリで、ドロップ(厚みの差)が
4ミリというわけだ。
調べてみると、昨年買ったアシックスの
「GEL-KAYANO 31」は、靴底の最大の厚さが
約 40ミリと記載があった。
かかと側のデータが記載されていないので、
ドロップは分からない。
一昨年、100キロウォークのために買った、
ニューバランスのウォーキング・シューズ
「MW880」は、調べてみたけど、
「スタックハイト」は、公表されていないようだ。
ALTRA の店では、靴に値札が付いていなかった。
事前にネットで見た感じでは、2万円台前半という
印象だったが、EXPERIENCE FLOW は、17,600円。
ちなみに、アシックスの GEL-KAYANO 31 は20,900円、
ニューバランスの MW880 は、12,100円。(全て税込)
今年もフルマラソンを走ることにした。
先日、11月の福岡マラソンに応募したが、
人数が多いと抽選になる。
6月の末には結果が出る予定だ。
暖かくなってきて練習を再開していたので、
昨日 新しい靴で走ってみた。
クッションの少ない分、少し足に衝撃があるような
気もするが、5キロ程度のスロージョグでは、
あんまり分からない。
でも、気分が大事だからね。
ところで、アルトラのショップで店員に
「どこで(アルトラを)お知りになりましたか?」と
訊かれた。
お店には前述の本『歩く マジで人生が変わる習慣』が、
置いてあったので「あの本で知りました」と
答えると「そういうお客様、多いです」と言っていた。
そうだろうなと思う。
歩くことに興味があって、実際に歩いている人なら、
本を読めば「その靴、履いてみたい」と思うだろう。
ただ、本では「アルトラの宣伝か」と思うほどの
書き方もされていたのは少し気になった。
著者が、それだけ アルトラに惚れ込んだと
いうことだろうけど。
お店に行ったのが日曜日だったので混んでいたけど、
平日ならそれほどでもないらしい。
2025.5.26
夢日記
どういうわけかローマ教皇になっていた。
いや私は枢機卿でもなければ、
そもそもキリスト教信者でもない。
コンクラーベで選出されたわけではない、
偽物の教皇だ。
その偽物の教皇になるには訳があったのだが、
それは覚えていない。
とにかく教皇として振舞わなければならないのだ。
事務所みたいなところで女性の職員に
名前を聞かれた。
しまった!
新しいローマ教皇の名前を覚えていない!
というところで目が覚めた。
2025.6.3
26年と18年
26年。
昨日6月2日は、私たちの結婚記念日で、
入籍してから26年が経った。
18年。
このひとりごとは、2007年6月1日に
始めたので、18年が経った。
志ん朝は落語のマクラで言っている。
「光陰矢の如し。
どういう意味かと申しますと、
ああ、光陰は矢の如しだなぁと
いう意味です」
今年の12月で、私が東京に出てきて30年になる。
30年?
まじか。
ああ、光陰矢の如し。
2025.6.12
クレジットカードが不正使用された!
先日、夜中にカード会社から メールが届いた。
内容は、私のクレジットカードが不正使用された疑いが
あるので、利用を一旦停止したというものだった。
クレジットカード会社のサイトにログインすると、
覚えのない利用があり、心当たりがあるかどうかを質問された。
心当たりがないと応えると、カードは完全に使えなくなった。
(新しい番号のカードが発行されることになった。)
続けて、そのサイトにログインするための
IDとパスワードも変更する様に促された。
翌日、カード会社から電話があり、再度確認されたが、
海外のサイトで数回同じ金額の使用と、
キャンセルがあったらしい。
金額は、念の為ここには書かないけど、
これで何買えるねん?というぐらい少ない金額だった。
それでも、複数回利用するからだろうか、
海外での利用だからだろうか、監視しているシステムは、
すぐに何かが怪しいと反応するんだから、そこは優秀だと思う。
電話で担当者に尋ねられたけど、
私は怪しいメールの URL をクリックして、
カード番号などを打ち込むようなことは絶対にしない。
正式なメールだったとしても、少しでも疑いがあれば、
わざわざブラウザから検索してそのサイトに行くか
自分のブックマークからアクセスすることにしている。
殆どのスパムメールは見分けられる自信がある。
ホンモノやろかと迷った時は、そのメールの件名などで
検索することにしている。
そういうのは、今まで100%偽物であった。
そこまで慎重なのは、今から17年前に
やはりカードの不正使用に遭ったからだ。
