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つつみしんやのひとりごと  
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2009.1.7

Graffiti on my head

お正月、実家で酔っ払って眠ってしまったところ、

姉(48歳、典型的な大阪のおばちゃん)にいたずら書きされた上、

写真に撮られた。



ヅラつけて。





スカーフ巻いて。





う〜ん、マンダム。(ぶれとるがな)




ちなみに私の後頭部です。(念のため)





2009.1.26

実は、ナルシスト

昨日のひとりごとを読み直し、なぜ、

「自分が振り向くまで待っていてくれる、

この人と結婚しようと、決めた」 というくだりに、

我ながら、(ええ話やなぁ〜) と、思ってしまったのか、

考えてみた。

この話は、よくよく考えてみると美談でもなんでもない。

私は、「“彼女が振り向いた時のために” 彼女が見えなくなるまで

彼女を見つめていた“自分”」に、

 「なんて、ひた向きなんだ!」

 「なんて、一途なんだ!」

 「ああ、私は、私が、いぢらしい!」

と、感動したのであった。


かなりの“ナル”である。





2009.1.30

アトムの子

NHKで特集番組 「手塚治虫 漫画 音楽 そして人生」 を

やっていた。

今年は、手塚治虫 生誕80周年、没後20年ということらしい。

番組には、藤子不二雄A、山下達郎や坂本龍一、

手塚作品の音楽を手がけた冨田勲や三枝成彰など、

多くの方が出演され、手塚作品と音楽との関係など、

非常に興味深い話が聞けた。

山下達郎が 「アトムの子」 という曲を書いているが、

手塚治虫といえば、幅広い年代の日本人が影響を受けているだろう。

私も、子供の頃、TVで 「リボンの騎士」 「ワンダースリー」 「ビッグX」

「鉄腕アトム」 「ジャングル大帝」 「海のトリトン」 などを観ていたし、

少年チャンピオンに連載されていた 「ブラックジャック」 を読んでいた。

さて、その特集番組を見ていて、驚いたことがある。

「ジャングル大帝」 が、カラーなのだ。

1965年放送開始なのにカラーだったのだ。

それから、(これはアニメではなく実写版だが) 「マグマ大使」 も

1966年放送開始で、カラーだ。

なぜか、私の記憶と違っている。

両方、白黒のイメージなのだ。

ちょっと考えて、謎が解けた。

我が家のテレビが白黒だったのだ。

我が家にカラーテレビが来るのは、確か私が小学6年生、1974年だ。

これは、世間に比べると、遅い。

小学低学年の時、映画 「ガメラ」 をTVで放映した翌日、

友達たちが、「ガメラの血ィ、みどり色やったな」 と話しているのを

話の輪に入れずに うつむいて聞いていた覚えがある。

また、5年生の時には、クラスメートの K君に

「白黒〜、白黒〜」 とからかわれ、たまたま K君ちが、

長屋住まいだったので、「長屋〜、長屋〜」 と言い返した覚えがある。

子供ってスゴイ言い合いをするもんだ。

各々の親が聞いたら、泣くだろう。

話がそれたが、手塚治虫ってホントに凄い人だったんだな。

今年は、「MW」 や、ハリウッド版 「アトム」 など、映画も楽しみだ。

NHK BS2 では、「手塚治虫 2009 〜いのち・科学・未来へ GO!」 と題して、

2月8日から5夜連続で、特集番組を放映する。

面白そうなのだが、我が家は、いまだにアナログテレビの上、

BSを観るシステムもない。

今なら K君に、「アナログ〜、アナログ〜」 と からかわれるのかも知れないな。


<参考>
「ジャングル大帝」 は、日本初のカラーアニメシリーズ、
「マグマ大使」 は、日本初のカラー特撮番組だった。






2009.1.31

幼稚園時代の思い出

この 「ひとりごと」 に書いている告白シリーズなど、

自分の昔のことのいくつかは、今まであまり人に話すことが

なかったものも多い。

そういう意味では、こういう形に残せるのは意味があると思う。

どんな意味?って聞かないでね。

さて、今日もそういう種類の話。

私の幼稚園時代の思ひ出を。

一つ目は、幼稚園に入園してたぶん初日だったんじゃないかな。

一日が終わり、皆、お母さんが迎えに来ていて、教室の後ろにいる。

先生が、名簿を見ながら名前を呼び、名前を呼ばれた人から

帰っていくという風だった。

出席番号順に呼ばれていくので、席の順に呼ばれていくのだが、

どういうわけか、先生が私を飛ばした。

席の順なので子供の私にも分かったのだ。

私は、呼ばれなかったものだから、席から離れることが出来ず、

