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つつみしんやのひとりごと 2008年 4月


2008.4.4

Mellow Flavor Laguna Moon

山口とのデュオに「Mellow Flavor」 と名前をつけたことは、

数日前に書いた。

Mellow Flavor としての、次回のLIVEは、まだ決まっていないのだが、

紹介ページを作った。

こちら。

明後日は、半年振りの Laguna Moon のLIVE。

初めて、ベーシストをゲストに迎えるだけではなく、

新しい試みも披露する。

まだ、席があるので、ぜひどうぞ。





2008.4.8

LIVE

ちょっと更新をサボってしまった。

毎日、楽しみに開けて下さる方、ごめんなさい。

一昨日は、原宿 bar dAZE での LAGUNA MOON 半年振りのLIVE。

いつも来てくださる方、初めてお越しの方、お店のスタッフの皆さん、

ありがとうございました。

今回はゲストに Bass の田村さんを迎えて、

また、2曲では、リズムをサンプリングマシーンで鳴らして、

という初の試みもやった。

いつもは、フルートと2人での演奏で、どうしてもギターの負担が

大きくなり、テクニック不足ゆえ自分のイメージと実際の演奏との

ギャップが大きく、辛いことも多々あったのだが、

ベースがいるだけで ずい分自由な演奏が出来た。

次のLIVEは未定だが、夏までには、またどのプロジェクトかで

やれると思う。

乞うご期待。




迷惑メール

毎日のように、こんなメールが来る。

何故か、
誘われるように、
メールしてしまいました。
一応簡単なフ゜ロフ書きます。
名前は初美です。
身長は155センチくらいで年は29です(^^ゞヤハ゛イカナ〜
最近は仕事帰りに紅茶を飲みに行くのと
スホ゜ーツシ゛ムに週2回ほど。
休みはよく買い物にも行きます。
仕事はフツーの事務o(^-^)o
メールは携帯とPCどっちも大丈夫です。
http://www.○△×□*.com


他にも、こんなのも来る。

これって奥さんじゃないですか?
ちょっと確認してください。
この男性の○○を○○○してる人です。
http://www.○△×□*.com


インターネットの世界をよく知らない人が受け取ったら、

「えっ? 何? うちの妻がぁ?」って

思わずクリックしてしまいそうだ。

一度でもクリックしたら、面倒なことになると思って

クリックしたことないけど、

どんな人がこんな情けないメールを作って発信しているのだろう。

興味ないけど、顔見てみたい。

そして、ええかげんにやめて欲しい。





2008.4.9

「きれくする」 って 言いますか?

