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 つつみしんやのひとりごと  2025年8月
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2025.8.17

義父の死

8月13日。
山形の老人ホームにいる義父に
面会に行く日だった。
その前日、義父は39度を超える熱を出して
入院したので、老人ホームではなく、
病院に行くことになった。

病室で横たわる義父の顔には、
酸素マスクが装着されていた。
声をかけても応答はなく、意識はないようだった。

先月9日にも会いに行ったのだが、
その当日、誤嚥性肺炎で発熱し入院したので、
その日も老人ホームではなく病院を見舞った。
看護師さんが大きな声で起こそうとしてくれたけど、
義父は眠ったままだった。

もう93歳で、今年春に義母が亡くなってから
みるみる弱っていた。
先月の入院時、義父はもう退院することは
ないだろうと思ったのだけど、8月5日に退院した。
それから、一週間での再入院だった。

13日夜、妻のお姉さんの自宅で、
バーベキューをやろうと準備をしていた。
そろそろ食べ始めようかという時、
お姉さんの携帯電話が鳴った。
義父の具合が悪化したという知らせだった。
病院はコロナ感染の対策のため、
同時に登録した3人しか面会出来ないルールで、
私は昼間の面会を最後にしたので、
妻とお姉さんが病院に向かった。

21時頃、義父の容態が落ち着いたので、
ふたりは一旦家に戻って来たのだが、
30分もいただろうか、再び病院からの電話で
呼び戻された。

結局、義父は午前2時30分頃息を引き取った。
(医師の死亡確認は2時40分)

義父は娘ふたりに見送られて静かに逝った。
おそらく苦しむことなく。

先月の面会時にも、まるで私たち(というか
娘である妻)を待って入院したかのようなタイミング
だったけれど、今回は入院どころか、息を引き取る
瞬間まで、義父は妻が山形にいる時を選んだ。

私は、義父の娘たちへの思いやりを
感じずにはいられなかった。
お姉さんは山形に住んでいるけれど、
次女である妻は東京暮らし。
お姉さんひとりでは、大変だったろう。
姉妹が揃っている時の逝去は、
奇跡だと思うと同時に、これは、
姉妹への父親の優しさに違いないと思う。

15日、通夜。
16日、火葬。

16日に妻はどうしても外せないミーティングが埼玉であり、
収骨まで居られないかも知れない状況だった。
が、ことは順調に運び、火葬は予定より20分早く
始まり、妻は収骨に参加し、ミーティングにも
遅れずに参加することができた。
そして、最終の新幹線で山形に戻って来た。

そして今日17日、葬儀。

義父は大工の棟梁だった。
葬儀会場に飾る写真を選ぶので、
若い頃のアルバムを見たが、
大工仲間は所謂「◯◯一家」という感じで、
兄弟弟子や大工仲間と、とても仲良く
しょっちゅう集まりがあったり、一緒に旅行に
行ったりしていたようで、そんな写真が何枚もあった。
義父の兄弟弟子や大工仲間の多くは
もう既に他界しているが、その息子さんや、
高齢でもお元気な大工仲間が葬儀に
参列されていて、その絆の強さを感じた。
義父の他人様への面倒見の良さは、
以前から知ってはいたが、色んな方の話しから
「そんなことまでしていたの?」というような話も聞けた。
立派で豪快なお父さんだった。

あのお母さんと あのお父さんだったからこそ、
妻はあんな風に自由にユニークに育ったのは間違いない。

東京へ戻る新幹線を待つ米沢駅のホームで
妻がぼそりと言った。
「ふたりとも いなくなっちゃった」





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2025.4.5 偉大なる なかさん
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2025.7.10 義父93歳





2025.8.20

死 について

今年はまだ8月だというのに
すでに三回、葬儀に参列した。
こんなことは今までなかったような気がする。
三回というのは、妻の両親と友人の父親の葬儀だ。
3人とも 90歳を過ぎていたので、
大往生と言ってよいと思う。

