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つつみしんやのひとりごと  
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2012.1.7

ダイエット 中間報告−4

久しぶりのダイエット報告だ。

昨年 5〜6月には、時々80キロを超えていた私の体重。

6月の中旬に始めたダイエットの目標は、

昨年内に65キロ (15キロ減) だった。

とにかく一度、65.0キロを切れば、目標達成で、

その後わずかにリバウンドしても、67〜68キロに

落ち着くであろうというのが、私の目論見であった。

結果、12月20日に 66.0キロ というのが記録で、

65.0キロには及ばなかった。

まあ、言い訳は山ほどあるが、言うまい。

妻の 「(そんな目標は) 絶対無理!」 という言葉が

私のやる気に火を点け、「ほな、(金) 賭けるか!?」 と

勝負に出たのだが、結局、私の負けだ。

潔く認めよう。

考えてみると不思議なのだが、この賭けのルールは、

私が目標を達成すれば、妻からお金をもらうことに

なっていたが、達成しなくても私は彼女に払うということには、

なぜか なっていない。

あ、こんなこと書くと そのことに気付いていなかった妻が、

何か言い出すかもしれないな。

くわばら、くわばら。


66.0キロ まで行ったのだから、もうええじゃないか、という気も

しないではないが、どうしても 一度は 65.0キロを達成したいので、

もう少しの間、減量に取り組むことにした。

12月20日頃の1週間の平均体重が、66.5キロだったのだが、

この1週間の平均体重は、67.8キロと、やや増え気味だ。

12月24日からの3泊4日の沖縄旅行中、

全く気にせず、お腹一杯食べたので、3キロぐらい増えただろうと

覚悟して帰ってきたのだが、驚いたことに、旅行に行く日の朝と

帰ってきた翌朝の体重は、300グラムしか変わらなかった。

(24日朝が 67.2キロ、28日朝が 67.5キロ。)

これは、どうも、10月のあの9日間の酵素ファスティングの

効果のようだ。

つまり、代謝がよくなっていて、体重が増えにくくなっていると

いうことらしい。

で、油断していたら、68キロを超えてしまった。

いかんいかん、ということで、1月中になんとか、

65キロを達成したいが、あと3週間ほどなので、

微妙かな。


ダイエットの成功には、グラフは必須。

これは、この半年間の体重グラフ。


クリックで拡大


今でも、12〜13キロは痩せたわけで、

何人かに 「スゴイ」 と言われたけど、

当の本人は、あんまり辛くなかったので

スゴイとは思ってない。

これ、何かに似てると思ったら、

タバコが中々やめられなかった頃、

(やめたらスゴイやろな) と思っていて、

実際にやめることができたら、全然スゴクなかったのに

似ている。

やれないときには、スゴイことに見えていても、

やれてしまうと、スゴクない自分がやれてしまったわけだから、

スゴイと思えない、というわけだな。





2012.2.9

断食とチョコレート

今日から、再び酵素ファスティング (断食) を始めた。

前回 (10月) は、9日間の断食だったが、

今回は最低10日、できれば12日か14日間に

チャレンジしようと思っている。

身体と相談しながらなので、どうなるか分からないが。


断食は、本来、ダイエットのためにやるものではないが、

この機会に一気に目標の65キロを達成し、

昨年6月からの ダイエットを完了したいという気持ちもある。

実際、ここんとこ、体重を減らす努力は何もしていない上、

お正月を挟んで、食べる量が徐々に増えてきているので、

ここらで食生活を修正しようという意図もある。

食べる量が増えてきたと言っても、今のところ体重は、

60キロ台をキープしており、極端なリバウンドは起きてないけどね。

断食は、2回目なので、初回ほどの緊張感もなくスタート。

今も、確かにお腹は空いているが、苦しくはない。


さて、先日、「バレンタインにはちょっと早いけど」 と頂いたチョコレート。



パッケージに 「Musik − Set」 と書かれている。

私が音楽好きなのを知っていてのプレゼントだ。

(「Music」 じゃないあたりが、しぶいやん) と思ったら、

ドイツ製のチョコだった (music はドイツ語では、musik) 。

サックス、キーボード、ピアノ、ヴァイオリン、トランペット、

8分音符、そしてエレキギター。

このギター、写真では見にくいけど、トレモロ・アームらしきものが

付いている。

なんか、うれしいな、そういうの。

断食明けに食べよっと。





2012.2.12

断食 (2回目) レポート その1

【DAY 4】

今日は、眠くてずっと布団から出なかった。

昼頃まで、軽い頭痛があったが、今はなくなった。

この断食方法を教えてくれた Aさんが、

「2回目の方が、つらかった」 と言っていたが、

確かにそんな気がする。

1回目は、(こんなに食べなくても平気なのか)

(こんなに食べたいと思わないもんなのか) と

驚きもあり、つらいという感じはなかったが、

今回は、「食べたい」 と思う。

と言っても、そんなにつらいわけではないが、

前回より明らかに食欲がある。

今日の体重は、66.0キロだ。





2012.2.13

断食 (2回目) レポート その2

【DAY 5】

昨夜 (4日目) 断食開始以来始めての便が出た。

黒いドロドロしたもので、もしかしたら、

これが宿便かも知れないと思った。

前回もそうだったが、頭がスッキリするという体験は、まだない。

日数が足りないのか、もともとスッキリしていたので

分からないのか、スッキリしたのに自覚がないのか分からないが、

もう少し様子を見ようと思う。

断食と関係あるのかどうか分からないが、

一昨日の夜あたりから、軽い腰痛がある。

断食を始めたら起きる症状の中に、腰痛というのも

読んだ覚えがあるので、関係あるのかもしれない。

一緒に始めた Kさんは、始めの2、3日、リンパが痛いと

言っていた。

人によって現れる症状は、様々なようだ。

それにしても、今回は、食べたいという気持ちが強い。

いつまでやるのか決めた方が、やり易くなるので、

10日間ということに決めた。

今週の土曜日までで、日曜日から回復食だ。

あと、半分。

前回の断食では、9日間で3.3キロしか落ちなかったのに、

(72.1キロから68.8キロ) 今回は、開始日の朝の体重が

69.2キロで、今朝の体重が65.6キロなので、

4日間で3.6キロも落ちたことになる。

不思議だな。

昨年6月に始めた15キロダイエットも、8ヶ月がかりで

いよいよ目標 (65キロ) を達成しそうだ。





2012.2.15

断食 (2回目) レポート その3

【DAY 7】

今朝の体重は、65.1キロ

断食開始から早くも4キロ減だ。

前回より体重の減り方が激しいのは、

代謝が良くなっているからではないかと、

勝手に良いように解釈している。

前回の断食でもあったことやけど、

ほっぺたの肌が とってもすべすべしていて、

自分で触っていて気持ちいい。

今日は (少しやけど) 便が出て、なんとなくすっきり。

前回は、そっちの方もあんまりスッキリ感がなかったので、

やっぱり2回目の方が効果があるのかな。

あと、3日。

終わったら、いっぱい、食べたいもんあるなぁ。

今日、思ったこと。

食事が出来ること、一緒に食事をする人がいることは、

ホンマに幸せなことやとつくづく思った。





2012.2.16

ダイエット 最終報告

つ、ついに目標の65キロを達成!

