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つつみしんやのひとりごと 2007年 6月


2007.6.1

「エッセイ」

このコーナーには、僕が思ったこと感じたことを時々書いていこうと思ってます。

ブログと呼べるほど頻繁には書けないだろうし、

また、コメントなんかも期待していません。

所謂、エッセイだと思って読んでください。

でも、エッセイと名乗る自信がないのでタイトルを「ひとりごと」にしました。

読んで何か感想のある方は、是非、メールを頂きたいと思いますが、

それに返事を出すかどうかもお約束できません。

なるべくなら、お返事を出したいとは考えていますが、

なにしろ、不精なものですからお許しください。



2007.6.8

「はじらい」     

今日、夜10時ごろ、目黒駅のホームで制服の高校生カップルが

ベンチに座って接吻を交わしていた。

横目でチェックしながら前を通り過ぎたのだが、割とディープというか、

ねちっこかった(ように見えた)。(見るなよ)

私が高校生だったころ、そんなこと考えられなかった。

制服で、学校の帰りに、女子と、駅のホームで!

(あ、「女子と」って書くと男子とは、していたみたいで誤解を招きそうだが、

もちろん男子ともそんなことはない。)

「欧米化」と言うとまるで漫才の突っ込みのようだが、こういうのも欧米化というのだろうか。

人間が色んなことから解放され、自由になっていくことは素晴らしい。

でも、このカップルを見てなんとなく、「恥じらい」みたいなものが失われていっているように感じ

さびしく思った。

こんなこと思うのは、やはり、おっさんなのか。





2007.6.9

「にどりご飯」

近所のおいしいタンタン麺のお店へ妻と行ってきた。

妻は「タンタン麺」、私は、「タンタン麺」と「香味煮鶏ご飯」を頼んだ。(大食い?)

