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 2017年
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2017.1.2

痛風物語 23(+右肩)

12月20日に、5度目となる痛風発症を
したのだが、幸い症状はきわめて軽く、
3〜4日歩くのにびっこをひいたものの、
タクシー通勤になるほどの大事には至らずに済んだ。
あれから、今日で14日目だ。
尿酸値は、そんなに下がっていないかもしれないが、
痛風の発症は、ほぼ治まっている。
ほぼと書いたのは、日によっては
地味に痛む日もあるからだが、
再発というほどでもない。

今回、痛み止め薬を飲んだのは、
発症から4日目のライヴの日のみ。
その日が特に痛みがひどかったわけではないが、
ライヴに集中するために、念のため、
朝、一錠だけ痛み止め薬を飲んだ。
ライヴがなければ飲まずに過ごしただろう。

痛み止めを飲んでいても、その日久しぶりに会った人が、
私の歩き方をみて「痛風?」と訊いたぐらいなので、
本当にあの日が今回の発症のピークだったように思う。

まあ、大したことがなくて良かった。
今回、また少し体重が落ち、
この2週間に70kgを切った日が数日あった。
まだ測ってないが、年末年始の大阪帰省で
体重が少し増えたかもしれないけど
70kgを切ったのは、数年ぶりだ。
できれば、このままあと2〜3kg落としたいと
思うが、果たしてどうなることだろう。

今は、右肩が痛いのがつらい。
一昨年12月のエントリーを読むと
左肩が痛くて夜中に目が覚めると
書いているが、今はそれとい同じ症状が
右肩に起こっている。

左肩は、昨年春に整骨院に30回ほど通い、
その後、整体も数回受けたこともあって、
今は、痛みはない。
多少、肩が重い感じはするが、痛みで
数十秒うずくまっていなければならない
ようなことは、なくなった。

今は、右肩に衝撃を受けたとき、
痛みが治まるまでの数十秒、
じっと痛みに耐えるだけという事態が
時々起っている。

今年は、55歳。
今年のキーワードは「健康」に決め、
五十肩、高尿酸値と向き合っていこうと思う。





2017.1.10

痛風物語 24
〜 牛乳が! 〜


昨日の NHK『ガッテン!』(再放送)は、
「プリン体じゃなかった!尿酸値を下げる秘策SP」
というタイトルで、尿酸値の特集だった。

毎週『ガッテン!』を観ているわけではないが、
偶然テレビを付けた妻が、
「プリン体やってるよ〜」と叫んだ。
プリン体 やってる・・・。
まあ、いい。
先へ進もう。

プリン体、尿酸値については、
この2〜3年でかなり検索し、色んな記述を
読んできたので、それなりに詳しいつもりでいたが、
なにしろ過去5回も通風を発症したので
詳しいと言っても何の役にも立っていない。
何か有効な情報が得られればと思い番組を観た。

前半の「高尿酸値症の原因は、食物は2割程度で、
あとは自分の体から出される尿酸」
「高尿酸値症の人は、尿酸の排せつ力が弱い」
「肥満は、高尿酸になりやすい」
というあたりまでは、
すでに知っていることだったのだが、
尿酸の排せつを促して尿酸値を下げる
食品が「牛乳」だというのは知らなかった。

しかも、1日コップ1杯で
30%ほどの排せつ増量が期待できるようなのだ!
これは、朗報。
簡単で、安い。
おまけに低脂肪の方がより高い効果が期待できるという。
できれば、脂質を抑えたい身としては、
それもありがたいではないか。

しかし、なんで今までこの「牛乳」が
ひっかかってこなかったのだろう。
番組に出ていたお医者さんの話では、
牛乳の効果は、以前から認められている風な
くちぶりだったのに。

そんなわけで、今日、早速牛乳を購入し、
1日で1リットルぐらい飲んだ。

飲み過ぎ?





2017.1.26

リスニング

昨日、映画『50/50』を
字幕なしで観ようとして、
5分でギブアップしたと書いたが、
ず〜っと前にアメリカ映画をまるまる1本、
日本語字幕なしで観たことがある。

1985年、23歳のアメリカ旅行の際、
NY で観た『カラーパープル(The Color Purple)』だ。

実は『カラーパープル』を観たかったのではなく、
当時ヒットしていた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を
観たくて映画館に入ったのだが、当時、日本(大阪)では
まだなかった(と思う)いわゆるシネコンで、
慣れていない私は、一応確認したものの間違って
違う部屋に入ってしまったのだった。

そのことに気づかないまま映画が始まり、
冒頭に「Steven Spielberg Presents」と
出たものだから、全く疑いもしなかった。

でも、10分ぐらい経って
(あれ?なんか思ってたんとちゃうぞ。
マイケル・J・フォックス 出てけえへんやん)と
スクリーンを間違ったことに気が付いた。

でも、今さら出るわけにもいかず、
そのままその作品『カラーパープル』を見続けたのだ。
これが、良かった。
めちゃくちゃ感動して泣いて、
日本で公開されたら、絶対もう1回、
字幕付きで観ようと決めたのだった。

半年後、日本で公開された『カラーパープル』を
字幕版で観た私は、ショックを受けた。

思てたストーリーとちゃうやん!

そう、英語が断片的にしか分からなかった私は、
自分の頭の中で独自の解釈で、
オリジナルなストーリーを創り上げ、
それに感動し泣いていたのだった。

細かなことは覚えていないけど、例えば、
夫婦だと思っていた男女が兄妹だったというような
人間関係まで、勘違いしていたという覚えがある。

しかし、実はこのエピソードは深い。
この例は、非常に極端なだけで、
前述した「自分の頭の中で独自の解釈で、
オリジナルなストーリーを創り上げ」というのは
私たちが無意識に日常的にやっていることなのだ。
ひぇ〜。





2017.3.17

22年ぶり

昼ごろ、F から電話があった。
F は 私が大阪にいたころ組んでいたバンドの
ベーシストで、私が上京後は一度も会っていない。
もう22年ほど会っていないことになる。

「会社の慰安旅行で東京に来ていて、
今、品川プリンスにいる。
時間があるから会わないか」というので、
夕方、会社の近くまできてもらって、
スタバで1時間半ほど話した。

会社の慰安旅行が東京というのも
なんかスゴイなと思ったが、
特に全員で観光の予定があるわけでもなく、
各々自由に夜まで時間を過ごし、
夜はホテルの近くで宴会があるそうだ。

30歳ぐらいの頃、F とやっていたバンドに
確か私は1年半か2年ほどいたのだが、
そのバンドは結構ライヴをやっていて、
心斎橋のクラブクアトロや、
江坂のブーミンホールなどに出演していた。

私が抜ける少し前、新聞社の主催の
社会人バンド・コンテストで、
準グランプリを受賞したし、
Vocal の M は、過去にも数々のコンテストで
受賞歴のある人だった。