ずっと座ったままだ。

そして、最後の子供が呼ばれて、席に残っているのは私一人になったが、

先生は、私を飛ばしたことに気付いていない。

一人、席に残された私は、母の方を見、目が合ったとたんに泣き出した。

まだ、幼稚園入園したての5歳だからね。

先生が自分のミスに気付いたかどうかは、私には分からぬが、

泣きながら、母の元へ行ったら、母は笑いながら、

「泣かんで、ええやろ」 と言った覚えがある。

確かに泣かんでええ。

今から考えたら、泣かんでええ。

でも、その時はどうして良いか分からず、泣く以外のオプションが

私にはなかったのだな。

笑って、「先生、ボク、飛ばしたでぇ」 と言える私なら、

今ごろ、何かで大成功しているだろう。


松本先生といったかな、たぶん20代前半の若い先生だった。

お遊戯 (体操)の時間、先生が両手を上げると、スカートの下から

下着が見える。

今もそう呼ぶのかどうか知らないが、当時、そのような下着を

“シミーズ” と呼んでいた。

私は、生意気にも “シミーズ” という名称を知っていたのだな。

すぐ泣くくせに。

関係ないか。

で、先生の “シミーズ” が見えるのを我慢できずに

「せんせい、シミーズ みえてるで」 と言ったのだ。

先生がなんと言ったか覚えていないのが残念だが、

何か、「余計なこと言わんとやれ!」 みたいな感じで

怒られたことだけは確かだ。


もうひとつ、運動会の練習中、

自分には身に覚えがないのになぜか怒られて、

お弁当の時間も教室に入れてもらえず、

運動場にひとりでいたことがある。

たぶん、先生は不真面目な誰かと間違ったんだと思う。

数十人いるから、前から見ていると誰か分からないだろ?

で、皆がお弁当を食べ終わった頃、先生は、

(もう、この子も反省したでしょう) という感じで

近づいてきて、ひと言 「分かったか?」 と言ったのだ。

私は、もちろん何のことか分からなかったが、

「うん」 と答えて、教室に入れてもらった。

考えてみると、幼少の頃から、ええかげんな人生やなぁ。

まあ、その時も何を言って良いのか分からなかったんだと思うけどね。

さすがに、40歳を過ぎた今は、何を言って良いのか分からない、

なんてことはない、と言いたいが、これが、あるんだなぁ。

松本先生、生きておられたら、60代か・・・

もしこれを読んでいたら、メールください。

読んでないっちゅうねん!





2009.2.1

廊下に立ってなさい!

小学校1年生の時のこと。

担任は、小山先生。

授業中、私は、鼻と上唇の間に鉛筆をはさんでいた。

それを見つけた先生は、私にこう言った。

「そのまま、廊下に立っていなさい!」

ちなみに、私が廊下に立たされたのはこれが最初で最後だ。

廊下に出た私は、誰も見ていないにもかかわらず、

鼻と上唇の間に鉛筆をはさみ続けた。(マジメ)

そのうち、チャイムが鳴り、休み時間に入った。

私がなぜ廊下に立たされたか、分かっていないクラスメートや、

そもそも、廊下に立たされていること自体、理解していないクラスメートは、

私に近づき、「何、してんの?」 と訊いてきた。

さすがに、休み時間で廊下に皆が出ていて、

恥ずかしい私は、(実際、唇が疲れてきてたんだけど)

わざと鉛筆を落としながら、

「先生に言われたから」 と答えて、立ち続けた。


やがて、またチャイムが鳴り、次の授業が始まった。

「廊下に立っていなさい」 を解除されていない マジメな私は、

なおも、鉛筆を鼻と上唇の間にはさみながら、廊下に立ち続けた。

しかし、私を立たせたことを忘れてしまったのか、

授業が始まっても席に着かない私にようやく気付いた先生は、

廊下に顔を出し、こう言った。

「何をしてんの? 早く座りなさい!」


ねぇ、頼むからさ、命令したら、解除してよね。

こちとら、融通が利かないマジメなガキなんだから。


小山先生も、生きておられたら、60代か・・・

先生、もしこれを読んでいたら、メールください。

読んでないっちゅうねん!





2009.2.18

無意識すぎ

朝、ある時刻の電車に乗ると、途中、武蔵小山駅で

急行の待ち合わせがあり、乗り換えた方が

目黒駅に早く着くので、その電車に乗ったときは、

必ず急行に乗り換えている。

と言っても、急行に乗り換えても一駅飛ばすだけなので、

たぶん、到着時間は、1〜2分しか違わないのだろうけど。

さて、今朝もその電車に乗った。

乗るときのことは、覚えている。

(武蔵小山駅で乗り換えなきゃ) と思った覚えがあるのだ。

次に意識があるのは、電車の中で、

「次は、目黒に停まります」 という車内アナウンスで

ハッとした。

(えっ?目黒? 武蔵小山は?)