先日、TVでお笑い芸人が、「きれくする」 という言葉を使っていた。

どうも 「きれい」 を形容詞だと勘違いしている人が、増えてきたようだ。

形容詞、例えば、「美しい」 の終止形は、「美しい」 で、

連用形は、「美しく」 だ。

しかし、「きれい」 は、形容動詞で、終止形は、「きれいだ」。

連用形は、「きれいに」 だ。

つまり、「きれいにする」 という表現が、正しいのであって、

「きれくする」 は間違っている。

が、言葉は生き物だ。

時代と共にどんどん変化していく。

だから、何割かの日本人が使い始めたら、それは、間違いではなくなる。

試しに 「きれく」 とキーボードをたたき、検索してみる。

なんと、ネットショッピングの商品の宣伝文句に使われている。
 ↓
伸縮性があり、脚がきれく見える
縦ラインと切り返しがいい!
☆ストレッチ美脚パンツ☆


おそらく、若い人が書いたのだろうな。

もちろん、この場合は、「脚がきれいに見える」 が正しい。

学校の先生が、「きれく」 という言葉を使っているのを指摘している

サイトもあった。

私は、初めて 「きれく」 という言葉を聞いたときのことをはっきり覚えている。

今から、20年ぐらい前、某家庭用品の訪問販売の説明会で、

当時、40歳くらいの女性が、「この洗剤できれくなります」 と

使っていたのだ。

あまりの違和感にはっきり覚えているのだが、

その時は、その人の育った地方の方言なのかな、と思った。


くだんの芸人は、(たぶん30歳ぐらいだと思う) トークの途中、

「さっきの話と違ってきている」 という意味のことを、

「ちがくなってる」 と言った。

「違う」 は動詞だ。

もうめちゃくちゃだ。

彼が、意図的に使っているとしても、TVの影響は大きい。

どんどん、子供たちの言葉は、変わっていくだろう。

私たちの世代でも、たまに 「好きくない」 といったりするが、

果たしてどれくらいの人が、それが元々正しい日本語ではないことを

知りつつ、使っているのだろうか。

「えっ?間違っているの?」 と思ったそこのあなた、

「好き」 も 「きれい」 と同じ形状動詞で、「好きだ」 が終止形。

「好きくない」 は、「好きでない」 または 「好きではない」 が正しい。

同じ形容動詞に、「静か」 がある。

「静かくしなさい」 なんて言葉を近いうちに聞くようになるのかもしれない。





2008.4.9

つつみしんやのギター達、更新しました。





2008.4.10

「きれくする」 って 言いますか? その2

くどいようだが、昨日の続き。

「きれい」 が、「きれくする」 などと間違った使われ方をし出した

一番の理由は、「きれい」 が、「い」 で終わることではないかと、私は思う。

形容詞は、「い」 で終わる。

「美しい」 「かわいい」 「悲しい」 「楽しい」 「大きい」 「小さい」

「長い」 「短い」 「広い」 「狭い」 などなど。

それらは、当然、「美しく」 「かわいく」 「悲しく」 と 「く」 が付く形に

変化し使われる。 (連用形)

それで、形容動詞である 「きれい」 も、形容詞と同じように

「い」で終わっているものだから、「美しく」 というように

「きれく」 と使い出したのではないか、と思うのである。

「きれく」 に違和感のない人たちには、どれが正しいのか

もう見分けられないかもしれない。

でも、仮定形を見れば分かりやすいだろう。

形容詞の仮定形は、「けれ」。

ほら、中学か高校の国語の文法で覚えさせられたでしょ。

「かろ、かっ・く・う、い、い、けれ、かれ 」って。(懐かしい・・・)

その「けれ」。

「美しければ」 「楽しければ」 「長ければ」・・・となる。

一方、形容動詞の仮定形は、「なら」。

「きれいならば」 「豊かならば」 「静かならば」・・・となる。

けっして、「きれければ」 とか 「静かければ」 って言わないように

「美しならば」 「楽しならば」 などとも言わないから、検証可能だ。

言ってたりして・・・。





2008.4.12

魔法にかけられて

妻が観たい、というので一緒に観てきた。

映画は、一人で観ることも多いが、これは、一人では行かないな。

何せ、ディズニーだもん。

お姫様の映画だもん。

おとぎ話の中のお姫様が、ニューヨークにやってきて・・・

という、ロマンティック・コメディ。

アニメと実写が、混ざっていて、映画としてもそれなりに面白かった。

観終わって調べてみると、映画の中に結構、

ディズニー映画の自虐ネタというか、パロディがあったようで、

ディズニー映画ファンならもっと楽しめたのかも。

リスの演技(?)が素晴らしく、助演賞をあげたいくらい。

あと、子役の女の子(レイチェル・カヴィ ) も Good。

プリンセス役のエイミー・アダムス は、かわいかったけど、33歳らしい。

女王(魔女?)役が、スーザン・サランドン だったとは、メイクがきつくて

気がつかなかった。

この女優さん、結構好きなんだけどな。

映画とは関係ないけど、

主人公、プリンセスの脳天気さが、私の妻を観ているようだった。





2008.4.12

ブログ

友人がブログを始めた。

彼は、普通、人と話さないようなことを話せる数少ない友人だ。

人と話せないようなことってどんな内容かって?