当時のことは、詳しく覚えていないが、
私は違うバンドも始めていたし、
そのバンドでの限界を感じての
脱退だったように思う。

F とは 22年ぶりだったのだが、
会ってみると、何の違和感もなく
積もる話がいっぱいだった。

話の中で F がいつ結婚したのかという話題になった。
私は、出会った時に彼がすでに
結婚していたような気がしたのだが、
彼が言うには、結婚したのは、
一緒にバンドをやっていた時だという。
私が「披露宴に呼ばれてないで」と言うと、
「何言うてんねん、つっつん(私のこと)が
(披露宴の)司会をしてくれたやん」と言う。
全く覚えていない。
考えても思い出せない。
あの頃は、確かに多くの披露宴やパーティの
司会を引き受けたが、F の披露宴のことは
全く記憶にない。
う〜ん、今流行り(?)の
「私の記憶に基づくとそういう認識は
ございません」というのはこういうことか。
でも、「司会したやん」と言われれば、
なんとなくそんな気もしてきた。
なんてあてにならない記憶力だろう。

今、これを書いていて、彼の
新婚旅行(確かヨーロッパだった)の
土産にアルマーニの帽子をもらったことを
思い出した。
なので、バンドをやっている時に
彼が結婚したのは、やはり間違いない。

F は私より2歳年下だが、
あれから、この22年の間に父親になり、
肝臓癌の摘出手術を2回受けていた。
最近は、音楽活動はしていないようだが、
相変わらず私と同じく Char のファンで、
今年もコンサートに足を運んだという。

この22年の間に 彼や私の好きだった
多くのミュージシャンが亡くなった。
彼が、癌だったと聞いて、
今、自分たちが生きていることが、
急に「リアル」に感じられた。

術後10年が経過しており、
癌は完治し、今では癌のリスクは、
他の健常者と同じだというが、
さすがにもらった命を考えると
タバコは吸う気にはならずやめたらしい。

バンドのメンバーというのは、
友人関係とはまた違う関係で、
不思議な関係である。
音楽を一緒に創るという作業は、
かなり親密な時間を過ごすことになるのだが、
お互いの個人的なことを
さほど知らなくても成り立つし、
どんな人間かもよく分からなくても
音楽は出来てしまう。
仕事仲間に近いのかもしれないが、
それとも少し違うような気がする。

それにしても、時間があるから会えないか?と
電話をくれるのは、嬉しいことじゃないか。
次に会う機会があるのかどうか分からないが、
「いつか一緒に音出せたらええな」と別れた。
別れ際に不思議と何かがこみ上げてきた。
言葉に出来ない、思いもよらぬ感情だった。
次は22年も開けられないな。





2017.5.11

20000日

昨日は、私が生まれてから、
2万日目だった。
今日は、20,001日目。

生まれてから、何日目かなんて
考えたこともなかった27歳のある日、
当時の彼女に1万日目のお祝いをもらった。
そんなに遠い昔のことのように思えなくて、
生まれてからあの日までと、
倍の年月を生きたということが
ピンとこない。

で、頭の片隅に2万日目は、
54歳と残っていたんだな。

数か月前、ふと思い立って
ググってみると
こんなサイトがあった。

今日は何日目かな

54歳って言うより、
2万日の方が長く感じるなぁ。
っていうか、分からんねんけどな。
2万日の感覚が。

そして、私の3万日目は、2044年 9月 25日。
生きていれば、82歳だ。
どうやろなぁ。
生きてるかなぁ。
父は、今年87歳で健在なので、
私だって生きてる可能性は十分あるよな。

前述のサイトは、日付を入れるだけなので、
生まれた日からだけではなく、
結婚して何日目かも調べることもできる。

ちなみにわが夫婦は、
今日で 結婚 6,553日目です。

ええこと思いついた!
来年の 8月 1日が 7000日目にあたるので、
それを口実に旨いもん食いに行こ。





2017.5.21

思ったこと

昨日は、ダヤニータ・シンの写真展に
行った来たことを書いた。
ダヤニータのことでもなく、
写真のことでもないのだけど、
そこで感じたことを3つ。

ひとつめ。
英語の必要性。

ダヤニータは、英語で講演したのだが、
通訳を介せず聞くことが出来たなら
どんなに良いかと思った。
質疑応答の時間に質問した人(日本人)が、
最初日本語だったけど、途中から
英語で話し出した。
英語が話せるなら、
きっと通訳を挟みたくないだろう。
その方が、確実に言いたいことが伝わる。

講演後、図録を買い、
サインをもらうために並んでいる時、
サインをもらう際に、英語でダニヤータに
話しかけている人が数人いた。
みんな日本人だ。

昨日も書いた通り、ダニヤータに英語で
「Shinya」の意味を訊かれ、
似た発音の「 "shunya" (ヒンディー語)は、
"zero"、"nothing"、"universe" のことよ」と
話しかけられたけど、私は気の利いた返答が
出来なかった。
悔しいね。

ちょっと前から、再び英会話の勉強に
取り組み始めたところだが、この件で
モチベーションが上がったね。
目標は、あの講演が通訳なしで
理解できること。
そして、あんな場面で何か気の利いたことが
言えること。
ライヴに行っても、アーティストの
MC が理解できないことがホントに
毎回悔しいので、それも理解できることだ。

ふたつめ。
いつもやらないことをやる。

以前、何かの本で「毎日何かひとつ、
いつもやらないことをやってみる」と
いうのを読んだ。
読んだ直後は、意識していたけど、
すっかり忘れていたが、昨日思い出した。

というのは、ダニヤータにサインをもらう際、
数人の人が、ダニヤータと写真を撮っていた。
頼めば係の方が、シャッターを押してくれるのだ。
私は、ちょっとだけ迷ったが、
躊躇があり、撮ってもらわなかった。

普段、こういう場面では、
滅多に撮ってもらうことはない。
撮ってもらわない、というのが
いつも通りの行動だ。

でも、昨日は会場を出た後で、後悔した。
それは、黙ってサインをもらって、
「Thank you」とだけ言うつもりでいた私に、
ダニヤータが、名前のことで話しかけてきた
からかも知れない。
彼女にすれば、「Shinya」と聞いて、
ヒンディー語の「Shunya」を連想しただけで、
特別な意味はなかっただろう。
でも、あの瞬間に何かが変わったんだと思う。

で、会場を出て歩きながら、前述の
「いつもやらないことをやってみる」と
いう言葉を思い出した。
一緒に写真を撮ってもらうことは、
ほんの数秒で済むことだし、
大したことではない。
なのに躊躇した。
この機会は、二度と来ない。

こういう後悔のないよう、
「いつもやらないことをやってみる」と
いう言葉を日頃から意識しよう。

みっつめ。
撮影者として。

私も写真を撮ることが多い。
以前は、気が付かなかったけど、
最近、人物を撮るとき、
その人を見ていないような気がしている。
上手く書けないけど、
自分が被写体に対して 裸になっていないというか、
身構えているというか、自分と被写体の間に
カメラという物体が存在していて、
直接、接していないというか。
そんな感じ。
カメラという物体を自分と被写体の間に、
置いてしまうのは、被写体と直接 関係することが
私は怖いんじゃないかと。