(その時のエントリー 2008.3.29)
この時は、後日某店舗からの情報漏洩があり、
不正使用されたことが分かった。
カード会社がすぐに不正使用だと
見つけてくれたので、幸い私に被害はなかった。
その情報が漏れた店舗は、それから数年間
クレジットカードが使用出来なくなり不便だったが、
今ではその辺のサイトよりも支払い方法の選択肢は多くなった。
事件のおかげで、セキュリティにはかなり神経を
使っていることと思う。
今回、不正使用されたカードは、私が日常メインで
使っていたもので、光熱費や電話代、サブスクなど
様々な料金もそのカードで決済していた。
カード利用が停止されたので、それらを全て
別のカードに変更しなければならなかった。
17年前も同じことを書いていたが、あの頃より
カード決済が増えており、これが結構な手間だった。
例えば、簡単にマイページの様なところでカードの変更が
できるものは良いが、中には郵送で変更用紙を
取り寄せなければならないものもあった。
また、水道料金など普段ウェブで何かすることがない様な
支払いは、新たに登録が必要だったりと、
とにかくこれだけで数時間費やしたと思う。
便利なのに、何かあると不便なのは、
21世紀になっても変わらない。
いや、便利になった分、何かがあったら弱いね。
停電とかネットが繋がらないとかいうことになると、
色んなことが止まってしまう。
これって、どうなんやろな。
地震とか災害の度にとりあげられるけど、
喉元過ぎればなんとやら。
しかし、どこでカード情報が漏れるのだろう。
前述の通り、メインで使っていたので、使用頻度は高い。
中にはセキュリティの甘いサイトもあるのだろうか。
まさか実店舗で番号を盗まれていることはないと思いたい。
最近はセキュリティが厳しくなってきて、
ネットで買い物するにも携帯電話に送られてくる番号を
入力しなければ、決済が完了しない店舗が増えてきた。
その度に面倒くさいと思うけど、
自分を守るためだから仕方がないよね。
皆さんも気をつけてね。
2025.6.16
自販機前の一期一会
昨日の渡辺貞夫さんのコンサート会場
(埼玉県 深谷市民文化会館)でのこと。
開演前に飲み物を買おうと場内ロビーの
自販機まで行くと、おばちゃんが飲み物を
買おうとコインを入れたところだった。
コインの取り出し口にお金が戻ってきた音が
したのだが、そのことに気付かず、買いたい
ドリンクのボタンを押し続けるおばちゃんに
私は後ろから「お金戻って来てますよ」と声をかけた。
おばちゃんは、戻ってきた500円玉を
もう一度入れたのだが、また戻ってきた。
どうやら新型の500円玉に対応していない
自販機のようだ。
私がそのことを言う前におばちゃんは、
3回目のトライをしていた。
当然、戻ってきたので、
「その500円玉がダメなんですよ」と声をかけた。
おばちゃんは、財布を開けて、
他の小銭を探し出した。
小銭が足りないようで、私に
「500円両替できます?」と訊いてきた。
私の財布にも100円玉は5枚入っていなかったので、
「両替できないです。千円札も使えますよ」と言った。
おばちゃんは、話しながらも財布の中の小銭を
探しながら「五千円札しか持ってない」と言った。
おばちゃんが買いたかったのは、140円の飲み物。
おばちゃんの小銭は、その使えない500円玉以外に
130円しかないようだった。
五千円両替できるかなと、お札の数を数えだした私。
その時だった。
おばちゃんは、おもむろに私の方に向き直り
まるで子供のように言った。
「10円ちょうだい」
もちろん、初対面で 知らない人だ。
予想外の申し出に驚きながら、
(スゴイな、このおばちゃん。ええ味 出しとるなぁ)と
思い、10円あげようかと思っていると、
「あー!あった!あった!」と言って
140円のドリンクを買って会場内に消えて行きました。
大阪ならこういうおばちゃんも珍しくないような
気もするが、まさか埼玉にもいるとは。
(大阪出身だったりして)
それにしても、あの全く躊躇のない、自然で、
純粋な「10円ちょうだい」は、素晴らしかったなぁ。
あんな風に言われると ホントにあげようと思うよ。
付け加えますと「おばちゃん」と書いていますが、
おそらく私と同年代、あるいは、いくつか年下だと思われます。
なお、大阪では「おばちゃん」は、けっして蔑称ではありません。
むしろ親近感を持っての呼び方である場合が多いでしょう。
「おばはん」と言った時は、場合によっては、
相手をさげすんでいることもあります。
2025.6.18
あの人 誰?
