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つつみしんやのひとりごと 2007年 8月

2007.8.2

米デビュー

New York 在住の友人がアメリカでCDを出す。

彼女は大阪時代からの古い友達で一緒にBandをやっていたこともある。

日本にいた時から英語は達者だったが、それにしても凄い信念と行動力だ。

彼女のサイトで音が聴けるし、CDの購入も出来る。

是非チェックしていただきたい。

http://www.tomokomusic.com

www.tomokomusic.com




2007.8.4

5年ぶりの共演

5年ぶりのPICOちゃんとのLIVEだった。

久しぶりに演奏した自分のオリジナル曲、PICOちゃんのオリジナル曲もあり、

ずっとやってみたかった歌謡曲もあり、楽しいLIVEだった。

来てくださった皆さん、bar dAZEの山ちゃん、Goちゃん、そして麻生ちゃんありがとうございました。

次は、そのPICOちゃんのユニット「SOL」と、我が「Laguna Moon」とのタイバン。

8/17、渋谷Twice Upだ。





2007.8.5

胸がイタイ・・・

私の恋愛経験の忘れられないエピソードをひとつ。

20代のときのことだ。

一人暮らしをしていた私は、彼女に部屋の鍵を渡していた。

彼女は、私の留守の間に洗濯をしてくれたり、掃除をしてくれたり、

とても良くしてくれていた。

仕事がうまくいかず、ストレスや焦りもあり、

彼女とのコミュニケーションが、希薄な日々が続いたある日、

部屋に帰るとテレビの上に飾ってある彼女の写真が、壁に向けて置いてある。

「なんでやろ?」と思いながら、元に戻した。

数日後、彼女に会った時、なぜ、写真を後ろ向けて置いたのか聞いた。

彼女の答えは、私にはけっして想像がつかないものだった。

「置き直す時、私(写真)を見てくれるやろ?」





2007.8.6

不思議な妻

私の妻は、変わっている。

というか、珍しい生き物である。

彼女を直接知っている人なら、このことに異を唱える人はいないだろう。

たまに、彼女のことを「妖精のよう」という人もいるが、

いくらなんでも「妖怪」とは言いにくいのだな、と私は思っている。

「妖精」も「妖怪」もこの世のものではないという意味で同じようなものだろ?

いくつか、この「ひとりごと」でも彼女の不思議さ(?)を紹介したが、

(まだお読みでない方は、これとかこれとかこれとか、読んでいただきたい)

今日は、彼女のことをもう少し突っ込んで紹介してみたい。

たとえば、こんな風だ。


数年前、三軒茶屋2丁目に住んでいた時のこと、彼女は家の近くで迷子になった。

困ったあげく、タクシーを止めて、

「三軒茶屋2丁目まで。」と運転手さんに告げたら、

「ここですよ。」と言われた。


数年前、TVで「レイク」という会社のCMで、外人女性モデル3人が並んで、

それぞれ、体で「レ」「イ」「ク」という文字を作って見せるものがあった。

一緒にTVを見ていた時、彼女がそのCMを見ながら、

「どれがいい?」と私に聞いた。

もちろん、「どの女性が好きか」と聞かれた思ったが、

彼女は、「自分がやるなら、どの文字がいい?」と聞いていたのだ。

誰がやるねん!