撮る側より、撮られる側の方が、緊張するのだ。
撮る側が、身構えていたのでは、
その人の「素」を引き出すのは難しいだろう。

で、ダニヤータ。
サインをもらう時に、ひと言ふた言
話しただけだが、非常に人間的に魅力的な
人だと感じた。
おそらく、彼女はオープンな人だろう。
もちろん、自分の講演を聴いて
サインをもらおうという人たちに
身構えることはないかもしれない。
でも、そのオープンさが、
瞬時にこちらの緊張をほぐすのではないか。

カメラを向けられた人も、
ダニヤータになら、すぐに心を許すのではないか。
そんな風に感じた。

街に出て、知らない人に
「写真を撮らせてください」と
声をかけて撮る勇気は私にはない。
でも、自分から行かない限り、
向こうから「撮ってください」と
近づいてくることはないんだ。





2017.6.1

んと10

2007年 6月 1日、
私は、この「ひとりごと」をこっそり始めた。
(なんでこっそりやねん。)

初めてのエントリーは、
「エッセイ」というタイトルで、
「エッセイと名乗る自信がないので
タイトルを『ひとりごと』にしました」と
書いている。
このタイトルは、続けていくうちに
「ひとりごと」なんだから
何を書いてもいいだろうと、自分に
自由さを与える言い訳にもなったように思う。
ただし、なるべくネガティブなことは
書かないように気を付けているけど。

で、今日で 10年。
厳密には、昨日で丸10年で、
今日からは、11年目に入った。

何年続けるとか、そういうのは
やってみないと分からなかったけど、
10年も続けてこられたのは、
ただただ、読者の皆さんのおかげです。
と言いたいところだが、
一体何人の方が読んでくださっているのか、
見当もつかない。
立ち上げ当時、アクセスカウンターの
設定が難しくて挫折し、
その後、何人がそのページを見に来てるかが
分かるサービスにもトライしたけど、
よく分からなくて、またまた挫折。
しまいには、何人読んでいようと
どうでもいいや、と思うようになった。
もう日記みたいなものだから。

とはいえ、新しく出会った人に
「読みました」と言われると、
嬉しいのと恥ずかしいのが
混ざった独特な心持ちになる。
妻の仕事関係の方々の間では、
特に「不思議な妻」が人気のようだ。
そのうち、出版の話がくると思う。
(来るかぁ!)

この10年間で、小中の同級生がひとり、
高校の同級生がひとり、
この「ひとりごと」を発見して、
連絡してきてくれた。
また、全く知らない 3人(4人かな?)の
方がメールを下さった。
SNS には比べ物にならないけど、
それでも、インターネットの力だと思う。

SNS に上げればもっと多くの人に
読んでもらえるのかも知れない。
でも、私は Facebook にしろ、
Instagram にしろ、そのほとんどは、
興味のない情報に感じており、
それらが、有無を言わせず
押し寄せてくることに 戸惑いと
少なからず疑問を感じている。
私の発信することも、多くの人にとっては、
どうでもよいことに違いない。
それなら、SNS を使わず
わざわざ読みに来て下さる方だけが
読んで下さればでよいと思っている。

そういうわけで、あえて、
SNS とは距離を取っている。
まあ、この「ひとりごと」の内容は、
Facebook 向きではないと思うしね。
(一応、いくつかの SNS には登録もあり、
連絡手段としては便利なので使ってます。)

「新しく出会った人に
『読みました』と言われると、
嬉しいのと恥ずかしいのが
混ざった独特な心持ちになる」と
書いたけど、これって文章表現に限らず、
表現をする人は皆感じることなのだろうか。

私は、音楽、写真、ここの文章と、
いくつかの表現の機会があるが、
それらの全部に嬉しさと恥ずかしさがある。
ギターを弾くことが、一番恥ずかしさは
少ないけど、自分が書いた詞を
読んだり聞かせたりするのは、
やっぱり恥ずかしい。
そして、聞いて欲しい。

恥ずかしさの成分は、
素の自分が見透かされてしまいそうな
思いが半分と、残りの半分は、
相手が受け入れてくれるか、
よいと思ってくれるかどうかの
不安が半分。
不安は、恥ずかしさとは違うようだが、
どうも 不安が恥ずかしさという衣を
まとって一緒にいるような気がするのだ。
作品を発表する時に、
「不安です」と言うより
「恥ずかしいです」と言った方が、
何かから逃れられるような
気がするからかもしれない。

たぶん、この恥ずかしさの向こうに
本物の表現があるんだと思うけど、
その境地にはまだ至っていないし、
至れそうにもない。

これは、何度か書いている、
ギター演奏時や写真撮影時に
自分を解放(&開放)することとも
根底でつながっているように思う。

そんなことも思いながらの10周年。
10年続けてこられたのも
健康で生きているから。
そして、やはり読んで下さる方がいるから。
あと何年続けられるのか分からないけど、
この調子で続けます。

これからもよろしくご愛読ください。

感謝。





2017.6.2

結婚18周年記念 エントリー
妻と私の大きな違い

今日は、妻の誕生日であり、
私たち夫婦の結婚記念日。
「結婚18周年記念 エントリー」などと
大げさに書いたが、なんのことはない、
いつもと同様に思いついたことを
書くだけだが、せっかくなので、
そんなタイトルにしてみた。

妻は、喜怒哀楽のはっきりした人だ。
特に嬉しい時の彼女の表情。
あれを「満面の笑み」というのだと思う。
あんな風に笑う人を 私はあまり知らない。

いきなり話はそれるが、
今、「満面の笑顔」と書きかけて、
ふと気になったので調べてみた。

「満面」というのは「顔全体に満ちる」という意味。
「面=顔」なので「満面の笑顔」と言うと、
「頭痛が痛い」的な表現になってしまう。
なので、「満面の笑顔」は誤用とのこと。
良かった。調べてみて。

閑話休題。
何か嬉しいことがあった時の妻の表情は、
(そんなに嬉しいか)
(そんなに喜ばんでもええやろ)と
皮肉な私は思うほど、100%の笑顔だ。

面白い落語や漫才を聴いて、
大笑いすることはあっても、
嬉しいからといって
あんな風に笑ったことが
自分にはあるだろうか、と考えてしまうほどだ。

「喜怒哀楽」がはっきりした人と書いたけど、
「怒」「哀」は、あんまりない。
たまにふくれっ面をしたり、
怒ったりもするけど、
おそらく それもその時に 100% なんだろう、
その場限りで、後に尾を引くことはない。

彼女の記憶力の問題で、
単純に覚えていられないだけかも
知れないが、結構根に持ってしまうタイプの
私は、(あんなに怒ってたのに、
よく許せるなぁ)と 理解に苦しむこともある。

人生は、今しかない。
それは、よく知っている。
でも、知っているだけで、
そのように生きているかと言われると
疑問が生じる。
妻の喜怒哀楽を観察すると、
私などよりは、よほど彼女の方が、
今を生きているように見える。