今朝の体重は、64.8キロだった。

昨年、何度も80キロをオーバーしたので、

6月の中旬に始めた15キロダイエット。

8ヶ月がかりでついに目標を達成した。

これをもって、ダイエット・プロジェクトは、完了だ。

今後は多少体重が戻っても、70キロには、

ならないように気をつけていこう。




断食 (2回目) レポート その4

【DAY 8】

断食の方は、かなり口臭があるようで、周りの方には、

不快な思いをさせているかも知れない。

普段、口くさいにおいとは ちょっと違うにおいのようだが、

何のにおいやろ?

飲んでる酵素のにおいもあるかもしれないが、

内蔵のにおいやろか、毒素が出てるんやろか。

いずれにしろ、デトックスだろう。

そして普段より おならが出るが、不思議なことにあんまり臭くない。

口臭は、臭いのにね。

体重が落ち、顔はかなり細くなったが、

驚くほど腹の周りの脂肪は落ちない。

これは、やはり筋トレしかないな。

基礎代謝アップのためにもね。





2012.2.17

断食 (2回目) レポート その5

【DAY 9】

今日は、よくおならが出たなぁ。

びっくりするぐらい出た。

便意を催し、トイレに行ったら、

おっきいおならだけやったということが3回ぐらいあった。

ちょびっと便が出た時もあったので、全部で、トイレに5〜6回行ったよ。

今朝の体重は、64.5キロ。

断食はあと1日あるのと、回復食中も減るだろうから、

63キロぐらいになるかもね。

63キロというと20代のときの体重やで。


何がとは言えないけど、なんとなく、前回より今回の方が、

効果があるような気がするな。





2012.2.18

断食 (2回目) レポート その6

【DAY 10(最終日)】

今朝の体重は、64.1キロ。

これで、今回の断食開始から5キロ減。

さて、今日はパン屋の仕事で写真撮影をしたのだが、

さすがに、美味しい匂いのするパンと長時間向かい合うと、

つまみ食いしたい衝動にかられ、我慢するのがやっとだった。



島唄ウインナーフランス



黒豆あんぱんとくるみあんぱん


断食は、今日で終わり明日から回復食。

前回は失敗 (回復食2日目に胃の痙攣) があったので、

今回は慎重にやろう。

明日は、重湯と具なし味噌汁の予定。

今回も、特に頭が冴え渡るというような体験はなかったが、

昨日も書いたとおり、なんとなく良いという感じがする。

断食後の体調に期待!





2012.2.20

断食 (2回目) レポート その7

【DAY 12 (回復食2日目)】

昨日 (回復食1日目) は、朝、昼は重湯と具なし味噌汁、

夜は、かなりゆるいお粥と味噌汁を飲んだが、

それだけでは満足できず、時間を開けてスープを

2杯飲んだり、黒砂糖やチョコレートをなめたりした。

今日は、回復食2日目で、お昼はお粥。

夜は友人と会ったが、居酒屋だと食べるものがないので、

ファミレスにしてもらって、スープを飲んだ。

ああ、早く普通食が食べたい。


さて、今回の断食10日間のことをまとめておこう。

前回との比較も交えて。

・今回の断食では、前回ほど頭痛はなかった。
 前半と途中で微かに感じた程度。

・前回はお腹やわき腹に湿疹が出たが、今回は、背中に出た。

・断食と関係があるかどうか分からないが、
 途中、少し腰痛とわずかな首痛もあった。(今は、ない。)

・前回より、便が出たように思う。

・前回同様、5日目か6日目ぐらいから、ほっぺたの肌がすべすべになった。

・前回同様、断食中は、日によって多少の差があるが、おならがよく出た。

・断食中は、かなり口臭がひどいようだ。

・前回同様、頭が冴え渡るとか、劇的な体験はなかったが、
 身体には良いという実感はある。

・前回より今回の方が、「食べたい」 という気持ちは強かったが、
 それでも大したことない。(我慢できないほどじゃない)

・体重は、前回約3キロ減、今回約6キロ減。


前回より今回の方が、「食べたい」 気持ちが強かったのは、

心理的なことも大きく関係しているのではないかと考えている。

前回は初めてで、(かなりつらいんちゃうか) と覚悟して臨んだが、

やってみると大したことなかった。

今回は、前回の経験から (大したことない) と思って臨んだので、

油断というか甘くみていた、という感じだ。

時に経験は邪魔をする。

いつも、新しく臨め、ということだな。

ま、2回目というのは初めてなのだから、もっともな話だ。

そして、効果という面では、確証があるわけではないが、

前回より今回の方が、あったような気がする。

前回より頭痛がましだったり、口内炎が出来なかったりと、

なんとなく改善されてるような感じなのだ。

もしかしたら、数ヵ月後にもう一度やるともっと良いのかもしれないな。

今朝の体重は、63.5キロと記録更新。

たぶん、63キロ台は、16〜17年ぶりだ。





2012.2.27

PASTEL 画

ちょっと前、友人のUちゃんの紹介で、一緒に飲んだ人が、

パステル画の先生だった。

話を聞くと、面白そうなのでやってみることに。

昨日、洗足池にあるトラットリアで、10人の生徒が集まり、

行われた。

朝10時半から3時間ほどパステル画に取り組み、

その後、そのトラットリアでランチというプログラムだ。

生徒は、私以外は全員女性。

私は、そういう環境におかれても意外と平気。

根が、おばちゃんだからか。

パステル画は、半分の人が初めてで、残りの半分の方は、

何度目かの人たち。

私は、パステル画というものを知らなかったが、

パステルといわれるクレパスのようなものをカッターや、

金属の網で粉にし、それを指や脱脂綿などで、紙に擦り付け、

着色していく。

先生が書いた見本をもとに自分で配色やレイアウトを

アレンジし、進めていく。

今回は、初回だったので、まずパステルの使い方を学ぶため、

簡単な練習用の絵を1枚と、2枚目は教会と月のある風景。

大きさは、15センチ四方ぐらいの小さな紙だが、

あっという間に時間が経ち、最後は、ちょっとあわてて

仕上げることになった。

もうちょっと、ゆっくり取り組みたかったな。

書いてるときは、イマイチだと思っていたが、出来上がって、

額に入れてみると、なんとなく、さまになっているような気がする。

画材などは、全部準備されているので、手ぶらで行くだけで

良いので気軽に出来て良い。


1枚目:練習用の円の絵




2枚目:風景画 (額入り)