そりゃ、あんた、●●●や●●●についてさ。





2008.4.13

発表会

今日は、私が通うギター道場の発表会。

発表会は、春と秋と年に2回ある。

その春の発表会で、赤坂のライブハウス「Bフラット」 を借り切って行われた。

今回の我がクラスの課題曲は、「I'LL CLOSE MY EYES」 というきれいな曲。

残念ながら、練習の成果を最大に発揮することは出来なかった。

自己採点、60点 (低!)。

でも、昨年の秋の発表会よりは、進歩したな、と思えるので良しとしよう。

発表会の後、夜の部は一般のお客さんも入場しての

師範代と師匠のLIVE。

いつも、師匠のプレイは凄いのだが、今日はある曲のソロで、

どうも私の琴線に触れてしまったらしく、あまりの素晴らしさにちょっと

泣けてきてしまった。

まだまだ、精進あるのみ。





2008.4.14

優先席

今日、横浜市営地下鉄に乗った。

車内には、「全席優先席」 と書かれたステッカーが貼られていた。

それだけなら、気にならなかったが、

駅のアナウンスで、「横浜市営地下鉄は全席 優先席です」 と 言っていた。

でも、そもそも、全ての鉄道で、全ての座席が優先席なんじゃないのか?

わざわざ言うことじゃないんじゃないか?

お年寄りや妊婦、身体の不自由な人が乗ってきたら、

全ての座席で席を譲るべきなのではないか?

そりゃ、ペースメーカーを付けてる人のために携帯電話をオフに

して下さい、というコーナーがあっても良いだろう。

でも、わざわざ「優先席」 なるものを設けなければならない、

私たちのあり方を省みる必要があるように思う。

全ての座席が優先席なら、そんなもの作る必要なかったはずだから。





2008.4.17

人は変えられない

誰かの悩みや問題を聞くと、

「こうすればいいのに」 とか 「ああすればいいのに」 とか

思ったり、「どうしてこうしないのだろう」 と

疑問に思ったりすることがある。

自分が当事者なら、自分だって きっとそんなに簡単にはできないことは

明白なのに。

そして、求められてもしないのに、意見やアドバイスを言いたくなる。

相手は、ただ聞いて欲しいだけかもしれないのに。

「ちょっと私の考えを言ってもいい?」 と前置きしてから

言うこともできるが、そう言われて、

「あんたの意見は聞きたくない」 という人は、ほとんどいないだろうから、

結局、押し売りのような気がする。

もちろん、その押し売りの中には、相手が見落としているような重要なことや

時には、「言ってくれてありがとう」 と感謝されるような内容も

あるかも知れない。

でも、その言いたくなる根底には、あなたの力になりたいという

優しさと同時に、相手を変えたいという欲求があるように思う。

「あなたのそのやり方じゃダメだから、こうしなさい」 と、

まるで、自分のやり方こそが正しいかのような、

自分こそが正義であるかのような、大きな勘違いがあるように

思えてならない。

だから、私はいつも迷う。

どこまで、言うことが本当に相手のためなのだろう。

どこまで、黙って聞くことが相手のためなのだろう。

先日、ある霊能者(?)にそのことを質問した。

答えは、二つ。

一つ目は、「相手は、ただ聞いて欲しいだけだから、何も言わなくて良い」

二つ目は、「黙って聞いているだけが、愛ではない。言うべきことは言う。

それは、自分の内なる声に従いなさい」 というようなこと。

あぁあ、やっぱり、答えは一つじゃないんだな、人生って。

ややこしいの、ほんま。





2008.4.18

私のジョーロ

人の目を気にせずに生きられたら、どんなに楽だろうか。

一体、人は、いくつの時から人の目を、人に何と思われるかを

気にしだすのだろうか。

そのことを考える時、ハッキリと覚えているエピソードがある。

小学校に入学してまもなくのこと。

1年生の理科の実習は、アサガオを育てることであった。

各自が自分の植木鉢に毎朝、一時間目が始まる前に水をやるのが

日課だった。

ある朝のこと、いつものようにジョーロを持って水をやりに行こうと

したところ、クラスメイトの女の子が私のジョーロを見て、

「赤ちゃんみたい〜」 と言ったのだ。

私のジョーロは、幼稚園の時に買ってもらったもので

緑色の自動車の形をしていた。

そんなものを持っていたのは私一人で、皆のジョーロは、

普通のジョーロの形をしたものだった。

私は、傷つき、その日以降、アサガオの水やリをやめた。

言った女の子が誰だったかは、覚えていないのだが、

その言葉や言われた状況はハッキリと覚えている。

6歳の時点で、女の子に「赤ちゃんみたい〜」 と言われただけで

人と違うジョーロがいやになるのだ。

その反応や判断は、どうやって仕組まれたのだろうか?