もうひとつ、忘れられないエピソードがある。

結婚前、1年間同棲期間があったのだが、一緒に住み始めて間もない頃、

あまりの彼女の不思議さに私は、まじめにこう聞いたことがある。

「あなたは、どこの星から来たの?」

彼女は、やっと聞いてくれたわね、という満面の笑顔で・・・・

あ、これ以上は書けない・・・。


タイトルを「不思議な妻」とした。

不思議は英語で「wonder」。

ってことは、「不思議がいっぱいな妻」は「wonderful wife」ということか。

かなりビミョウなオチになってしまった。





2007.8.7

今日は私のBirthday。

Birthdayにふさわしい話題をと思い、この話を書くことにした。

告白!「15歳、夏の思い出」

私は小学校6年間、一度も学校で大きい方をしたことがない。

信じられないかもしれないが、意外とそういう男児は多いのではないだろうか。

小学校内で男児が大便をすると、それだけでイジメ(うんこした、臭い、

などとイジメられる)の対象になるので、男児用トイレも女児用と同じく、

小便用も個室にするか、という論議があると、

数年前に新聞のコラムか何かで読んだ覚えがある。

とにかく、私の場合、6年間一度もしていない。

ひたすら家に帰るまで耐えるのだ。

おかげで、下校中、間に合わなかったことがある。

確か、2年生の時、友達3人ぐらいであるいていて、

家まであと20メートル、というところで、もらしてしまった。

話の途中にも関わらず、私は突然、駆け出し、家に飛び込んだ。

友達たちには、さぞかし不思議に映ったことだろう。

あとは、何度も危ない目にあったが、脂汗を流しながら、

なんとか家までもたせたものだ。

中学生になると、さすがに学校にいる時間も長くなり、

一度もしていない、ということはないが、それでも数えるほどだ。

それだって、皆に見つかろうものなら、数日間、そのネタでからかわれ、

思春期の男子は、好きな女子の前で、

めちゃくちゃ恥ずかしい思いをさせられることになるのだから大変だ。

誰もが毎日している、当たり前のことなのにな。

高校生になってもそれは続いた。

いや、イジメや、からかわれることは高校生にもなると、もうないのだが、

皆でいる時に、大きい方をしにトイレへ行くことができないのだ。

今なら、まったく平気で「うんこしてきます」と言えるのに、

思春期の男子は、中々それが恥ずかしくて言えないのだ。


その事件は、忘れもしない高校1年生の夏休みに起こった。

私は、ブラスバンド部に所属していたのだが、

楽器演奏の講習会に参加した帰り、クラブのメンバー数人と

駅へ向いて歩いていた。

その前から、お腹の不調を感じていて、早く解散して、ひとりに

なってトイレへ駆け込みたかった。

もう、ほとんど限界で、おしりの筋肉だけで止めているような感じだ。

間違いなく不自然な歩き方だったに違いない。

あと、数十メートルで駅の改札、そこで、皆と別れることが出来ると思った瞬間、

・・・臨界に達した。

そいつは、おしりの筋肉の防波堤を越えたのだ。

しかも、大盛り。

きっと私の後ろを歩いていたM先輩は、その異変に気付いたに違いない。

何かがズボンの中で膨らんでゆくのを見たに違いない。

私は突然「ボク、用事がありますから」とだけ言い残し、

あわてて皆から離れ、駅ビルのトイレへ駆け込んだ。

それなら、もっと早くに何とでも言って、トイレへ行けばよかったのに・・・

それが出来ないのが、15歳の多感な少年だ。

これを読んでる皆さん、

突然、グループから、離れていなくなる少年がいても、

どうか、引き止めたり、追いかけたりしないであげて欲しい。

彼には彼の事情があるのだから。

というか、彼はもうパニックなのだから。





2007.8.8

やっぱり変。

問題です。

一昨日の私のひとりごとを一人、コンピューターに向かい、

読み終えた妻は、ボソッとひとりごとをつぶやきました。

さて、何と言ったでしょう?


thinking time......


答え。

「かわいい奥さん。

こんな人と結婚したいわ。」

ひっくり返ったわ!