2012.2.28

ダイエットの効果

今朝の体重は、67.3キロ。

断食直後からは幾分増えたが、それでも80キロ時代を

思うと身体は軽い。

これからは、67〜68キロをキープし、体力づくりのため、

なるべく歩いたり、軽い運動を心がけようと思う。

何しろ、あと数ヶ月で50歳なので、今までのように

無茶はいけません。


さて、この十数キロのダイエットで一番感じている効果は、

夜中に息苦しくて目が覚めることがなくなったことだ。

70キロ後半から80キロの頃は、睡眠中に気管内の空気の流れが悪く、

何度か目が覚めることがあった。

鼻の奥というか、のどの入口あたりの気管の肉が、

空気の通りを邪魔している感じで、息苦しくなるのだ。

目が覚めると、頭を後ろにそらす感じで、

負担を軽くし、物理的に空気が通りやすくすることで、

応急に済ませていたが、あのまま進行すると間違いなく、

「睡眠時無呼吸症候群」 だ。

いや、あの時点でそうだったのかも知れない。

でも、痩せたおかげで、いびきも かかなくなった。


「睡眠時無呼吸症候群」 について調べてみると、

構造的原因のひとつとして、「首周りの脂肪沈着」 と

いうのが挙げられている。

つまり肥満が大きな原因になりやすいが、もともと日本人は

頭蓋骨が上下に長く、気道が狭い形態的特長があるらしい。

近年、顎が小さく気道が塞がれやすい人も増えており、

痩せていても 「睡眠時無呼吸症候群」 になることも

あるようだ。

「睡眠時無呼吸症候群」 になると、いびき、日中傾眠、

熟睡感がない、集中力の低下、夜間のトイレ回数の増加、

EDなどの症状があるらしい。

「日中傾眠」 とは、日中の寝てはいけない時 (運転中や

会議中など) に寝てしまうことらしい。

運転中・・・こわっ。





2012.3.6

結婚は修行

先日、妻帯者2人と飲んだ。

何の話からだったか、仕事の人間関係より、

妻との関係が難しいというような話になり、

まだ、結婚して数年の H さんが、

「1日に (妻の) 首をしめたくなることが、3回ぐらいある」 と

言うと、(たぶん) 結婚5〜6年の Y さんは、

「僕は、それほどでもないけど、2日に1回はあるなぁ」

と言った。

私は、自分のことを観てみて、

「僕は、そんなにないなぁ。半年に1回ぐらいかなぁ」 と

言ったら、2人が声をそろえて、

「ええなぁ・・・」

そんなとこでうらやましがられるとは、思えへんかった。

いや、正直に言うと、半年に1回より、もうちょっとあるかな。

ちなみに、「首をしめたくなる」 は比喩ですので、ご安心を。

念のため。





2012.3.8

ド ン キ ホ ー テ

ドンキホーテという安売りの店があることは、

皆さんもご存知だと思うが、私はその 「ドンキホーテ」 に関して、

つい先日まで知らなかったことがある。

それまでも、詳しいことは知らなかったが、「ドンキホーテ」 が、

人の名前だろうということは、なんとなく知っていた。

先日、車の中で数人と話していて、何の話からか、

「ドンキ・ホーテ」 か 「ドンキー・ホーテ」 かという話になった。

私は、あの 「ドンドンドン ドンキー ドンキー ホーテー」 という

歌のせいで、(もしかしたら、「ドンキー・ホーテ」 かも知れない) と

思ったのだが、ちょうど車は 新宿歌舞伎町に差し掛かり、

件の店が見えてきた。

な、なんと正解は、


ドン・キホーテ!


ああ、「プエルトリコ」 を 「プエル・トリコ」 だと、

ずっと思っていたのと似ている。

(正解は、プエルト・リコ / Puerto Rico ね。念のため。)

ちなみにその車に乗っていた4人の中で、「ドン・キホーテ」 だと

知らなかったのは私だけだったようだ。

皆さんは知ってた?

また、私だけ?