今なら、女の子に 「赤ちゃんみたい〜」 と言われたなら、

「そうなのでちゅ〜バブバブ」 と甘えて見せるところなのだが・・・。


ところで私のアサガオはどうなったのか。

その事件の翌日、私はクラスメイトのM君に

「僕のアサガオにもついでに水やっといて」 と頼んだ。

数週間後、花壇に行ってみると、

私のアサガオは可憐にも咲いていたのであった・・・。

あ、M君、お礼言ってなかったね。

ありがと。


そういえば、その咲いているアサガオを見たときもショックだった覚えがある。

M君に水をやってくれるよう頼んだものの、自分の中では、

咲いていることを想像できなかったんだろうな。

あの日、私はアサガオを見捨てたんだから。

もしかしたら、自分の植木鉢だけ花が咲いていないのを見て、

その女の子のせいにしたかったのかも知れない。





2008.4.19

暗いミュージカル

ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演の映画、

「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」 を観てきた。

予告編は、観た覚えがあるのだが、ミュージカルだとは、知らなかった。

元々、150年以上演じられ続けているミュージカルを元にした作品らしい。

J.デップは、若い頃、ミュージシャンを目指していて、ギタリストだった。

ミュージカルを演じられるぐらい、歌がうまいのに、

歌は本作が初めてということだ。

さて、作品の方は、どうだったかというと、

暗いし、血がいっぱい飛び散って、グロイし、エンディングもハッピーではない。

私は、どちらかというと、ミュージカルは舞台も映画もそんなに

好きな方ではないので、積極的には観ない。

ミュージカルって、歌って踊って、ハッピーで、

明るくて、テンションが高い、という印象があったが、

そうか、暗いミュージカルというのもあるんだな、と思った。

本作はそのミュージカルの苦手な部分 (歌っている間、ストーリーが

停滞したり、くどかったりするところ) は、気にならなかった。

が、悲劇だが主人公に感情移入して泣けるほど、リアルな話ではないし、

何より、血が飛び散ってえげつないし、人がたくさん殺されるし、

見終わってからどっと疲れて、無口になってしまう映画。

製作者は、何のために この映画を作ったんだろうって考えてしまった。

T.バートン&J.デップ のコンビは、本作で6作目らしい。

そのコンビの前作 「チャーリーとチョコレート工場」 も観たが、

かなり屈折した表現に感じたような覚えがある。

その感覚が好きな人達には、このコンビの映画は、たまらないだろう。

レビューを見てみると、絶賛している人達も多い。

そういう人達の中には、血の飛び散るシーンを「美しい」 とまで

感じる人もいる。

好みのハッキリ分かれる映画だ。

私は、本作はあまり好きではないが、J.デップは、

「パイレーツ・オブ・カリビアン」 より、こういう陰のある、

役のほうが合っているように思う。

ただ、メイクのせいで、同じく T.バートン 監督の「シザーハンズ」 を

思い出してしまった。





2008.4.19

つつみしんやのギター達 更新




2008.4.20

サイバー社会の実際

私のクレジットカードが不正使用されたことは、