アズールとアスマール

ここのところ、音楽活動が忙しくなって、観に行きそびれていたのだが、

久しぶりに(2ヶ月ぶり)に映画を観てきた。

「アズールとアスマール」、

このホームページのTopにある私の似顔絵を書いてくれた、

梅さんに「観ておいで」と勧められたのだ。

フランスのアニメ映画なのだが、日本のアニメとは全然違うな。

どちらが、良いとか悪いではないが。

とにかく、絵がきれいだった。

ケバケバしさの一歩手前の美しい色使い。

平面的なのに奥行きのある不思議な描き方。

絵の具でベタッと塗ったようなんだが、顔だけ3Dで奇妙にリアル。

ストーリーは、妖精を助けに行くという冒険物。

その中に色んなメッセージがちりばめられている。

観たのは、日本語吹き替え版だったが、途中、アラビア語の部分は、訳がない。

訳がないのに、ちゃんと分かるように作られているのも凄い。

日本人の私には、舞台がどこの国か分からないのでエキゾチック感も倍増。

大人でも楽しめる。

字幕版を観ていないが、たぶん、吹き替え版のほうが楽しめるんじゃないかと思う。

小学校低学年と思われる外国人の子供が、映画が終わった後に

大きな声(日本語)で「ああ。おもしろかた!」と言ったのが印象的だった。

夏休み、子供連れでどうぞ。


アズールとアスマール公式サイト 




2007.8.9

心の旅

私が生まれて初めて買ったレコードは、チューリップの「心の旅」、シングル盤だ。

確か、小学校5年生だったと思う。

そのチューリップが、今年結成35周年。

そして、その35年目で活動に幕を閉じるらしい。

途中、数年間の活動休止期間があったものの、ホントに長い活動だった。

「サボテンの花」「夢中さ君に」「魔法の黄色い靴」「夏色の思い出」

「銀の指環」 「青春の影」 「ぼくがつくった愛のうた」そして「心の旅」などなど、

初期の作品は、10代の頃、よく聴いたし、影響を受けた。

高校1年生のときに作った曲は、自分では「チューリップのように出来た」と思い、

姉に聞かせたところ、「童謡みたい」と言われた。

私の年代なら、高校時代の遠足のバスの中で必ず、彼らの曲を歌っていたはず。

チューリップの皆さん、長い間、お疲れ様でした。

最後のツアー、観に行きたいけど東京公演はすでに売り切れ。

残る手立てはオークションかぁ。


ちなみに初めて買った洋楽シングルは、

カーペンターズの「Yesterday Once More」

アルバムは、邦楽が吉田拓郎の「元気です」

洋楽が、Beatlesの「Help!」

30数年前の話なのでもちろんCDではなく、アナログ盤。

「Yesterday Once More」と「Help!」はともにカタカナで歌詞を書き、覚えた。

途中までで挫折したけど、今でも覚えてるからすごい。

偶然、どちらも、「When I was 〜」で始まっている。

「Yesterday Once More」

ウェナイワズヤーンガイリッスントゥザレディオ、ウェイテンホーマイフェベリソ−ン〜

When I was young and listen to the radio waiting for my favorite song 〜

(たぶん合ってると思うが自信ない。)


「Help!」

ウェナイワズヤンガソーマッチヤンガザントゥデー

アネバニーディドゥエニイバディーズヘルピンエニイウェイ〜

When I was younger so much younger than today

I never needed anybody's help in any way

(たぶん合ってると思うが自信ない。)





2007.8.10

秘密

数日前に書いた「不思議な妻」

それを読んだ読者(といっても友達)から、「あなたは、どこの星から来たの?」の

答えを知りたい!というメールが来た。

が、正直に書くと、彼女が何と答えたのか覚えてないのだ。

その答えよりも、

「やっと聞いてくれたのね。ずっとその質問を待ってたのよ!」とでも

言わんばかりの満面の笑顔の方が強烈で、ショックで、半ば怖くて・・・、

何と言ったか覚えてないのだ。

今さら、怖くて聞けないし・・・。

でも、昨年の夏、妻の実家へ帰省した折、子供の頃のアルバムを

見せてもらい、ある確信を得たのだ。

どんな人でも赤ちゃんの頃の写真を見るとなんとなく面影があるものだろ?

妻の1歳ぐらいの時の写真・・・・

ゼッタイ、黙って見せられたら妻とは分からない。

確かに赤ちゃんなのだが、

顔が

・・・・・・・

顔が、

おっさんなのだ!

どう見ても、違う人なのだ!!

是非、ここで公開したいところだが、

あまりに衝撃的で、心臓の弱い人が見るとやばいのでやめておく。

それで、私はその写真を見て、分かったのだ。

「ははーん、子供の頃に入れ替わりよったな。」と





2007.8.11

我 慢

子供の頃、欲しいおもちゃを買ってもらえなかった覚えがある。

親にしてみれば、「我慢」することを教えたかったのかもしれない。

(ただお金がなかっただけかも知れないが。)

でも、もしかしたら、子供にとってそれは「我慢」ではなく、

「どうすることもできなかった」体験をしただけではないかと思うのだ。

子供にしてみれば、欲しいものが手に入らない、それは、我慢でもなんでもなく、

「ただ手に入らないだけ」なんじゃないか、だから、

「どうすることもできなかった」だけだと。

「お菓子を買って欲しい」と子供がダダをこねる。

親が「我慢しなさい!」としかる。

子供は、「我慢」するのではなく、お菓子が手に入らないので

しばらく、ダダをこねたあと、お菓子を「あきらめる」のではないか、

そうするしかないから。

もちろん、子供に思い通りにならないこと、どうしようもないことがある、

ということを教えるのは重要だろう。

でも、もし、本当に子供に我慢することを教えたかったら、お菓子を買い与え、

目の前において、食べさせない、とか、おもちゃを買い与え、

見るだけで遊ばせない、とかしてみてはどうか?