数週間前のこと。
早朝(6時半ごろだったと思う)、
近所のポストまで郵便を出しに行った。
ポストのすぐ近くの一軒家の玄関ドア前に
誰かが座って寝ていて、おじいさんとおばあさんが
声をかけるのだが、いっこうに起きないようだった。
困っているようだったので、私は声をかけ事情を聞いた。
玄関前で寝ているのは、見知らぬ人だという。
顔は見えなかったけど身体つきや服装から男性に見えた。
たぶん酔いつぶれて寝てしまったんだろう。
どんな人か分からないし、声をかけて暴れられても
困るので、警察を呼んだらどうかと言うと、
ふたりとも携帯電話を持っていないという。
「それなら私がかけましょう」と、110番に電話した。
(110番するのは人生で二度目。一度目は こちら )
警察官が来るまでの間、そのおじいさんと
おばあさんと話し、おばあさんが その家の住人で、
おじいさんは近所の人だということが分かった。
おばあさんは息子とふたりで住んでいるが、
息子は仕事に出かけたとか
ご主人は何年か前に他界したとか
べらべらと家の内情を話すので、おじいさんが、
「そんなこと(防犯上)べらべら話すもんじゃない」と
たしなめると、おばあさんは「あらっ」という感じで
口をつぐんだのだが、1分も経つとまた同じ内容を話し出した。
私とおじいさんに対して
「助かりましたわ。
ひとりじゃ何も出来なかった。
今度美味しいものご馳走します。
今、家に上がりますか?」と言い出す始末。
私が「いやいや、そんな誰か分からない人
家に上げるもんじゃないですよ」と言うと、
おばあさんは「あらっ」という感じで
口をつぐんだのだが、1分も経つと
また同じ内容を話し出した。
また、おばあさんがおじいさんに
「見知らぬ人に助けていただいて……」と言うと
おじいさんは(ご近所なので)
「いやいや、話したことありますよ」と言うので
どうやら、初対面ではなく顔見知りであるようだった。
おじいさんにとっては。
件の男性は、玄関のドア前で寝ていたのだが、
ドアが開かないわけではなかった。
その家には、もうひとつ勝手口というのか、
出入り口あったので、私はおばあさんに、
「玄関から出てきた時に、すでにこの人は
寝ていたのでか?
それとも、もうひとつの出口から出てきて、
玄関の前に来て気付いたのですか?」と訊いた。
おばあさんの回答は「覚えてない」だった。
これらのやりとりから、私はおばあさんが
間違いなく認知症だと思った。
そうこうしている間に警察官が到着した。
(結構待たされたので2回110番したよ。)
110番した私も住所、名前、電話番号、職業まで
聞かれるのはあまり気持ちの良いものではないが、
応えないというのも変に怪しいので、仕方がない。
おばあさんも聞かれていたが、家の電話番号と
生年月日か何かが、答えられない様子だった。
そんな簡単な聴取のあと、いよいよ警察官が
寝ている男性に声をかけ始めた。
「起きてくださーい。起きてくださーい。
ここは人の家ですよ。
起きてくださーい!」
肩を揺らしながら声をかけるが、一向に起きない。
最初は、死んでるのかとも思ったが、
反応はあるので、生きていることは間違いない。
しかし、男性の目は全く覚める気配がない。
その時、おばあさんが私に近づてきて、
警察官を指さしてこう言った。
「あの人、誰?」
私はその質問に驚きながらも
「おまわりさん」と答えると、おばあさんは
「おまわりさん……」という風に呟いた。
もちろん、制服の警察官だ。
誰が見ても一目でそれと分かる。
年をとってぼけると、こんな風になるんやな、
というリアルな体験だった。
話にはよく聞くし、今年90歳になる私の母も
時々とぼけたことを言うが、
「あの人、誰?」は、まるでコントのようだった。
2021年のアンソニー・ホプキンス主演の映画
『ファーザー』を思い出した。
主人公の老人が、認知症で、混沌と混乱の中に
いるのだが、本人は「混乱している」ということも
「混沌の中にいる」ということさえ分からない。
そういう意味では、本人には混乱も混沌もない。
あとから考えると、おばあさんは携帯電話を
持っていなくても、家の電話があるだろうから、
それで110番することもできたはずだ。
でも、どうしてよいか分からず、
110番することも思いつかないということなんだろうな。