3月29日のひとりごとでも書いた。

あの時は、どこからその個人情報が漏れたのか、分からなかったが、

その後、某楽器店からのメールでその一部始終が明らかになった。

その楽器店から、個人情報が漏れ、カードの不正使用に

至ったことは、TVのニュースでも報道されたらしいから、

ご覧になった方もいるだろう。

私の場合、不正使用はカード会社が発見してくれたおかげもあり、

経済的被害はなかった。

強いて言うなら、カードを作り直したために、今まで使っていた

ショッピングサイトで登録をし直さなければならないことぐらいが

被害と言えるものだ。

ところで、その楽器店へは、かなりの数の問合せが届いたようだが、

全体的に見てその対応は、私には誠意があるように感じた。

まず、4月4日に、

「弊社サイトから、顧客の情報が流出している可能性があると

クレジットカード会社からの指摘を受け、

セキュリティ対策を専門とする第三者機関に調査を依頼したところ、

外部からの不正アクセスによって個人情報が流出した可能性

が高い、との報告がありました。詳細が分かり次第、連絡します」

と言う内容のメールが届いた。

その後、数回に渡り、調査の進捗状況、お客様へのお詫びと対応などの

メールが届き、4月18日にウェブサイトで社長名義で

「不正アクセスに伴うお客様情報流出に関するお詫びとお知らせ」を

公開した。

そこには、カード会社から、指摘を受けてからの事件の流れ、

クレジットカード会社がけっして公開しないであろう内容、

現在のサイバー社会の問題点、クレジットカード会社の問題点、

社長自身が今回の件を通して感じたこと、

等が非常にリアルに書かれている。

おそらく、通常のこの手の事件では、一般の人は知ることが

出来ないのではないか、と思うような内容だ。

中国で、不正アクセスに成功したことが、ブログに書かれ、

その攻撃手法まで公開されていたという、ビックリするような

ことが書かれている。

興味のある方、ネットでクレジットカードを使われる方は、

是非読まれることをお勧めする。

長いので、15ページあたりからだけでもどうそ。
  ↓
「不正アクセスに伴うお客様情報流出に関するお詫びとお知らせ」





2008.4.21

またまた雑誌に掲載

Panetteria ARIETTA が、雑誌に掲載された。

発売中の「BRUTUS 5/1号」 だ。

春と秋には色んな雑誌でパンの特集があり、

売上も上がる時期。

ところが、今年は材料も上がってしまった。

ARIETTA も6月から一部値上げをすることになった。

消費者にとってはうれしくないニュースだが、

お店存続のためには致し方ない。





2008.4.21

僕のピアノコンチェルト

もしかしたら、初めてのスイス映画だったかも知れない。

普通の子供とは違う天才に生まれてしまったヴィトス。

周りの人達にピアニストとしての将来を期待される子供の

孤独と苦悩、そして、その家族を描いた作品。

主人公のヴィトスは、6歳と12歳の時が描かれているが、

どちらの子役も良い。

12歳の役は、本当の天才ピアニスト、テオ・ゲオルギューが演じていた。

演奏シーンは、本人が弾いているようだ。

そして、おじいちゃんが良い。

(「ヒトラー 〜最期の12日間〜」 でヒトラー役を演じていたブルーノ・ガンツ)