そう、どうも私は 全く意識なく武蔵小山で急行に

乗り換えたようなのだ。

いつもなら、乗り換え時に

(どの扉から乗ろうか) とか

(ここは混んでいるから隣にしよう) とか考えるので

はっきりと 意識があるのだ。

しかし、今日は全くない。

武蔵小山で電車を降りた記憶も、ホームで急行を待った記憶も、

急行に乗った覚えも、全くない。

もしかしたら、本当に乗り換えていないんじゃないか?

瞬間移動で、急行の中に入ったんじゃないか、

いや、停まるはずのない急行に はじめから乗ったんじゃないか、

と超常現象ではないかと、本気で考えたほど。

例えば、(家の鍵を閉めてきたっけ) とか、

(ストーブ消してきたっけ) というようなことは、

たまにあるが、それらは行為が一瞬のことなので、

無意識に行動していても 記憶がないのは うなづける。

でも、今日の場合は、1〜2分の行為なのだ。

その間、何を考えていたかも 思いつかない。

どっかに行ってたんだろうか・・・

『トワイライトゾーン』 のテーマ曲が聞こえてきそうだ。

いや、『ウルトラQ』 の方が合ってるな。





2009.2.28

Memphis

昨日は、ORITO のことを書いた。

リンクを貼った YouTube の動画をご覧になった方は、

分かるだろうが、ウィリー・ミッチェルにオーディションを受ける

2年前 (1991年) にも彼は、観光で Memphis を訪れている。

今日は、Memphis のことを書こうと思う。

1985年、23歳のとき、私は一人でアメリカへ行った。

LA で出合った日本人の S さんと意気投合し、

2ヶ月間かけて、グレイハウンド (バス) で、アメリカ大陸を

横断したのだが、その時に、Memphis にも行ったのだ。

私のその旅行は、LA や San Francisco、NY のような観光地のほか、

Chicago、St. Louis、Nashville、New Orleans や Memphis など

American Music ゆかりの地を周る旅でもあった。

Memphis は、Elvis Presley の家があることでも有名だし、

Blues 発祥の地とも言われていて、BB King が若いとき、

街角で歌っていたなんて、話を聞き、凄く期待して行った覚えがある。


Memphis では安いモーテルに泊まった。

そこの若い黒人のメイド (男) と友達になった。

夜、彼が遊びに来いと言うので、彼の部屋へ行くと、

彼は、妹を私に紹介してくれた。

妹は、「20ドルで私を買って」 と言った。

私は、断った。

「私のこと嫌い?」

「いや、そうじゃない」

「じゃあ、なぜダメなの? 結婚しているの?」

「いや、独身だよ」

「ゲイなの?」

「違うよ」

「童貞?」

「違うよ〜」

これらの会話は、時々口頭で、行われ、

書いた方がうまく伝わりそうな時は、筆談だ。

その時、彼女より私の方がスラスラと英文を書けることに

驚いた。

そう、彼女はろくに学校にも行ってなかったようなのだ。

私は、

「自分は、アメリカ音楽が好きで、黒人音楽が好きで、

あこがれて、メンフィスまで来たのに、その黒人のキミに

そんなこと言われるのは、つらくて、悲しいんだ。

だから、キミを抱くことはできないんだ」 と、

言いたかった。

が、難しくて英語で言えるわけがない。

私は、訊いた。

「なんで、そんなにお金が欲しいんだ?」

「服や化粧品を買うの。24H開いてるスーパーがあるから、

今からだって買いに行けるわよ。あなたお金持ちでしょ。

日本から来てるんだから。」

私は、自分は貧乏旅行だと説明した。

そして、彼女に財布の中に入っていた、十数ドルを差し出した。

彼女は、それを奪い取るように受け取った。

これが、アメリカの現実を見た、私の Memphis の思い出だ。





2009.5.31

祝! 2周年

早いもので、このウェブサイトも開設して、5月27日で2年が過ぎた。

「ひとりごと」 は、2007年6月1日に第1号記事を書いたので、

これも、明日で2周年だ。

早いなぁ。

そして、我ながら、よく続いているなぁ。

一体、何人の人が読んでくれてるのかなぁ。

1回や2回ではなく、継続的に読んでくれてる人は、

私の知る限り、10人もいない。

実際には もう少しいるのかも知れないが。

この 「ひとりごと」 を書き始めた時、

「知らない方からの感想が届くこと」 を目標とした。

見ず知らずの方から、感想なり意見なりのメールが届いたら、

結構、たくさんの方が読んでくださってる、と考えたからだ。

だが、今のところ、まだそのようなメールはない。


数ヶ月前、不動産の仕事で、某住宅販売会社の方と

会う機会があった。

こちらから、仕事をお願いすることになり、ウェブサイトを通じて

コンタクトを取り、1〜2回メールのやり取りがあった後、

直接 お会いした。

その時、その担当者の方に

「ホームページ、お持ちなんですね。見ましたよ。」 と言われた。

たぶん、先方は、私が何者か分からないので

「つつみしんやとは、何者ぞ?」 と ググッた(検索した) のだろう。

思わぬところで、思わぬことを言われ、なんだか恥ずかしくって

赤面してしまった。

読んで欲しいから、書いているくせに

「読みました」 と言われると、

心の中を見られてしまったようで ちょっと恥ずかしいのだ。

まだまだ、ウブなのだ。





2009.6.1

祝!