警察官が、もう帰って良いと言ったので、
私はその場を離れ帰宅したので、結末を知らない。
寝ていた男も、そのうち目を覚まして帰っただろう。
そして、おばあさんは、私のことを覚えていないだろう。
2025.7.8
老化の始まりか その1
先日、友人と4人でドライブした際、
とある道の駅に立ち寄った。
その日は、小雨が振ったり止んだりの日で
その道の駅に到着した時も、傘をさすほどでは
ないぐらいの雨がパラついていた。
私は、車から降りる時、誰に向かって言うでもなく、
ひとりごとのように 声を出して「傘、持って行こ」と呟いた。
道の駅の店内を見て買い物をし、
車に戻ってから飲もうと思い自販機で缶コーヒーを
買ってから、トイレに行った。
車に戻ろうとした時、傘を持っていないことに気が付いた。
車を降りる際に「傘、持って行こ」と呟いたことを
明確に覚えていたので、レジでお金を払う時に
置いてきたんだなと思い、お店に戻った。
が、傘はお店にはなかった。
念のため、店員さんにも訊いてみたが
忘れ物の傘は、届けられていなかった。
トイレに行くときには、もう傘を持っていなかったことは
間違いない。
持っていれば小便をする時に傘の置場を
考えるから、覚えているはずだ。
車を降りる時に「傘、持って行こ」と呟いたけど、
結局持って降りなかったのかも知れない、
と思い車に戻った。
傘は車にもなかった。
「狐につままれた」という言葉があるが、
それがピッタリだった。
車を降りる時に「傘、持って行こ」と呟いたのは
友人の一人も聞いており、間違いないが、
店内を見廻っている時にも傘を持っていた
記憶が全くないのだ。
ということは、傘は持って降りなかったのではないか、
しかし、車内にも傘がない。
ということは、これは妖怪の仕業か。
私は「もう傘のことは諦めるから、出発しよう」と
言ったが、友人の一人が「もう一度見に行こう」と
車を降りた。
私ももう一度だけ確かめてみようと従った。
そして、最初にたどった通りの順番で、歩いてみた。
どこかに置いた傘を、誰かに取られたかもしれないと
思うと他人の持っている傘まで気になりだした。
しかし、やはり傘はやはりどこにもなかった。
その時、友人の一人が、私の傘を持って現れた。
「どこにあったの?」
「自動販売機の前のベンチ」
私は自販機で缶コーヒーを買った。
その際、財布を開けるのに傘が邪魔だから、
無意識にベンチに引っかけたのだ。
そして、缶コーヒーを買おうと自販機の前に立つと
その自販機には、ブラックコーヒーがなかったので、
その隣の自販機に移動した。
その自販機にもなかったので、もう一台隣の
自販機に移動した。
そうしている間に傘のことはすっかり忘れてしまった。
つまり、自販機に向かうまでは傘を持っていたんだ。
全く覚えていないし、傘を見つけてからも
思い出せないのだけど。
傘を探しに行った時も、缶コーヒーをを買った時には
すでに傘を持っていなかったと、信じ込んでいたため、
自販機のある所をチェックしようと思わなかった。
こういうことがあると、今までなら
「あーそうや! 缶コーヒー買う時にベンチに引っかけたわ!」
とか思い出すもんだけど、今回はそのシーンも
全く記憶になく、どうしても自分が傘を持っていたとは
思えないほど、「無意識」ならぬ「非意識」だった。
これって、老化の現象ですか。
まだ 62歳ですが。
2025.7.9
老化の始まりか その2
母の生命保険のことで手続きが必要で、
今年の2月に書類を取り寄せた。
母に直接会って、説明をしサインをもらう必要が
あったので、書類を保険会社に返送したのは、
4月の後半だった。
先日、その書面が保険会社には届いておらず、
手続きが完了していないとの連絡が、
実家に郵便で届いた。
私は、保険会社に電話をかけ、事情を説明した。
4月に母のサインをもらい、投函しました、と。
しかし、手続きが完了していないということは、
書類が届いていない、ということに他ならない。
仕方がなく、その手続きの書類を再発行して
もらうことになった。
次に母に会うのはたぶん8月の後半だろうから、
返送するのはそれからになる。
面倒だが仕方がない。
その保険会社への電話から、4、5日が経った。
外出用の眼鏡が見つからず、探していて、
時々使うかばんを開けた。
ひぇ~!
