2026年7月
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2026.7.1
中牟礼貞則
日本のジャズ・ギター界のレジェンド
中牟礼貞則(なかむれ さだのり)さんが亡くなった。
享年 93。
6月4日に亡くなっていたのだが、今日知った。
今年の2月までステージに立たれていたそうだが、
3月に入院され、そのまま逝かれたようだ。
3月15日が誕生日なので、92歳まで
ステージに立ち続けたわけで、それは音楽家として
幸せなことではなかったろうか。
きっと、まだまだもっと 演りたかったと思うけど。
私は中牟礼さんの演奏を数回、生で聴いたことがある。
最後に聴いたのはもう10年以上前(2015年)で、
移転前の BODY & SOUL で
井上智さんとのギター・デュオだった。
中牟礼さんは82歳だった。
その日のエントリーを読んで、中牟礼さんの
ソロ・ギター『My Funny Valentine』が
素晴らしかったことを思い出した。
中牟礼さんのリーダー・ライヴには行ったことが
なかったことが悔やまれる。
合掌。
[ 関連エントリー ]
2012.6.13 増尾好秋 ギター・デュエット
2015.2.4 中牟礼貞則 & 井上智 スペシャル・ギター・デュオ
2026.7.2
マジェスティック
The Majestic
ジム・キャリーというと『マスク』や
『Mr. ダマー』のようなコメディの印象が強いが、
本作は米国の1950年代の赤狩りを題材にしたドラマ。
ジム・キャリー演じる、ピーター・アプルトンは
ハリウッドの脚本家。
そんな彼に共産党員の疑いがかけられる。
仕事を干されたピーターは、自動車事故を起こし
川に落ちる。
気が付いたら、見知らぬ街に流れ着いていた。
ピーターは 記憶喪失になっており、
街の人々は 戦死したルークが生きていたと、
勘違いする。
タイトルの「The Majestic」は「威風堂々」と
いう意味で、ルークの父親が経営する映画館の名前。
戦争で若者を多く失った街は、
ルークの奇跡の帰還で活気を取り戻す。
閉鎖されていた映画館「The Majestic」も再オープンだ。
しかしやがて、その街にも FBI の捜査の手は及ぶ。
1950年代に入っても、まだまだ戦争の傷跡が
生々しかったことが、本作から感じられる。
街の若者が「ノルマンディで戦死」と聞いても
なんともないのに「沖縄で戦死」と聞くと、
自分の心の何かが反応するのが分かる。
戦死という本質は、同じなのにね。
アメリカ映画らしい結末で、
アメリカの負の側面・歴史を批判しつつ、
勇気と希望に満ちた、英雄の物語。
監督は『ショーシャンクの空に』、
『グリーンマイル』のフランク・ダラボン。
★★★★☆
2001年製作/153分/アメリカ
原題:The Majestic
劇場公開日:2007年6月22日
DVD で鑑賞
2026.7.5
フルマラソン 6時間を切れるのか(5)
今年のチャレンジの一つとして、
ウォーキングとジョギング合わせて、
1年間で 1000キロを目標にした。
先日、ようやく 500キロを超えた。
ウォーキングが 103キロ、ジョギングが 400キロだ。
実は、ウォーキングは入れないで、
ジョギングだけで 1000キロ達成を目指している。
4月の半ばから5月の半ばまでは調子よく、
1か月間で 153キロを走った。
そのペースで進めば、今頃はジョギングだけで
600キロ近く走っていることになるのだけど
そんなに順調には進まない。
5月後半、韓国に行ったり(3泊)、
福井に行ったり(2泊)したあと、
いよいよ練習再開と思っていたときに、
軽いギックリ腰をやってしまった。
そんなこんなで、丸4週間開いてしまった。
ようやく6月17日に練習を再開。
毎回できれば 10キロ以上と思ってスタートするが、
どうも調子が出ずに、10キロ走らずに
やめてしまうことが増えた。
一昨日なんて全く力が出ず、2キロでやめてしまった。
夕方、また走る気になったので、8キロ走り、
その日の合計で 10キロは走ったけど。
そんな風なので、今のところフルマラソン
6時間切りは全く見えていない。
また、この時期、雨が多く走れない日もある。