すると、それはもう、「どうすることもできない」ではなく、

「我慢する」しかないのだから。

ただ、この方法を実践するには、ダダをこね、泣き叫ぶ子供を

大人(親)が、「我慢」しなければならない。





2007.8.14

大内宿

2泊3日で妻の実家へ行ってきた。

山形なのだが、そこから車で(空いていれば)2時間ほどで

福島県の「大内宿」へ行ける。

一昨年、連れて行ってもらい、岩魚の塩焼きを初めて食べたのだが、

あまりにおいしかったので、去年も行き、3年連続で、今回も行って来た。



岩魚の塩焼きは、15cm以上あるのだが、頭から骨、尾ひれまで全部食べられ、

ほど良い塩加減で、焼きたて一尾500円。

「大内宿」は、昔の宿場の建物をそのまま、お土産屋さんや、食堂にしている観光スポットだ。

道の両側には山からの冷たい湧き水が流れていて、

そこにジュースや果物を浸して冷やし売っているのだ。

天然の冷蔵庫というわけだ。


お土産は、民芸品、漬物など。

食べ物は、岩魚の塩焼きのほか、だんご、そばなどがある。

車でないと行けないのだが、

早く行かないと駐車場に入るのに渋滞に並ぶことになるので

行かれる方は、朝9時着を目指して行こう。

9時なら、まだ並んでいないが10時になるともう並んでいるのだ。





2007.8.15

みたいな。

今日、渋谷の駅前の交差点を渡っているとき、

前を18〜19歳ぐらいと思われる、女性1人、男性2人の3人組が歩いていた。

その女性のこんな話し声が聞こえてきた。

「ねぇ、今からどこ行くの?みたいな。」

それに男性の一人が何かボソボソと答える。

すると、女性が、

「えぇ、置いてかないでよ。もう、あんまり歩けないんだからぁ、みたいな。」

そのあたりで、この3人組を追い抜いたので続きは聞いていないが、

この短い会話の中でさえ、いちいち「みたいな」が付くのである。

きっと彼女は、それなしには話せないのだろうな。みたいな。

それって、ちょっと変じゃないか?みたいな・・・。




キサラギ

香川照之と塚地武雄が出ているので気になっていた「キサラギ」を観てきた。

最近の楽しみとして映画を観た後、

ネットの作品レビューを読むことにしている。

そうすると、自分の気がつかなかったことや、全く違う意見を読むことが出来、

観た映画への理解と「こんなに違う印象を持つ人もいるのか」と

色んな人間がいることへの理解が深まるような気がするのだ。

さて、その「キサラギ」、

ネット上には「今まで観た邦画で1番」と書いている方もいる。

(面白いことにそう書いている人に限って

「私は普段、邦画は観ないんですけど」って書いてたりする。)

私の感想は、今まで観た邦画で1番とは言わないが、(何が1番か決められない)

充分に楽しめる面白い作品であった。

自殺したアイドルの一周忌に集まった初対面の5人の男たちの話で、

コメディ+サスペンスって感じだ。

登場人物は、ほとんどその5人だが、ストーリーのテンポがよく飽きることがない。

キサラギ オフィシャルサイト



ここ数年でだんだん映画の趣味が変わってきて、

ハリウッドの高予算の大作より、邦画洋画ともに、予算とは関係なく

脚本やストーリーと役者の演技で作られた映画の方を好むようになってきた。

(大作はどうもCGや俳優の名前や派手さが先行しているような気がする。)

そういう映画は、大体、宣伝もあまりなく知名度もどちらかというと低いものが多い。

例えば、今年観た映画では、

「紙屋悦子の青春」、「ゆれる」、「それでもぼくはやってない」、

「いつか読書する日」、「あなたになら言える秘密のこと」、

「善き人のためのソナタ」、「リトルミスサンシャイン」など。

以上は、全て面白かった。

もちろん、ハリウッド作品の中にも面白いものもあるけど、

意外と、がっかりさせられる確率は、高予算、大作の方が高い。



時々、「これは、ビデオを借りて自宅で観れば良い作品」「映画館で見る必要なし」

などと言うコメントをネット上で読むことがあるが、

私は、基本的に「映画は映画館で観るもの」と思っている。

確かに、「1800円は高いやろ!」という作品にも時々出会う。

もっと言えば、お金を払いたくない映画もたまにある。

だから、なるべく安く観るように工夫している。

(例えば2本立てで観るとか、前売り券を買う、とか。)

なぜ、「映画は映画館で観るもの」と言い切るかというと

簡単な理屈で、映画は映画館で観るように作られたものだからである。

ビデオで鑑賞することを否定しないし、私も映画館で観損ねた作品を

レンタルして観ることもあるし、映画館で観たお気に入りの作品のDVDだって

数本持っている。

ただ、自宅で観るそれは、作者が作った100%のものを観ていない、

ということをわきまえておく必要があるように思うのだ。

おおきなお世話だけど。




それはやめて。

映画を観た後、あるお店で食事をした。

ちょうどお客さんが帰って、まだ片付けていないテーブルしか空いていなかった。

お店の方が、「すぐに片付けますから」と言って片付けだした。

お皿やグラスをトレーに乗せた後、お客さんが使ったあとのおしぼりで

テーブルを拭いた。

時々、そういうお店に遭遇するが、あれはやめてほしいものだ。

私も飲食店勤務の経験があるが、使用後のおしぼりは、

お客さんの汗と、よだれと、時々鼻水と、たまに涙と、食べこぼした食料と、

色んなものを拭き取ったもので、けして衛生的ではない。

それでテーブルを拭くというのはいかがなものか?

私の豊かな想像力は、まるで汗や鼻水をテーブルに塗りたくっているように

感じてしまう。

そして、おしぼり屋さんは「おしぼり以外の目的に使わないでください」と

言っている。

こんなこと気にするのは私が神経質だからか。

皆さんは平気なのか?

