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つつみしんやのひとりごと  
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2007.6.19

「コールユーブンゲン」

「コールユーブンゲン」とは、ドイツのフランツ・ヴェルナー(1832〜1902)という人が

著した音楽書籍で、クラシックで声楽を勉強すると(たぶん)必ず使う教材だ。

私は、一時期、シンガーソングライターになりたくて歌を習っていたことがある。

今となっては、それ自体が恥ずかしいが。

で、クラシックではなかったが、そのレッスンではその「コールユーブンゲン」を教材として使うので

最初のレッスンで先生に

「楽譜屋さんへ行って、コールユーブンゲンを買って来てください」

と言われたのだ。

「コールユーブンゲン」という教材があることは知っていた。

が、それがドイツ語だとは私は知らなかった。

ずぅ〜っと、日本語で、「交流文芸」と書くと思っていたのだ。

なんで音楽の教材が「文芸」なのか、何が一体「交流」なのか、

疑問さえ抱かずに・・・10年ぐらい・・・「交流文芸」だと信じきっていたのだ。

楽譜屋さんで、さんざん探したあげく、

「コールユーブンゲン」を発見した時のあの驚き!

誰が想像できるだろうか?



なお、そのシンガーソングライターへの夢はその後、友人たちの

「頼むから、歌はやめてくれ」という切なる懇願にあい、今生では見送ることにした。




2007.6.23

「Barにて」

BARに勤めていたことがある。

その時の話だ。

カウンターに座っていた男性客2人組みが、星座の話を始めた。

ひとりがもう一人にこう聞いた。

「俺、みずがめ座なんだけど、お前、何がめ座?」




2007.6.24

「Barにて その2」

これもBarに勤めていた頃の話だ。

ジン、ウォッカ、テキーラ、ラムなどのお酒を総称してスピリッツと呼ぶ。

これらは、色んな飲み方があり、ストレート、ロックはもちろん、ソーダ割りやトニック割り、

その他、色んなカクテルのベースに使われる。

その店のメニューには、そのスピリッツの銘柄を数種類ずつ記載していた。

お客さんは、「ボンベイサファイアでジンリッキーを」なんて注文もできるわけだ。

ある日、若い2人組みの女性が来店した。

あまり、Barに慣れている風ではなく、メニューを見ながらしばらく相談していた。

呼ばれたので行ってみると、ひとりが「これください」と、あるウォッカを指差した。

私は「どのように飲まれますか?」と飲み方を聞いた。

彼女は、少し考えてからこう答えた。

「たしなむ程度です。」




2007.7.12

「私のこころは・・・」

アンサリーが歌う「こころ」という曲。

曲の雰囲気から昭和歌謡のカバーかと思って調べてみたら、

オリジナルは、韓国人と日本人のハーフである沢知恵という人で、

1998年に韓国で初めて日本語でうたわれ、

日本レコード大賞アジア音楽賞を受賞していた。

その後、シャンソン歌手のクミコも歌っているようだ。

さて、その歌詞であるが、出だしがこんな風だ。

「私のこころは こすいです〜」

「こすい」って分かるだろうか?

調べてみると静岡地方の方言なのだが、

「ずるい」「せこい」というような意味だ。

私は大阪出身だが、まれに「こすい」という言葉を

使う人がいて、意味も知っていた。

「私のこころは、ずるいです」なんてスゴイ歌詞だなぁと思っていた。

で、先日歌詞を読む機会があって驚いた。

こう書かれていたのだ。

「わたしのこころは湖水です」

続きは「どうぞ 漕いでお出でなさい」だ。

続きを聴けば予想がつきそうなのだが、

出だしの「私のこころはこすいです〜」のインパクトが

強烈過ぎて、あとは聞こえていなかったのだ。

でも「湖水」って言葉も普段使わないから仕方ないだろうと

自分に対して開き直っておいた。


子供の頃は、知らない言葉が多く、勝手に解釈していたものだ。

「赤い靴」という曲があるが、あれなど私は、

「赤い靴  はいてた 女の子

 にんじんさんに連れられて いっちゃった」だと思っていた。

「異人さん」なんて言葉、子供が知るわけない。

その部分は、「ひいじいさん」だと思っていた人も多いと聞く。


「コールユーブンゲン」でも書いたが、思い込みというのは怖い。

高校生時代の話だが、同級生のM子と真珠湾(パールハーバー)攻撃の話が出た時のことだ。

彼女はこう言った。

「ええー? 真珠湾ってハワイにあるの?

伊勢にあるのと違うの?」

それは、“ミキモト・パール・アイランド” や!





2007.7.14

「ジダンダ」

高校生の時の話。

何かの本にこんな小話が載っていた。


「電車の中で、ある会社員が、前の人に足を踏まれました。

その会社員は、悔しくて後ろの学生の足を踏みました。

学生は悔しくて、後ろのおばあさんの足を踏みました。

おばあさんは悔しくて後ろのOLの足を踏みました。

と、どんどん後ろの人の足を踏んでいき、とうとう車掌さんが

足を踏まれました。

車掌さんも、後ろの人の足を踏もうと思いましたが、

後ろには誰もいなかったので 悔しくて地団駄を踏みました
。」


この小話が、とても面白かったので私は、色んな人に話した。

皆、それなりに笑ってくれた。

同級生のA子にも話した。

私 「・・・・・後ろには誰もいなかったので悔しくて地団駄を踏みました。」

  (ここで笑いを取れると思っていると・・・)

A子 「ふ〜ん。 ジダンダって、ブレーキ?」





2007.7.17

告白! 「初体験だらけの日」

たぶん、私が3歳の時だ。

その頃は、大きい方をした後、自分ではまだおしりを拭いてなくて

用が終わると大声で「おわったぁ〜!」とお母ちゃんをトイレへ呼び、

おしりを拭いてもらっていた。

ある日、近所の女の子と2人で遊んでいて、

大きい方をしたくなり、そこらへんで“のぐそ”をした。

が、おしりを拭いてないのでパンツをあげられない。

当然だろう!

おしりを拭かずにパンツをはくなんて、私にできるはずがない!

仕方なく、家までパンツをひざまでさげたまま歩いて帰った。

しかもその女の子と手をつないで。

 初体験@ のぐそ

 初体験A パンツをひざまでさげて道を歩いた

そのうんこをした場所は、渡ってはいけないと母に言われていた信号の向うだった。

私は「渡っちゃいけない」と言ったが、

その女の子に「えーやん」と言われ渡ったような気がする。

(その頃から女性に弱かったようだ。)