その際、「タンタン麺2つと煮鶏(にどり)ごはん」と注文した。

妻が小声で「にどりごはんって何?」と聞くので店内壁に貼られている写真つきの

メニューを指さし、「あれ」と答えた。

しばらく、そのメニューを見つめた妻は、今度は、カウンターにおいてあるメニューを手に取り、

もう一度聞くのであった。

「ねえ、にどりごはんってどれ?」

私は、そのメニューの「香味煮鶏ご飯」と書かれた部分を指差し、「これや」と答えた。

2秒ほどそのメニューを見つめたあと、妻は僕の方を向き、真顔で今度はこう聞いた。

「なんで“みどりごはん”っていうの?」



2007.6.10

「フラガール」

映画「フラガール」を観てきた。

昨年観たのだが、もう一度観てきた。

感想は、一度目より良かった。

改めて素晴らしいと思った。

一度目も良かったとは思ったけど、今回の方が、より泣かされた感じ。

一緒に観た妻も同じ感想だった。

なんでやろな、おもしろいなぁ。

こういうことがあると、「一度観ただけの感想」は「一度観ただけの感想」でしかなく、

自分にとってでさえ、絶対的なものではないのだな、と思い知る。

そういえば、字幕の映画は、「一度では分からない」と字幕の翻訳家の方が本に書いておられた。

今まで数回観た映画はいくつかあるのだが、観るたびに新しい発見はあるものの

基本的な印象はそんなに違ったことがないような気がする。

でも今回は違った。

「フラガール」、観たい方は目黒シネマ622日まで上映中なので是非。

今日は目黒シネマで何を上映しているか知らずに、行ったのだが、

一度観た映画だったのでどうしようかと映画館の前で思案していた。

するとそこにいた見知らぬ女性が、「これ使ってください」と招待券を2枚くれた。

どうも数枚持っていて、有効期限内に使えそうにないから、ということらしいが、

こういうラッキーなこともあるのだな。




2007.6.12

「RUSSELL MALONE」

COTTON CLUB(東京)へ“RUSSELL MALONE”を観に行ってきた。

思ったより空いていて、一番前の席に座れた。

しかも、Russellの真正面。

150cm先に彼がギターを抱えているのだ。

音は、PAスピーカーからではなく、ナマ音+ギターアンプからの音が直接聴こえる。

特等席だ。

Russellは、ほとんどギターのフィンガーボードを見ることなく、

観客の顔をひとりずつ確かめるかのように見渡しながら演奏する。

流れるように演奏する。

2曲演奏したあと、メンバーを紹介し、「My name is Kazumi Watanabe」とギャグを飛ばした。

私の後ろの客が「同じことアル・ディ・メオラが言ってたぞ」と日本語でつっこんでいた。

数曲演奏したあと、突然彼が私に向かって「ギタープレイヤーか?」と聞いた。

「そうだ」と答えると「指を見せろ」と言う。

私は左手を伸ばした。

指先を見ると彼は「彼はギタープレイヤーだ」と言い、なんと使っていたピックをくれた!