ボチボチ暑くなってきたので、ジョギング中の
疲れというか ダルさも徐々に増してきた。
夏をどう乗り切るかが、11月の本番に
大きく影響すると思うが、当日まであと 119日。
はてさて。
MODERN LOVE Tokyo
モダンラブ・東京
アマゾン・プライム・ビデオのドラマ『モダンラブ』。
アメリカ版シーズン1、アムステルダム版に続いて
東京版を観た。
東京版は 30分から 40分ほどのドラマ、
7話からなる。
こちらも「ニューヨーク・タイムズ紙に掲載された
コラムを基に」となっているが、日本が舞台だからか
日本人がスタッフで出演者も日本人だからか、
仕上がりも幾分日本的に感じた。
同性愛の夫婦、母乳で息子と繋がろうとする母親、
離婚した夫婦、熟年男女の出会い、
妻がうつ病の夫婦、出会い系アプリで別の人物に
なり切る男とその男に惹かれる女、国際的な恋愛、
高校時代の恋を終わらせられない女など、
やはり色んな恋や愛の形を描いている。
始めに観た「アメリカ版シーズン1」があまりに
良かったため、残念ながらそれは超えない。
話しによっては、それなりに楽しめたけど、
私にはリアリティのない話しもあったし、
多少嫌悪感を感じる演出もあった。
エピソード6では、私が感動した「アメリカ版
シーズン1」の「エピソード8」のスタイルを
踏襲するが、全く及ばず。
別になくても良かったぐらい。
出演者は、水川あさみ、前田敦子、
榮倉奈々、柄本佑、伊藤蘭、石橋凌、
成田凌、夏帆,、永作博美、ユースケ・サンタマリア、
ナオミ・スコット、池松壮亮と豪華。
エピソード7はアニメで、声の出演に
黒木華、窪田正孝ら。
どうせなら、実写で観たかった。
個人的にはエピソード3(出演/伊藤蘭、石橋凌)の
熟年の男女の初デートの話しが好きだな。
「そんなことあるか?」というような展開だけど、
事実は小説より奇なり、というからな。
★★★▲☆
2026.7.10
妄想美術館
原田マハ X ヤマザキマリ
原田マハさんの著書は数冊読んだけれど、
ヤマザキマリさん漫画は読んだことがない。
大人になってからは、漫画は数えるほどしか
読んでいないんだ。
でも、映画になった『テルマエロマエ』は、
2本とも劇場で観たよ。
ヤマザキマリさんは、山下達郎のアルバム
『SOFTLY』のジャケットになった達郎氏の
肖像画を描いていたり、立川志の輔師匠の
落語会に行くとマリさんの描いた師匠の
肖像画が展示されてたりと、
漫画は読んでいないのに
不思議と馴染みがある。
原田マハ と ヤマザキマリ。
アート、そして小説と漫画という違いはあれど
アートをネタに創作するという共通点を持つ、
このおふたりの対談。
この本を読む前に、デジタルで読んだ対談が
とても面白かったので、この本も読んでみたくなった。
好きな美術館、好きな作家、好きな作品、
お勧めの美術館など、ふたりのファンでなくても
アート好きなら知っておきたい情報満載。
ふたりが館長をするなら、という妄想美術館も
面白いし、『テルマエロマエ』誕生秘話も興味深い。
知らない作家を知れるのも良いね。
ちょっとマリさんの方が、マニアックな印象。
おふたりとも専門的な教育を受けていらっしゃるから、
奥が深いです。
そんなに文字数が多い本ではないけれど
この一冊だけでも私の受け皿は溢れてしまいました。
★★★▲☆
2026.7.14
GABRIELLE CAVASSA
ガブリエル・カヴァッサ
先月ブルー・ノートで聴いた、ヴェロニカ・スウィフトは
1994年生まれだだったのだけど、同じ 1994年
生まれで またまた素晴らしい、米国のジャズ・シンガー
ガブリエル・カヴァッサ のライヴを観てきた。
ガブリエルは、2020年に自主製作で
デビュー・アルバムをリリースし、2023年に
ジョシュア・レッドマンが初のボーカル・フィーチャーの
アルバムに起用した。
そして 2023年、ブルーノート・レコードと契約し
今年、メジャー・デビュー・アルバムとなる
『DIAVOLA』 をリリース、という経歴。
ドン・ウォズが「耳元で秘密を囁いてくれるような
体験」と称賛したというが、さもありなん。
とてもよろしい。
ライヴはギタートリオにヴォーカルというカルテット。
生で聴くと、所謂アメリカ的ではない印象。