あの リーボック の時と同じように・・・。


なお、(ウィキペディアによると) 「ドン・キホーテ」 は、

スペインの作家 ミゲル・デ・セルバンテスの小説。

やはり 人名だが、最初の 「ドン」 は、呼び掛けの称号のため

スペインでは、通じないことが多く、定冠詞を付けて

「エル・キホーテ」 と呼ばれるらしい。





2012.3.16

駒沢さん

1995年の暮れ、私は東京に引っ越してきた。

’96年の4月から、Bar の店長として働くことになり、

それまでの 1月から3月までの間、自由が丘の Bar で、

週末 (金曜・土曜) の夜だけ、バーテンダーの勉強を

させていただくことになった。

その Bar に常連客として来られていたのが、

作家・翻訳家の 駒沢敏器 さんだった。

その3ヶ月間に、何度かその Bar で お会いし、

4月にオープンし、私が勤めた Bar にも、数回来てくださった。

駒沢さんの本は 4〜5冊読んだ覚えがあるが、

もう10年以上前だし、引越しのときに処分してしまい、

今は手元に1冊もない。

そういえば、たぶん’96年だっただろうが、

新刊 『街を離れて森のなかへ』 が出たとき、サインを入れて

プレゼントして くださったこともあった。

そのサイン本は、大阪の友人に貸したまま、戻ってこなかった。

最後に読んだ本は、2000年に出版された 『地球を抱いて眠る』

だったことは、はっきり覚えている。

なぜなら、その中に 「ハワイから石を持ち帰ると不幸になる」 という

話があり、実際に石を持ち帰った駒沢さんは、離婚することに

なったと書いてあったからだ。

いや、その石の話と離婚が本の中で結びついていたかどうかも、

記憶が怪しいが、とにかく、その離婚の話が印象的だったのだ。

というのも、その Bar にはいつも、奥様といらしていたから。


前書きが長くなった。

その駒沢さんが、今月8日、死体で発見された。

ニュース記事には、事件として扱われている。

その内容は、ショッキングで、ここに書くことは、

はばかられる。

知らない人のことだったら、平気で書くんだろうけど、

直接知っている人のこととなると、書けないもんなんだ。


駒沢さんとは、お客様以上の関係ではなかったし、

もう15年くらいは会っていなかったわけだし、

お付き合いのある方とは 言えないが、やはり、

直接知っていたが、そんな風に亡くなったと聞くと、ヘビーだ。


実は、彼が亡くなったことを私は今日まで知らなかった。

時々、読んでいる さとなおさんのブログを久しぶりに開けて、

知った。

さとなおさんとは面識はない。

だが、彼が駒沢さんと友人であることは、以前から、

さとなおさんのブログを通じて知っていた。

そのこと最初に知ったときも、少し驚きだったのを覚えている。

たまたま読み始めた、会ったこともない人のブログに、

以前、自分が直接知っていた人が登場するのだから、

不思議な感じだ。

こういうのを 「世間は、狭い」 というのだろう。

そして、駒沢さんは、さとなおさんと共に、

沖縄の山本彩香さんとも懇意だった。

考えてみれば、私が 2006年に 「琉球料理乃山本彩香」 を

訪れた
のも、さとなおさんのブログを読んでのことなので、

駒沢さんが山本さんと懇意なのは不思議でもなんでもない。

だが、自分中心に考えると、私が那覇で食事をしに行ったとき、

ご挨拶に出てこられたので、直接 お話しすることが出来た、

あの山本さんと、駒沢さんがそんなにも懇意だったというのは、

やはりちょっと不思議な感じがするのだ。


私が、バーテンダーの勉強をしたその自由が丘の Bar には、

修行 (?) 後も、 1年に1回ぐらいは、顔を出していたが、

この3年ぐらいは、不義理をして 行ってなかった。

先日、仕事で自由が丘に行く機会があり、店の前を通ると、

看板が違う店の名前に変わっていた。

調べてみると、2010年の夏にクローズしたようだ。


閉店を知ったとき、お世話になったマスターKさんに

電話をしようかとも思ったが、なんとなくかけにくく、

かけなかった。

しばらく 顔を出していなかったことに引け目もあった。


駒沢さんが亡くなり、その Bar も なくなった。

どちらも今の私の普段の生活には、直接関係していなかったが、

こうなると、複雑な思いで、さびしい。

駒沢さんには、謹んで哀悼の意を表します。

マスターKさんには、電話をしてみよう。





2012.3.21

小学6年生

私が算数と国語を教えている G君 (小6) の言葉。

明日の卒業式を控えて。

「あ〜明日、卒業式だ。いやだな〜。卒業したくないなぁ。

6年前に入学したなんて、昨日のようだ。」

12歳の子供が、6年前を 「昨日のようだ」 というのが、

なんだかおかしくて、笑ってしまった。

話題が少子化におよび、私がG君に早く結婚して

子供を作るように言うと、

「それはそうなんだけど、親離れが難しいんだよな〜」

親離れが難しいって、面白いこと言うよな。





2012.3.29

45年目の真実

子供のころ、たぶん小学校に上がる頃までだと思うが、

親の言うことをきかなかったり、悪いことをすると、

「“みやっかどん” がさらいに来るよ」 と

母親に おどされていた。

「みやっかどん」 という響きからか、子供の私は勝手に

田舎のおじさんのような人を想像していたように思う。

この 「みやっかどん」 のことは、ずーっと忘れていたのだが、

少し前にふと思い出し、検索してみた。

すると、たとえば、「みやっかどん は恐ろしいお化けらしく、

子供を食べるという」 や 「今日は小学校一年生の教室で

『みやっかどん』 のお話をしました」 なんていう記述は

見つかるのだが、肝心の 「みやっかどん」 が何者かは

分からなかった。

妻に訊いても、「知らない」 「聞いたことがない」 と言う。

私の母親の創作かとも思ったが、少しでも検索にひっかかるということは、

そういうわけでもないようだ。

結局、何も分からないまま、そのままになっていたのだが、

先日、その 「みやっかどん」 を再び思い出し、

再度 検索してみた。

すると、あることが判明した。

「みやっかどん」 ではなく、

正しくは、「ミアッカどん」 だったのだ!

そして、ついにその 「ミアッカどん」 が載っている本を発見した!

それは、なんと 『イギリスとアイルランドの昔話』!

そう、「ミアッカどん」 は、外国のお話だったのだ。

なぜ、そんなハイカラ (?) な ものを、うちのおかんが

知っていたのか、今回、このエントリーを書くにあたり、

本人に確認してみた。

おかんの話しによると、ミアッカどん のことは、

若い頃、テレビで観て知ったのだが、

「悪いことをしたり、言うこと聞かない子供をさらう」 と

いうこと以外は、何も覚えておらず、勝手に やまんばのような

お婆さんだと想像していたとのことだ。

そして、おかんも 「みやっかどん」 だと思っていた。


『イギリスとアイルランドの昔話』 に載っている

ミアッカどんは、言うことを聞かない子供を食べる

おっさんだった。

そして、このイギリスの昔話は、ほんの4ページほどの短い、

なんでもない話だった。

ちなみに この本は、『ジャックと豆の木』 や 『3匹のコブタ』

などが収録されている昔話集の古典だ。


そてにしても、良かった。

ミアッカどんのことが分かって。

改めて、インターネットって凄いよな。




『イギリスとアイルランドの昔話』 の挿絵の ミアッカどん。
おのを持って椅子に腰掛け、椅子の下に隠れている子供を狙っている図。






2012.4.3

お酒の味

小学4年生の時のある日、いとこの兄ちゃんが

遊びに来ていて、食事のとき、私の両親とビールを

飲んでいた。

普段は、お酒に興味のなかった私は、その日、

なぜか 「味見させろ」 と親にせがんだ。

私の父は、そういうことが絶対に許容できない

マジメな人間で、「ダメだ」 の一点ばりだった。

母は、一口飲めば (子供は) 「おいしくない」 と

言うだろうと、「一口ぐらいいいじゃない」 と言うのだが、

父は、一歩も譲らない。

そのうち、かんしゃくを起こした私は、

階段を ドンドン 音を立てながら、怒って2階に上がった。

その態度が、気に入らなかった父は、

私を追いかけてきて、私に馬乗りになり、

往復ビンタをぶちかましてきた。

その時、ビンタで痛いことよりも、あまりの勢いに

息ができず、心の中で 「ビンタしてもいいから、

息させて」 と思ったことをはっきり覚えている。

翌日、ほっぺた全体が内出血で痛かったことも

覚えている。

私の記憶にある父に殴られた唯一の思い出だ。


ちなみに母には、何度も叩かれている。

中学生ぐらいになって、朝、中々起きない私を母は、

手が痛くなるからと、竹の物差しで尻を叩いて、

起こそうとしていた。

でも、寝ぼけている時って、全然痛くないねんな。

これが。

困ったことに。





2012.4.9

漢字テスト

友人の息子2人に週に1〜2回、

算数や国語を教えているのだが、

お兄ちゃんが この4月から中学生になった。

弟は 6年生だ。

弟の方は、昨年の4月5日に始めたので、もう1年が過ぎた。

早いなぁ。

お兄ちゃんの方は、12月からなので、4ヶ月。

勉強嫌いだった私が、子供に勉強を教えているというのが、

不思議だ。

10年ぐらい前、不登校の中学生のフリースクールの

仕事をしたことがあって、その頃に、少しだけ数学や理科を

子供に教えたことがあるものの、教えることに関しては、

特にトレーニングを受けたわけでもない。

素人だ。

なので、今も手探り状態で進行中だ。


先週は、弟君に漢字のテストをした。

私が、漢字ドリルを見ながら問題を出し、

彼がその漢字を書く。

分からない字は、ヒントを出す。

そのドリルは、5〜6年生用だったので、

彼はまだ習っていない字も載っているわけだが、

そのことに気付いていなかった私は、どんどん

先へ進んで問題を出していた。

「じゅうどう」

「あ〜、その字、いつも書けないんだ、変な字だよね」

「じゅうは、柔らかいっていう字」

そんな風にヒントを出すと たいていは書けるのに、

「この字は、覚えられないんだ」 という。

私が書いてみせると、初めて見る字を書くように

何度か書いた。

そして、

「何ページ?」 と訊いてきた。

私が、「柔道」 という字が載っているページを見せると、

「まだ、そこ、習ってないよ〜。

『いつも書けない』 って、俺、何言ってんだ」

と、自分に突っ込んでた。

爆笑。





2012.5.29

当 選!