私が 喜びを素直に表現しなくなったのは、
一体いつからなのだろう。
もの心がついた時には、
私はすでに皮肉な人間であったような気がする。

ここ最近のことだが、こんなことがあった。
A さんと話していて、A さんの所有するある物を
将来、A さんが私にくれるという話になった。
その時、思いもよらないその話に
私の心は嬉しさで爆発しそうになったが、
必死で笑顔をこらえていたので、
引きつっていたかもしれない。

なぜ、その喜びを表現しないのか、考えてみた。

まず、思い当たることが、
「相手に 喜んでいることを知られたくない」。

相手に心の内を見せてはならぬとでも、
(無意識に)思っているのだろうか。
喜びを隠すことで、あるいは平静を装うことで、
「私はそんなことで喜んだりしませんよ」と、
いかにも「欲深くない自分」を
演じているかのようだ。
ホントは、欲深いくせに。

もうひとつ、考えられるのは、
まだ手に入っていないものを
手に入ったかのように喜んで、
結局、手に入らなかったときに、
ぬか喜びになることを避けたいという
気持ちもある。

だが、この論理は破たんしている。
なぜなら、すでに喜んでいるのだから、
後々、ぬか喜びになろうがどうしようが、
もう手遅れだ。
今、喜んでいるのだ。
将来、ぬか喜びで終わるかどうかは、
結果であって、今のことではない。

そんなことを書いていると思い出したことがある。
小学生の時、こんなことがあった。

当時サイクリング自転車というものが
流行っていた。
5段や10段の変則切換えが装備されていて、
電池式のウィンカーも 子供には、
特に男子には、たまらなくカッコ良かったものだ。

小学3年生だった私は母に、
サイクリング自転車を
買ってくれるようせがんだ。
母は、学級委員になったら買ってあげると
約束した。
3年生までは、学級委員は交代だったが、
4年生になると、クラスの投票で決めるのだ。

学級委員になったら、
褒美(?)を与えるというのは、
今から考えると、微妙な気がするが、まあいい。

4年生に進級し、1学期の学級委員に選ばれた。
自分で立候補したかどうか覚えていない。
立候補などしなくても自分が選ばれるように
目立っていたような気もする。

私は、嬉しかった。
これでサイクリング自転車が、
自分のものになる。

喜びいさんで、母に報告。
自転車を買ってくれるんやろ?と迫った。

すると、母は「まだ早い」
「危ないから」などと理由を付けて、
買ってくれなかったのだ。

私の落胆は酷かった。
そうだ、ぬか喜びになったのだ。

結局、母は夏にサイクリング自転車を
買ってくれた。
でも、もう私は嬉しくなかった。
一度、心を踏みにじられたのだ。
そんなもので喜んでやるものかという
思いもあったのかも知れない。

サイクリング自転車は、母の務める町工場に
業者が売りに来たもので、
同級生の何人もが 同じ自転車に
乗っていたのも気に入らなかった。
同級生の母親の何人かは、
その町工場に勤めていたのだ。

あの時、買ってくれなかったのは、
大人になって考えてみれば、
経済的な事情だったんだと思う。
あの頃、家のローンを払うために、
両親は必死だったろう。
夏に自転車が来たというのも
ボーナスで買ったのかもしれない。
しかし、子供にはそんなことは関係ない。
それなら「夏まで待って」と言ってくれた方が
良かったかもしれないと思うが、それなら、
あの時の私の落胆がなかったかというと
そうも思えない。

その事件が、私に喜びの表現を
させなくなったとまでは
思えないのだが、「ぬか喜び」というと
そのことが思い出された。

数年前、前述の A さん同様、
B さんが、ある物を将来、
私にくれると言ったことがあった。
その時は、その物をそんなに欲しかった
わけではないので、
笑いをこらえるほどではなかった。
嬉しくなかったわけではないが、
いつのことかも分からず、
あんまり現実的な話に思えなかった。

案の定、事情があって、B さんは その物を
処分してしまい、私の手元に来ることは
なくなったのだが、その時、心の中で
(やっぱり本気にしなくて良かった)
という思いがあったのを覚えている。
本気にしていたら、がっかりするのは
自分なのだ。

この時のことを思うに、
(実際に手に入るまでは)そう簡単に
喜ぶもんじゃない、と無意識に
刷り込まれているような気もする。

妻ならどう思うか訊いてみた。

彼女は、一度 喜んだことが、
後日、破談になっても平気と答えた。
厳密にはもちろん落胆はあるのだが、
いったん喜んだことを「ぬか喜びだった」と、
捉えることはないようだ。
そして、彼女はこう言った。
「一回、喜ばせてもらったんだから
それでいいじゃない。」

そもそも、彼女には「ぬか喜び」などという
概念は ないようだ。

確かに、ただ喜んだことを、
後になって、わざわざ「ぬか喜び」という
解釈にして、自分が喜んだことを
さげすむ必要はない。

そして妻は、嬉しいのにその表現を
控えることは、仕事上、不適切だと
思う場面以外には、ないらしい。

つまりは、基本的にありのまま
喜びを表現しているということだ。

もし、妻が私のような皮肉な人間であったなら、
この結婚生活は、ずい分と味気ないもので
あっただろうと思う。
そういう意味でも、妻には感謝している。
(一応、誕生日なので。)





2017.7.9

そんな風に見えますか?

会社で所有しているビルで賃貸している店舗の
エアコンが故障した。
修理してもそこそこの費用がかかるし、
古いものなので、新品に取り替えることにした。

そのエアコンは、貸主の所有なので、
私がエアコンの業者と打ち合わせをした。
営業担当者のMさんと 電話やFAXで数度、
現場で一度 打合せを済まし、
いよいよ工事担当者を交えて
先日、現場での最終打ち合わせを行い、
取り付け位置の確認等を行った。

私は、打合せのあと、Mさんから、
請求書と注文書を受け取って、
その日は終わりだと思っていたが、
なぜか Mさんが、
「ちょっと喫茶店でも行きましょう」と
言い出した。
かすかな違和感を感じつつも、
外での立ち話も暑いし、
私は Mさんに従った。

近くのカフェに入り、アイスコーヒーを注文。
席に着くと、しばし世間話のあと、
Mさんが言いにくそうに話を始めた。

「つつみさん、今から失礼なことを
申し上げますので、気を悪くしたら、
ごめんなさい」

一体、何を言い出すというのだろう。

「うちの会社は、コンプライアンスが
厳しいので・・・」と前置きのあと、
「つつみさんは、反社(反社会的勢力)では
ないですよね?」

なんだ、そんなことか、と思った。
不動産の仕事をしていると、契約書に必ず、
反社でないこと、反社と関係ないことを
記載する。
この頃はうるさくて、エレベーターの
保守契約にまで、盛り込まれている。
うちの会社は、不動産の免許を持っているが、
反社だったり、反社と関係があったら、
免許は取れない。

なので、そのように説明し、
きっぱりと「関係ありません」と回答した。

それにしても、あの前置きのあとの質問。
事務的に、「一応 訊いておこなければならないので
訊きますけど」という感じではなかったな。
Mさんに、私はどんな風に映っているんだろうか。
まあ、会社のコンプライアンスが本当に
厳しいのだろうな。
ということは、反社の人は、
エアコンも取り付けてももらえないということか。