ブラジリアンな曲が数曲あったから、
ブラジル的かというとそういう訳でもない。
ヨーロッパ的というのもピンと来ないのだけど。
彼女の歌は、自然体でいて無垢というか
奔放で、それでいて ちょっとセクシー。
衣装もセクシーでした。
バンドはギタートリオで正解だなと思った。
ピアノだともう少し普通な感じになってしまいそうな気がした。
ギターのガブリエルは、テレキャスタータイプを使用。
ユニークな演奏でした。
終演後、ステージのギターを近くまで見に行こうと
思っていたのに見ずに帰ってしまった。
たぶんハムバッカーが2つ搭載されていたと思う。
私の席から見る限り、フェンダーではないように見えた。
曲は、アルバム『DIAVOLA』から。
印象的だったのは、コントラバスのアルコで
始まる『Angelo』。
何度も何度も「Angelo, Angelo」という
歌詞が繰り返される。
意味は分からないけど、なんだか切ない。
この曲は、ルイージ・テンコ(イタリアのシンガー
ソングライター)という人の曲で、歌詞もイタリア語。
国は違うけど、ちょっとシルビア・ペレス・クルス
(スペイン)に通じるものを感じた。
それから、ギターの音を重ねてシンセのように
鳴らして、その上でガブリエルが唄う『Be My Love』。
これは、メロディに付いてコードが変化して
いかないので、かなり唄うのが難しいと感じた。
本編ラストは、バカラックの
『Raindrops Keep Falling On My Head』。
これがまた 良いアレンジだ。
アンコールは、まさかの『赤トンボ』を日本語で。
ベースのレックス・ワルシャフスキーも
ドラムスのピーター・バーナードもとても良かった。
日本では知名度がまだまだなのか、
私が観たのは2日間4公演のラスト・ショーだったが
少し空席が目だった。
もったいない。
ところで、ガブリエル・カヴァッサとギタリストの
ガブリエル・シュナイダー、二人とも「ガブリエル」だ。
ガブリエルって男性でも女性でも どっちでも
OKなのか、と思ってちょっと調べてみた。
スペルは、男性名が「Gabriel」で、
女性名は「Gabrielle」なのだそうだ。
確かにメンバーの表記はそうなっている。
男性の場合は「Gabe」と呼ぶことも多いようだが、
女性は「Gabby」や「Gabi」と呼ぶらしい。
[ MEMBERS ]
Gabrielle Cavassa (vo)
Gabriel Schnider (g)
Lex Warshawsky (b)
Peter Varnado (ds)
@Blue Note Tokyo
2nd show
『Diavola』(Full Album)
『Raindrops Keep Falling On My Head』 Duo
2026.7.17
クリント・イーストウッド
『ピアノ・ブルース』
クリント・イーストの音楽好きは有名な話で
ご自身もピアノを演奏される。
チャーリー・パーカーを描いた『バード』や
フォー・シーズンズを描いた『ジャージー・ボーイズ』
などの作品も監督してきたし、
『ミスティック・リバー』では、音楽監督も務めた。
息子のカイル・イーストウッドは、
ジャズ・ミュージシャンだしね。
本作『ピアノ・ブルース』は、2003年の作品で
ピアノ・ブルースに焦点をあてたドキュメンタリー。
DVDを発売後すぐに買ったのかどうか
覚えていないのだけど、ずい分前であることに違いない。
あんまり面白くなかった覚えがあったけど、
観直してみると、中々良かった。
特にレイ・チャールズ。
どうしてピアノを始めたのかという話しは
興味深い。
近所で、ブギウギ・ピアノを練習している人が
いて、ピアノが聞こえると遊びを中断してまで、
その人の家にいったらしい。
その人はレイにピアノを手ほどきをしてくれたのだという。
とても感謝していると名前も言っていた。
あの時、彼は「練習の邪魔だから帰れ」と言うこともできた。
でも、言わなかったのは「遊びを止めてもまで
来るということは、この子は音楽が好きなんだろう」と
思ってくれたんじゃないか、というような話しだった。
とにかく晩年のレイの様子を観られるのは、貴重。
それ以外にも、知らなかったピアニストが