先日、義父の火葬の日、友人から LINE が来た。
山形に来ていて義父が亡くなったと事情を送ったところ、
その友人から、癌だった友達(たぶん60代前半)が
前日に亡くなったと返信が来た。
癌の発見、余命宣告からたった2ヶ月だったらしい。

昨年は、私の姉と高校時代の同級生が亡くなった。
このふたりは、60代だったのでちょっと早かった。
また昨年は、友人の両親も亡くなった。

一昨年には伯母が、4年前には父が亡くなった。

この数年だけに限っても、ロバータ・フラック、
ロビー・ロバートソン、デヴィッド・サンボーン、マリーナ・ショウ、
坂本龍一、アーマッド・ジャマル、ジェフ・ベックなど、
好きなミュージシャンの死も後を絶たない。

芸能人や有名人だけではなく、親兄弟、友人が
亡くなることで、死をとても身近に感じるようになった。

「身近に感じるようになった」と書いてしまうと
いうことは「身近ではなかった」ということでもある。

しかし、本来死は常に身近であるはずだ。

何度かここに書いたけれど、以前読んだ本
「死を見つめて生きるために」の著者で自らエイズで
死の宣告を受けていたジョゼフ・シャープは、
私たちは「死につつある」 と書いている。

私たちは「いつか(遠い未来に)死ぬ」のではなく、
「いつでも死ぬ」ということをついつい忘れてしまう。

なぜなら、今日、明日、死ぬかもしれないと思って、
そんなことを意識して生きるのはしんどいからだと思う。

最近読んだ記事で知ったが、仏教に、
「死を明らめる」という言葉があるらしい。
「諦める」ではなく「明らめる」。
これは「自分が死ぬ存在であるということを
明らかにして生きなさいという教え」だという。

私たちは、死という自然現象を忌み嫌い、
覆い隠すように生きている。
しかし、自分が死ぬことを明らかにするならば、
死を忌み嫌ったり、覆い隠したり、遠ざけては生きていられない。

いつ死んでもおかしくないことを意識すれば、
つまり、明日死ぬかもしれないと考えたなら、
今日をどう生きるか、真剣に考えざるを得ない。

死ぬことは問題ではなく、生きることこそが問題なのに
ついつい、まだまだ時間があると今日の時間を
大切に使わない自分がいる。
命と言うのは、イコール時間のことでもあるのに。

「明日死ぬかのように生きなさい。
永遠に生きるかのように学びなさい」

これは一般的にガンジーの言葉だとされているけれど、
ガンジー以前からあった言葉だという説もある。
そんなことは、どっちでもええけど。

明日死ぬかのように生きるのも
永遠に生きるかのように学ぶのもどっちも難しい。
けど、若い頃より死が近づいていることだけは間違いない。

そう思うと、嫌な人と付き合っている暇はないし、
やりたくないことを我慢してやることも、
やりたいことを我慢する必要もないなと思う。


[ 関連エントリー ]
2010.9.19 死を見つめて生きるために





2025.8.25

「頭がいい」とはどういうことか
ーー脳科学から考える
毛内拡 著




脳科学の研究者が書いた本。
「頭がいい」とはどういうことか。
この問いかけになんと答えようか。

いくつかの回答か思い付くので
思い着くままに書いてみよう。

● 勉強ができる、つまり学業の成績が良い。
● 問題に対し、誰も思い付かないような解決策を思い付く。
● トラブルが起きたとき、波風を立てずに治めることができる。
● 短絡的に物事を判断せずに多角的に見ることができる。
● 未来や他人の感情に対し想像力が働く。
● 「自分が正しい」と言い張らず、他人の意見を聴くことができる。

考えればもっと出て来るかも知れないけど
パッと思いつくのはそんなところだ。
誰でもそうなのかも知れないけれど、
私が誰かのことを「あの人は頭がいい」と
思うのは、自分が思い付かないようなことを
思いつく人なので、頭がいい・悪いは
自分を基準にしていることになる。
そして、上に書いたことはつまりは
能力のことだと思えてくる。