昨日、突然ビールが届いて、思い出したのだが、

ふた月ほど前、たまたま入ったレストランでビールを飲んだ。

その時、店員が 「今、キャンペーン中ですので良かったらどうぞ」 と

キャンペーンの応募ハガキをくれた。

そのハガキを出したか、ウェブから応募したのかも覚えてないが、

とにかく応募した覚えはある。

商品は、チェコの旅 (4泊6日)  5組10名。

または、ビール350ml×6缶 10,000名だった。

残念ながら、チェコの旅は逃したが、ビール6缶が当たったのだ。

高価なものではないが、やはり 「当選」 はうれしい。


私は、あまりくじ運が強い方ではない、と自分では思っている。

懸賞の類もそんなに応募するわけではない。

気が向いたら たまに応募する程度だが、数年に1回ぐらい、

何かが当たる。

例えば、ライブハウスへの招待券だったり、

粗品的なボールペンだったり。

そういえば、子供の頃にテレビゲームが当たったことがあったな。

宝くじは、3000円ぐらいが最高当選額だ。

でも、もしかしたら、この人生を引き当てたことが

一番の当選かも知れない、と この頃 思う。




送られてきたビール と 「ご当選のお知らせ」






2012.6.5

左手のしびれ

ふた月ぐらい前からだと思うが、たびたび左手が

しびれている。

肩から指先まで。

日常生活に何か支障をきたすようなことはないが、

主に座ってパソコンを打っている時に しびれている。

首の角度によってしびれが酷くなったりするので、

昨年5月の首痛事件とも関係があるような気がしていた。

50年も生きていれば、年々、身体に不具合が生じてくるのは、

自然なことだと、あまり気にしないようにしているが、

ちょっとしびれが酷い日もあり、このまま悪化して、

万一ギターが弾けなくなったら、イヤだなという思いから、

治療を受けることにした。

そういうわけで、今日は、K先生の診断と治療を受けてきた。

K先生の治療は初めてだが、昨年だったか一度講演を

聴いたことがあり、初対面ではない。

鍼灸師と聞いていたので鍼を打つものと思っていたら、

「必要のないことはやりません」 と、鍼は打たなかった。

問診の後、ある状態で 30分、大の字になって寝た。

なんと、これだけで、改善が見られてびっくり!

その後、指圧とお灸。

日々の生活で気をつけること、家で簡単にできることを

教えてもらい、一週間か10日間、様子を見ることになった。

色んなことの積み重ねで 「しびれ」 という症状が

現れるのだろうと思うが、驚いたのは、

「肩、こってますね」 という言葉。

私は、妻がうらやむほどの肩こり知らずで、

自分は、肩などこらないものと思い込んでいたら、

肩の表面ではなく、奥の方でこっているそうだ。

肩の奥の方にかなりの緊張があるという。

「全然、緊張感のない生活してますよ」 というと、

「緊張感のない生活と身体に緊張があるかどうかは、

関係ありません。」

なるほどね。

そういうわけで、身体の緊張をとるべく、

なるべく身体をリラックスさせながら、

正しい姿勢を保つことを日々心がけることになった。





2012.6.12

雨男確定

GW の旅行があいにくの雨で、

振り返ってみると、旅行のたびにほとんど雨が降っているので、

「私は、どうも雨男のようだ」 と書いた。(このエントリー


さて、日曜〜月曜と仕事がらみの旅行で、箱根に行ってきた。

ざあざあ降りには遭わなかったものの、

1日目、大涌谷で小雨に遭い、

2日目、芦ノ湖でこれまた小雨に遭った。

もう、雨男確定やな。

そんな風に思うと、ますます真実化していくので、

イヤなのだが・・・。





2012.6.22

左手のしびれ −2

少し前から、たびたび左肩から指先にかけて

しびれていて、治療を始めたことは ここ に書いた。

K 先生の診断によると私の左手のしびれは、

首から肩にかけての、こりによるものらしい。

首から肩にかけて、不要に力が入っていることが、

原因だと最初に言われた時は、力が入っていることに

無自覚だったため、意外な感じがしたが、

この約2週間、自分を観察し続けて分かったことは、

驚くほど力を入れているということだ。

全く無意識に力を入れているために、自覚しにくい。

気が付いたら、肩に力が入っていることがめちゃくちゃ多い。

気が付くと、力を抜くことができるが、

それも 「気が付いたら」 なので、気が付いていないと

ずっと力を入れっぱなしなわけだ。

今、これを打っている最中でさえ、何度も力を抜かなければ

ならないほど、基本的に 「すでに、力が入っている」 状態。

これは本当に驚きだが、そのことを自覚できるようになったのは、

大きな前進だ。


実は、K先生に最初に 「力入ってますよ」 と言われた直後の

数日間は、(そんなに力入ってないけどな〜) と思っていたのだが、

観察が甘かっただけで、日を経ることに身体を緊張させている

自分を発見し続けている状態だ。

一日に何十回も!

なんと、眠っている時でさえ、どうも力を入れているようなのだ。

治療の鍵は、自分がどれだけ力を入れずに いられるか、

ということらしいが、これが簡単なようで手ごわい。


しびれ始めたら、姿勢を変えたり、腕を上げることで

しびれを止めれるようになったが、ちょっと油断すると

すぐにしびれ出す。

また、日によって、しびれの酷い日とそうでもない日がある。

その違いが何なのか分からなかったが、

先日、2度目の治療の日に分かった。

その日は朝からしびれが酷かったので、

先生にそのことを伝えると、

「そら、そうですよ。台風が来てるんですもん。」

と言われたのだ。

あの台風4号が、来ていた日のことだ。

「雨が降ると古傷が痛む」 というような話は、

確かに聞いたことがあるが、それは自分には関係のない話だと

思っていたが、気圧の変化は 自分が思っている以上に

身体に影響があるようだ。

実際、今日もちょっとしびれが酷いなぁと思ったら、

朝から、雨だということに気付いた。

しびれのおかげで、新発見や新体験の連続だぜぇ。





2012.7.30

柔 道

オリンピックの柔道を観ていると、思い出すことがある。

私が小学1年生の時、テレビで ドラマ 『柔道一直線』 が

始まった。

原作は、梶原一騎、主演 (一条直也) は、桜木健一。

他に、高松英郎や 吉沢京子がレギュラーで出演していた。

詳しいことは覚えていないが、近藤正臣が、

やはり柔道の選手として出演していて、

ピアノの鍵盤の上を足の指先で、演奏しながら、

軽やかに動くシーンが印象的だった。

というのも、(私の記憶が間違っていなければ)

そのシーンでは、近藤の柔道着がはだけており、

子供心に何かがカッコ悪く、笑っていた覚えがあるのだ。

一条直也は、当時7歳の私には最高にカッコ良く、

ぜひ、柔道を習いたいと思った。

で、父母と柔道場を探して歩いた覚えがあるが、

結局、私の住んでいた町に、柔道場はなく、

似たような道着でやっていた、合気道の道場しかなかった。

当時の私には、合気道と柔道の違いなど分かるわけなどなく、

ただ、「柔道と違う」 ということが、私のモチベーションを

下げた。

結局、合気道は習わず。

確か、柔道を習うためには、電車に乗って通わなければ

ならなかったが、小学1年生にはそれは、ハードルが

高すぎたのだろう。

あの時、もし、近くに柔道場があったなら、

間違いなく習っていただろう。

そうだとしたら、私の人生は違うものに

なっていたのだろうか・・・。

柔道場に通いながら、自分の運動神経のなさ、勝負の弱さに

苦しんだのだろうか・・・。

そう思うと、近くに柔道場がなくて良かったと思う私は、

ヘタレか?