で、お母ちゃんに当然(うんこを)「どこでしてきたの?」と聞かれ、

信号の向うと言うと怒られると思い、「すぐ近くの広っぱ」と嘘をついた。

 初体験B 人生初めての嘘

その渡っちゃいけない横断歩道を(パンツを下げて)渡っている時、

4、5人の大人達が私を見て大笑いしていたのを

なんとなく不愉快に感じたのを覚えている。

それは、今も私の無意識になんらかの暗い影を落としているのだ・・・・

 初体験C 知らない人に笑われて傷ついた

こうやって、大人になっていくのだ。というか、なってきたのだ。

これを読んでる皆さん、

どうか、パンツをひざまで下げて歩いている子供を見ても

笑わないであげてほしい。

彼には彼の事情があるのだから。





2007.7.19

「Barにて その3」

これもBarに勤めていた時の話だ。

始めて見るカップルのお客さんだった。

恋人ではないけれど、これからそんな風に発展する可能性もある、

そんな感じの2人だ。

2人とも、20代後半か、30代前半という感じ。

その日は、彼の誕生日だったらしく、彼女は彼にプレゼントを渡した。

喜んで彼が開けると中には素敵な財布が入っていた。

彼は、嬉しそうに今まで使っていたボロボロになった財布に入っている物を

その新しい財布に移し変え、帰り際、その古い財布を

「これ捨ててください」と置いていったのだ。

彼らが帰った後、「お金が残ってないかなぁ」などと

冗談交じりにその財布を開けてみた。

ポケットの部分になにやらくっきりと直径3cmぐらいの輪型がついている。

その財布は、皮製だったのでその輪の部分が擦れて色が変わっていた。

中には何かが入っている。

「?」とポケットに指を入れ中の物を取り出すと、

「いつか使う時があるかもしれない」と何年も毎日持ち歩いていて

とうとう使わなかったんだな・・・・

と思われるコンドームが入ってた。

いくらなんでも彼女の前で、それだけは出せなかったらしい。

もしかしたら、その日が必要な日だったかもしれないのに・・・





2007.8.7

今日は私のBirthday。

Birthdayにふさわしい話題をと思い、この話を書くことにした。

告白!「15歳、夏の思い出」

私は小学校6年間、一度も学校で大きい方をしたことがない。

信じられないかもしれないが、意外とそういう男児は多いのではないだろうか。

小学校内で男児が大便をすると、それだけでイジメ(うんこした、臭い、

などとイジメられる)の対象になるので、男児用トイレも女児用と同じく、

小便用も個室にするか、という論議があると、

数年前に新聞のコラムか何かで読んだ覚えがある。

とにかく、私の場合、6年間一度もしていない。

ひたすら家に帰るまで耐えるのだ。

おかげで、下校中、間に合わなかったことがある。

確か、2年生の時、友達3人ぐらいであるいていて、

家まであと20メートル、というところで、もらしてしまった。

話の途中にも関わらず、私は突然、駆け出し、家に飛び込んだ。

友達たちには、さぞかし不思議に映ったことだろう。

あとは、何度も危ない目にあったが、脂汗を流しながら、

なんとか家までもたせたものだ。

中学生になると、さすがに学校にいる時間も長くなり、

一度もしていない、ということはないが、それでも数えるほどだ。

それだって、皆に見つかろうものなら、数日間、そのネタでからかわれ、

思春期の男子は、好きな女子の前で、

めちゃくちゃ恥ずかしい思いをさせられることになるのだから大変だ。

誰もが毎日している、当たり前のことなのにな。

高校生になってもそれは続いた。

いや、イジメや、からかわれることは高校生にもなると、もうないのだが、

皆でいる時に、大きい方をしにトイレへ行くことができないのだ。

今なら、まったく平気で「うんこしてきます」と言えるのに、

思春期の男子は、中々それが恥ずかしくて言えないのだ。


その事件は、忘れもしない高校1年生の夏休みに起こった。

私は、ブラスバンド部に所属していたのだが、

楽器演奏の講習会に参加した帰り、クラブのメンバー数人と

駅へ向いて歩いていた。

その前から、お腹の不調を感じていて、早く解散して、ひとりに

なってトイレへ駆け込みたかった。

もう、ほとんど限界で、おしりの筋肉だけで止めているような感じだ。

間違いなく不自然な歩き方だったに違いない。

あと、数十メートルで駅の改札、そこで、皆と別れることが出来ると思った瞬間、

・・・臨界に達した。

そいつは、おしりの筋肉の防波堤を越えたのだ。

しかも、大盛り。

きっと私の後ろを歩いていたM先輩は、その異変に気付いたに違いない。

何かがズボンの中で膨らんでゆくのを見たに違いない。

私は突然「ボク、用事がありますから」とだけ言い残し、

あわてて皆から離れ、駅ビルのトイレへ駆け込んだ。

それなら、もっと早くに何とでも言って、トイレへ行けばよかったのに・・・

それが出来ないのが、15歳の多感な少年だ。

これを読んでる皆さん、

突然、グループから、離れていなくなる少年がいても、

どうか、引き止めたり、追いかけたりしないであげて欲しい。

彼には彼の事情があるのだから。

というか、彼はもうパニックなのだから。





2007.8.22

潮来笠(いたこがさ)

「潮来笠」、橋幸夫のデビュー曲である。

本人の歌唱より、いろんな人の物真似で聴くことの方が多いかもしれない。

さて、その潮来笠について、今日判明したことがある。

たまたま、茨城の潮来が話題に出たので、

「あぁ、♪ イタコの伊太郎 ちょっと見なれば 〜 ♪ のイタコね。」

と自分で言ったあとで、ハタと気が付いた。

「いたこ」という地名があることも、「潮来笠」の「いたこ」がその地名であることも

知っていたのだが、な、なんとそれと同時に、今日の今日まで、

伊太郎さんは、イタコ(口寄せ)だと思っていたのだ。

つまり、「潮来の伊太郎」と「イタコの伊太郎」とダブルの意味づけをしていたのである。

ああびっくりした。

あまりにびっくりしたので、なぜ、そう思っていたのか、よくよく考えてみた。

子供の頃、TVで「潮来傘」を聴いたあと、親か親戚か、とにかく大人に

「いたこって何?」と聞いた覚えがある。

その人は、「死んだ人が乗り移って話ができる人」というような、

いわゆる「口寄せ」の説明をしてくれた。

その人が、私の質問の脈略を知らずにそう答えたのか、

それとも、その脈略を知った上で、その人も「イタコの伊太郎」と思っていて、

そう答えたのか、今となっては分からないが、

子供の頃に何の疑問もなく、そうだと決めつけてしまったせいで、

おそらく30数年間、「イタコの伊太郎」だと信じいていたのだ。

大阪に住んでいると「潮来」という地名を聞くことがなかったことも手伝っただろう。

それでもどこかの時点で「いたこ」というのは地名だと学んだんだと思う。

しかし、どういうわけか、「イタコの伊太郎」は修正されることなく、

「潮来&イタコの伊太郎」と思ってきたのである。

私のその思い違いを聞いたYさんは、

「イタコの歌にしては明るいですよ」と突っ込んでくれた。

まったく、その通り。

でも、信じ込んでると疑問とか持たない自分にまたびっくり。

しかし、一番ショックだったのは、そのYさんに言われた、

「奥さんのこと言ってられないですね〜。つつみさんも変わってますよ。」

あぁぁぁ〜、それだけは、違うと言ってくれぇ!


でも、確かに意外と勘違い多いか・・・・


参考
潮来笠とは?

橋幸夫オフィシャルサイト内「潮来笠」の記念歌碑





2007.8.23



最近、物忘れがひどい。

例えば、本棚まで行って、何を取りに来たのか、分からなかったり、

Googleを開いて、何を検索しようとしていたのか、分からなかったりする。

そういうことが、この2〜3年で加速的に増えたような気がする。

幸い、その場で数秒考えれば何をしようとしていたのか思い出せるので、

医者に診てもらうほどではないだろうが、映画「明日の記憶」などを観るとちょっと怖くなる。

記憶力は年とともに弱くなっていくものだから、老化現象の始まりか、と

思ったのだが、「もしかしたら、違うかも」とも思えるあることを思い出した。

それは、私が19〜20歳の頃のことだ。

私の家から最寄の駅までは徒歩で5分ほどだった。

いつもは、駅まで歩いて行くのだが、たまに電車に乗り遅れそうになると自転車で駅まで行った。

1本乗り遅れると15分は電車が来ないのだから、乗り遅れるわけに行かないのだ。

で、自転車に乗って行くのが、たまのことなので、帰りにはそのことを忘れてしまい、

駅の駐輪場に自転車を置いて帰宅してしまうのだ。

そして悔しいことに、なぜか家の前に着いたとたん、そのことに気付くのだ。

家に自転車がないので、忘れてきたことに気付くのではなく、

どういうわけか、必ず家の前に着くと気付くのだ。

(不思議なことに途中で気付いたことは一度もない。)

そして、駅まで自転車を取りに引き返すことになる。

電車に乗っている時、自転車で来たことを思い出し、「今日は忘れへんぞ」と思っても、

改札を出た頃にはすっかり忘れてしまい、腹の立つことに、家の前で気が付くのだ。

数回、そんな失敗を繰り返した。

やはり自転車を駅に置いていたある日のこと、

帰りの電車に乗っている時、

「今、覚えてても、いつも改札を出たら忘れてしまうから、どうしたものか」

と考えていて、あるアイディアが浮かんだ。

「そうや!自転車のカギを手に持ってたら、忘れへんやん!」

そして、自転車のカギを握り締め、電車を降り、改札を出た・・・・。


そう、賢明な読者諸君はもうお気づきだろう。

私は、家の前に着いた時、「あれ?俺、何握ってんのやろ?」と左手を開いたのだった。


つまり、私の物忘れは今に始まったことではないのだ!

いや、・・・・・ 今、気付いたが、これは「物忘れ」というより、

ただの「まぬけ」だ。





2007.9.5

御 中

郵便物の宛名に「御中」と書くとき、

心の中で 「Want You (ウォンチュウ)!」と言っているのは私だけだろうか。





2007.9.7

ちょい恥(ち)な思い出

小6の時、「北京料理」を「ほっきょうりょうり」と読み友達に笑われた。

中学時代、「横着者」を「よこぎもの」と読み友達に笑われた。

高校時代、「初産」という言葉を聞いて「we than」ってどういう意味だろうと思っていた。

また私の知人は、高校時代、国語の授業で、「乳母車」を「にゅうぼしゃ」と読み、

英語の授業で、「often」を「オフテン」と読んだ。

それでも、立派(?)に生きてるで!


「ちょい恥(ち)」って、今、思いついた言葉。

「ちょっと恥ずかしい」ときに使ってみて。





2007.10.17

告白! 〜思春期にはキツイやろ〜

私には2歳上の姉がいる。

私が小学4年生の時のこと。

姉と私は、同じそろばん塾へ通っていた。

ある日のこと、母は私にいくらかのお金を渡し、

そろばん塾へ行く途中にある日用品店で買い物をして、

それを先にそろばん塾に行っている姉に渡すように言った。

母は、私にこう言ったのだ。

「お店に行って、生理用のナプキンください、って言うねんで」と。

何のことか分からない私は、店のおばちゃんにその通り言って買い物をして姉に届けた。

今から考えるとすごい話だ。

たぶん、私が5年生か6年生だったら、何のことかよく分からないまでも、嫌がったんじゃないかな。

多感な年頃の少年にはキツイ話だろ?