2017.7.12

ひし美ゆり子さん

ひし美ゆり子さんをご存知か。
私は、彼女のことを50年前(私が5歳の時)から
知っているが、名前はこのたび初めて知った。

ひし美ゆり子さんは、
「ウルトラセブン」に出演していた 女優さん。
そう、アンヌ隊員だ。

調べてみると、ウルトラセブンは、
1967年10月1日から1968年9月8日まで
放映されていた。
1968年は、私が幼稚園に入園した年だ。

先日、たまたまアンヌ隊員の写真を見て、
ふと、ある思いに至った。
もしかしたら、なのだけど、
私が「女」を感じた最初の人が、
アンヌ隊員だったのではないかと思ったのだ。

ウルトラセブンの前に放映されていた
ウルトラマンの科学特捜隊隊の
アキコ隊員(桜井浩子)には、
感じなかったエロスみたいなものを
アンヌ隊員には、幼稚園児なりに
感じとっていたような気がしてならない。

もちろん、5〜6歳児に「エロス」などという
区別はないので、違う表現をするなら、
初めて「きれいなオネエサン、好きです」と
感じたとでも言おうか。
とにかく、アンヌ隊員大好きだったことは
間違いない。
おそらく同年代の男性の多くが、
私と同じように淡い恋心のようなものを
いだいていたに違いない。

そんなアンヌ隊員も今年で70歳らしい。



う〜ん、かわいい。



う〜ん、りりしい。





2017.7.15

ヒゲ族、御用達。

面白いことに、髪の毛は減る一歩だが、
ヒゲは50歳を過ぎた今でも 増え続けている。
ヒゲを伸ばし始めたのは、
20歳ぐらいだったろうか。
その頃は、まだ十分生えそろって
いなかったような気がする。

なんとなくヒゲを伸ばしている大人が、
カッコ良く見えたのが動機だが、
それだけではない。
毎朝、ヒゲを剃るなどという行為は、
とてもじゃないが朝寝坊の私には、
出来なかった。
伸ばしていれば、数日に一回の手入れで済む。
無精ヒゲとは、良く言ったものだ。

若い頃は、ハサミで手入れをしていたが、
ヒゲトリマーというのを見つけて買ったのが、
東京に出てきてすぐだったので、
良く覚えている。
1995年の暮れか96年の1月だった。
その時買ったのが、ナショナルの
ヒゲトリマー ER240B。



箱にビックカメラの値札が貼ってあり、
文字が消えかかっているが、
「\2,950」に見える。



このヒゲトリマーは、とても使いやすく、
22年使っていることになるが、
いまだに現役。
しかし、さすがに刃が大分傷んでいるのだろう、
この頃は 切れ味が悪いし、モーターも
へたってきている感がある。
それにしても、
まさか20年以上使えるとは思わなかったな。
一度も油を注したこともないんですぜ。
こいつは、アタリだったんだろうな。

ちょっと切れ味が落ちてきたな、と感じた
数年前、同じナショナル(たぶんパナソニック)の
新しいものを買ったのだが、どうも使いにくくて、
結局、この古いものを壊れるまで使うことにした。
新しいものは色々改良されていて、
使いにくかったのだ。
改良されて、使いにくいとはどういうことや。
シンプル・イズ・ザ・ベスト。
余計な機能は不要だ。

で、最近、いよいよ切れなくなってきて、
ヒゲのカットに時間がかかりすぎるのと、
ちょっと痛い時があるので
ついに終わりかなと思い始めた。

それで、数年前に買って2〜3回使っただけの、
新しいヒゲトリマーを探しているのだが、
見当たらない。
古いやつが壊れた時のために、
捨てることはないだろうから、
どっかにあるはずなのだが、
どこにも見当たらない。
どこ、行ったんやぁ〜。

う〜む、困った。
こういう場合、あきらめて新品を買うと、
たいてい見当たらなかったモノが、
ひょっこり現れよるねんなぁ。

それとも、あまりに使いにくかったので、
処分してしもたんやろか。
全く覚えていないねんけど。





2017.7.25

GOOGLE MAPS STREET VIEW
グーグルマップ・ストリートビュー


グーグルマップには
ストリートビューという機能がある。
地図の中の任意の場所を実際にその場に
いるかのように360度 写真で見ることができる。
簡単に世界中を旅している気分になれる、
便利なツールだ。
全ての道路が対応しているわけではないし、
ストリートビューなんてありえない国もあるけど、
年々、写真で見られる街の景色は、
増えているように思う。

妻が、仕事の仲間たちとグーグルマップで
各自の実家などを見ていたらしい。
私の大阪の実家も見ていて、
ストリートビューで覘いてみると、
なんと私の母が写っているのを発見したという。

ほんまかいな、と見てみると確かに おかんだ。
顔にはぼかしが入っているが、
息子が言うのだから間違いない。
というか妻が気付いたぐらい分かりやすい。
なにしろ、ほとんど実家の前だし。

色んな角度で見てみたが、
母は3カット写っている。
で、見ようによっては、
母が動いている(歩いている)ように見える。
よく分かっていない妻は、
ライヴで母が映ってると勘違いしたらしい。

で、私にそのことを話した時は、
「もう写ってないかもしれない」と
言いながら、パソコンを開いた。
そんなわけないねんけど。

撮影日は、2015年11月となっているので、
もう2年近く前だ。
これは、中々ないでしょう。
写りたくてもそう簡単に写れない。

おかん、ストリートビュー・デビュー。
ただし、顔 ぼかしで。





2017.7.31

ヒゲ・トリマー新品購入

先日、22年愛用してきたヒゲ・トリマーが
いよいよダメになってきたと書いた。
その日のエントリー

数年前にそのヒゲ・トリマーの切れ味が
落ちてきた時に買ったけど
使いにくいので、一度使っただけで、
使わずにおいてあるはずのヒゲ・トリマーが
見あたらないと書いたけど、
良く探したら ありました。

私は、箱に入れて置いてあるとばかり
思っていたのだが、専用のケースに
入れて置いてありました。

それで、使いにくかった覚えがあるけど
試しに使ってみようと思ったのだが、
その機種は充電式で、充電が切れていた。

さて、充電しようと思ったが、今度は
充電用のACケーブルが見あたらない。
大体、そういうものは一緒に置いておく
はずなのだが、見あたらない。

そのケーブルだけ、売っていないかと
調べてみるとあるにはあったが、
送料も合わせると 3000円近くする。

これならば、新品が買えるではないか。
使いにくかった覚えあるし、
新しいモノを買うことにした。

その使いにくかった最大のポイントが、
油を注さなければならなかったことと、
充電式ということ。
私が22年使ったモノは、乾電池式で
なんと一度も油を注していない。

それで、油を注す必要のない、
充電でも交流でも使える機種を発見。
レビューもまあまあだったので
そいつを購入した。

フィリップスのヒゲ・トリマーで、
Amazon で3,059円。

ちなみに充電用ケーブルが見つけられなかった
モノは、もう処分することにしたが、
取説を読んでみると、刃の寿命は、
1回あたり5分を月4回使用の計算で、
約3年と書いてあった。
22年使ったモノがいかに優れていたかと
いうことだ。
もちろん、切れ味はかなり落ちていたけどね。



左が数年前に一度使っただけで、
捨てることにした Panasonic。
右が今回購入した PHILIPS。

さて、今度は何年使えるか!?