ちなみに 『柔道一直線』 では、

「地獄車」 だとか、「真空投げ」 だとか、あり得ない技で

勝負を決めており (『巨人の星』 のダイリーグ・ボール

みたいなもの)、 もの心付いて実際の柔道の試合を観て、

がっかりした覚えがある。


さて、ロンドン・オリンピック。

私は、詳しくないが、チラッとテレビで観た

女子柔道57kg級の 松本 薫を 応援するよ。

なんでしょう、この野生感。

ぜひ、メダルを獲って欲しい。

そして、私の果たせなかった夢をぜひ実現してくれ! (意味不明)





2012.8.7

8月7日

今日で50歳。

妻と三田の 「晴山」 で食事。

初めて行ったのだが、上品な味で満足だった。


今年50歳になる、1962年生まれの人は、ミュージシャンなら、

布袋寅泰、シェリル・クロウ、真島昌利、屋敷豪太、

松田聖子 (以上学年は1つ上)、藤井フミヤ、小野リサ、

デーモン小暮閣下、マーティ・フリードマン。

他にも、寺脇康文、柳沢慎吾、木梨憲武 (以上学年は1つ上)、

トム・クルーズ、ジョディ・フォスター、デミ・ムーア、

三上博史、筧利夫、風間トオル、風見しんご あたりです。

いくつになっても、学年の違いが気になるのは、なんでしょうね。


そうそう、布袋さんは50歳を迎えて、家族 (今井美樹と子供)

ともどもロンドンに移住するらしいね。

すでに、あっちのミュージシャンとも交流してたし、

国際的ギタリストだから、やっていけるんやろうけど、

凄いよなぁ。


50歳まで、大きな病気やケガをすることもなく、

元気に生きて来られたことに感謝。感謝。





2012.8.16

プラモデルとジオラマ

小学3年生から4年生にかけて、

もの凄くプラモデル作りが好きだった。

中でも軍艦や軍用機、戦車などが好きで、

第二次大戦中の主な軍艦や戦闘機なら、

ほとんど名前が言えたほどだった。

それらのプラモデルは、ただ作るだけではなく、

ラッカーで塗装もやるのだ。

タミヤ (プラモデルのメーカー) の35分の1の

兵隊の顔を爪楊枝の先で書いたりした。

そんな中で一番たくさん作ったのが、タミヤの48分の1の

シリーズで、ドイツ軍の戦車、装甲車、ワーゲンなどだ。

「日本・ドイツ・イタリアが同盟国で、連合軍 (アメリカ・イギリス・

フランスなど) と戦った」 とか、「太平洋戦争は、1941年12月8日に

真珠湾攻撃で始まった」 とか、小学生なのであんまり良く分かって

ないなりにも 第二次大戦に関することも自然に覚えた。

でも、そんなことは 社会のテストに出なかったな。


いくつか、戦車などを作るとそれらを本物のように、

置いてみたくなる。

ジオラマの作成だ。

その48分の1のシリーズには、その心をくすぐるかのように

ドラム缶、土のう、レンガ、やしの木など、ミリタリーの

ジオラマ作りに欠かせない小道具も売っていたのだ。

私は、冬のヨーロッパ戦線のジオラマを作ろうと、

50〜60センチ四方の板の上に水で溶く壁土を使って

地形を作った。

冬の設定なので、雪を積もらせるのだが、それには小麦粉

(片栗粉だったかも) を その壁土で作った地形の上にまいた。

その時、私は壁土が乾くのを待てず、

まだ濡れている壁土の上に小麦粉をまいた。

その日の作業はそこまでで、翌日、その上に戦車などを

並べるのを楽しみに学校から帰ってきた。

自分の部屋に入り、作りかけのジオラマを見て大ショック!

なんと、真っ白な雪景色のはずが、汚い緑色におおわれているではないか。

そう、濡れている上に小麦粉をまいたので、

1日でカビが生えてしまったのだ。

(覚えてないけど、夏だったのかな。)

そんなわけで結局、ジオラマはまともに作れなかった。

何度もやり直す気力も小遣いもなかったんだろう。

いや、あれを一から作り直す 根性とコミットがなかっただけだ。

ちょうどその頃のある日、あまりにも私がプラモデルばっかり

作っていて勉強をしないのを見て、おかんが怒った

「プラモデルなんか1年に1つでいいでしょ!」

売り言葉に買い言葉で、私はつい、

「分かったわ!1年に1個しか買えへんわ!」

と、言ってしまった。

後悔したが、謝る気はない。

意地っ張りなのだ。

で、本当にプラモデルを買わなくなった。

ただ、しばらくの間、心の中では、

(1年に1個のプラモデルは何にしよう?) と

そんなことばかり考えていた覚えがある。


しばらくして、どうしても我慢できず、そのタミヤの48分の1の

ドラム缶、土のう、レンガなどのセットを買った。

自分の中では、

(これは、組み立てるほどのものではないので、プラモデルではない。

したがって、1年に1個にカウントしない。)

などと、言い訳をしながら。

でも、おかんに見つかったらやばいので、シャツの中に隠して、

持ち帰った。

自分の部屋に持ち込んでしまえば、見つかることもない。

ところが、そんな日に限って、玄関に父がいて私に話しかけてきた。

おなかに隠している箱を手で押さえていると不自然に思われると

警戒した私は、父と話しながら両手を放した。

と、当然、シャツの中からその箱が落ちた。(まぬけ)

よほど動揺したのか、その後のことは、覚えていない。

ただ、それを見た父は、何も言わなかった。

父にすれば、私の 「プラモデル1年に1個宣言」 など、

知らなかったのかもしれないし、覚えていなかったのかもしれない。

いや、知っていたとしてそのことと結びつかなかったのかも

しれない。

いや、待てよ。

全部知っていて、知らん振りをしてくれたのかもしれない。

今度会ったときに訊いてみよう。

でも、覚えてないやろなぁ。

40年前のことやもん。

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たまたま、某サイトで浜松にあるジオラマファクトリーのことを

読んで、私のジオラマ作成失敗を思い出したのだが、

ここに展示されている山田卓司さんという人の作品が凄い。

その道では、超有名な方のようだが、ぜひ実物を見てみたい。


浜松ジオラマファクトリー 山田卓司氏の作品紹介





2012.8.19

匂う夢

色のついた夢を観るかどうか、つまり、

夢はカラーかモノクロかなどという話が、たまに出るが、

私の場合、どちらか覚えていない。

よほど、印象的な色が出てくれば覚えているのだろうが、

たいていは、夢の内容に色は関係ないので、なおさらだ。

もっとも多くの場合、夢の内容も覚えていないが。


今朝 見た夢には なんとニオイがあった。

漢字で書くと、「匂い」 ではなく、「臭い」 の方 (つまり

良いにおいではなく、くさい方) だ。

夢の中で妻が、おならをしたのだが、それがホンマにくさかった。

前後のストーリーは、全く覚えておらず、

あまりにその “オイニ〜” が強烈で、そのシーンだけ

覚えているのだ。

あんなにリアルに におうもんなんだな。

もしかしたら、隣で寝ていた妻が・・・とも思ったが、

そんなはずはない。

現実の妻は、おならなんかしないし、うんこもおしっこもしないからね。

念のため。





2012.8.21

喉頭癌で、紅白の帯?