ついに 「ひとりごと」 2周年である。

そして、なんと明日6月2日で、私たちは結婚10周年だ。

おぉぉぉ、よく続いているなぁ〜。

入籍前に1年間、お試し期間 (同棲期間) があったので

それを入れると 一緒に暮らして11年になる。

10年以上続いたものは、ギター以外初めてだ。

これは、ひとえに妻の脳天気さのおかげだ。

どんな風かというと、

陽気な小学生が家にひとりいると 思ってもらって差しつかえない。

TV で、リズミカルな音楽が流れると、一緒に歌うか、踊るのである。

小学生だろ?





2009.6.12

告白!クラブ活動

私の通った小学校では、4年生からクラブ活動というものがあり、

全員何かの部に 属せねばならなかった。

クラブは、確か水曜日の午後にあったように思う。

4年生になった私は、当時一番好きだった学科が、

「図画工作」 だったので、図工部 に入った。

5年生のときも 図工部だった。

ある日、他の部が 教室で、紙粘土をこねて、

牛乳瓶の周りに貼り付け、絵の具で色を塗っていた。

何をしているのかと思えば、花瓶を作っていたのだ。

それは、家庭科部 だった。

工作好きの私は、凄くそれが うらやましかった。

6年生になる時に学校が分離した。

今まで、5クラスあったのだが、2クラスになった。

6年生1学期のはじめ、「クラブ活動は何にする?」 と

仲良しのO君と話していて、私はどうしてもあの花瓶作りがしたくて、

「家庭科部にしよう」 とO君を誘った。

クラブ活動が始まってみると、6年生の女子はひとりも

家庭科部には 入らなかったので、なんと、6年生は、

私とO君の男子2人だけ、あとは5年生の女子だった。

(4年生の女子が いた覚えがない。たぶん

クラブ活動は5年生からになったんだろう。)

クラブは、女子がいないおかげで、私とO君のわがまま言い放題で、

顧問の先生に、

「せんせぇ、来週はハンバーグ食べたい」

「スパゲティ 食べたい」 などと、言っては、

実習内容を決めていた。

結局、花瓶は作っていない。

卒業が近づき、卒業アルバムの写真を撮ることになり、

「家庭科部」 の部員として写真が残ってしまうことが、

男子としては、どうにもカッコ悪いと思ったのだが、

写真に写らないわけにはいかない。

で、この写真だ。







 左からO君、私、顧問の先生

 見えにくいが手にはフライパンを
 持っている。



知らない人が見たら、

「なんで家庭科部なのに女子がいなくて、男子2人なの?」 って

不思議に思うだろうな。

それにしても、なんで女子がいなかったんだろう?





2009.7.31



先日、友人の子供 (男子・2歳) が 松の実の入ったパンを食べていて、

松の実を鼻の穴に入れ、取れなくなって大騒ぎになったそうな。

本人は笑っていたらしいけど。

その話を聞いて、思い出したのだが、私にも経験がある。

小学校1年生か2年生だったと思う。

ちょっと小さめのビー玉を何気なく、鼻の穴に入れたら、

めちゃくちゃピッタリで、取れなくなった。

鼻の穴は、穴自体より中の空洞の方が少し広いだろ?

だから、ビー玉を包み込むような感じでジャスト・フィットしてしまったのだ。

もしかしたら、鼻を切らなきゃならないんじゃないか、と

泣きそうになりながら、必死で取った覚えがある。

で、その友人には、その男の子の上に女の子がいるのだが、

「上の女の子は絶対そういうことはしない」 と言う。

そりゃそうだろ。

穴があったら何か入れたくなるのは、男の本能だからな。





2009.8.17

臭い?