そういえば、中学3年生の時、校内の廊下で前を歩いていていた下級生(女子)が何かを落とした。

私は思わず、それを指差し「落ちたで」と言った。

言ったあとで「しまった」と思った。

その落ちたものは、やはり(?)生理用品だった。

これって、思春期の少年にはキツイ話だろ?

きっと指差された女子もさぞかし恥ずかしかったに違いない。

走って逃げていったもんな。


私は、中学時代、吹奏楽部だった。

3年生の時は、トランペットを吹き、部長だった。(一応クラブの花形と言っておこう。)

ある日の部活でのこと。

顧問の先生が、部員全員の合奏の合間に楽器の説明をしていた。

クラリネットの話だった。

クラリネットの部品に「タンポ」というものがある。

穴を押さえるふたのことなのだが、先生が「タンポ」と言うたびに、

私は、意味不明に赤面していったのだ。

「そんなことで赤面したらあかん」 「周りの部員に気付かれたらあかん」

「先生はタンポと言うてるんや」 「先生、お願いやからそれ以上もう言わんといて」と、

思えば思うほど、顔に血がのぼってきて、

たぶん先生が、5、6回「タンポ」と言ったときには、

自分でもはっきり分かるぐらい、真っ赤な顔をしていた。

・・・・・先生は「タンポ」、と言っていただけである。

が、思春期の多感な年頃の少年には、それだけで充分刺激的な話だろ?

周りの部員は全員先生の方を向いているので気付かなかっただろうが、

先生は私の顔が火照っていることに気付いたかもしれない。

でも、それがクラリネットの部品で赤面しているとは、よもや考えもしなかっただろうな。

とにかく、私は、はずかしかった。(何が?)

ちなみに、そのころの私は「タンポ○」の実物さえ見たことないし、どんな物かも知らなかった。

(今だって詳しくは知らない。)





2007.11.21



歳を取ると睡眠時間が短くなるというが、45歳の今でも私はたくさん眠ることが出来る。

というか、できればたくさん寝たい。

普段、平日は、大体5〜6時間の睡眠時間なのだが、

週に一度はいわゆる「寝溜め」(寝貯めかな?)をする。

毎週というわけではないが、出来れば12時間以上は眠りたい。

「そんなによく眠れるね」と言われることがあるが、眠れるのである。

そしてその間は、ほとんど目が覚めることがない。

もちろん、トイレにも行かない。

トイレに行く時は、起きた時である。

さすがに、もう今はそれほど眠らないが、20代の頃、連続睡眠時間の記録を作った。

病気ではなく、健康な状態で眠り続けたのである。

たぶん、数回は目が覚めたが、数秒後には再び眠りに落ち、

当然、トイレにも行かない、食事もしない。

その記録、30時間。

が、その1週間後、自らその記録を更新した。

その記録、なんと、40時間!

起きた時は、今日が何日か分からんかった。

(本当の話です。)





2007.12.3

かわいい歯

9月から、歯科に通った話は何度か書いたが、治療は前回で終わり、

今日は、歯のクリーニングに行って来た。

何を取ったんだっけ? 歯垢(しこう)? 歯石(しせき)?

そもそも、その違いも分からないので調べてみよう。

 (ただ今、調査中・・・)

なるほど。簡単に言うと、

歯の表面や歯と歯の間、歯と歯肉のさかいめなどに付着した汚れが「歯垢」。

たまった歯垢をそのままにしておくと、だ液中のカルシウムやリンと結びついて石灰化する。

それが「歯石」。

で、その歯垢・歯石をとってもらうのだが、45年生きてきて始めてやるので

一度では取りきれず、数回通うことになった。相当汚いっちゅうことか。

クリーニングは、治療してくれた先生ではなく、専門の歯科衛生士(女性)さんが、やってくれるので

今日が初対面だったのだが、彼女は私の口の中を見るなり、こう言った。

「かわいい歯ですね〜。『かわいい歯ですね』って言われたことありませんか?」

・・・実は、ある。

が、歯医者さんにではない。


あれは、私が20歳、大阪ミナミの地下街にある喫茶&レストランでアルバイトをしていた頃だ。

当時、友人Kからこんな話を聞かされた。

Kの大学の友人の話なのだが、

夜ちょっと遅め(10時ごろか)に、繁華街で機嫌よく酔っ払ってる見知らぬおっさんに

「おっちゃん。寿司でも食いに行こうや。」と声をかける。

すると酔っ払ったおっさんは、機嫌よう「よっしゃ、行こか!」となる。

で、寿司を食いたいだけ食って、「ほな、ご馳走さん!」と帰る、というのだ。

ある日、私は喫茶店でのアルバイトを終え、難波駅に向かって4,5人で

商店街を歩いていた。夜の10時過ぎだ。

すると、普通のサラリーマン風のおじさん(と言ってもたぶん40歳代だったろう)が、

「君らどこ行くの?」と声をかけてきた。

その時、私はKの友人の話を思い出し、

「どっか行きたいけどな。おっちゃん、どっか連れてってーや。」

と、試しに言ってみた。すると、おっちゃんは言った。

「行こか」

私は、ちょっとビビり出し、「でも、僕らお金ないもん」というと、

ちょっと考えて、「ええで」

私は腹をくくり、おっちゃんについて、歩き出した。

そして、ある路地に一緒に入っていった時、ふと気づくと、4、5人いたはずの

仲間が消え、私とY君だけの2人になっている。

Y君は当時まだ高校3年生で、モデルでも出来そうなかわいい男の子。

私はY君に「やばい店に入ったら走って逃げるからな」と小声で言い、

2人でおっちゃんについて、あるスナックへ入った。

私とY君でおっちゃんを挟んで、座り、

(ああ、普通の店で良かった)と思ったのもつかの間。

おっちゃんの左手が私の右足のふとももを触ってきたのだ。

見てみると右手はY君の左足のふとももに乗っている。

あっ、気がつくと、お店のお客、カウンターの中の兄ちゃん、みんな、

オネエ言葉ではないか!

しかし、私が一緒に来たおっちゃんは見た目も話し方も普通のおっちゃんなので

全然気づかなかったのだ。

で、おっちゃん、私の目を見ながらこう言ったのだ。

























  「前歯がかわいいね」










2007.12.4

かわいい歯 その2

昨日の「ひとりごと」を読んで「その後どうなったの?」というたくさんのメールを頂いた、

というのは嘘で、私が書きたいので続きを書こう。

昨日の「ひとりごと」を読んでない方は、必ず読んでからこの先を読むように。


「前歯がかわいいね」 そしておっちゃんは、こうも言った。

「何か買ってあげよう」

私は、(やばいことになった、どうやってこの場を脱出しようか)と考え、

急に「おっちゃん、今日帰らなあかん用事思い出した」と言った。

「なんや、さっきまで帰らんでええっていうてたやん。

泊まるとこなんて、なんぼでもあるから」と、完全に “その気” だ。

私は、「来週の火曜日やったら、付き合えるから、10時に英国屋(喫茶店の名前)で

待ってるわ」と嘘を言い、その場を切り抜けた。

その後、結局、家へは帰らず、Y君と一緒に、最初一緒にいたのに

途中で消えたMの家へ行き、そして、Mにどうして黙っていなくなったのか聞いた。

M 曰く、

「あの路地入っていったら、ゲイの店しかないやん」

教えろよ!