今日、S さんと歩きながら話していた。

ある小学校の前にさしかかった時、S さんが言った。

「俺の同級生の親父が、この小学校の校長だったんだよ。

喉頭 (こうとう) 癌で、重度やってて、〜〜」

そうか、重度の癌だったのか、と聞いていると、

「〜〜だから、紅白の帯だよ」

「えっ?紅白の帯?」 と、紅白の着物の帯を

思い浮かべながら、何の話か分からなくなってきた私は

訊き返した。

「そうだよ。じゅうだんだから、紅白の帯だよ」

「じゅうだん?」

「そうだよ。じゅうだん。」

と言われて、やっと 「十段」 のことだと気付いた。

じゃあ、さっきの 「喉頭癌」 は、もしかしたら、と思い、

「なんて 言いましたっけ? こうとうがん?」

と訊くと、

「そう、講道館」

そこまできて、やっと話の全体がつかめた。

「喉頭癌で、重度」 ではなく、

「講道館で、柔道」 だったのだ。

スゴイ聞き間違え!





2012.8.23

反則金7000円!

先日、夏休みをとって車で房総へ出かけたときのこと。

ずい分久しぶりに交通違反をして、切符を切られた。

一旦停止で止まらなかったのだ。

もちろん、安全確認はしたが、確かに止まりはしなかった。

交差点を 曲がってすぐに警官に止められた。

「指定場所一時不停止」 というやつだな。

旅行に出発して、10分ほどで捕まってしまい、

なんとなくイヤな 旅のスタートになってしまった。

警官が、切符の準備を準備をしている間に、

「交差点に立っていれば、一旦停止するのに、

曲がったところで待っているなんて、ワナやんけ!」

と、だんだん腹が立ってきた。

「『初めから交差点で立っとけや』 って、ひとこと、言ってやろう」

と言うと、妻が私をなだめるように

「まあまあ、そんなこと言わん方がええ」 と言う。

で、結局は言わなかったけど、冷静になって考えたら、

ワナのように見えることこそ、彼ら警察官の仕事だと

思えたのだ。

というのは、「警官がいるから交通法規を守る」 のではなく、

警官がいようがいまいが、全てのドライバーーが

交通法規を守るようになるためには、

いつ、何時であろうと警察官が目の前にいるかのような

運転をドライバーに促す必要がある。

そのためには、ワナのような取り締まりをすることこそが

一番効果的と思ったからだ。

警官の前では、良い子を演じても、

警官のいないところでは、無法者というのでは、

本来の交通安全は目指せないもんね。

警官がいない所でも全てのドライバーが、

法規を守るようになったとき、あの警官の仕事が

成就したと言えるんだろう。


指紋を取られたあと、指先のインクを拭くための

ティッシュ・ペーパーを探していると、さっと、ティッシュを

差し出す警察官にも好感を持ってしまったことも

否めないけど。 (え? そんなことで・・・)


ところで、私は、ゴールド免許だったので、軽微な違反なら、

見逃してくれるのかと思ったら、結局 きっちり切符切られた。

点数は、2点。

ただし、ゴールド免許の場合、その後 3ヶ月無事故無違反なら、

その2点は消えるらしいが、違反の履歴は残り、

次回の免許更新では、ゴールド免許にはならない。

あ〜あ、って感じ。

ちなみに、この度知ったことなのだが、

交通違反の場合、一般的には 「罰金」 と言われているが、

正しくは 「反則金」 という。

軽微な違反で課せられる「反則金」と、悪質な違反に

課せられる「罰金」は、全く違うものらしい。

この機会に覚えておこう。





2012.9.27

罪の意識

以前、このひとりごとにも書いた叔母のことを書こう。

そのエントリーに書いた叔母への謝罪は、

2009年の九州旅行の際、果たした。

叔母は、覚えていなかったけど。

叔母は、母の9歳下の妹。

(先のエントリーのは、10歳下と書いてありますが、

9歳下の間違い。)

20年ほど前まで大阪に住んでいて、子供の頃は、

しょっちゅう泊まりに行ったり、泊まりに来たりしていた。

その叔母と先日電話で話した。

突然、「あんたに謝らなあかんことがある」 と言い出した。

謝られることなど、思い当たらなかったが聞いてみると、

こんな話だ。

たぶん私が3〜4歳の頃の話だろう。

叔母が、泊まりにきていたのか、私が家族と叔母のうちに

泊まりに行っていたのかは聞かなかったが、

朝、私が起きてこないので、叔母が私を起こしに私の寝ている

布団に来たらしい。

その時、叔母がふざけて私のパンツをパジャマごと

下げたら、私が泣き出したというのだ。

たぶん、私は驚いたのか、「泣く」 以外の表現が

なかったんじゃないかと思うのだが、

泣くなんて思っていなかった叔母は、私のことを

大そう傷つけたと、ずぅ〜っと思っていたというのだ。

私には全く記憶がなかったが、そのことで傷ついたとは、

あんまり思えないのだ。


人間て、スゴイなと思うのは、私が叔母に謝りたかったことも

そうだし、このパンツ下げ事件もそうだが、

相手は覚えていなくても、「悪いことした」 という

罪の意識は一生消えないもんなんだ。

それだけ、人間は本来、誠実なんだということだろ?





2012.9.30

今朝の夢

私のライヴの日だった。

誰か分からないが 女性ヴォーカルとのデュオだ。

本番は、7時から。

で、6:45ぐらいになって、(おしっこ行っとこ) と思った私は、

トイレに行く。

トイレは、ライブ会場の外にある。

なぜか、私の通っていた高校の食堂がトイレだ。

トイレで何人かと話したが、覚えていない。

おしっこを済ませて、時計を見ると本番5分前だ。

あわてて、エレベーターに乗る。

会場は、7階のようだったが、横にも動く不思議なエレベーターだった。

会場のあるフロアに着くと、人がいっぱいだ。

慌てて会場に入ろうとすると、中から人が大勢出てきた。

(あれ?一部が終わったのかな。ちょっと遅れてるのかな?

えっ?一部?俺、一部出演やん!どういうこと?)