2017.12.15

水に流せるのか 1

明日のハルトラとのライヴのリハーサルを
終えて、久しぶりにハルトラの2人と食事をし
家に着いたのは、昨夜の24時20分ごろだったと思う。
2日前から、妻は所用でマレーシアに
行っており不在だ。

部屋に入ると、隣の部屋から異音が聞こえた。
何の音か全く見当がつかなかった。
電気をつけてみると、天井からベッドと
その周辺に水が落ちてきていた。
表現が難しいが、ポタポタというレベルを
超えて、あちこちに水が落ちている。
2階から漏水しているのだ。

時間が時間ではあったけど
これは緊急事態だ。
すぐに2階に駆け上がり呼び鈴を押した。
2階に住んでいる人とは、面識がなかった。
出てきたのは、女性で事情を説明すると、
お風呂も洗濯機も何も、水道は使っていないという。
確認に部屋に入らせてもらったが、確かに
お風呂は空っぽだし、どこにも水は見えない。

こうなると1階の天井と2階の床の間で
水漏れが発生していることになる。
時々ポストに入っている、水道修理業者の、
マグネット式の広告を見て、「24時間」と
書いてあるところに電話をかけてみる。
(24:34)

電話口の人に「賃貸の場合、大家さんからの
申し出が必要」と言われ、すぐ裏に住んでいる、
大家さんちのインターホンを鳴らす。
大家さんはご高齢だし、こんな時間に気が引けるが、
水が止まらないのだ。
気を使っている場合ではない。

大家さんの許可を得て、再び先ほどの
業者に電話し、何時頃来れるかの返事を待つ。
5分ほどして折り返しの電話があり、
「明日の朝8時以降」と言われた。
それまで待てないので、
他の業者を当たると断りを入れた。

大家さんと相談し、2階の部屋の水道の
バルブを止めることにした。
2階の人は、水道が使えない状態になるが、
協力的だ。

バルブを止めたものの、天井からの水は、
一向に弱まらない。
それどころか、私が帰宅した時には、
水が出ていなかった部屋の天井からも
ポタポタと落ち始めた。

タオルやバスタオルで、床の水がそれ以上
広がらないようにせき止め、家中のゴミ箱、
バケツ、洗面器で水を受ける。
それでも足りないので、タッパウエアや
ボウル、コップなんでも良いから、
あちこちに置いて、水を受けた。

洗面所や、お風呂の天井からも
水が落ちている。

どうしてよいか分からず、
「途方に暮れる」って、こういう感じかなと思う。

タオルで水を吸い取りバケツに入れる。
バケツの水を、洗面所に運び流す。
水が冷たい。
タオルを何度も絞るので、手が痛くなってくる。
イヤになってくるが仕方がない。

そうこうしているうちに午前3時ごろ、
大家さんが手配してくれた、
水道工事業者が到着。

結局、2階のベランダ付近の床下が
怪しいということは分かったが、
その時点では、何もできず、
夜が明けてから、別の業者に対応して
もらうことになった。

この時点で、バルブを止めたはずの
水道メーターがまだ回っていることが発覚。
水道工事業者によると、バルブが弱いので、
完全には止まらず、チョロチョロ
漏れ続けているというのだ。
参った。

午前5時ごろ。
水の落ち方が、ピーク。
水滴ではなく、線になって落ちている。
参った。



もう会社を休むことを決意。
ベッドでは眠れないので、イスの上で
少し横になる。
1時間でゴミ箱の水がいっぱいになっている。


↑ベッドの上ですぜ。

ギターやPCが濡れなかったのは、
不幸中の幸い。

続く。





2017.12.16

水に流せるのか 2

バルブを締めてもチョロチョロと
水が流れ続けているので2階からの
漏水は止まることを知らず、
昨日の朝になっても続いた。

昨日、午前10時ごろ工務店の人が、
水道メータ−のところの配管を緩め、
水を外に逃がすことをしてくれたので、
やっと天井からの水漏れは弱まり始めた。

これで、天井裏での水漏れは
止まったわけだから、
すでに天井裏に溜まっている水が
全部落ちれば、おさまるわけだが、
よほどの量がたまっているのだろう、。
夜になっても、数か所でポタポタと
水が落ちてきていた。

ダメになったベッドや布団を外に出し、
床の水を全部ふき取り、
押し入れの中も濡れてしまったので、
中のものを全部出した。

冬用のまともな布団もないし、
押し入れにあったものを乾かすためにも
部屋に出したので、布団があったとしても
寝るスペースもない。
仕方なくホテルに泊まることにした。

大家さん、工務店さん、水道工事業者さん、
水道局の人、仲介不動産屋、保険の代理店、
保険の鑑定人、設備会社の人、
たくさんの人に会い、何度も同じ説明をした。

元々夜は、何カ月も前から決まっていた、
楽しみにしていた友人たちとの
忘年会の予定だったが、
とても行く気にはなれず、キャンセルし、
夕方、マレーシアから戻ってきた妻と
片づけを始めた。

妻は妻で、オーバー・ブッキングのため
乗るはずだった飛行機に乗れず、
大変だったようで、我が家は
踏んだり蹴ったりな年末だ。
結局、6時間ほど遅れて帰ってきた。

非常事態に脳内なんとかが分泌されていた
のだろうか、ほとんど寝ていない割には
昼間は元気があったが
夜になると、さすがに疲れが出てきた。

まだ、タンスの裏側など、
状況を確認しなければならないところが
2〜3あるのだが、タンスを動かす
場所もエネルギーもなく、
昨日は押し入れの中のものを出すまででやめた。

ホテルに行くまで、夜10時半ごろまで自宅にいたが、
まだ水は止まらず、壁と壁の間でも
ポタポタと音がしている状況だった。

大家さんがとても親切に対応して下っているので、
不安はないが、結構、時間と労力が大変です。
これを書くことで、気持ちの整理になってます。

今日は、昼間、ハルトラのライヴのサポート。
夜は、貞夫さんのコンサートに行った。
それらのレポートは、また今度。
(もう今日は書けない。)

帰ってきて3時間ほど片づけした。
まだまだかかりそう。
今からホテルへ寝にいきます。(24:00ちょうど)





2017.12.17

水に流せるのか 3

昨夜、まだノーチェックだった
枕元の棚を見たのだが、
これが、思っていた以上に色んなものが
濡れており、棚をどけると
床にも水が少し溜まっていた。
心配していたタンスの裏は、
壁には少し水が垂れていたけど、
タンスの中にまでは、
浸水していないようなので一安心。