そのかばんの中に、送っていない返送用の封筒があった。
4月に大阪に行った時にはこのかばんを持っていたのか
大阪で投函しなかった封筒を、このかばんに入れて
出そうと思い、そのままになっていたのか思い出せない。
でも、かばんを開ければ必ず目に付くはずなので、
2カ月以上、このかばんを使っていなかったことは
間違いない。(そんなことはどうでも良い)
すぐに保険会社に電話をし、事情を説明したが、
4月の日付では、時間が経ちすぎていて、
受け付けられない、と断られた。
それぐらい大目に見てよー、と頼んだけどダメだった。
結局、もう一度、母のサインをもらわねばならない。
こんなことは、以前にはなかったと思うねんけど。
これって、老化の現象ですか。
まだ 62歳ですが。
2025.7.10
義父93歳
山形の93歳の義父が入院した。
昨日は、老人ホームにいる義父に
面会に行く日だった。
山形新幹線では数週間前から障害が続いており、
昨日も福島駅乗り換えで米沢に向かった。
予定より10分ほど遅れて米沢駅に着いた。
「米沢に着いた」と、妻がお姉さんにLINEで
連絡を入れた。
すると、お姉さんから妻に電話がかかってきた。
「たった今、老人ホームから(義父の)具合が
良くないので病院に搬送したと連絡があった」
とのこと。
行き先を老人ホームから、病院に変更し向かった。
病院で院長先生の説明を聞く。
前日には、38度8分の熱があったらしく、
診断は肺炎だった。
昨日は熱は下がっていたが、
ずっと眠っているとのこと。
義父の部屋に会いに行くと、本当に眠っていて、
看護師さんがかなり大きな声で起こそうと
してくれたけれど、全く起きる気配はなかった。
15分ぐらいはいただろうか、妻やお姉さんも何度か
声をかけたが、義父は起きなかった。
面会に行く日に入院というタイミング。
たぶん、老人ホームで面会後、私達が帰った後に
入院となっていたなら、妻もお姉さんも
心持ちが違っただろう。
それよりも、入院してから病院での面会の方が、
妻にとっても気持ちの上で良かっただろうと思う。
そんなことを義父が考えて入院したわけではないと
思うが、ことのタイミングの完璧さに人生の不思議を
思わずにいられない。
義父と義母は同じ老人ホームに暮らし、
部屋は違えど食事は毎日向かい合って食べていた。
今年3月30日に義母が他界してから、
みるみる弱っていったらしい。
しかし、義父はひと言も義母のことを口にしないらしい。
それは、認知のことなのか、もっと人智の及ばない深い
レベルで全てを知っているからなのか、分からない。
いずれにしろ、義父の年齢、健康状態を考えると、
もしかしたら、このまま退院することはないかも知れない。
ゆっくりと家族に別れの準備の時間を
与えてくれることはありがたいことだ。
しかし、眠る義父の顔は、93歳とは思えぬ肌ツヤなのだ。
病院は、本人の現金や貴重品は病室に
置いていかないようにと言ったのだが、
すでに義父の持ち物は、何もない。
財布も携帯電話も腕時計もない。
10年前に義父が泊まりがけで東京に来た時、
知り合いの家へのお土産以外は着替えも持っておらず、
手ぶらであったことを思い出した。
モノが多く、断捨離しようと思っても中々処分できない私に、
何も持っては死ねないと、あるべき姿を見せてくれているようだ。
[ 関連エントリー ]
2015.10.11 渋すぎる義父
2025.7.12
クレジットカードが不正使用された!
<その続き>
先月、私のクレジットカードに不正使用があった。
(そのときのエントリーはこちら。)
不正使用はカード会社の不正検知システムで、
発見され、カードは利用停止となった。
私に被害はなかったが、カードの再発行となり、
番号が変わったため、カード支払いにしている
支払先の登録変更に時間を費やすことになった。
利用停止になった古い番号への請求は、
新しい番号のカードに引き継がれている。
今月の28日に今月分の引き落としがあるのだが、
その金額が確定したとのメールが届いた。
明細を見ると、心当たりのない請求が1件あった。
請求元は「アップルドットコム」で2千円。
日付は、6月4日となっている。
アップルでは、時々音楽を購入するし、
サブスクで毎月料金を支払っているサービスもある。
しかし、その2千円には覚えがなかった。
アップルからは、購入後数日以内にメールで
領収書が届くので、探してみたがそれもなかった。
次にアップルのアカウントにログインし、
購入履歴を見たけれど、そこにもその2千円の
記録は残っていなかった。
利用していないのに、請求だけが来ている。
どういうこと?