先日、渋谷にいる時、便意をもよおし、

慌てて東急百貨店に駆け込んだ。

最初に入った階のトイレは使用中で、その上の階に走り、

そこもまた使用中でその上の階は、女性用だけで、

という風で、私のお腹は、かなりヤバイ状態になったのだが、

ようやく空いていた個室に飛び込んだ。

ほのかに前の人の残り香が、あったがそんなことは言っていられない。

“ギリギリ セーフ”って感じで、

用を足してドアを開けると、おじさんが待っていた。

私が出ると同時におじさんは、その個室に入った。

そしてドア閉めながら、つぶやいた。

「しょうがない・・・」





2009.8.18

深いところでつながっている話

ずっと前に楽器演奏には運動神経が必要だと書いたことがある。

運動が得意な、道場生 (ギターを習っているクラスメイト) に

「俺は、運動得意だけどギターが上手く弾けないぞ」 と

言われたこともあったが、今もその説は私の中では、ゆるぎない。

楽器演奏には、運動神経が重要なのである。

今日、書くことはそのことと関係あるような、ないような話。

昨日、帰宅途中、iPod で Bobby Broom というギタリストの高速の

『Donna Lee』 を聴きながら、(あ〜こんなに速く弾けない〜) と

思ったとき、ふと小学生の頃のある感覚がよみがえった。

私は、運動が苦手で走るのも遅い子供だった。

だから、運動会の特に徒競走は、大嫌いだった。

なにしろ、いつも ドベタ (ドベ、ビリ、ベッタ、最下位のこと) か、

最高に良くても ドベ2 (最下位から2番目) なのだ。

速いギターを聴いていて、感じたのは、

あの、必死で走っているのに、皆がどんどん前を走って、

自分を引き離していく時の、焦りとやるせなさと自分へのいらだちと

あきらめと恥ずかしさ、それらが入り混じった何とも形容しがたい、

“あの感じ” だったのだ。

そして、走りで、自分の実力以上のスピードが、出ると

足がもつれて転んでしまうように

ギターでも弾けないことを弾こうとすると、指がもつれて、

演奏が転んでしまうので、

演奏と運動は、やっぱり、深いところで、似ているのだった。





2009.9.29

サンマです。

昨夜、寝る前に胃のあたりに違和感があった。

そのまま寝たのだが、夜中に腹部が痛くて何度も目が覚めた。

朝、あまりに痛いので救急病院に行こうかと起きたが、

ネット調べているうちに痛みが治まった。

今まで知っている痛みではないし、下痢も 吐き気も めまいも 寒気もなく、

ただ、胃の辺りが痛い。

キリキリ 痛むというのでもないし、言葉にするのが難しい痛み。

強いていうなら、腹の中にエイリアンがいる感じ。

食べすぎ? とも思ったが、昨夜はそんなに食べていないし、

お酒も飲んでいない。

11時に大事な仕事のアポイントがあったので、

病院に行くにしても、その後にしようと、出社した。

痛みが断続的にやってきたが、

結局、午後になって 会社の近くの内科で診察を受けた。

問診しても、先生にお腹を触ってもらっても、原因は分からず、

先生も首をかしげ、「内視鏡 (胃カメラ) で調べるしかないですね」 と

言われた。

胃カメラ・・・何度かそのつらさは話に聞いたことがあり、

あまり気が進まないが、原因解明と痛みを取り除くことが、第一だ。

内視鏡検査の前に、まず、注射を1本。

これは胃の動きを鈍くするためのものらしい。

そして、ベッドに横になり、のどにスプレーで麻酔をかけられる。

まずい。

初老の、頼りになりそうで、やさしそうな先生と、

これまた、初老のやさしい看護師さん (女性) のおかげで、

あまり緊張せずに内視鏡を胃に中に入れることが出来た。

私は、左を下にベッドに寝ており、モニター画面で、

胃の中を見ることが出来る。

さすがにのど元を通す時は、身体が抵抗し、「おぇっ!」 ってなったけど、

なんとか、持ちこたえた。

途中、「おぇっ!」 っと、身体が抵抗するのを抑えるのは、身体ではなく、

精神なのだな、と自分自身のことを観察しながら・・・。

先生は、「ここが、胃の入り口です」 「ここから十二指腸です」

「きれいな壁ですよ〜」 と親切に解説してくれる。

看護師さんは、赤子を寝かしつけるように私の肩を一定のリズムで

たたきながら、「つつみさん、上手ですよ〜」 「肩の力を抜いて〜」

「ため息をつくように息をして〜」 とサポートしてくれる。

始めのうちは、良かったのだけど、先生の声が小さいために、

途中から、看護婦さんの肩たたきが、邪魔になったが、