昨夜は、一度だけどこかから
水が落ちるポタッという音が聞こえたが、
どうやら、漏水は完全に終わったようだ。
漏水の発生時間は正確には
分からないけど、12/14(木)の
23〜24時ごろとして、最後の水滴の音を
聞いたのは、約48時間後ということになる。
一体、何リットル漏れ出したんやろ。

今日は、朝ホテルをチェックアウト後、
家に帰って片づけの続きをした。
午後3時に音楽関係のアポがあったし、
夜はこれまたライヴに行く予定に
なっていたので、数時間だったけど。

心配した友人夫婦が、
手伝いに来てくれたおかげで、
かなり前進した。
妻は、今日も出張で東京におらず、
ひとりで片づけのつもりだったので、
精神的にも 労力的にも 時間的にも
ずい分と助かった。
ありがたいことです。

片づけが済むと残りは補償の問題だ。
こういう経験は、初めてなので
保険がどこまで利くのか分からない。
大家さんは、良い人で今日も様子を見に
来てくれて、なにかと気遣ってくれる方なので
あんまり心配はしていないけど。

もう一つ、うちの部屋の内装の問題もある。
カビの心配があるので、
壁や床をやり直すとなると、
その間の生活の問題が出てくる。
生臭い話になるが、
奇しくもこの事件のタイトルにした
「水に流せるのか」どうかは、
保険会社と大家さんの対応次第なのである。

幸いこの件に関して、
不思議と誰に対しても何に対しても
怒りの感情や文句が自分の中にないので、
このまま、「水に流せる」不満のない
解決になればと願う。
というか、そうなるだろう。
まあ、仮に不満が残って「水に流せない」と
思ったとしても、大したことではない。
そんなもん私の心理的なことでしかないから。

何日ホテル泊りになるかと、
心配したが、2泊で終りそうだ。
友人が寝具を持ってきてくれたので、
今夜から、自宅で寝ることが出来るのだ。
なんか、家で寝れるというだけで嬉しい。
こんな風に思えるんやなぁ。
当たり前に思ってることが、
凄いことやねんなぁ。
しみじみ。

地震、津波、台風、大雨の被害を
いっぱいテレビで観てきた。
そういうのに比べると、うちの被害なんて
ホンマに大したことない。
そう思うと、ああいう自然災害の
甚大な被害に遭われ、避難所生活を
強いられることの大変さが、
ちょっとだけ分かったような気がする。
たぶん、分かってないと思うけど。

2階の方は、いまだに完全に断水で
ホテル住まい状態。
復旧には1週間とか言われていたけど、
年末で工事が立て込んでいそうなので、
延びなければ良いと思うが。

水道管は、修繕ではなく、
新しいものを引き直すということなので、
今後再発の心配はなさそう。

建物は、築20年ほどのようなので、
老朽というには、ちょっと早い。
2階の床をめくって、調査することはなさそう
なので、原因は不明のまま終わるのかな。

あんまり、年末の大掃除とかちゃんと
したことなかったけど、今年は、
本格的に大掃除になってしまったよ。





2017.12.18

水に流せるのか 4

ようやく家の中が片付き、
日常が戻ってきた感じだ。
といっても、ベッドはないし、
洗面所の照明は、
水に濡れ 故障したままだけど。

昨日も書いたけど、
これから、部屋の内装、被害の補償など
まだまだ本件が終わるまでは、
時間がかかる。

これは、ここ数年の人生のデトックスと
考えることにしよう。
考えれば、考えるほど
ギターが一滴も濡れなかったのは、
不幸中の幸いだ。

漏水のあった日、妻はマレーシアに
行っていて不在だったのだが、
水が一番激しく落ちてきていたのは、
日頃、妻が寝ている場所で、
しかもまるで体に沿うように形で
水が漏れてきていた。
妻がいれば、その時間、ベッドに
横になっていてもおかしくなかったわけで、
いない時にこういうことが起こるというのも
どういうわけか、妻らしいのである。

そして、いつも妻がコンピュータを
置いているデスクの上にも
結構な水が落ちたのだが、
コンピュータをマレーシアに
持って行ったおかげで、
その被害もまぬがれた。

ところで、妻は会社で手帳を作って
売り出した。
その手帳には、毎日やることを書く
「わんわん★ルーティン表」というページがある。

そこに書く項目は、毎日やる(やりたい)こと。
例えば「甘いものを食べない」とか
「運動をする」とか「本を読む」とか
そういう出来そうで出来ないことを書く。

で、そのことをその日やったかどうか、
毎日チェックを入れ、1カ月見開きで、
どれだけそのことをやったかどうか
視覚的にもチェックできるようになっている。

なぜ「わんわん」かというと
来年は戌年で、犬といえば「しつけ」が大事。
自分自身をしつけしようというわけだ。
つまり、自分へのサポートに
使うという目的のものだ。

水漏れ事件のあと、妻が言った。

「私、わんわん★ルーティン表に
『ふとんの整理』って書いたの。
そしたら、毎日やらないので、なんで
こんなこと書いちゃったんだろうって
思ってたら、ふとんの整理ができちゃった。」

そもそもこの表は、「毎日」やることを
書くのであって、「今年中にやろう」と
思っていることを書くのではない。
それをどういうわけか、妻は書き、
毎日そのページを見ては、やっていないと
気にしていたらしい。

まあ、年末に布団の整理をしようと思ったので
書いたんだろうが、結局、整理をしたのは、
私だし、こんな方法じゃなくても
布団の整理は出来るだろうに。

あいかわらず不思議な妻なのだ。





2017.12.20

水に流せるのか 5

昨夜遅く、妻が「洗面所の照明具に
水が溜まっている」と言い出した。

先週の木曜日の夜の漏水時、
その照明具からも、水が落ちてきており、
漏水から数時間でその照明は点かなくなった。
照明具からは、土曜日の夜まで
水が落ちていたのを確認したが、
その後、床が濡れていたことはないので、
水は全部抜けた(落ちた)ものと
思い込んでいた。

まさか、水が止まって3日も経っているのに、
と思いながら、見上げてよ〜く観てみると
ゲゲッ!
照明のカバーにたっぷり水が入っている。
私はカバーの中心のネジ穴から
水が出てきていると思っていたが、
どうやら、落ちていた水は、カバーから
あふれて出てきていたようだ。

なんとか、苦労してカバーを外す。
中にはバケツ半分以上の水が溜まっていたよ。


この中にたっぷり溜まっていた。


念のため蛍光灯を外した照明具。






2017.12.21

京浜電鉄?