「ULTRA-PLEC D'Andrea USA 2.0mm」と書かれためちゃ分厚いピック。

隣にいた若い男性にも同じように「君もギタープレイヤーか?」と聞き

ピックをあげていた。

演奏はもちろん素晴らしかったが、MCや時折見せるおどけたしぐさなども

おもしろく、あっという間の1時間半だった。

満席でなかったのが残念だが、やはり日本での知名度はまだまだなのか。

また来日したら聴きに行こうと思う。




2007.6.13

「運動神経と楽器演奏能力」

私は、運動神経が鈍い。

いわゆる「どんくさい」方である。

幼稚園の時には自分は走るのが遅いことを自覚していた覚えがある。

だから、小学校の時から体育の授業はもちろん、運動会もあまり好きな方ではなかった。

それでも小学校の時には、地区の子ども会のソフトボールチームに所属していたし、

遊びではよく野球もやったが、けっしてうまく出来る方ではなかった。

当然、趣味は文系に偏っていく。

小学5年生でギターを始め、中学校では吹奏楽部に所属した。

楽器は弾けるようになるとそれは楽しいもので、

中学1年のころは、トロンボーンを家に持って帰ってまで練習していた覚えがある。

近所迷惑な話だ。

その頃は、「スポーツはダメでも音楽(楽器)がある」と、そこまで明確ではないにしろ、

楽器をある程度できることが、スポーツのできないコンプレックスを

カバーしていた感は否めない。

その頃は、楽器演奏と運動神経は関係ないと思っていたのだ。

その頃は、というより割りと最近まで・・・。

考えてみれば、当たり前のことなのだが、ギターにしろ、ピアノにしろ、

サックスにしろ、ドラムにしろ、身体の一部を動かして演奏するのだ。

身体を動かすことを運動というのだから、楽器演奏も運動なのだ。

グルーヴのある演奏にはスピードが必要だ。

この場合のスピードは、速く弾けることではない。

言葉ではうまく説明できないが、リズムに乗るスピードというか、

1拍1拍を感じるスピードというか、そんな感じのものである。

そのスピード感(ドライヴ感とも言えるな)ある演奏には、

高い身体能力が必要なんじゃないかと最近思うようになったのだ。

運動神経はあんまり関係ないやろ、と思っていたのに

今ごろ現れた壁は「運動神経」である。

それは、ないやろ、今さら。という感じである。

昨日、Russell Maloneの演奏を聴きながら、

「この人、運動もやったらできるんやろな」と思った

もっとも運動音痴の黒人、リズム音痴の黒人ってもともとイメージしにくいが。

NYヤンキースのバーニー・ウィリアムスという選手は、野球でメジャーリーガー、

ギタリストとして名門コンテンポラリー・ジャズ・レーベルGRPからCDをリリースしている。

天は時々、二物を与えなさるようだ。




2007.6.15

「浜崎あゆみ似」

知人のイベントの手伝いに夫婦で行った時のことだ。

私も妻も、その知人以外、初対面の人ばかりだ。

数人で雑談していた時、その知人が一人の若い女の子を指し、

「この子、あだな、“あゆ”って言うねん。なんでか分かる?」

と妻に聞いた。

妻が考えていると、その知人は「似てるやろ?」とヒントを出した。

妻は、いかにも分かったという風にこう答えた。

「あ、魚や。」




2007.6.18

「バースディ・プレゼント」

昔、一緒にバンドを組んでいたT君の中学生時代の話だ。

彼は、ビートルズの大ファンだった。

その当時、LPレコードは1枚2,500円もして中学生の小遣いでは

そうそう買える物ではなかった。

彼の誕生日、家に帰るとおばあちゃんがプレゼントに

「あんたが欲しがってたレコード買うて来たったで」と

LPレコードの入った袋を差し出した。

彼は大喜びで、ステレオに向かい、袋を開けた。

中には「ずうとるび」のレコードが入っていた。




2007.6.19

「コールユーブンゲン」

「コールユーブンゲン」とは、ドイツのフランツ・ヴェルナー(1832〜1902)という人が

著した音楽書籍で、クラシックで声楽を勉強すると(たぶん)必ず使う教材だ。

私は、一時期、シンガーソングライターになりたくて歌を習っていたことがある。

今となっては、それ自体が恥ずかしいが。

で、クラシックではなかったが、そのレッスンではその「コールユーブンゲン」を教材として使うので

最初のレッスンで先生に

「楽譜屋さんへ行って、コールユーブンゲンを買って来てください」

と言われたのだ。

「コールユーブンゲン」という教材があることは知っていた。

が、それがドイツ語だとは私は知らなかった。

ずぅ〜っと、日本語で、「交流文芸」と書くと思っていたのだ。

なんで音楽の教材が「文芸」なのか、何が一体「交流」なのか、

疑問さえ抱かずに・・・10年ぐらい・・・「交流文芸」だと信じきっていたのだ。

楽譜屋さんで、さんざん探したあげく、

「コールユーブンゲン」を発見した時のあの驚き!

誰が想像できるだろうか?