優秀な大学を卒業していながら、
「頭悪いんちゃうか」と思える人もいるので
「頭がいい」は成績のことだけではないように思う。

本書の最後には著者なりの「頭がいい」の
定義も書いてあったが、それはネタバレに
なるのでここには書かないでいよう。
でも、ヒントだけ書くと
「真に聡明であるということは
○○〇○○を知っていることにあります」
とあった。
全くそうだと思う。
逆を言えば、頭が悪く見える人は、
○○〇○○を知らないように見えるんだ。
興味のある方はお読みください。

本書の中で、私が興味深かったこと。

「知能」とは答えのあることに素早く
答えを出す能力。
「知性」とは答えのないことに答えを
出そうとする営みそのもの。

emotion についての記述。
Emotional Intelligence Quotient(EQ)は
日本語で「感情の知恵」と訳されている。
これは、人の気持ちを察するなど人間関係を
上手く築き、継続するための知恵と言える。
著者は「emotion」は「感情」ではなく
「情動」だという。
「感情」の英語は「feeling」だと。
「情動」は知らない言葉ではないけれど、
私は普段使わないので今一よく分かっていない。
何かが起きたとき、自分のマインドやボディに
起きることが「情動」で、それを言語化
したものが「感情」だという。

その自分に起きた「情動」を言語化する際に
求められることは、語彙である。
嬉しいにしろ、悲しいにしろ、色んな種類が
あるわけで、それを正確に言語化するために
必要なことを 著者は解像度と呼んでいる。
解像度が高いほど、正確に感情を表現できるわけだ。

それで思い出したことがある。
私は、知人の子供(当時小学生)と
数年にわたり、接していたことがある。
彼の感情表見の言葉は「楽しい」と
「かわいそう」のふたつであった。
それ以外の言葉を聞いた覚えがない。
もちろん子供だから、そんなに色んな
喜怒哀楽を表現できるとは思わない。
ある時、彼は一歳上のお兄ちゃんに
暴力を振るわれケガをした。
私は彼に「(お兄ちゃんに対し)腹が立たないの?」と
聞いたことがある。
彼は「腹が立たない」と答えた。
その時は、なんて心の広い子供だろうと
思ったのだけど、あとでよく考えてみると、
彼は母親に対しては癇癪を起こすこともあったわけで、
もしかしたら「腹が立っている」ことを
言語化できるほど自覚がなかったのかも知れない。

自分を振り返ってみても、子供の頃、
腹が立ったとして、何に対して腹が立っているのか、
正確に言語化できたとは思えない。
それは、大人になる過程で自分を観察し
語彙を増やすことで、あるいは、読書や映画鑑賞を
通して、人の感情を疑似体験することで
可能になることだろう。

つまり、自分の感情を正確に表現するには、
自己観察と語彙が必要なわけだ。
そういう風に観ていくと、情動を細かく
言語化できること(解像度が高い)も
頭がいいことのひとつだと思う。

情動に含まれるかどうか分からないけど、
感じたことを言語化することができない場合、
私たちは「なんとなくそんな気がする」
「勘だけど」という風に言うことがある。
本当に所謂第六感が働らくことも否定はできないけど、
本書を読んで「勘だけど」と言ったときの
いくつかのケースは、実は言語化できないなんらかの
情報をキャッチしているのかも知れないと思ったのでした。

その他にも興味深い話がいっぱいありました。


★★★★☆





2025.8.26

PASQUALE GRASSO TRIO



最近知ったパスクァーレ・グラッソという
ギタリストのライヴを観てきた。

パスクァーレ・グラッソは、1988年、イタリア生まれ。
祖国でクラシックギターを学んだあと、NYへ。
パット・メセニーが「最高のギタリスト」と
絶賛したこともあるらしい。

初来日で、公演は2日間4公演。
そのラストショーを観てきたけれど、満席だったよ。
座席は最前列。
下手側の端の方だったけど、トリオは上手からドラム、
ベース、ギターと並んでの演奏だったため、
パスクァーレ・グラッソまで3メートルもなかったと思う。
なにしろ、ギターを弾くときのフィンガーノイズが、
ダイレクトに聞こえる距離だった。
これはラッキー。