動けないし、声を出せないので、「やめてください」 とも言えない。

でもさすがは、ベテラン看護師、それを察したのか、途中から過剰な

サポートは、やめてくれた。

しかし、胃の中はきれいで、痛みの原因らしきものが、

中々見つからない。

が、先生が ついに見つけた。

「アニサキス。 寄生虫だよ。 シメサバ食べた?」

私は、「サンマです」 と答えたかったが、カメラを身体に突っ込まれている

状態で、まだ声は出せない。

アニサキスというのは、サバ、サンマ、イワシなど、魚に寄生する

寄生虫である。

モニターには、白い小さなミミズのような寄生虫が、

私の胃の壁に貼りついているのが見える。

「では、取りますね」 と、何やら別の器具をチューブに差し込む。

すると、モニター上に先っぽがピンセットのように挟める器具 (鉗子?) が

現れた。

それで、上手にそのアニサキスをつかみ、取り去った。

私の口から出てきた時、そいつは、まだ生きていた。

シャーペンの芯ぐらいの太さで、白くて、長さは、7〜8ミリぐらいだろうか。

通常は、魚の内臓にいるらしいが、魚が死んでしまうと、食べ物を求めて、

身の方へ移るらしい。

だから、刺身に いて、それを人間が食べてしまうというわけだ。

看護師さんが、「ホルマリンに漬けますか?」 というのを

先生は、こんなものおいておいても何の役にも立たない、と

言わんばかりに 「いいえ」 と笑いながら答えたのだが、なぜか印象的だった。

結局、痛みの原因はその小さな寄生虫が、私の胃壁に

食いついていたためだった。

エイリアンがいるような感じ、というのは、まんざらハズレでもなかったんだ。

先生が言うには、アニサキスは、珍しくないとのことだが、

私は、今まで数え切れないほどサンマ、サバ、イワシ、

アジなどを食べてきたのに、初めてだということは、

「運が良かったんですかね?」 と聞いてみたら、

「初めてではなかったかも知れないけど、

今までは、身体がそんなに反応しなかっただけで、

何度目かになって、身体が拒否反応を示したのかも知れない」

ということだった。

通常、加熱又は、冷凍すれば、アニサキスは死滅するようなので、

心配ないが、やはり、お刺身を食べる時は、危険があるということだな。

ウィキペディアには、

 日本におけるアニサキス症の発生数は、1年間に少なくとも
 2,000〜3,000名以上と推定する報告 「日本におけるAnisakidosisの
 発生状況の解析 (石倉肇、臨床と研究、72巻5号、1995)」 もある。

とあるので、ホントに珍しいことではないようだが、希に大変なことに

なる例もあるようで、あなどれない。

私は、サンマやサバ、イワシが好きで、良く食べる。

この夏だけでもサンマは、生、焼いたもの合わせると、

30〜40匹は食べてると思う。

しかし、なんとなく、当分、生では食べたくない感じ。

あの痛みは、アニサキスが、寄生のために胃壁を

食い破ろうとするために生ずる症状らしい。

それにしても、あの強烈な痛みの原因が

そんなに小さな寄生虫 (しかも幼虫) だということが、驚きだ。

まあ、胃液の中でも生きてるくらい、強いやつだし、

時には胃壁を突き破ることもあるらしいから、生命力ってスゴイと、

変なところで感心してしまったのだった。





2009.9.30

内視鏡とホルモン

昨日の 「寄生虫アニサキス事件」 と 「内視鏡初体験」、

貴重な体験だったので、もう少し書いておこう。

昨日は、「寄生虫は胃液の中でも生きているのか!」 と

その生命力に感心したりしたのだが、

子供の頃、飼っていた犬に虫下しを飲ませたら、

うんちと一緒ににゅるにゅる動く物体が出てきた覚えがある。

やつらは、消化器の中でも消化されずに生き続ける事が

出来る生き物なのだろう。

寄生虫の話は、一部のマニアを除いて、

あんまり好きな人もいないだろうから、内視鏡の話をもう少し。

私は、胃カメラ初体験だったので、10年、20年前のそれが、

どんな風だったか知らないが、おそらく、昨今のテクノロジーの

進歩を考え合わせると、ちょっと前までは、かなり苦しいもの

だったんじゃないだろうか。

例えば、昨日は、チューブが食道に入って行き易いように

のどに麻酔のスプレーをかけたが、そういうものも、一昔前には、

なかったんじゃないだろうか。

素人の勝手な想像だけど。

それに、あのチューブの太さだって、きっと年々細くなっているに

違いない。

「年々」 は大げさでも、10年前に比べたら

かなり細くなっているんじゃないか?