と、混乱しながら会場に入る。

時計を見ると、7時前だと思っていたのに、なぜか8時前だ。

そのライブの責任者らしき おっちゃんの前まで行くと、その人が、

「どっか、他のところに座ってたんか?」

(つまり、どこかへ行ってたのか?) と訊いた。

私は、あせって、

「トイレに行ってきただけです。

本当です。

トイレに行って帰ってきたら、1時間経ってたんです。

もしかしたら、おしっこしながら1時間寝てたのかもしれません。」

と言い訳をする。

めちゃくちゃなことを言っているようだが、不思議なことに

トイレに行ってる間に本当に1時間経っていたのだ。

気がつくと、なぜか隣におかんが立っていて、

「皆さんに謝りなさい。

お父さんは、時間に遅れるのが一番嫌いなのに。」

と言う。

父も座席に座っている。

怒っている風には見えなかったけど。

で、私は、座席を周ってお客さんに

「すいませんでした」 と、何度も頭を下げた。

何度も同じセリフで謝っていると、だんだん、

反省してないみたいな気がしてきて、

「このたびは、大変失礼いたしました」 とか言葉を変えて謝ってみる。

(ところで、この1時間、ステージでは何をしていたんだろう?

そうそう、一緒に出演するはずだった、女性ヴォーカルは、

どうしたんだろう?)

なんて、思ったら目が覚めた。

時計を見ると、まだ4:57だった。

変な夢。

30年以上会っていない高校の同級生とか、いたよ。





2012.10.18

なぞなぞ

週一で、勉強を教えている小学6年生のK君に、

たまたまテレビで観たクイズを、先週、出した。

ちょっと頭を使わなきゃ解けないが、

算数のドリルよりはやっていて楽しい類のものだ。

K君は、楽しかったのか 「他にはないの?」 と

訊いてきた。

きっと 「考える」 ということには、役立つだろうと思い、

似たようなクイズやパズルは、ないかなと

ネットで探していると、なぞなぞばかり集めている

サイトを発見した。

勉強の足しにはならないが、

その中にあったなぞなぞの一つ。

 連想クイズです。
 股の間で普段はぶらぶらしているものですが、
 たまにピンッと立ったりします。
 付け根には毛が生えてもいます。
 一番最初は「ち」で始まり、最後は「ぽ」で
 終わる単語です。
 あっそうそう、「ち」の次は「ん」ですね。
 ちょっとヒントを出しすぎたかな。
 これはどんな単語でしょう?




答え
 チンパンジーの尻尾


しょうもなぁ。





2012.12.10

悲しい週末

おぉ、気が付くと、5日間も更新をしなかった!

これは、この 「ひとりごと」 を始めてからの

最長記録ではないだろうか。

では、その言い訳を織り込みつつ、

先週末を振り返ってみよう。

まず金曜日。

地震があったね。

確か17時20分ごろだ。

(東京では) 揺れは、さほど大きくなかったものの、

長く続いたので、これはもしかしたら、

続けて でかいのが来るかもしれないと、腹をくくった。

この 「腹をくくった」 というのは、何だろう。

何かをするわけでもなく、何かを決めるわけでもない。

ただ、「来るなら来い」 と思っただけなのだがね。

で、実際に、大地震が来たら、

腹をくくっていたのは、「つもり」 に過ぎず、

ただ おろおろするばかりかも知れないのに。

私は、ビルの4階に一人でいたので、

この 「腹をくくる感」 がより強調されたように感じたのだが

気のせいか。

地震直後には、動かなかったエレベーターも、

10分もすると復旧していて一安心。

その後は、週一で勉強を見ている子供たちも

やってきて、日常を取り戻した。


この地震、津波は1メートルと聞いて安心してしまったが、

とんでもないことのようだ。
  ↓
津波1mとは、海面が1m上がること


その日の帰り道。

ちょくちょく行く寿司屋で、焼酎のお湯割を何杯か

飲んだ後、調子に乗って にごり酒を飲んだ。

たぶん、そのにごり酒が余計だったんだ。

夜中に気持ち悪くて、何度も目が覚めた。

いっそのこと、吐いてしまえばよいのだが、

そこまで強烈ではない、どんより重い気持ち悪さ。

翌朝 (土曜日)、目が覚めると完全な二日酔い。

しかも、重症。

その日は、12時から まりあさんとの

リハーサルがあり、休むわけには行かない。

頑張って無理やり起きて、タクシーに乗っていく。

途中、薬局で飲み過ぎに効くドリンク剤を買って飲むが、

一向に改善されない。

ヘロヘロ状態で、90分ほど ギターを弾いて、

またタクシーで 自宅へとんぼ返り。

そのまま、倒れるようにベッドにもぐりこんだ。

(うん? これ、なんか、オレが知ってる二日酔いとちゃうで。

なんか、気持ち悪いだけと ちごて、しんどいで。)

と思い、熱を測ると 38.8度。

しかも、下痢つきというやつだ。

そう、二日酔いと発熱と下痢のトリプルパンチなのだ。

食欲もなく、何も食べていないが、水分は摂ろうと思い、

ちょびっと水を飲む。

と、しばらくすると、それが、出てくるのだ。

おしっこではなく、後からね。

ほとんど水。

大変、汚い話で申し訳ないが、

そいつの オイニー が ツイキー なのだ。

その オイニー だけで、身体が毒されているのが、

分かる。

尋常ではない臭さだ。

もしかしたら、何か悪いもん食ったのかとも思うが、

心当たりはない。

そんなわけで、午後2時半頃には、

ウンウンうなされながら、寝ていたのだった。


実は、土曜日の夜は、大変楽しみにしていた、

上原ひろみ The Trio Project

(feat. Anthony Jackson & Simon Phillips)

のコンサートだった。

ここ に書いたようにネット・オークションで

高いチケットを入手し、めちゃくちゃ楽しみにしていたのである。

本番は、19時からなので、17時半までに

復活していれば行ける!と望みを捨てなかったのだが、

とてもじゃないが、そんなこと、このトリプルパンチは、

許してくれなかった。

結局、チケットを誰かに譲ることもできず、

あの良い席は、無駄になってしまった。

あ〜あ、である。

コンサートのチケットを買っていながら、

行かなかったことなんて、人生で初めてだ。

と思ったら、30年ぐらい前に

ジョー山中のコンサートのチケットをもらっておきながら、

行かなかったことを思い出した。

ただでもなんでも音楽がナマで聴けるなら、

喜んで行ってたはずなのに、なんで、行かなかったんだろう。

覚えてない。

たぶん、寝過ごしたとか、女の子と遊んでたとか、

大した理由じゃなかったんだろう。


そんなわけで、土曜日は、うなされながらの一日だったのだ。

翌日曜日は、なんとか熱は下がったのだが、

まだしんどくて起きられない。

食欲もない。

体重を測ると1日で2キロも落ちていた。

日曜日は、これまた Char のコンサートに行く予定だった。

いくらなんでも、2日続けて、欠席はないやろうし、

まあ、なんとか行けそうなので、ぎりぎりの時間に

起きて、会場へ。

こんな日に限って、江戸川区総合文化センターという

行ったことのない、ちょっと遠いホールや。

開演の19時を10分ほど過ぎて到着。

ちょうど、メンバーがステージに登場したばかりのようで、

演奏は、まだ始まっていなかった。







ひとりごと  ひとりごと