あのおっちゃん、次の火曜日に私を待ってたんやろか・・・





2008.1.9

今年は・・・

正月3日に実家(大阪)から東京へ戻る予定だったが、夕方から飲んで、

酔っ払って新幹線に乗り遅れ、新大阪駅前のホテルに泊まった。

夜9時ごろ泥酔状態でチェックインし、ベッドに倒れこむように寝た。

2時間ぐらい、今度は「泥睡」し、11時ごろだったか、すっきりと目が覚めた。

空腹を感じたので妻とホテルの近くの居酒屋へ行った。

「すっきりと目が覚めた」と書いたが、やはりまだ酔っていたんだろう、

ビール2杯ですっかりできあがってしまった。

お店は、すいていたのだが、ある客が店のスタッフに大きな声で

何やら いちゃもんをつけ始めた。

あんまりうるさくて不愉快なので、店を出ることにした。

レジでそのうるさい客の方を見た。(というより、その客を睨みつけた。)

目が合った。

店を出て、数十メートル歩くと、妻が、「あの人、おっかけてくるよ」と言う。

確かに後ろの方で 「こらぁ〜!待たんか、こらぁ!」 とガラの悪い声がする。

酔っ払っている私は、怖くもなく、後ろを振り向きもせず、無視して歩き続けた。

しかし、だんだん、声は近づいてくる・・・

そして、とうとう追いついた彼は私の前に立ちはだかった。

彼は何かひとことふたこと言った後、こう言った。

「今度会ったらなぁ、知らん顔せえよ!」

私は、「大丈夫。俺、東京から来てるから、会うことないよ。」

すると、「そうか、それやったらええねんけど。今日は、嫌なことあって

むしゃくしゃしてたから、ごめんな」と、謝られてしまった。

わざわざ、追いかけてきて何をしたかったんだろう。

大体、「今度会ったら、知らん顔せえ!」とは、どういうことだ。

普通その場面では、「今度会ったら、タダでは済まんぞ!」だろ。


新幹線には乗り遅れ、ホテル代や特急券代にいらぬ出費がかさみ、

酔っ払いにはからまれ(?)で散々なスタートの2008年。

「今年は前途多難か?」と思いきや、

年末に応募した、LIVEに当選した通知のハガキが今日、届いた。

1月15日、COTTON CLUBでの Oleta Adams のLIVE。

実は、Oleta Adams って良く知らない。

いくつかのLIVEの中から選んで応募できたのだが、

プロフィールを読んで彼女のLIVE に決めて応募したのだ。

彼女は、私の好きな「Don't Let Me Be Lonely Tonight」や「New York State of Mind」も

カバーしている。


当選したのは、7,350円の席が2名分(14,700円)。

あ、ホテル代が戻ってきた(ホテル代14,720円)。

そう、今年も良い年に違いない。

そう言えば、年末ジャンボ宝くじも3,000円当たってた!





2008.1.10

彼は何と言ったのか?

昨日のひとりごとを読んでない人は、読んでから続きをお読みくだされ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼は何かひとことふたこと言った後、こう言った。
「今度会ったらなぁ、知らん顔せえよ!」


昨日は、彼が何を言ったか思い出せず、「何かひとことふたこと言った後」と

書いたのだが、気になるのでずっと考えていたら思い出した。

追いかけてきた男は私の前に立ちはだかり、

「何か文句あんのかぁ!」と言ったのだ。

私が「文句なんかないよ〜」と言うと彼が、

「それやったら、今度会ったら、知らん顔せえよ!」と言ったのだ。

一応、会話(?)になっていたのだ。

あ〜思い出せてスッとした。





2008.1.15

成人の日の思ひ出

1999年まで 成人の日は、1月15日だった。

私の成人式は、1982年1月15日。

成人式の後、高校時代の友人(男)と2人で、大阪ミナミへ映画を観に出かけた。

満席の映画館で、彼と2人で観た映画は「愛と青春の旅立ち」・・・

成人式にふさわしいだろ?

ちょっと甘酸っぱい(?)ような、寂しいような、成人の日の思い出だ。

彼女?

いてなかったんやな〜これが。





2008.2.14

Valentine

バレンタイン・・・・・

ティーンエイジャーの頃は、ドキドキしたなぁ。

ちょっと甘酸っぱい思い出をひとつ。

あれは、高校1年生だったと思う。

その日、6時間目の授業が終わり、後ろのロッカーへ何かをしに行って、

席に戻ってくるとかばんの中にチョコレートらしき包みが

入っているのが見えた。

その間、わずか数十秒。

席を離れる前は、入っていなかったのだ。

その隙に、私のかばんに誰かがいれたのだ。

すごいハヤワザ。

一人になってから、ドキドキしながら、包みを開けてみた。

もう30年も前のことで、どんなチョコだったかは、

覚えていないのだが、メッセージ・カードが入っていて、

「毒入りではありません。安心して食べてください」と

書かれていたことは、はっきりと覚えている。

名前はなかった。


私は、あのわずかな隙に、私のかばんにチョコレートを入れることが

出来たのは、隣の席だったT子しかいない、と当初から考えていた。

そして、そのメッセージカードを見てその推測に確信を持った。

彼女の書く字は、非常に特徴があったので、一目で彼女の字だと

分かったのだ。

私は、迷った。

お礼を言うべきか、それとも匿名でくれたことを尊重し、

知らぬふりをするか・・・。

しかし、彼女もメッセージカードの文字を見れば、自分だとばれることぐらい

承知しているんじゃないか?

お礼は言いたいが、これは「告白」だ。

お礼の後に、その「告白」に対する、なんらかのコメントをしなければ

ならないのではないか。

「ありがとう」だけなら言わない方が良いのではないか。

しかし、何かを言わなければ、

私が、誰からのチョコか知っているのかどうかさえ、彼女は知りえない。

そんなんで、ええの!? 女心よ!

ああ、切ない。

あああ、甘酸っぱい。

ああああ、やり切れない。


結局、さんざん考えた末、私は気づかぬ振りを続けた。

たぶん、バレンタイン後もしばらくは隣同士の席だったろう。

彼女もなんら態度を変えることはなかった。と思う。

(私が鈍感で気付かなかった、という可能性も大)


今日、バレンタインについてひとりごとを書こう、と思い立ち、

この話を思い出した。

あれで(お礼を言わなくて)良かったのかなぁ、と

思いながら書き出したのだが、ここまで書いて、

あれで良かったんだ、と思えてきた。

ありがとう。ボクのひとりごと。


それにしても「毒入りではありません」って、今ならシャレにならないな。





2008.2.15

Valentine つづき

ふと思った。

なぜ昨日書いたエピソードは鮮明に覚えてるのだろうかと。

他に、バレンタインにチョコレートをもらった経験がないから?

残念ながら、そうではない。

自慢するわけではないが、これでも結構、モテタのである。

なぜ、カタカナになるのか分からないが。

ちなみに今は、モテナイ。

ハゲでデブで加齢臭がするからである。

ああ、そんな風に書くとかなりヒドイようだが、言葉にすると

そうなってしまう・・・。

話を戻そう。

なぜ、あの「バレンタイン匿名事件」が鮮明な思い出なのか?

実は、ビックリしたのだ。

他にも数十人、いや、数人、いや、一人か二人の付き合っていない女性から

義理チョコではないチョコレートをもらったことはあるのだが、

学生時代のことだから、もらう前から大体分かっていたのだ。

友達が、「あいつ、絶対お前に気ぃあるで」などと、

情報を持ってきたり、本人が私を意識しているのを直接感じ取ったり、

バレンタイン前から、誰がくれそうか、分かっていたのだ。

だから、予想していた人からもらってもさほど驚かない。

でも、彼女のことは全く、予想していなかったので

凄くビックリしたのだ。

隣の席に座っていて、ノートを見せてもらったりしていただろうが、

そんな風に私を見ていたなんて全く感じなかったのだ。

こう書くと、世の女性陣から「鈍感!」という声が聞こえてきそうだが、

いや、こんな私でも意外と分かるもんだ。

だから、よっぽど彼女の秘め方が素晴らしかったのだろうと、

30年経った今、思うのであった。


でも、やっぱり、鈍感なのかなぁ・・・。





2008.2.19

どういうこと?

タクシーに乗ったら、話し好きそうな陽気な運転手に

「お客さん、還暦前ですよね」って言われた。

私は、45歳だ。





2008.2.27

パブロフの犬

辛いものを食べると汗が出る。

それも少しではない。

始めて見た人は、必ず驚くほど、

頭から、恥ずかしいぐらい汗が出る。

私は、髪の毛を剃っているので、汗がすごく目立つ上、

毛がないせいで、すぐにダラダラと流れてくるのである。

一食でハンカチ2枚は必要。

しかも、しぼれるくらいになる。

だから、私のかばんにはいつも予備のハンカチが数枚入っている。

辛いもの・・・カレーはもちろん、唐辛子、和からし、マスタード、しょうが、

コショウ、わさび、山椒、タバスコなど香辛料や刺激のあるものなら

何でも汗が出る。

つまり、寿司を食べていても汗をかくのだ。

がりとわさびで。

子供の頃は、食べたら汗が出てきたのだが、30歳を超えた頃から

食べる前から汗が出るようになった。

TVで辛いものを食べているのを見たり、メニューの写真を見ただけで

汗が出るようになったのだ。

それが、最近では、「今夜はカレーを食べよかな」 と “考えたり”

「四川料理」 や 「キムチ」 なんて “辛い言葉を見ただけ” で汗が出だす。

何を隠そう、今これを書いている時点で、もうスゴイ汗なのだ。

嘘ではない。

読者諸君に見せてあげたい。(見たないか)