世の中のあらゆるものが、細く、薄く、小さくなっていってるんだから。

余談だが、先日、ネットで、紙くらいの薄さの照明具の記事を読んだ。

それが商品化されると、壁全部が証明になったり、

車の中も天井全体を照明にしたりできる。

おまけに、それが柔らかくて曲げられ、熱発生も今の蛍光灯などに

比べ大幅に少ないため、商品の陳列棚など、色んな分野での

使用が期待されているらしい。

しかも、数年後には、商品化されるだろうということだった。

話を戻すが、とにかく、この数十年のテクノロジーの進歩は、

18世紀や19世紀の100年分をほんの数年で進歩しているという

話も聞いたことがあるぐらいだから、内視鏡の進歩も

著しいだろうと思うのだ。

数年前、NHKの 『プロジェクトX』 で、オリンパスの内視鏡の開発

の話を観た。

最初に胃の中を見ようとしたのは、ドイツの医師で

1868年、長さ47センチ、直径13ミリのまっすぐな金属管をつかい、

剣を呑みこむ大道芸人で試みたという。

その管が、食道を突き破り、亡くなった人もいたそうだ。

時代が違ったら、私の腹痛の原因も解明できないまま、今も

痛みに苦しんでいたかも知れないし、また、内視鏡があっても、

昨日のように簡単ではなかった時代だったら、もっと大変な思いを

したかもしれない。

今の医学の進歩は、大勢の人の努力と犠牲の上に

成り立っていると思うと感謝の気持ちがわいてくる。

カメラもモニター (ハイビジョン!) も性能が良くて、昨日なんて、

自分の胃の中を見ながら、

「ホルモン食べたなってきた」 と思ったほどだ。


参考:オリンパスの内視鏡の歴史のサイト





2009.10.7

よく噛んで食べよう

先週のアニサキス事件以来、ようやく寿司を食べる気になり、

近所の行きつけの寿司屋へ行った。

さすがにサンマやサバは食べなかった。

アナゴとか (ボイルした) げそとか、まあ生の魚も少し食べたけどね。

あまり、寿司屋で話す話題ではないと思いながらも、

板前に、事件のことを話した。

「そういうの (寄生虫のこと) が、いない魚はどれ?」

「そんな魚いないです。基本的にどんな魚にもいると思ってください。

一番怖いのは、イカにいるやつですよ。毎年死人が出ていますから。」

って、そんな話、板前がお店で話していいの?

食事をするのも命がけじゃないか。

でも、腕のいい板前は、ちゃんとそれらを見つけて取り除いて

くれるようだし、仮に口に入ったとしても、イカは普通の魚の倍以上

噛むらしいので、寄生虫もたいていはそこで死んでしまうようだ。

なんでもよく噛んで食べることだな。

そして、一番安心なのは、加熱することだ。





2009.10.28

ついに

買ってしまった。

Gibson Byrdland。

今までで一番高いギター。

円高のおかげで、安くはなっていたものの、

安い車が一台買える位の値段。

バードランドは、ず〜っと欲しくて、いつかは買おうと

何年も思っていて、時々、ネットで検索しては、眺めていたのだが、

中々、試奏してみようと思うものが現れなかった。

が、ついに、新品で私の欲しい条件を満たしたものが、

現れたのだ。

その条件とは、色はナチュラルで、フローレンタイン・カッタウェイで、

スクエア・インレイ 。

10日間ほど、毎日ネットの写真を見て、昨日、ちょっと弾くだけ、と

思い、お茶の水の楽器店まで行った。

店に入ると、なんだろう、あの感じ。

なんか、彼女と初めてデートする時の待ち合わせの気分。

変なの。

で、しばらく弾いた後、「どうするか、帰って考える」 と

店員に言ったのだが、なんだかんだと話しているうちに、

20回までなら、金利 0% と言われ、「え〜い!」 と決断。

20回は、ちょっとキツイ支払になったが、なんとかなるだろう。

それにしても、帰り道、自分の頭の中の会話が面白い。

誰に対する言い訳か知らないが。

  ずっと欲しかったんだから・・・

  ほかのギター売るから・・・

  売る時、結構高く売れるから・・・

  ギブソンは、1本も持ってなかったし・・・

  車買うと思えば安いもんだし・・・

  もう、47歳だし・・・

  結婚十周年だし・・・

などなど・・・。

よっぽど、罪の意識 (?) があるのかな〜。

この程度の買い物で、なんか、情けないぁ。

でも、ギターはイイよ!
  ↓  ↓  ↓






2009.11.21

ギター大処分

多い時には、20本以上のギターが家にあった。

そんなに持っていても、一度に弾くのは1本のギターだ。(当たり前)

1本1本、音も 弾き心地も違うので、ついつい増えていったのだ。

いくらなんでも20本も要らんだろうと 自分でも思い始めていたので、

ちょうど1年ほど前から、ギターや機材の処分を始めた。

先月、上等な1本を入手したことにより、その支払資金作り目的もあって、

今月は、2本手放した。

それらを合わせると、去年の10月から、9本のギターを処分

(ほとんどネット・オークションで売却)、現在も1本をオークションに

出品中、オークションでは ちょっと難しそうな別の1本を、

オールドギター専門の楽器店に委託販売に出している。

つつみしんやのギター達」 の中に 「さよならしたギター達」 という

コーナーある。(誰が見るねん!)

そこを見ると、いつ、どのギターを手放したか分かるのだが、

昨日、そのページを更新しながら、1年以上前に手放したギターの

写真を見て、(これ、もう、1年も経つのか) と驚いた。

中には持っていても、1年以上、ケースを開けることのなかったギターも

あるわけで、そうなってくると、持っていても、持っていなくても

どっちでもええやんか、という感じになってくる。

それでも、オークションに出品する瞬間だけ、

ちょっと惜しい気して、ちょっと躊躇する自分が 愛らしい。





2009.11.23

財布が!