(少なくとも、拭いている店員は平気なのだろうな。)

私は、それでそのお店のレベルが分かると思っている。





2007.8.16

感動するわけ

誕生日プレゼントに映画「フラガール」のDVDを頂いた。

本編以外にメイキングや未公開シーンなどの映像やシナリオブックもついた

メモリアルBOXだ。

そのメイキングを観て分かったことがある。

映画の後半で主演の蒼井優らが、紆余曲折を乗り越え、

練習を積んできたフラダンスを踊り、観客から拍手喝采を受け、

感動し涙を流すシーンがある。

映画を観ていた時は、その感動のシーンのダンスと演技の上手さに

感心したのだが、メイキングを観れば、それらが演技ではないことが分かる。

彼女らは、本当に苦労して練習を積み、プレッシャーと闘い、

あの仕事を成し遂げた。

だから、あのシーンの涙は演技ではなく、本物なのだ。

そりゃ、観ている方が感動するわけだ。

だって、演っている側の人々が感動しているのだから。

あの映画が合計44もの賞を受け、人々を感動させたわけは、

出演者やスタッフが、まさにあのストーリーを生きたからに他ならない。

(映画の中の)常磐ハワイアンセンターを成功させる イコール 映画を成功させる、

そんな風に思った。



ただそれを真剣に100%、やっている姿を観たときに

人は心を打たれるのだろう。

どこかに「人に感動して欲しい」「人を感動させる」なんて、

姑息な欲があるうちはまだまだなんだろう。

私自身、演奏中、時々人の目が気になり、邪念に襲われ困ることがある。

そんな邪念が、心をよぎった時は、100%じゃない証拠だ。

スポーツでも芸術でも、純粋に100%、真剣に、本気で取り組んでいる、

そんな人にだけ、拍手を受ける権利があるのだろう。

そして、拍手を受けたいがためにやることは、拍手に値しないのだろう。

人生は、パラドクスだな。





2007.8.17

それでも緊張するのか!

今日は渋谷の Twice Up というオープンして数ヶ月のライヴハウスにてのLIVEだった。



対バンということで、まったく新しいお客さんの前で演奏できるかと思いきや、

私たちの時間に来てくださったのは、

我妻を含め、たびたびLIVEに足を運んでくださる方々4名のみのという

ほとんど、「家でやってるみたいやん」状態のLIVEだった。

それでも緊張して、練習したことが充分にできないのだから、情けないな。

来てくださった皆さん、お店のスタッフの皆さん、

今日の機会を紹介してくれたPICOちゃん、ありがとう。


そういえば、もう20年くらい前になるが、大阪の十三(じゅうそう)の

ライヴハウスで、バンド5名に対し、お客さん2人というLIVEをしたことがある。

忘れもしないが、その日は、リハーサルの後、本番まで時間があるので

メンバーで飲みに行き、私は飲みすぎて本番の時フラフラで、ヘベレケな演奏をし、

LIVE後、リーダーに叱られた。

それ以来、私は本番前には飲まないことにしている。





2007.8.19

源太郎

先月3日、友人夫婦に二人目の子供が誕生した。

昨日は、初めてその「源太郎」に会ってきた。

ついこの前まで存在していなかった人間が、目の前にいるという不思議。

おまけに上の子は2歳半で、前回会った時(1月)は、まだ会話などできなかったのに

今回は、ちゃんと会話ができる! これまた不思議。

よく考えてみると、自分もこんな風に無から誕生してきたのだ。

いやぁ、生命(いのち)ってすごいな、不思議だな。

などと言いつつ、いつものようにその夫婦のおいしい手料理とお酒を

いただいたのであった。

今朝、体重を測ったら、昨日の朝より1.5Kg増えていた・・・・。

 
  源太郎 生後46日。






2007.8.19

8/25のLIVE

今日は、来週25日のLIVEのためのリハーサルだった。

最近はデュオという形態が多く、ドラム&ベースとやる機会が

めっきり減ったので、サポートと言えども今回のような機会はとてもうれしい。

「I want you back(ジャクソン5)」や「Agua De Beber」など楽しい曲から、

「蘇州夜曲」、「My Cherie Amour」などしっとりした曲までバラエティに富んだ選曲。

良かったら聴きに来て下さい。

8/25 14:00 open  14:30 start

MC \2,000 (with 1drink)

Jay-J’s Cafe

Vocal : 古賀万希子、小笠原麗、穴水多恵

Musicians : 辻本明子(pf) 近藤研之(b) 阿部真也(drs) つつみしんや(gt)