先日のこと。
山手線の電車に乗っている時、
そばに立っていた若者2人組の
会話が聞こえてきた。

どうやら、女性の方が関西から
東京に出て来てまだ間がないようだ。

男「もう、電車とか慣れた?」
女「全然わからないですよ。
  京浜東北線って、京浜っていうくらいだから、
  JRじゃないですよね?」
男「JRだよ。」

どうやら女性は、関西の私鉄と
混乱しているようだった。

2つの土地を結ぶ鉄道の名前には、
それぞれ地名の一文字を取ったものが多い。
例えば、東急の東横線は、東京と横浜だし、
埼京線は、埼玉と東京を結んでいる。
大阪なら、阪神電鉄は、大阪と神戸を結んでいる。

そこで女性が混乱していた、関西の京浜電鉄って、
どことどこを結んでいたんだっけと考えた。

関西の場合「京」は「京都」だ。
「浜」はと考えたが、思い付かない。

あれ?
「浜」の付く地名ってあったかなと考え、
気が付いた。
関西にある鉄道は、「京浜」ではなく
「京阪」電鉄だ。
そう、京都と大阪を結んでいる鉄道だ。

件の女性は、「京浜」と「京阪」が
ごっちゃになっていたのだろう。

そんなことさえ、すぐに気が付かないほど、
すっかり東京人になってしまった私です。





2017.12.28

水に流せるのか 6

ちょうど2週間前、
天井裏の水道管から水漏れが発生し、
家の一部が水びたしになり、
ベッドや布団、押入れの中の一部の物も
濡れてダメになった。

2階にお住まいの方は、
水道管復旧までの間、断水を余儀なくされ、
ホテルで寝泊まりされていたようだが、
2〜3日前に水道管復旧工事が
完了したので、自宅に戻られたようだ。
ホテルに10泊ぐらいされただろうから、
ずい分ご不便だっただろう。

我が家の方は、やはり壁や天井などの
内装のやり直しをすることになり、
工事期間中、大家さんがお持ちの近所の
空部屋にいったん移動という提案をされたが、
家財道具ごとの移動になるので、
この際、引っ越してしまった方が、
一度の移動で済むだろうということになった。

なので、年明け早々に引越準備と
物件探しが始まるのだ。
今の家に越してきたのは、2009年7月。
8年半ほど住んでの引っ越しとなる。
良い物件が見つかるといいな。





2017.12.30

水に流せるのか 7

天井裏の水道管から水漏れが発生したのは
今月の14日の夜。
今日で16日目だ。
天井から落ちてくる水が完全に
止まるのは、丸2日を要した。

水が完全に止まってから3日経って、
洗面所の照明のカバーに
水がたっぷりとたまていることを
発見した。


もう家の中には水はないものと
勝手に思い込んでいたようだが、
今朝、何気なくキッチンの
照明を見上げて、ゾッとした。
照明のカバーに水が溜まっているのである。



写真のカバー下部の線が水面。
黒い点々は汚れだ。
こんな風なのに、
なぜ、今まで気が付かなかったのだろう。
照明は、問題なく点灯するので、
全く気に留めていなかったし、。
キッチンは、窓際にほんの少しの
水漏れがあっただけで、
基本的に無事だったということも
注意がなかったことの要因だ。
もしかしたら、水漏れ発生から
数日経って少しずつ行き場のない水が
ここに流れてきたのだろうか。

いずれにしろ、とにかく
水を抜かなければならない。
五十肩がひどい時だったら、
どうしようもなかっただろうが、
幸い腕は上がるようになっていたので
良かった。

妻と2人で水がこぼれないように
カバーをはずそうと試みるが、
これが中々外れない。
外れない仕組みになっているのだ。

下でバケツで水を受け、
なんとかカバー内の水を全部抜いた。
ちょうどバケツ一杯分あったよ。







2017.12.30

煩悩の数

いよいよ今年も明日で終り。
皆さんは、どんな年だったですか?

私は、まず1月に会社の引っ越しがあった。
新しいオフィスは、中々快適で気に入っている。
会社で車を買い、自動車通勤を始めたせいか
体重が年始に比べて今は5キロほど増えてしまった。

それから、事故というほどではないけど、
10月に、あるお店の看板に車を当てて
壊してしまった(保険で補償済)。
12月には自宅の天井裏の水道管から水漏れがあり、
家の中の一部が水びたしになり、ベッドや布団や
押し入れにしまってあった物の一部がダメになったり、
ライヴの当日にキャンセルになったりと、
後半ちょっとバタバタした感があったが、
概ね平和で幸福な1年を送ることができた。
ライヴもここ数年では一番活発に演ったし、
新しいプロジェクトも始めた。
大好きなライヴや落語、映画もたくさん
観ることができたし、大きなケガや病気も
していないし、本当にありがたいことだと思う。

さて、明日は大みそか。
大みそかにお寺では除夜の鐘を
108回撞(つ)くという話は、
子供の頃に聞いたが、
実際に108回の鐘の音を
ゆっくりと聞いたことはない。

1回鐘を撞くたびに煩悩がひとつ消え、
108の煩悩を消し去り、
新年を迎えるというわけだが、
私の煩悩が、消えたことがないのは、
心静かに鐘の音を聞くような
大みそかを送ったことがないからか。

ちょっとググってみると、
除夜の鐘の数は、必ずしも
108というわけではなく
煩悩の数も108と
決まっているわけではなさそうだ。
一般的に最もポピュラーなのが
108ということなのだろう。

東急沿線の駅で無料で配布されている
「SALUS」という冊子の今月号に
掲載されていたエッセイに
煩悩の数が 108 ということについて
書かれていた。
諸説あるらしいが、以下のようなものである。

四苦八苦 (4×9)+(8×9)=108

1年の暦を季節ごとに割り当てた、
12 (ヶ月)+24 (節季)+72 (候)=108

いずれもあんまり説得力ないよな。

エッセイを書いているのは、
佐治晴夫さんという理学博士なのだが、
一番もっともらしい説明として、
仏教の煩悩観による説を挙げている。

煩悩の起こす基になる人間の感覚には、
眼 (げん)・耳 (に)・鼻 (び)・舌 (ぜつ)・
身 (しん)・意 (い) の6つ (六根) があり、
それぞれの感じ方には、
「好い」「悪い」「中庸」の3つ、さらに
「浄 (じょう)=清らか」「染 (せん)=汚い」の
2つ、そして、前世、今生、来生に及ぶと
考えると、6×3×2×3=108 になる。

これは確かに「なるほど」と思ってしまった。

「煩悩」というのは
「人間を苦しめる(心をかき乱す)迷いの心・
欲望」のことだが、以前、私が習った瞑想では、
人間を苦しめるものを2つにまとめていた。

それは「執着」と「嫌悪」。
「執着」と「嫌悪」は、
コインの裏表みたいなもの。

気持ちの良いもの (こと)、欲しいもの (こと)、
好きなもの (こと) を手放すまい、または
手に入れようと執着し、
その反対にイヤなもの (こと)、
欲しくないもの (こと) を遠ざけようと嫌悪する。
それが、人の苦しみのもと。

そのようにまとめると煩悩は2つ。
そして、その煩悩を「嫌悪」し、
煩悩からの解放に「執着」しているのが
人間だから、困ったもんだ。

執着も嫌悪も、考えようによっては、
人間らしくて、煩悩に苦しめられるのも
どうせ生きている間だけの特権だと思えば
いいのかもしれないな。
そういう意味も含めて、
来年のテーマは「諦観」「諦念」にしようと思う。

明日から、大阪に帰省するので
3日ほど、「ひとりごと」をお休みします。

皆様
良いお年を



 ひとりごと