次にアップルに電話をして問い合わせた。
私のアカウントに購入履歴がないということは私ではない。
私はアップルにひとつしかアカウントを持っていない。
家族の利用もない。
これらのことを考え合わせると結論は
「私ではない誰かが私のカードを使って買い物をした」
ということになった。
不正検知システムが不正を発見したのは、
6月10日だったのだが、その6日前にすでに
不正使用がされていたのだ。
そして、その2千円のカード使用は、
不正検知システムの針にも触れなかった。
私は、カードの明細を毎月チェックしているので
今回の2千円のことも発見できたけれど、
そうでなければ、見落としていただろう。
すでにその番号のカードは停止されているので、
これ以上の不正使用はないが、危ない所だった。
皆さんもご注意されたし。
ちなみに不正使用の2千円は、アップル、
カード会社ともにキャンセル対象なので、私の被害はない。
2025.7.16
フルマラソン6時間切りへの道 その1
今年もフルマラソンに出場すると決め、4月に
11月9日開催の福岡マラソンの抽選に申し込んだ。
なんでわざわざ福岡と思うかも知れないが、
日本で開催されるマラソン大会は、
ほとんど 制限時間が6時間。
それで昨年は制限時間7時間の富山マラソンを
走り、6時間44分14秒という記録でゴールした。
今年の目標は6時間を切ることだが、
今のところ、これが中々手ごわそうだ。
6時間を切れずに途中で失格になることはイヤだし、
今回は妻も走るというので制限時間7時間の
大会を探し、福岡マラソンに申込んだというわけだ。
(富山マラソンでも良かったけど、日程が合わなかった。)
先日、その抽選発表があり、当選の連絡が来た。
ホテルも予約したし、福岡往復の航空券も予約した。
あとは、準備、練習を積むだけだ。
ちょうど1年前、7月15日に練習を始めた。
何十年も走っていなかった私が、
その日走ることが出来たのは、10分。
距離にして1キロちょっとだった。
11月にフルマラソンを完走した後も、週一ぐらいで
走っていたのだけど、12月に寒くなってやめてしまった。
4月からぼちぼち練習を始め、3か月経って
ようやく体力もスタミナも戻ってきた感じだ。
昨年7月15日にはたった1キロしか走れなった私が、
1年後の昨日は、10キロを 91分で走った。
それだけでも、昨年に比べるとかなり心強いが、
そのペースでは6時間は切れない。
富山マラソンは、1キロあたり9分34秒で走って
6時間44分14秒。
6時間を切るためには、1キロを8分30秒で
走らなければならない。
つまり、昨年より1キロにつき1分以上、
時間を縮めなければならない。
言ってみれば、1キロあたり9分34秒で走ったのは
ベストを尽くしてのことだ。
それを1分縮めるというのは、中々手ごわいことなのだ。
ポジティブにとらえれば、1キロ3分で走る選手が
2分に縮めるのは現実的ではないが、
9分半を8分半に縮めるのは、充分に可能なことだけどね。
今のところ、あまり暑くなかった先日、調子も良く、
6キロを1キロあたり8分25秒で走れた日があった。
しかし、そのペースで42キロ走ることは、今の私には
まだまだできそうにない。
あと3か月半ほどでどこまでやれるかの挑戦なのでした。
ただ、面白いなと思うのは、昨年は練習中走りながら、
「42キロ完走できるやろか」
「いける!できそうや!」
「あかん、無理かも」
と完走できるかどうかを考えながら走っていたけど、
今年は完走できるかどうかは考えない自分に驚いた。
考えるのは「6時間を切れるかどうか」であって、
完走する前提でいるのだ。
でも、今年だって、完走できるかどうか分からんのだよ。
42キロをなめたらあかんのだよ。
人間の心理というものは、面白いなぁと思う。
あと、昨年もそうだったけど、この時期は暑い。
暑くて湿度も高い日は、本当に体力が奪われるのが分かる。
これも走ってみてよく分かったことだ。
本番まであと116日。
福岡マラソン 2025 公式サイト