2007.8.20

緊 張

ステージで演奏する時の「緊張」というと、ふたつの意味があるように思う。

ひとつは、「緊張感のある演奏」などという風に使われる「緊張」。

これは、どんな仕事にだって必要だろうが、音楽やダンスや演劇など、

人前でのパフォーマンスには特に不可欠だと思う。

「緊張感」のないダラダラしたパフォーマンスなんて誰も聴きたく(観たく)ないだろう。

この場合は「緊張」というより「緊張感」といった方がピンと来るナ。

そして、もうひとつの「緊張」は、いわゆる「アガル」というやつだ。

こっちの「緊張」は実力を出すのに邪魔だ。

もう20年くらい前のことだが、好きなミュージシャンの前で演奏する機会があり、

緊張で指が震え、普段ならなんともない、めちゃくちゃ簡単なフレーズが

弾けなかったことがある。

その指の震えが、うまい具合にヴィブラートになれば良いのだが、

世の中そんなに甘くない。(当たり前や)

なんで「アガル」んだろ。

色んな解釈が可能だろうが、プレッシャーとも深くつながっているような気がする。

「失敗したらどうしよう」「上手く出来ないんじゃないか」「ヘタクソって思われるんじゃないか」

などなど、考えても仕方のない不安のオンパレード。

で、自分のことをよくよく考えてみた。

それらのプレッシャーがなかったら、つまり、アガッテなかったら、うまく演奏できるのかと

自分に問いただしてみた。

答えは「No」だ。

アガッテなくても、やっぱり、納得の出来る演奏ではない。

それでは、自分の才能の無さや、練習不足を証明するようなものだ。

だから、「アガッテたから、うまく弾けなかった」と

「アガッテ」いたせいにするのかな、思った。

考えすぎか?





2007.8.21

つつみしんやのギター達

やっと新コーナーを開設した。

「こんなん誰が読むんやろ?」というコーナー。

私の所用するギターの写真と説明のページだ。

まだ、作り始めだが、これからゆっくりと内容を充実させていくつもり。

なるべく、ギターのこと知らない人が読んでも分かるように工夫して書くので

「オタクやん!」と言わずに時々開いて見ておくれ。

Guitars

ギターって美しいでしょ?

Yamaha AES-1500
 YAMAHA AES-1500




2007.8.22

潮来笠(いたこがさ)

「潮来笠」、橋幸夫のデビュー曲である。

本人の歌唱より、いろんな人の物真似で聴くことの方が多いかもしれない。

さて、その潮来笠について、今日判明したことがある。

たまたま、茨城の潮来が話題に出たので、

「あぁ、♪ イタコの伊太郎 ちょっと見なれば 〜 ♪ のイタコね。」

と自分で言ったあとで、ハタと気が付いた。

「いたこ」という地名があることも、「潮来笠」の「いたこ」がその地名であることも

知っていたのだが、な、なんとそれと同時に、今日の今日まで、

伊太郎さんは、イタコ(口寄せ)だと思っていたのだ。

つまり、「潮来の伊太郎」と「イタコの伊太郎」とダブルの意味づけをしていたのである。

ああびっくりした。

あまりにびっくりしたので、なぜ、そう思っていたのか、よくよく考えてみた。

子供の頃、TVで「潮来傘」を聴いたあと、親か親戚か、とにかく大人に

「いたこって何?」と聞いた覚えがある。

その人は、「死んだ人が乗り移って話ができる人」というような、

いわゆる「口寄せ」の説明をしてくれた。

その人が、私の質問の脈略を知らずにそう答えたのか、

それとも、その脈略を知った上で、その人も「イタコの伊太郎」と思っていて、

そう答えたのか、今となっては分からないが、

子供の頃に何の疑問もなく、そうだと決めつけてしまったせいで、

おそらく30数年間、「イタコの伊太郎」だと信じいていたのだ。

大阪に住んでいると「潮来」という地名を聞くことがなかったことも手伝っただろう。

それでもどこかの時点で「いたこ」というのは地名だと学んだんだと思う。

しかし、どういうわけか、「イタコの伊太郎」は修正されることなく、

「潮来&イタコの伊太郎」と思ってきたのである。

私のその思い違いを聞いたYさんは、

「イタコの歌にしては明るいですよ」と突っ込んでくれた。

まったく、その通り。

でも、信じ込んでると疑問とか持たない自分にまたびっくり。

しかし、一番ショックだったのは、そのYさんに言われた、

「奥さんのこと言ってられないですね〜。つつみさんも変わってますよ。」

あぁぁぁ〜、それだけは、違うと言ってくれぇ!


でも、確かに意外と勘違い多いか・・・・


参考
潮来笠とは?