先日、往復で一時間くらい、ひとりで電車に乗る機会があったので、

駅前の書店で、すぐに読めそうな本を探した。

手に取った 「死ぬかと思った」 という、言ってみれば失敗談を

集めたような本が面白そうだったので買ってみた。

面白いというより、痛いの、くさいの、汚いのが多く、

中には、気分が悪くなるようなものまであった。

世の中には、色んな目に遭っている人がいるもんだ。

怖いのは、体温計を噛んで口の中に水銀がこぼれた話、

バイクに乗っていて、口を開けたらカナブン (昆虫) を

のみこんじゃった話、本当に殺されかけた話、

事故で死にかけた話など。

でも、一番多いのは、ウンコの話。

私もここにちびったことを告白したが、ウンコやトイレネタでは

苦労した方が多いようだ。

この本を読んでいて思い出した話。

高校生時代、私の実家はまだ、くみ取り式トイレで、和式だった。

冬のある日、帰宅途中、便意を催し、自宅に駆け込み、

ジャンパーも脱がずに用便し、ホッとして、立ち上がろうとした時、

ちょっと前かがみになったため、ジャンパーの内ポケットから、

財布が、ポトリと・・・。

便器の先は、しばらく筒になっていて、その先にタンクがある。

もし、汲み取りやさんが来た直後だったら、チャポン!と、汚物の中に

入ってしまい、どうしようもなかっらだろう。

幸い、汚物が結構溜まっていた上、私がわりとトイレットペーパーを

たくさん使ったので、便器の1メートルぐらい下で、

そのトイレットペーパーの上に財布は乗っている。

財布の中には、現金はもちろん、原付の免許証や、

当時の彼女の写真も入っていた。

「ああ、○○ちゃんがウンコまみれになる!」 と、私は焦った。

どうやって取り出すか、考えたが、長い棒を持ってきて、

箸の様に挟んで取るしか思いつかない。

しかし、これが難しい。

ちょっと持ち上げると、落としてしまう。

落ちるたびに、財布の重みで、トイレットペーパーが沈んでいく。

やばい、このままだと取れなくなる。

と、必死に格闘した上、なんとか取り出した。

幸い、財布の角が少し汚れていたぐらいで、

内容物には、被害はなかったが、

おかげさまで、運がつきました。






2009.11.25

中学生のいたずら

先日読んだ 「死ぬかと思った」 という本に、

中学の修学旅行で、先に寝た友達の鼻の穴に

チョコボールを入れたら、鼻の中でチョコが溶けて、

鼻がチョコまみれになり、それを見て笑っているうちに、

しまいにチョコボールが鼻の奥に吸い込まれ、その友達が、

もがき始め、痙攣しだし、ついには、病院に運び込まれることになり、

先生にずい分叱られた、という話が載っていた。

私も中学の修学旅行で思い出がある。

ウトウトと寝かけたころ、股間に冷たいものを感じて、目が覚めた。

同じクラスの K が、私のそばにいたので、

「何をした?」 と訊いたが、

「なんでもない、なんでもない」 というので、

眠気もあり、そのまま寝ようとしたところ、1分もしないうちに

股間に火が付いた。

エアーサロンパスをかけられたのだ。

私のそのデリケートな部分は、燃えるように熱くなり、

とても、寝るどころではなくなった。

今度は、私も K と一緒になり、S のパンツをめくり、同じように

エアーサロンパスを S の股間に噴きかけた。

S が、びっくりして起きるだろうと思って、楽しみに観察していたが、

熟睡しているようで、全然起きる気配がない。

ちょっと、突っついたりもしたが、やはり起きない。

今度は、K がメンソレータムを持ち出し、S の顔に塗り始めた。

今度は、起きるだろうと思ったが、何やらうんうんと うなされては

いるもののそれでも S は起きなかった。

私たちは、面白くなくなり、あきらめて寝た。

翌朝、S が私たちの顔を見るなり、こう言った。

「俺、昨日、めちゃくちゃ熱い夢見たわ」

(本当の話です。)


そういえば、高校1年のクラス合宿で、先に寝たクラスメートの鼻の穴に、

正露丸を入れたことがある。

これは、一発で飛び起きた。





2009.11.27

告白! ズル休み

高校3年生の頃は、学校の授業が面白くなく、勉強が嫌いで、

よく授業をサボった。

両親が働きに出ていたことをいいことに、3時間目から行ったり、

4時間目から行ったり、時には、5時間目から出席した日もあった。

そのうち、とうとう、夕方近くまで寝ていて、学校を休んだことがある。

夕方5時を過ぎると、母が帰宅する。

ズル休みしたことがばれると、何を言われるか分からないと

思った私は、母の帰宅前、わざわざ制服に着替え、

コタツに入って、(今、学校から帰宅したようなフリで)

母の帰りを待った。

いつもは、母より帰宅の遅い私に対して、

母は、「今日は、早かったんやね」 と言った。

わたしは、うつむいたまま、「うん」 とだけ答えた。



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