孫を愛し、守り、そして信じている おじいちゃんが素晴らしかった。

健全に子供が育つには、家族の愛と理解が要るのだな。

月並みだけど。


邦題は、「僕のピアノコンチェルト」 。

原題は、「VITUS」 、主人公の天才少年の名前。

邦題の付け方がいかにも日本人らしい。

良い映画なので、機会があったら、観てください。


映画の中でレストランへ行くシーンがある。

タイ料理っぽいレストランに見えたのだが、運ばれてきた料理は、

(たぶん)タイ料理と寿司と天ぷら。

スイスに限らず、外国に行くと こういう店、多いんだろうな。

そのシーンを見て思い出したことがある。

もう20年以上前、アメリカを旅行した時のこと、

ある街で、中華料理店の中に回転寿司コーナーがあるレストランへ入った。

寿司を握っているのは、中国人のようだった。

一緒に行った人と、「外人が握った寿司はおいしくないな」 と

話していたら、その中国人が、「ドウデスカ?」 と声をかけてきた。

彼は、東京の寿司屋で修行を積んだと言う。

「おいしくない」 と言ったの 聞こえてたのかな。





2008.4.23

頭の中が ラブホテル

22〜23歳の頃、片想いの女性がいた。

彼女とは、たまに食事に行ったりするぐらいの関係で、

中々、それ以上に発展しなかった。

ある時、彼女と大阪ミナミで食事の後、なんとなくブラブラ歩いていたら、

ラブホテル街に足を踏み入れてしまった。

右も左も妖しいネオンで、ウブな私は、焦った。

「あかん、そんなつもりやないのに誤解されたら、どうしよう。

早く、ここを抜けねば・・・」

動揺した私は、周囲のことも彼女のことも冷静には見ていない。

その時だ。

彼女が私の腕をつかみ、甘えるように、すがるように、

「こわい・・・」 と言ったのだ。

頭の中が、ラブホテル一色の私は、

「大丈夫や。(ホテルには) 入れへんから」 と答えた。


結局、その彼女には振られてしまい、その後、良いお友達に

なるのだが、数年後、その時のことが話題に出た。

私は、彼女が、私にホテルに連れ込まれることを

「こわい」 と言ったとばかり思っていたが、実はそうではなかった。

彼女は、私とホテルに入ることなど、全く思いもよらなかったそうだ。

(それはそれでさびしい話だが。)

その時、私達が歩いているちょっと前を、ベンツからいかにもヤクザ風の男

数人が降りてきたらしく、彼女は、とっさに その男達に 力ずくでホテルに

連れ込まれることを 想像したらしいのだ。

その豊かな想像力も素晴らしいが、私は自分のことで精一杯で

その連中のことは、視野には入っておらず、マヌケな答えをしたわけだ。

彼女は彼女で、自分の想像で一杯で、私が何と答えたかは、

覚えておらず、言ってみれば、若い2人は、それぞれ全く別の世界に

いたってことだ。


考えてみれば、彼女が “私に” ホテルに連れ込まれることを

「こわい」 と言ったのならば、私の腕をつかむのは、おかしな話だ。

もし、そうなら、「OKよ」 って言ってるようなもんだろ?

もし、あの時、そう解釈していたら、どうなっていたんだろうな・・・。

ちょっと、ドキドキ!





2008.4.24

初めての英語

23歳の時(1985年)、ひとりでアメリカを旅行した。

ロスアンジェルスに入り、1年オープンのニューヨーク発の

チケットを持って。

つまり、アメリカ大陸横断だ。

グレイハウンド(バス)で色んな街を周り、約ふた月かけて、

ニューヨークにたどり着いた。

その時の面白い体験は、またの機会に紹介するとして、

今日は、ろくに英語がしゃべれない私の初めての英語の話。

ロスのホテルは、日本人が経営するホテルを予約していて

ホテルの人が空港まで迎えに来てくれていたので、

ホテルに着くまでに 私がしゃべった英語は、

機内(大韓航空)で食事の時、

「Beef or fish?」 と聞かれ、

「Beef」 と答えたのと、ロスの税関で

「Sightseeing?」 と聞かれ

「Yes」 と答えた二言だけだ。

この「Sightseeing?」 は、くせもので、私には

「サイチィ?」 としか聞こえず、3回ぐらい聞き返した覚えがある。

さて、ホテルにチェックインした私は、まず、ホテル付近を探索しようと

地図を買いに出かけることにした。

しばらく歩き回ったが、本屋を見つけられず、本屋はどこにあるか

道行く人に聞く事にした。

が、英語で質問するなんて、生まれて初めてのことで、

どの人に聞くかが 中々決められない。

あちこち歩きながら、親切そうな人、優しそうな人を探し、

ようやく、「よし、この人にしよう!」 と決め、思い切って聞いた。

「E、E、Excuse me.Where is a bookstore?」

するとその人はこう答えた。

「Here.」

そう、私は本屋さんの前で聞いていたのだった。





2008.4.26

東京銘曲堂

昨日は、「東京銘曲堂」 というバンドのライヴに行ってきた。

メンバーは、川嶋哲郎 (Sax,Fl)、岡安芳明 (Guitar)、上村信 (Bass) 。

ドラムレス、ピアノレスのトリオで、JAZZのスタンダードを演奏する。

ギターの岡安氏については、CDは聴いたこともあったのだが、

去年、JAZZギタリストが、10人ほど出るイベントで初めて

彼のナマの演奏を耳にした。

数曲演奏した中で、若手のギタリストとデュオで演奏したバラードが

あまりにも素晴らしく感動したので、機会があればライブに行きたいな、

と思っていた。

昨日の会場は、サックスのセルマーを輸入販売している会社のビルにある

50〜60人ほど入るホールで行われた。

残念ながら、ライブハウスではないので、お酒はない。

さて、東京銘曲堂には、決まりごとがいくつかあるらしい。

例えば、

・マイクを立てない。

・譜面台を置かない。

・曲順を決めない。

・アドリブの順番を決めない。

など。

昨日もマイクは なし。

サックスもベース(ウッドベース)もナマだ。

(ギターは、エレキギターなのでアンプから音を出すけど。)