橋幸夫オフィシャルサイト内「潮来笠」の記念歌碑





2007.8.23

佐賀北、夏の甲子園初優勝

すごい決勝戦だった。

改めて「野球ってホンマに最後まで分かれへんな」と思った。

この記事(msnニュース記者の目)を読むと

優勝の秘密が少し分かったような気がする。






最近、物忘れがひどい。

例えば、本棚まで行って、何を取りに来たのか、分からなかったり、

Googleを開いて、何を検索しようとしていたのか、分からなかったりする。

そういうことが、この2〜3年で加速的に増えたような気がする。

幸い、その場で数秒考えれば何をしようとしていたのか思い出せるので、

医者に診てもらうほどではないだろうが、映画「明日の記憶」などを観るとちょっと怖くなる。

記憶力は年とともに弱くなっていくものだから、老化現象の始まりか、と

思ったのだが、「もしかしたら、違うかも」とも思えるあることを思い出した。

それは、私が19〜20歳の頃のことだ。

私の家から最寄の駅までは徒歩で5分ほどだった。

いつもは、駅まで歩いて行くのだが、たまに電車に乗り遅れそうになると自転車で駅まで行った。

1本乗り遅れると15分は電車が来ないのだから、乗り遅れるわけに行かないのだ。

で、自転車に乗って行くのが、たまのことなので、帰りにはそのことを忘れてしまい、

駅の駐輪場に自転車を置いて帰宅してしまうのだ。

そして悔しいことに、なぜか家の前に着いたとたん、そのことに気付くのだ。

家に自転車がないので、忘れてきたことに気付くのではなく、

どういうわけか、必ず家の前に着くと気付くのだ。

(不思議なことに途中で気付いたことは一度もない。)

そして、駅まで自転車を取りに引き返すことになる。

電車に乗っている時、自転車で来たことを思い出し、「今日は忘れへんぞ」と思っても、

改札を出た頃にはすっかり忘れてしまい、腹の立つことに、家の前で気が付くのだ。

数回、そんな失敗を繰り返した。

やはり自転車を駅に置いていたある日のこと、

帰りの電車に乗っている時、

「今、覚えてても、いつも改札を出たら忘れてしまうから、どうしたものか」

と考えていて、あるアイディアが浮かんだ。

「そうや!自転車のカギを手に持ってたら、忘れへんやん!」

そして、自転車のカギを握り締め、電車を降り、改札を出た・・・・。


そう、賢明な読者諸君はもうお気づきだろう。

私は、家の前に着いた時、「あれ?俺、何握ってんのやろ?」と左手を開いたのだった。


つまり、私の物忘れは今に始まったことではないのだ!

いや、・・・・・ 今、気付いたが、これは「物忘れ」というより、

ただの「まぬけ」だ。





2007.8.24

お詫び

昨日のひとりごとでリンクを貼った部分を 今日開けてみたら違う記事になっていた。

読んで「この話のどこが高校野球の優勝と関係あるの?」と思われた方、

ごめんなさい。正しくは、こちら。

昨日のリンクも訂正しておいた。




プロ?  趣味?  

LIVEに来られたお客さんに稀に「つつみさんはプロ?」と質問されることがある。

「いいえ」と答えると、「じゃあ、趣味?」と聞かれる。

「趣味?」と聞かれると、「ちょっと違うなぁ」と思ってしまう。

「映画鑑賞は趣味だ」と抵抗なく言えるのだが、

音楽をやっていることは、趣味とは片付けられない“何か”がある。

演奏してお金をもらうのかという観点からみれば、

「プロ」「セミプロ」「アマチュア」という分け方ができるが、

それも自分と音楽との関係を表したものではない。

先日、「プロ」か「趣味」以外の表現はないのかね、と話していたら

ある方が、「ライフワーク」という言葉を出された。

調べてみると色んな意味・解釈があるようだが、「天職」「一生を捧げる仕事」などとある。

私にとって音楽は職業にはなっていないが、

「好きで」「終わることなく」「一生取り組めて」「やっていて楽しくて」「学びがあって」・・・

というものだ。

よし、これからは、ライフワークと呼ぶことにしよう。

でも言うのちょっと恥ずかしいナ。





2007.8.25

緊張するのにまたやりたい

今日は、マキちゃん、レイちゃん、タエちゃん3人の初LIVEだった。

私は、サポートで8曲に参加。

お客さんも一杯で大成功。

楽しいLIVEだった。

リハーサルや本番前には、緊張しまくっていた彼女たちが、

終わった後には3人とも「またやりたい!」と言っていたのが印象的。

そう、一度あの感覚を味わうと、やめられなくなるのだ。

音楽、特にLIVEの魔力だ。

いくらやっても終点がなく、飽きることのない、そんでもって楽しい旅だ。

ベースの近藤さんに教えていただいたが、外国のミュージシャンの多くが、

別れる時に「Keep Music」と言うそうだ。

カッコいいな。

Keep Music !