信じられないだろうが、今、すでに頭のてっぺんあたりに

汗が玉になっている。


辛いものを食べると汗が出る。

これは、遺伝だろう。

父も母も辛いものを食べては汗をかいていた。

しかし、おもしろいことに汗が出るのは首から上、主に頭であって

どんなに頭から汗が吹き出していようと、

脇の下や首には汗は出ていないのだ。

見ている人からは、きっと体中、汗をかいているように見えるだろう。

そう見られるのがいやで (なぜ?)、

「脇の下とか 汗かいてないねんで。触ってみる?」 と

何人もに勧めたが、誰も確認しようとはしなかった。


ある夏の日、カレー屋で、汗をダラダラ流しながら食べていたら、

インド人らしき店員に 「暑イ(冷房弱イ)デスカ?」 と聞かれた。

ある時は、中華料理のコースを食べていて、何品目かに

真っ赤なスープの麺が出てきて、それを見たとたん、

頭が反応し、汗が出始めた。

給仕の方に、「これは、辛そうな色ですが、全然辛くありません」 と言われ、

ズッコケそうになった。

悲しいかな、辛くなくても辛そうな色を見ただけで汗が出、

辛くないとわかった後も、そのスープを見ると汗がとまらない。


20年位前、「汗をかいたことがあるかい?」 という曲を作ったことがある。

こんな感じだ。

♪  汗をかいたことがあるかい?
    とびきり辛いカレーライスを食べて〜
   汗をかいたことがあるかい?
    とびきり辛い明太子を食べて〜
   汗をかいたことがあるかい?
    とびきり辛いキムチを食べて〜
   汗をかいたことがあるかい?
    とびきり辛いカラムーチョを食べて〜
   それは〜それは〜ハズカシイことじゃない
   それは〜それは〜自然な〜ことなんだぁ〜

♪♪ 汗をかいたことがあるかい?
    とびきり辛いタンタン麺を食べて〜
   汗をかいたことがあるかい?
    とびきり辛いマーボー豆腐を食べて〜
   それは〜それは〜ハズカシイことじゃない
   それは〜それは〜自然な〜ことなんだぁ〜

・ ・ ・ 機会があったら、聴いて欲しい。

最後に私の高校時代の名言を。

「カレーは、スポーツだ!」





2008.3.2

えっ?違うの?

何がって、「リーボック」 だ。

そう、あの運動靴の。

信じていたのは、私だけか?

皆は、知っていたのか?

「リーボック (Reebok)」 は、韓国の「李(リー)」 さんと

「朴(ボク)」 さんが共同で作った会社だ、という話。

たぶん、20年くらい前に誰かに真顔で聞かされ、そのまま信じていた。

誰に聞いたか忘れたが、その人も信じていたんじゃないかな。

真面目に話された覚えがあるもん。

それとも、その人はジョークだってこと知っていたのか?

今日、TV(サンデージャポン) で「20年前のジョーク」と言っていたのを

聞いてあわてて調べてみたら、やっぱり嘘だった。

私一人だけが信じていたとしたら、あまりにも悲しいし、アホみたいだ。

だから、「私も信じてました!」 っていう人、良かったらメールください。


ちなみに、「Reebok」 は、イギリスの会社。

陸上選手でもあったジョセフ・ウィリアム・フォスターが

自身の足に合ったスパイクを制作したのが始まりで、

1900年に「J・W・フォスター社」を設立し、

1958年には社名を「リーボック」に変更した。

「reebok」 とは、アフリカに棲息する大鹿、ガゼルのこと。

2005年にはドイツのアディダス社に買収された。

(以上、Wikipedia を参考にまとめた。)





2008.3.4

リーボック 続編

一昨日の「ひとりごと」に、

「リーボック (Reebok)」 は、韓国の「李(リー)」 さんと 「朴(ボク)」 さんが

共同で作った会社だ、という話をず〜っと信じていたと書いた。

まさか、皆それがジョークだと知っていて、

私だけが信じていたのではあるまいな、と不安になり、

「自分も信じていたよ」 という方、メールください、と書いたのだが、

1通も来なかった。

1、2通ぐらいは反応があるかと思ったのだが・・・。

これって、皆、ジョークだと知っていたってこと?

そして、「えぇぇー!そんなん信じてたん?アホみたい〜」って

思ったってこと?

それとも、実は自分も信じてたけど、ジョークだって知ってた振りを

してるってこと?

あるいは、誰もその日の「ひとりごと」、読んでないってこと?

どうなの? 実際。


でも、あれが、ジョークだったって言うのだから、

「サントリー」 は、創業者が 「鳥井さん」 だとか、「ブリジストン」 は、

創業者が 「石橋さん (ストーンとブリッジ)」 だとかいう有名な話も、

「もしかして冗談?」 と不安になる。(私だけか?)

で、一応調べてみたが、上記ふたつは本当のようだ。

ただ、「サントリー 」は、「鳥井さん」 をひっくり返したのかと思っていたが、

そうではなく、「サン」 は太陽のことで、サントリーの前身 「寿屋」 で

売っていた、赤玉ポートワイン の 「赤玉」 つまり太陽 (サン) に

自分の名前・鳥井 (トリイ) を結び付けて命名したものらしい。

調べていると、そんな有名企業の社名の由来ばかり、

載せているサイトを発見した。

色んなサイトがあるもんだ。

カッターナイフの 「オルファ」 が、「折る刃」 から 来てるのは知っていたが、

「カシオ」 は、創業者が 「樫尾さん」 だというのは、知らなかった。





2008.3.24

告白! 驚くべき行動

あれは、今から、15年ほど前、まだ大阪に住んでいた、

30歳の頃の話。

大阪キタで友達と一杯飲んだ帰り、地下鉄御堂筋線に乗っていた。

誰かと一緒だったような気もするが、記憶が定かではない。

車内は、座れないで立っている人がまばらにいるぐらいの混み様。

時間は、きっと夜の9時か10時頃だったろう。

淀屋橋駅で、年の頃なら20代半ばから 後半ぐらいのOLらしき3人組が

乗ってきた。

彼女たちも会社帰りに一杯やってきたのか、ちょっと酔っているようで

上機嫌だ。

私は座っていたのだが、

たまたま、左隣の席が一人分だけ空いていた。

3人組の一人が、「わたし、座るぅ〜」 と、そこへ座る。

すると、もう一人がふざけながら、その座った女性のひざの上に

「わたしも座るぅ〜」 と言いながら、座った。

そして、残りのもう一人も同じように

「わたしも座ろ〜」 と、その二人目のひざの上に座った。

その時だ。

何を考えたのか、私はすくっと立ち上がり、

「俺も す〜わろっと」 と言いながら、その3人目の女性のひざの上に

座ってしまったのだ!

もちろん、知らない人達だ。

座った瞬間、「しまったぁ!」 と思ったが もう遅い。

地下鉄の座席で大人4人が重なって座っている異様な光景。

一瞬 焦ったが、彼女たちは、私のそのノリに喜んでくれ(?)、

「難波(ミナミ)で飲みなおそう」 と誘ってくれた。

残念ながら、私は、持ち合わせがなかったので (情けない・・・)

なんとか適当な理由を言い、お断りした。

それにしても、あんなことを公然と無意識にやってしまうとは、

我ながら、オソロシイ。

が、オモシロイ。

ただ、周りの人たちに対してちょっと恥ずかしかった。





2008.3.26

赤ちゃんはどうしてできるの?

読者の皆さんは、赤ちゃんがどうしてできるか、

いつ、どうやって知っただろう?

私は、あまりの衝撃に その時のことを今でもハッキリと覚えてる。

あれは、小学4年生の時、

大阪から東京へ親戚の結婚式へ行った帰りの新幹線の中でのこと。

あまりに退屈で、大人たちが読んだ後の週刊誌のマンガだけを

拾い読みしていた。

その中の一つに、性教育を扱った真面目なマンガがあった。

中学生の娘 (だったと思う) に

「赤ちゃんは、どうしてできるの?」 と質問された親の困惑を

描いたもので、最初、親はなんとか ごまかそうとするのだが、

最後には、娘にセックスのことを真面目に教える、というストーリーだった。

親が娘に教える記述だから、当然 子供にも分かりやすい表現で

書かれていたのだ。

それまで、どうして赤ちゃんが出来るかなんて考えたこともなかった。

結婚したら、自然に出来るぐらいに思っていた。

それが、なんと ●●●● を ●●●● に ●● すると言う。

小学生にとって何が衝撃って、その行為を両親がしたってこと。

しかも2回も!(うちは、二人姉弟だから2回もしたんだと思った。)