マイクなしだから、当然、リバーヴなんて電気的処理も一切なし。

当然、ある程度、演奏できる会場は限られてくるだろうが、

狭いところでもマイクを通すことに慣れている私には新鮮だった。

そして、マイクなしでもサックスもフルートもウッドベースも、

十分に聞こえる。

昔の人はそうやって演奏してたんだろうな。


そして彼らのコンセプト、

「JAZZのスタンダードを演奏する」

複雑なアレンジや、トリッキーな仕掛けもなく、スタンダードを普通に演奏する。

それは、ひとつ間違うとパーティのBGMになってしまいそうで

怖いことなのだが、彼らは、それに敢えて取り組んでいる。

昨日のMCでは、「普通に演奏して “音楽” にならなかったら、

それは、自分達が音楽をやっていないことになるでしょ」 と言っていた。

なるほど、もっともな話だし、それはすごいチャレンジだ。

私など、普通に演奏すると、聴いている人が退屈なんじゃないか、とか

平凡すぎるんじゃないか、とか考えてしまう。

「普通に」 と書いたが、彼らの演奏は、当然レベルが高く、

私の 「普通」 とは、レベルが違う。

当然めちゃくちゃ難しいこともやっていた。


岡安氏のプレイは、ゆったりした曲だろうが、速い曲だろうが、

常に落ち着いていて、とても美しいプレイだった。

自分が今何をやっているのか、音楽が今どこにいるのか、

次はどこに向かっているのか、などが全て分かっている上で

指がフィンガーボードを流れている、という印象だ。

以前、インタビューで、10代の頃の彼は、師匠(宮之上貴昭) が

あきれるほどの練習熱心だったようなことを 読んだ覚えがある。

その練習の延長線上にしか、あの落ち着いたプレイはないのだろうな。





2008.4.26

つつみしんやのギター達、更新。





2008.4.29

国民の祝日

今日4月29日は、国民の祝日。

元々昭和天皇の誕生日で、私が子供の頃は、

「天皇誕生日」 という祝日だった。

1989年1月7日の昭和天皇崩御により、天皇誕生日としては

存続できなくなり、「みどりの日」 と名称が改められたのは周知の通り。

今日、TVを見ていたら、「今日は、昭和の日」 と言っていた。

調べてみると、昨年から、4月29日は、「昭和の日」 という名称に変わり、

「みどりの日」 は、5月4日に移動したらしい。

知らなかった。

これって、常識的に皆、知ってることなのかな。

休日の名前なんていちいち気にとめていないし、関心ないから、

そのうち忘れてしまって、来年、また同じことを思うかもしれない。





2008.4.30

そんなに褒められたいのか。

人の評価など気にしない人生を生きたいと思うのだが、

時々、認められたい、褒められたい自分を発見し、あきれてしまう。

わざわざ言わなくても良い、「それ、ボク知ってるよ」 だったり、

「それ、ボクできるよ」 だったり、

「それ、ボクがやったんだよ」 だったりを

言う前にキャッチして言わずに済むこともあるが、

思わず、言ってしまい、ちょっと恥ずかしくなることもある。

「何をそんなにアピールしたいねん!」

「何をそんなに認めて欲しいねん!」 と

自分にツッコミたくなる。

「能ある鷹は爪を隠す」 というが、大して能がないから、

アピールしたくなるんだろうか。


その認められたいという反応は、特に、先生だったり上司だったり、

自分より立場が上の人に対して、多い。

何がそんなに欲しいんだろう。

まったく。



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