なお、そのシンガーソングライターへの夢はその後、友人たちの

「頼むから、歌はやめてくれ」という切なる懇願にあい、今生では見送ることにした。




2007.6.23

「Barにて」

BARに勤めていたことがある。

その時の話だ。

カウンターに座っていた男性客2人組みが、星座の話を始めた。

ひとりがもう一人にこう聞いた。

「俺、みずがめ座なんだけど、お前、何がめ座?」




2007.6.24

「Barにて その2」

これもBarに勤めていた頃の話だ。

ジン、ウォッカ、テキーラ、ラムなどのお酒を総称してスピリッツと呼ぶ。

これらは、色んな飲み方があり、ストレート、ロックはもちろん、ソーダ割りやトニック割り、

その他、色んなカクテルのベースに使われる。

その店のメニューには、そのスピリッツの銘柄を数種類ずつ記載していた。

お客さんは、「ボンベイサファイアでジンリッキーを」なんて注文もできるわけだ。

ある日、若い2人組みの女性が来店した。

あまり、Barに慣れている風ではなく、メニューを見ながらしばらく相談していた。

呼ばれたので行ってみると、ひとりが「これください」と、あるウォッカを指差した。

私は「どのように飲まれますか?」と飲み方を聞いた。

彼女は、少し考えてからこう答えた。

「たしなむ程度です。」




2007.6.25

「JR」

四谷で妻と友人達数人で食事をした帰り道のことだ。

駅に向かって歩いていた。

四ッ谷駅は、JRと地下鉄丸の内線、南北線があるので

何で帰るのか、妻がAさんに聞いた。

「私たちは、丸の内線に乗るけどAさんは?」

Aさんは「私はJR(ジェイアール)」と答えた。

今度はBさんに向かってこう聞いた。

「Bさんは何アール?」





2007.6.26

「アニッチャ」

コンピューター内のファイルを整理していたら、

保存していたことも忘れていた文章を発見した。

何かのサイトに出ていたのだが、それが何のサイトだったかも忘れた。

でも、すごく好きなのでここで紹介する。

よしもとばななさんの「チエちゃんと私」という本の抜粋らしい。

― ― ― ― ― ― ― ― 

私はサーフィンをしなくて見ているだけだけど、見るのは好き。

ずっと見ていると少しわかってくる。

今日の午後、どんな波が来るのか、ある程度予測はつくんだよね。

うんと慣れてくると。

でもそこが人というものの弱いところで、サーフィンをする生活が

数年続いてルーチンになってくると、いつかの天候、そのときの波と

比べるようになってしまうし、波のことがわかったような気になって

きてしまうみたい。

それでケガして、また反省して、またケガして、を繰り返す人はとても多いよ。

同じところをぐるぐる回ってるのに気づかないの。

実は違うんだと思うんだ……。

毎回違う波だというふうに思えることのほうが、

似た波を分類するよりも大事なの。

天気の分析は欠かせないものだし、するべきなんだけど、

同じような天気と波があると思ってしまうのはとても傲慢なことで、

同じようなものがあるとしたら、それは自分の内面のほうであって、

世界のほうではないの。

これって、自然はすごいっていう話じゃないよ、全然。

自然以外も、全てのことがほんとうはそういうふうに毎回少しずつ

違っているのに、広すぎてこわいから、人間はいつでも固定させて、

安心しようとするの。知ってることの中に。


― ― ― ― ― ― ― ― 

これを読んで、以前、瞑想で習った “アニッチャ” という言葉を思い出した。

パウリ語(だったと思う)で「無常」という意味である。

なにひとつ、変わらないものはない。

全てが変化し続けていて、全ての一瞬、一瞬が新しい。

考えてみれば、当たり前すぎるほど、当たり前のことだ。

だが、ついつい忘れてしまうことでもある。

そして、当たり前すぎてふだん意識しないようなことほど、めちゃくちゃ重要だったりする。


ちょっと、上の引用文とはポイントが違うが、無常を知ることは幸福なのである。

やがて消えてしまうものなら、執着することも嫌悪することもない、というわけだ。

また、変化し続けることが当然であれば、心変わりや浮き沈みを責めることもない。

釈迦は、無常を知れ、と教えた。

無常という言葉の意味は知っていても、人生で無常をつかむのは、

無情にも難しいのだ。




2007.6.27

「パンのへた」

たぶん、「パンの耳」という呼び方が一般的なのだろう。

我が家では(大阪では?)「パンのへた」と呼んでいた。

「へた」とは、「下手(へた)」ではなく、「端(はし)、へり」という意味で

そのまま、場所を指している。

私には、「耳」より「へた」の方が、しっくりくる。

子供の頃からそう呼んでいたせいかもしれない。

中学生くらいのときに「パンの耳」と人が呼ぶのを聞いて、

なぜか、気取っていてるようで、恥ずかしくて、自分には言えないと

思った記憶がある。

さて、そのパンのへた、パンによっては、そこの方が、白い部分より

おいしかったりするのだが、それは、大人になってからのことで、

子供の頃、朝食に出る食パンのへたはあまりおいしくなかった。

白い部分だけ食べてへたを残していた友達がいたが、

我が家では、けっしてそんなこと許されなかった。

もったいないからである。

小学生だったある日、母になぜ残しちゃいけないか聞いたことがある。

母は、「そこに一番栄養があるんやから、食べなさい」と言った。

ずーっとそれを信じていた。

たぶん二十歳過ぎても・・・。

子供の頃には、なぜそこだけ色が濃いくて固いのか、考えたことも

なかったのだが、ある日、突然、気付いたのだ。

「ただのおこげやん」って。




2007.6.29

「ライブ前夜」

明日は、LIVEだ。

久しぶりに辻本明子さんとデュオ。

辻本さんはJAZZの人だから、あんまり細かい決め事をつくらないし、

リハーサルも少ない。

それだけに緊張感たっぷり。

まあ、安全な演奏をするよりスリリングで聴くほうも面白いかも。

でも、私がついていけなくてボロボロになる恐れもあるのでちょっと怖い。

まぁ、楽しんでやることにしよう。


なんと明日は、予約で満席になった。

ありがたいことです。

立ち見になるかも知れません、とお伝えしたのに

それでもと、来てくださる方もいる。

ほんとにありがたいことだと思う。

「また聴きに行きたい」と思われる演奏をしたい。

「今度は友達誘って行こう」と思われる演奏をしたい。

なのに・・・・

いつも、「しゃべりが面白かった」と言われる。



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