そんなことを知ってしまった小学4年生の男子が

黙っていられるはずがない。

数日後、クラスの女子んちへ遊びに行った時、

私は5、6人の女子を前に、性教育の授業をしたのであった。

かなり自慢げにその知識を披露した。

でも、今から考えると、女子たちは、とっくに知ってたのかも・・・。





2008.3.30

我が家の性教育

3.26に書いた 「赤ちゃんはどうしてできるの?」 を読んだ読者から

最近の小学校では、4年生で、男女一緒に身体の変化や生理や精通や

男性が勃起することなんかを習う、とメールを頂いた。

そ、そんな専門用語を並べられても困るのだが、時代は変わったな。

さすがに、具体的なセックスのやり方は習わないようだが、

そこまで習えば、想像つくよなぁ・・・。

年頃になれば、異性やセックスに興味を持つのは、極めて正常なこと、

健全なこと。

そう言えば、私のおかんは、私が中学1年の頃、

「女の人の裸の写真、見たかったら、堂々と見て ええねんで。

隠れて見んでも ええねんで。」って、言ってた。

隠れて見るから、楽しみが倍増するのを知らんかったんやろか。

第一、どんな顔して、おかんの前でエロ本見るねん。





2008.4.18

私のジョーロ

人の目を気にせずに生きられたら、どんなに楽だろうか。

一体、人は、いくつの時から人の目を、人に何と思われるかを

気にしだすのだろうか。

そのことを考える時、ハッキリと覚えているエピソードがある。

小学校に入学してまもなくのこと。

1年生の理科の実習は、アサガオを育てることであった。

各自が自分の植木鉢に毎朝、一時間目が始まる前に水をやるのが

日課だった。

ある朝のこと、いつものようにジョーロを持って水をやりに行こうと

したところ、クラスメイトの女の子が私のジョーロを見て、

「赤ちゃんみたい〜」 と言ったのだ。

私のジョーロは、幼稚園の時に買ってもらったもので

緑色の自動車の形をしていた。

そんなものを持っていたのは私一人で、皆のジョーロは、

普通のジョーロの形をしたものだった。

私は、傷つき、その日以降、アサガオの水やリをやめた。

言った女の子が誰だったかは、覚えていないのだが、

その言葉や言われた状況はハッキリと覚えている。

6歳の時点で、女の子に「赤ちゃんみたい〜」 と言われただけで

人と違うジョーロがいやになるのだ。

その反応や判断は、どうやって仕組まれたのだろうか?

今なら、女の子に 「赤ちゃんみたい〜」 と言われたなら、

「そうなのでちゅ〜バブバブ」 と甘えて見せるところなのだが・・・。


ところで私のアサガオはどうなったのか。

その事件の翌日、私はクラスメイトのM君に

「僕のアサガオにもついでに水やっといて」 と頼んだ。

数週間後、花壇に行ってみると、

私のアサガオは可憐にも咲いていたのであった・・・。

あ、M君、お礼言ってなかったね。

ありがと。


そういえば、その咲いているアサガオを見たときもショックだった覚えがある。

M君に水をやってくれるよう頼んだものの、自分の中では、

咲いていることを想像できなかったんだろうな。

あの日、私はアサガオを見捨てたんだから。

もしかしたら、自分の植木鉢だけ花が咲いていないのを見て、

その女の子のせいにしたかったのかも知れない。





2008.4.23

頭の中が ラブホテル

22〜23歳の頃、片想いの女性がいた。

彼女とは、たまに食事に行ったりするぐらいの関係で、

中々、それ以上に発展しなかった。

ある時、彼女と大阪ミナミで食事の後、なんとなくブラブラ歩いていたら、

ラブホテル街に足を踏み入れてしまった。

右も左も妖しいネオンで、ウブな私は、焦った。

「あかん、そんなつもりやないのに誤解されたら、どうしよう。

早く、ここを抜けねば・・・」

動揺した私は、周囲のことも彼女のことも冷静には見ていない。

その時だ。

彼女が私の腕をつかみ、甘えるように、すがるように、

「こわい・・・」 と言ったのだ。

頭の中が、ラブホテル一色の私は、

「大丈夫や。(ホテルには) 入れへんから」 と答えた。


結局、その彼女には振られてしまい、その後、良いお友達に

なるのだが、数年後、その時のことが話題に出た。

私は、彼女が、私にホテルに連れ込まれることを

「こわい」 と言ったとばかり思っていたが、実はそうではなかった。

彼女は、私とホテルに入ることなど、全く思いもよらなかったそうだ。

(それはそれでさびしい話だが。)

その時、私達が歩いているちょっと前を、ベンツからいかにもヤクザ風の男

数人が降りてきたらしく、彼女は、とっさに その男達に 力ずくでホテルに

連れ込まれることを 想像したらしいのだ。

その豊かな想像力も素晴らしいが、私は自分のことで精一杯で

その連中のことは、視野には入っておらず、マヌケな答えをしたわけだ。

彼女は彼女で、自分の想像で一杯で、私が何と答えたかは、

覚えておらず、言ってみれば、若い2人は、それぞれ全く別の世界に

いたってことだ。


考えてみれば、彼女が “私に” ホテルに連れ込まれることを

「こわい」 と言ったのならば、私の腕をつかむのは、おかしな話だ。

もし、そうなら、「OKよ」 って言ってるようなもんだろ?

もし、あの時、そう解釈していたら、どうなっていたんだろうな・・・。

ちょっと、ドキドキ!





2008.4.24

初めての英語

23歳の時(1985年)、ひとりでアメリカを旅行した。

ロスアンジェルスに入り、1年オープンのニューヨーク発の

チケットを持って。

つまり、アメリカ大陸横断だ。

グレイハウンド(バス)で色んな街を周り、約ふた月かけて、

ニューヨークにたどり着いた。

その時の面白い体験は、またの機会に紹介するとして、

今日は、ろくに英語がしゃべれない私の初めての英語の話。

ロスのホテルは、日本人が経営するホテルを予約していて

ホテルの人が空港まで迎えに来てくれていたので、

ホテルに着くまでに 私がしゃべった英語は、

機内(大韓航空)で食事の時、

「Beef or fish?」 と聞かれ、

「Beef」 と答えたのと、ロスの税関で

「Sightseeing?」 と聞かれ

「Yes」 と答えた二言だけだ。

この「Sightseeing?」 は、くせもので、私には

「サイチィ?」 としか聞こえず、3回ぐらい聞き返した覚えがある。

さて、ホテルにチェックインした私は、まず、ホテル付近を探索しようと

地図を買いに出かけることにした。

しばらく歩き回ったが、本屋を見つけられず、本屋はどこにあるか

道行く人に聞く事にした。

が、英語で質問するなんて、生まれて初めてのことで、

どの人に聞くかが 中々決められない。

あちこち歩きながら、親切そうな人、優しそうな人を探し、

ようやく、「よし、この人にしよう!」 と決め、思い切って聞いた。

「E、E、Excuse me.Where is a bookstore?」

するとその人はこう答えた。

「Here.」

そう、私は本屋さんの前で聞いていたのだった。





2008.5.11

ちゃうやん

今日、目黒駅で電車降りる時、足踏まれたのに

思わず、謝ってしもた。





2008.5.16

告白! 初めて女性に・・・

あれは、小学校2年生の時だ。

O君とM君と3人で、山で遊んでいた。

そこは土砂を運び出しすために山を切り開いていた工事現場の

ようなところで、いつも作業がなされているわけではなく、

作業のない日には、子供の格好の遊び場だった。

水溜りというには大きすぎる、小さな池のそばで遊んでいた時、

私は、過ってその池に落ちてしまった。

池の直径はたぶん、3メートルぐらいだったと思う。

今から考えると、立てば足が着いたのかも知れないが、

当時まだ泳げなかった私は、あわてて必死で犬掻きのようにして淵に

たどり着いた。

全身びしょ濡れの私は、そのまま帰るつもりでいた。

が、帰り道にあるM君の家に寄った時、

M君のお母さんが、私を見るなり、服を脱がし、素っ裸にして

タオルで身体(からだ)を拭いてくれたのである。

(ちなみにそのM君は、私のアサガオに水をあげてくれた人だ。

何のことか分からない人は、こちらを読むように。)

母親以外の女の人に裸の身体を拭かれたことのなかった私は、

その時、恥ずかしさと同時に味わったことのない感覚を味わった。

だから、今でもあの時のことははっきりと覚えているのだ。

恥ずかしさと、

こんなこと (裸なのでちんちんも拭かれる) していいの? という戸惑い、

それに対する何故か分からない ちょっとドキドキ、

心の中で 抵抗しながらも、もう身を任せてしまいたいという欲求、

それらが混ざった感じ・・・

まだ7歳か8歳で「性」に目覚めてはいなかったものの、

本能的に何かを感じたのだろうな。

いや、もしかしたら、あれが「性」の目覚めだったのかも知れない。

もちろん、そのM君のお母さんに特別な感情などあったわけではない。

その当時にしてみれば、ただの友達のおかん、おばちゃんだ。

そして身体をきれいに拭いてもらった私は、M君の下着と服を

借りて着て帰った。

そういえば、他人のパンツをはいたのもその時が初めてだ。

(といっても、その後、人のパンツをはいた覚えはないが。)