2007.8.26

ロックンロール

桑田佳祐の横浜でのソロ・ライブをTVでやっていた。

サザンオールスターズは、来年でデビュー30年。

バンドでもソロでもこれだけ成功した日本人はいないでしょ。

すごくエネルギッシュなステージで良かったのだけど、

途中で、彼がモニターで歌詞を読んでるのに気付いたら、ちょっと白けてしまった。

何かあの人には「デタラメ歌っててもいいから、カンニングはして欲しくない」感じ。

Ray Charles や Stevie Wonder は歌詞読めないんだから。

私は特別、桑田ファンというわけではないが、

Ray や Stevie と比べるぐらい、彼の才能は素晴らしいと思ってる。





2007.8.29



頼まれたわけでもないのに人に対し何かをした時でさえ、

心のどこかで相手から感謝されることを期待していて、

「ありがとう」と言われることを無意識に期待している自分がいるほどなのに、

頼まれたから “してあげた” のに、そのことをまるで当たり前のように扱われ、

礼を言われなかったとしたら、誰でもいい気はしないだろ?

「ありがとう。助かりました。」と一言言ってくれれば、また困った時には “助けてあげよう” と

思えるのに、お礼も何もないと、もう “助けてあげたくなく” なる。

お前が頼むから “してやった” のに、礼の一言もないのか!と相手を責めたくなる。

“してあげる” とか “助けてあげる” とかずい分、傲慢なもんだなと

自分の頭の中の会話を聞きながら思った。

そもそも、お礼を言われようが、言われまいが、自分がしたそのことで相手の人が、

助かったのなら、それでいいじゃないか、人の役に立てて良かったじゃないか、

とも思うのだが、私のエゴはどうもそれでは納まらない。

何かをしてもらったら、「ありがとう」と言いなさい、と育てられたおかげで

「ありがとう」と言わないことは、非常識で無礼なことになってしまった。

自分だって人に対し充分感謝を表現しているかと言えば、はなはだ疑問なのに、

他人のことになると、「礼も言わないなんてなんて非常識!」というわけだ。

そんなことを考えていたら、数日前に妻に教えてもらった話を思い出した。

神津カンナさんのエッセイ、「人に何かをしてあげること」。

 ↑ 是非、ご一読を。

ほんの数日前、これを読んで感動したところじゃないか。

何の実にもなっとらんやないか!

と自分を省みたのであった。





2007.8.30

ギターデュオ

最近、あらたなプロジェクトとしてギターデュオを始めた。

ギターデュオは、ずっとやりたかったことの一つだ。

相方は、まだ25歳の中々達者な若者だ。(年の差20歳!)

すでに2回練習をしたが、たがいに「それどう弾いてるの?」などと

聞きあったりして、(私が教えてもらうことの方が多いのだが・・・)

中々楽しく、勉強になる。

ROCK、POPS、SOUL、BLUES、FUSION、JAZZ、BOSSANOVA、etc

邦楽洋楽ジャンルを問わずチャレンジするつもりだ。

早ければ、年内にLIVEデビューを考えているので、楽しみにしていて欲しい。

と言って、一番 楽しみなのは私だ。




つつみしんやのギター達 更新しました。

鈴木のガット・ギター登場!




2007.8.31

やりたくない

早いもので、8月も終わり。

8/31と言えば、子供の頃は、一番いやな日だった。

夏休みが終わるからではない。

夏休みの宿題をやっていないからだ。

おかげで8/31はゆっくり眠れなかった。

眠れなかったと言えば。

高校の卒業式の次の日が日本史の追試だった。

担任の先生に「単位を落としたままでは、一生その成績が付きまといます」と脅され、

追試を受けてある程度の点数を取れば単位をくれるということで

卒業式の前夜、徹夜で勉強した。

と言いたいところだが、徹夜はしたが、「やらなきゃいけない、でもやりたくない&やる気ない」と

いう気持ちを一晩中味わいながら、なんだかんだして時間をつぶし、朝を迎えた。

おかげで卒業式中、めちゃくちゃ眠かった覚えがある。

結局、勉強しなかったので受けても意味がないと思い、翌日の追試は受けなかった。

つまり、高校の日本史の単位は落としたままだ。

担任に「卒業後、何年経っても、成績証明を取れば、単位を取っていないことが分かります」と、

それがさも重大であるかのように言われたが、

45歳になる今まで、一度も成績証明など取ったことない。

これからも取ることないだろうし、仮に取ったとして、その単位を取っていないことが、

何だと言うのだろう。

先生方はなぜに日本史の教科書をあれほどまでに暗記させたかったのだろう・・・。

興味のないことを覚えなければならないのは、拷問に近い。

今でもあれは、日本史のテストではなく、記憶力(しかも興味のないことを覚える)のテストだった

と思っている。



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