ギターは、ヘッドのロゴを見ても 分からなかったので
知らないメーカーだと思う。
トップには美しいフレイム。メイプル。
フローティングのミニ・ハムバッカーを搭載した
やや薄めのフルアコ。
ギターの裏に太ももで支えるための支持具を
吸盤で取り付けていた。(ギターリフトというみたい)
ネットで探したら、この写真を見つけた。



形も色もピックアップもブリッジもテイルピースも
指板のインレイもこれだったと思うのだけど、
ピックガードがこんな形ではなかったので
別の個体か、もしかしたら交換したのかもな。

アンプは Fender で、ノーエフェクト、アンプ直。
とてもまろやかなトーン。
上手いのは当たり前だけど、
弾き方、出音が丁寧で美しい。
速いフレイズでもきれい。
時々、もの凄く指を開いて、見たことのない
ストレッチフォームのコードを弾いていた。
あんなん無理。
やったらすぐに手首を痛めそう。

トリオは、3人共スーツにネクタイ。
ベースのアリ・ローランドは、
楽しそうで終始笑顔だった。
彼は全曲でソロのときはアルコ(弓弾き)。
ドラムのキース・バッラは、ブラシのソロが良かったな。


[ MEMBERS ]
Pasquale Grasso (g)
Ari Roland (b)
Keith Balla (ds)

@ Blue Note Tokyo
2nd show





2025.8.28

卒業44年
8年ぶりの同窓会


先日(24日)、大阪の某ホテル宴会場にて、
卒業から 44年経つ高校の同窓会が開催された。
クラスではなく、学年全体の同窓会で、
2006年、2011年、2017年に続いて四度目。
本来なら2022年、私たちが還暦を迎える年に
計画があったのだけど、コロナの影響で叶わなかった。

今回は 96人の卒業生と先生が3人参加された。
先生3人は70代80代だけど、お元気そうに見えた。
もうひとり、私の1年生2年生のときの担任
K先生も来られる予定だったが、体調が悪く欠席された。
確か今年88歳だと思うのでちょっと心配だ。

8年ぶりの開催だったのだけど、
今年はひとつ大きなトピックがあった。
今年4月から、同級生のひとりT君が、
その母校の校長に就任した。
もちろん彼も出席していて、校長先生らしい
スピーチを聞かせてくれた。

同級生の中にはT君の他にも教師になった者が
数名いるが、母校の校長になれる人は稀だろう。

1年生で同じクラスになり、卒業後も
しばらく仲の良かったK君。
彼は、同窓会初参加だったので、会うのは
たぶん35年ぶりぐらいだろうと思う。
彼の家には泊まったことも、彼が泊まりに来たことも
あったし、高校卒業後も学生時代は同じ居酒屋で
アルバイトをしていたので毎日のように会っていたものだ。

人生の限りが見え出して、K君にも会わないとと
思っていたので再会できたことはとても良かった。
また機会を作ってゆっくり会いたいと思う。

8年前の同窓会には出席していたのに
残念ながら他界した者もいる。
私が知っていた者だけではなく、
知らなかった者も数名亡くなっていたことを聞いた。
普段会っていないし、付き合いもない人の死は、
聞かされてもあまりリアルではない。
それでも、彼が、あいつが、もうこの世にいない、
会うこともない、と思うと人の命の儚さを
感じずにはいられなかった。

私は仲の良かった者と話すのはOKなのだけど、
あまり人間関係がなかった人と話すのは得意ではない。
しかし、今回は今までになく色んな人と話すことができた。
中には、面白くてもっと話したいと思う人もいたりして新鮮だったよ。

私は同窓会の発起人に名前を連ねているのだけど、
東京在住と言うこともあって準備を全く手伝っていない。
せめて当日ぐらいはと、少しはお手伝いしたけれど、
行ってみると挨拶や乾杯の音頭をとることになっていた。
前回もそうだったような気がするが、
今回もあまり気の利いたことが言えずちょっと悔しい。

次回の同窓会は、70歳だと7年も空いてしまうので、
3年か4年後に開催しようとなった。
それまで、皆んな元気でいるといいな。
私もね。


全員で記念写真



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