今思うと、M君には色々お世話になったのだな。





2008.5.20

何かが折れた夜

母親に言わせると、私は小さい頃から

かなりの神経質だったようだ。

例えば、ふとんが畳の線にまっすぐ平行に沿っていないと

寝るのを嫌がったらしい。

イヤな子供だ。

その神経質さは、中学生の頃、やや病的になる。

明日の時間割に合わせて、ノートと教科書をかばんに入れる。

ふとんに入った後、どうしても確かめないと気が済まなくなり、

ふとんから起き上がり、電気をつけ、かばんの中を確かめる。

つい、数分前、しっかりと確かめながら、かばんにつめたので

忘れ物などない。

忘れ物がないことは、重々承知だが、もう一度チェックしなければ

安心して眠ることが出来なかった。

こうなると、軽い強迫性障害のようなものだろう。

もう一つ、私を苦しめたものがある。

窓の鍵だ。

私の部屋には窓があって、寝る前にその窓の鍵をかける。

5cmほどの金属の棒状の物をねじ回しのように締め付ける、

昔、どこの家でも使われていたタイプだ。

当然、見れば、鍵がかかっているのが分かる。

めったに窓を開けることがなかったにもかかわらず、

私は、毎晩毎晩、寝る前にその鍵を

「締まっている、締まっている、締まっている・・・・」

と10回唱えながら締め付けた。

そうしないと、ふとんに入れないのだ。

ある夜は、ふとんに入った後、我慢できずに起き出して、

また、「締まっている、締まっている、・・・」 とやっていた。

かばんの中身を確かめるのと同じだ。

そんなことを続けていたのだから、鍵は、ある日、

ポキッと折れてしまった。

毎晩毎晩、締め付けていたのだから、鍵はどんどん

きつく締まっていってただろう。

折れて、当然だ。

その時、私の心の中でも何かが折れた。

次の日から、私は鍵を締める儀式をしなくなった。

何しろ、締めたくても、締める部分がないので締められない。

不思議なことにそれから、鍵のことを気にすることも、

時間割のことを気にすることもなくなったのだ。

その後、高校生になった私は、どんどんゆるい性格になって行き、

停学にはなるわ、補導はされるわ、うんこはちびるわ、

時間割の話で言えば、授業に教科書を持参せず、

先生に注意されるぐらい自由(?)になった。

振り子が反対側に振れたのだろうか。

いや、これは神経質とは関係ない話かもしれないが、

小中学校とマジメに過ごしていた反動があったことは否めない。

それにしても、あの、鍵が折れた夜、何が起こったんだろう。

「鍵が折れる」 というのは、心理学的に何かの象徴なのかも知れない。

ちなみに今も人と比べると神経質な部分はあるだろうが、

何かが気になって夜眠れないほどではない。

あの時、鍵が折れてくれて良かった。

もし、折れなかったら、永遠にあの儀式が続いたかもしれないのだから。





2008.5.24

チョコレートケーキ

19歳の頃。

大阪ミナミの地下街にある喫茶レストランでアルバイトをしていた。

私は、ウェイターだけでなく厨房にも入っていた。

朝一番に出勤した日は、チーフが来る前に

オーブンに火をつけ、お米をといで炊飯器に火を点けるのだ。

そのお店では、ケーキも出していたのだが、そのチョコレートケーキが

おいしくて、私は大好きだった。

ある朝、一番に出勤した私は、そのチョコレートケーキを一つ、

我慢できずにつまみ食いした。

チーフに見つかったら、叱られると思い慌ててほおばった。

やがて、チーフが出勤してきて、私の顔を見て心配そうに こう言った。

「おまえ、くちびるから血ぃ出てるぞ。」

思わずくちびるに手を当てた。

私の指先には、チョコレートケーキの欠片が・・・。





2008.6.12

ニヤニヤ

あれは、私が高校生の頃。

当時、付き合っていた彼女とデートした帰り、

私は、一人で電車に乗っていた。

すると、途中の駅で同級生のMが乗って来たのだが、

彼に声をかけられるまで、私は気が付かなかった。

M : 「お前、一人で何ニヤニヤしてんねん?」

私は、ビックリした。

と同時に自分がどんな顔をしていたかなんて、全く意識がなく、

ニヤニヤしていたことを少し恥じた。

しかし、ニヤニヤしていたはずである。

さっきまで、女の子とイチャイチャしていて、

その余韻を楽しんでいたのだから。

たぶん、鼻の下も伸びていたに違いない。

そして、すぐ、

「そうか、俺、ニヤニヤしてたんかぁ〜」と、

またその妄想の中へ戻って行ったようで、

「また、ニヤニヤしてんがな、気持ち悪い!」 という

Mの声で現実に引き戻された。

そら、キモチ悪いわ!


時々、いるよね。

電車の中でひとり、ニヤニヤしてる人。

けっして、変人じゃないからね(たぶん)。





2008.7.10

ショック!

アリエッタで、あるキャンペーンを企画している。

良くあるものだが、スタンプを集めるとオリジナルグッズが

もらえるというものだ。

先日、それに使うスタンプを注文した。

オーダースタンプも、ネットで注文し、翌日には届くという便利な時代だ。

普通の印鑑のサイズで 「6文字まで入ります」 と書いてあったので

『「アリエッタ」と入れてください。「ツ」 は小さい 「ツ」 でお願いします。」

と、備考欄に書き込み、オーダーした。

翌日、届いたスタンプを見て、思わず私はこう言った。

「なんや、これ! 返品や!

“ アリェツタ ”になってるやん。

だから、わざわざ、「ツ」 を小さくって書いたのに!」

そう言いながら、注文の控えのメールを開いた。

そこには・・・・

『「アリエッタ」と入れてください。「エ」 は小さい「エ」 でお願いします。』





2008.7.11

大丈夫なのか!

昨日に引き続き、ショックな話。

「自分は、結構しっかりしている」 と、自分では思っているが、

実は、思っているより、よっぽどマヌケなのではないか、と

思ってしまう事件。

私は、毎月数冊の音楽雑誌を購入しているが、

創刊号以来、もう30年近く買い続けている雑誌に

「ギターマガジン」 がある。

数年前のある日のこと。

「そうだ、今月は まだギターマガジンを買ってなかった」 と

仕事帰りに本屋へ出向いた。

本屋でギターマガジンを手に取り、

「今月号は、何が載ってるかな?」 と

パラパラとページをめくった。

数ページ見て、「あれ?これ見たことあるぞ」 と思った。

もう一度、じっくり表紙を見直し、考えてみた。

そして、「あ、これ買うたやん!」 と数日前に既に購入はしたが、

ゆっくりとは読んでいないことに気がついた。

私は、ギターマガジンを棚に戻し、しばらく他の本を見て回った。

結局、何も買わず、店を出ようとした、その時!

「あ、そうそう、ギターマガジン買わなくちゃ」 と、

私は、ギターマガジンを手に取り、レジへと向かった。

その号を買ったのは、2度目だと気づいた(思い出した?)のは、

お店を出て家に着く頃だった。

もしかしたら、すぐに返品すればお金は戻ってきたのかも知れないが、

私は、自分のあまりのマヌケさにショックで、

2冊の同じ雑誌を前に、ただただ呆然としていたのであった。





2008.7.18

暑さのせいなのか

私は、スイカ (Suica:果物じゃなく ICカードね) を財布に入れていて、

そのままタッチして使っている。

今朝、JRの自動改札で、i-Pod をタッチしてしまった。

もちろん、改札は通れなかった。

これは、暑さのせいにしておこう。


そういえば、バーテンダー時代のお客さんの話。

べろべろに飲んだ翌日、会社に着いてかばんから携帯電話を

取り出すと、家のテレビのリモコンだった、という失敗談を

聞いたことがある。

「私はこんな失敗をしたわよ!」 と読者を和ませるネタを

お持ちの方は、ぜひ、送って欲しい。

ここで皆に読んでもらおう。





2008.8.30

告白 〜嘘つき〜

高校1年生になった時、初めてアルバイトをした。

毎週日曜日、バイト先は、スーパーマーケットの中にある魚屋だ。

仕事は、魚を店頭に出すため、白いトレイに載せ、

ラップをかけたり、値札をはったり、時には、

閉店時間が近づくと叩き売りのようなことをやったりで、

ジーパンが洗濯しても魚臭かった覚えがある。

その店では、うなぎの蒲焼が売り物のひとつだった。

何をしていたのか覚えてないのだが、焼く前のうなぎに

何かをするのも仕事だったのだろう。

うなぎの顔が めちゃくちゃ かわいかったことを覚えている。

機会があったら、是非見てほしい。

ホントにかわいい顔してるから。


さて、本題に入ろう。

ある日、店長が、たくさんの商品をかかえ、

お店の裏(仕事場)に戻ってきた。

どうも、値札ラベルの値段が間違っていたようだ。

そして、皆に聞こえるように、こう言った。

「誰や、これ貼ったのは〜?」

それは、怒っている風ではなく、割とやさしいトーンだった。

その時、今から考えると本当に何故か分からないのだが、

私は、「ボクと違います」 と言った。

「お前がやったのか?」 と訊かれたわけでもないのに、わざわざ、だ。

すると店長は、「よく、言うわ」 と苦笑いした。

私は、(なんで、そんなこと言うんやろ? ボクと違うのに) と思ったが、

それ以上、店長は何も言わなかったので、その話は、それで終わった。

それから、1時間も経った頃だろうか、私は突然、思い出したのだ。

あのラベルに印字し、商品に貼ったのは、

まぎれもないこの自分であることを!

そのことに気付いた時の、衝撃!

(あ、あれは、俺がやったんやんか!)

自分が、あんなに堂々と嘘をついた、あまりのその衝撃と、

どうして良いか分からない動揺のため、改めてそのことを

店長に謝ることもしなかった。

きっと、店長はじめ、他の従業員の人達もみんな思ったことだろう。

(なんや、この子、嘘つきやな) と。

ちょうど30年前のことだけど、この場を借りて、謝ります。

「あれを貼ったのは、ボクです。ごめんなさい。」


それにしても、不思議なことに 「ボクと違います」 と言った時は、

本当に、自分がやったのとは、思ってなかったのだ。

が、よく考えると、わざわざ、 「ボクと違います」 なんて言うのは、

無意識に何かが働いたに違いない。

犯罪を犯して、「自分はやってない」 って言う犯人は、

あんな風なのかも知れない。





2008.8.31

告白 〜嘘泣き〜

昨日に引き続き、好評(?)の告白シリーズだ。

あれは、森進一の 「港町ブルース」 が流行っていた1969年、

私の小学校1年生の冬休みの出来事だ。

電車で1時間ほど離れたところに、叔母夫婦が住んでいた。

私は、母より10歳若いその叔母を 「広子ねえちゃん」 と呼び、

慕っていた。

その冬休み、私は初めて、一人でその叔母のうちに泊まった。

夕方、私が2階にいた時、「ご飯ができたよ」 と呼ばれたので、

子供がよくやるように、ふざけた格好で階段を下りようとして、

たまたま置いてあった置時計にさわり、階段から落としてしまった。

もちろん、置時計は、壊れてしまった。

びっくりした私は、とっさに大好きな叔母に叱られると思い、

どうして良いか分からないまま、泣き出した。

謝ることなど思いもつかず、ただ、叱られるのを避けるため、

泣き出したのだ。

(はっきり覚えているのだが) しかも、こう言いながら泣いた。

「ボクとちゃうねん、ボクとちゃうねん〜」

もちろん、叔母は叱るわけはなく、

というより、いきなり、階段から時計が落ちてきて、

7歳の子供が泣き出したら、(何が起こったの?) と

彼女の方が、驚いたことだろう。

今、この場を借りて謝ります。

あの時計、落としたのボクです。

そして、あれは、言ってみれば嘘泣きです。

ごめんなさい。


この話、今度ホントに直接話そう。


それにしても、昨日書いたアルバイトの一件といい、

この話といい、結局、私は嘘つきなのではないか。





2008.9.5

自由

20歳を過ぎた頃だったろうか、こんなことがあった。

男女混合10人くらいで、居酒屋に行った。

座敷だったので、靴を脱いであがった。

その時、A子は、さっと男どもの脱いだ靴をきれいにそろえたが、

B子はただ見ているだけで、何もしなかった。

私には、B子は、気が付いてすばやく行動するA子を見て、

「自分もやらなきゃ」 と思うけど何をしてよいか分からず、

おろおろしているようにも見えた。(勝手な解釈だ)

そして、座敷に上がると、A子は、さっと人数を数え、

今度は、皆の座布団を並べ始めた。

その時も、B子は、何もせず、ただおろおろしていた(ように見えた) 。

私は、ひとり秘かにA子とB子をジャッジした。

「う〜む、A子ちゃんは、よく気がきく子やな〜。

やっぱり、女性は、こうでないとなぁ。

それに比べて、B子は、あかんなぁ」ってな風に。

そのことを、後日、その宴会に同席していた友人に話すと、

「あ、そう。全然気付かなかった」 と言われ、

気が付かない友人は、文字通り、「気が付かない奴」 で、

自分は、物事をよく観察し、細かいことにも気が付く人間だと、

思っていたのである。(イヤなやつ)


一事が万事こんな風で、私は、「○○は、△△であるべき」という

考えに支配されていて、

いや、支配されていることなど、微塵も気が付かず、

その“物差し”自体が自分自身であるかのように生きていた。


しかし、30歳になる頃、あるきっかけで、

自分は、その“物差し”のせいで、ずい分不自由な人生を

送っていることに気付かされる。

それまで、「〜であるべき」 と思っていて、

それにそぐわないものを、許容せずに生きていたが、

「〜であるべき」 というのは、正しいことではなく、

どこかで誰かに植え付けられた、邪魔な信念だと思うようになった。

先の例で言えば、そんな風に人のことを 一々ジャッジしていては、

楽しむ場でも楽しめない。

今まで、自分の判断基準で、優れた点だと思っていたことが、

だんだん、自分の欠点のように思えてきたのである。


「“物差し”は自分自身ではなく、自分の“観点”だ」

ということがつかめると、いくつかの 「〜であるべき」 には、

振り回されなくなった。

つまり、「観点」 が、変化したのである。

例えば、30歳を過ぎた頃、ある女性を好きになった。

2人で、居酒屋に行ったある日、彼女は、お茶漬けを

テーブルにひじをついて食べた。

20代の頃の私なら、それで アウト だ。

そんな、行儀の悪い女、絶対ダメだ。

でも、その時の私は、

行儀の悪い女でも好きでいられる 自分に驚き、うれしかった。(変な奴)


とは言うものの、幼い子供の頃に刷り込まれ、いや、もしかしたら、

DNA に刷り込まれたその “物差し” は、そう簡単には、捨てることが

出来ないものも まだまだあり、日々、修行なのだが、

我が家には、常識を超えた女性がひとり住んでいるおかげで、

彼女を見ながら、「俺は、ずい分自由になったなぁ」 と思うのであった・・・。





2008.9.28

後悔すること

これ、本当にあった話。

中学2年生のとき、クラスに女の子が転入してきた。

成績優秀なマジメな子だった。

転入してきて早々、クラスの悪ガキどもの洗礼を受けることになった。

悪ガキどもは、彼女に こう言った。

「お前、オナニーって知ってるか?」

「え? オナニー? 何それ?」

「今日、家帰ったら、お父さんに訊いて来い。」

彼女は、言われたとおり父親に訊いたようだ。

翌日。

「お父さんに訊いてきたよ。

オナニーって、“こうかい” することだって。

だから、船でどこかへ行くことみたいよ。」


お父さん、中々、意味深な答えをしたもんだ。

ちなみに、私は後悔したことない。





2008.11.20

手編みのベスト

もう、20年くらい前、大阪に住んでいた頃の話。

当時の彼女が、クリスマスだったか、バレンタインデーだったかに

毛糸の手編みのベストをプレゼントしてくれた。

それを着て、友人と街を歩いていた時のこと、

タイプの女性がいたので、(おっ、ええ女やん) と、

その女性を じろじろ見ていた。

するとその時、なんと着ていたベストが、まるで生きているかのように

私の胸の辺りをギュギュッと 締め付けたのだ!

「あんた、何してんの!?」 とでも言わんばかりに。

あれは私の思い違いではない、と 言い切れるくらい、

突然、はっきりと締め付けられたのだ。

ちょっと怖いけど、そういうことってあるねんな。

みんなも気をつけよう。 (何が?)





2008.12.25

女の子

先日、友人夫婦宅へ遊びに行った。

その夫婦には、3歳の女の子と1歳の男の子がいる。

半年に一回ぐらい子供たちに会うので成長を見るのが面白い。

3歳の女の子は、もう、自分で着る服を選ぶという。

すごいなぁ、3歳からもう 「おしゃれ心」 が芽生えているなんて。

そして彼女は最近、お父さんとお風呂に入ることを嫌がるらしい。

なんでも、お父さんと一緒にお風呂に入ると、

「大きなおちんちんがうつる」 そうだ。

いいなぁ、大きなおちんちんで。


そういえば、私の姉の友人で、3歳か4歳になるまで、

お父さんとお風呂に入ったことのなかった女の子がいた。

初めてお父さんとお風呂に入った時、彼女は、こう叫んだ。

「おとうちゃん、前におっきいうんこついてるでぇ!」

いいなぁ、おっきいうんこで。

ひとりごと  ひとりごと