何人も出てくるのも良い。
実際にイーストウッドがインタビューする映像と
アーカイブ映像が混ざっているけれど、
出てくるピアニストは、レイ・チャールズ、
デイブ・ブルーベック、ジェイ・マクシャン、
ドクター・ジョン、パイントップ・パーキンス、
アート・テイタム、オスカー・ピーターソン、
プロフェッサー・ロングヘア、ナット・キング・コール、
デューク・エリントン、セロニアス・モンク、
ドロシー・ドネガン、マーサ・デイヴィス、
フェニアス・ニューボーン など。
ただ、後半はブルースから離れて
話しがジャズに流れていく。
もちろん、ブルースとジャズは切っても切れないのは
百も承知だけど、なんだかポイントがブルースから
外れて散漫になっていく印象。
でも、誰だったか出演している高齢のピアニストは
「音楽は、テンポが速いか遅いかだけで、
全部ブルースや」と言っていた。
その区別は、でか過ぎるで。
そして最後は、レイ・チャールズがオーケストラを
バックに唄う『America The Beautiful』。
「レイはなんでもブルースにしてしまう」みたいな話し。
うーん、ちょっと無理があるかなぁ。
レイ・チャールズの唄はええねんけどね。
本作は、マーティン・スコセッシ監督が
製作総指揮を務める「THE BLUES Movie Project」
シリーズ、全7話のなかのひとつ。
テレビ用に製作されたもので、劇場公開はされていない。
2003年製作/92分/アメリカ
原題:Piano Blues
DVD で鑑賞
2026.7.17
Martin Taylor
In Concert
マーティン・テイラーを知ったのは、もう25年くらい前。
勤務先が 四ツ谷3丁目だった頃、
四ツ谷4丁目の図書館で 借りた2枚組オムニバス CD
『Smooth Jazz On A Summer's Day』に入っていた
『Midnight At The Oasis』という曲が
めちゃくちゃ気持ちよくて、「誰これ?」と
思ったのがきっかけだった。
話しはそれるが、公立の図書館では
書籍も CD も無料で借りられるので、
ずい分ありがたいと思ったが、ミュージシャンの
権利はどうなるんだろうな。
まあ、それは本でも一緒か。
件の曲は バンドによる演奏で、まさにスムース・
ジャズな曲だったが、その後 私が虜になったのは、
マーティン・テイラーのソロ・ギターだった。
初めて観たライヴは、2003年12月、
すみだトリフォニーホールでケイコ・リーとのライヴ。
(その前年にケイコ・リーは、マーティンを迎え
アルバム『ケイコ・リー・シングス・スーパー・
スタンダーズ』をレコーディングしている。)
それからは、来日の度にライヴに行った。
ソロ公演もあったけど、鈴木大介、渡辺香津美、
Ulf Wakenius、Muriel Anderson など
誰かとのデュオも多かった。
来月、久しぶりに観に行くのだが、
最後に観たのは、2019年なので7年ぶりだ。
(来日も7年ぶりのようだ。)
今年、新しいアルバム『Standards』を
リリースしたので、そこからの曲が中心になるのだろう。
ただ、パッと見たところ、そのアルバムの半分は、
すでにソロ・ギターでレコーディングされているもの
なので、もっと違う曲を聴きたいという気持ちもある。
もちろん、以前の録音とは演奏は違うんやけど。
さて、そのマーティンのライヴ DVD を久しぶりに観た。
1996年11月1日、ペンシルヴァニア州ピッツバーグの
マンチェスター・クラフトメンズ・ギルド で収録された
ものなので、今から 30年前の演奏。
マーティンも 40歳と若い。
髪の毛も長く、後ろでくくっている。
ギターは、ヤマハの AEX-1500。
フローティング・ピックアップとピエゾをブレンドできる。
マーティンのはカスタムモデルである可能性もあるけど、
私も一時期、彼の影響で 色違いを所有していた。
手放したことを少し後悔している一本。
演奏は、何度も観ても素晴らしいね。
バラードはどこまでも美しく、甘く、切なく。
速いリズムのものは、ギター一本でもこんなに
グルーヴやスイングを出せることを思い出させてくれる。
この人の演奏は、弾き損ないのようなミスがない。
そういう意味では、トミー・エマニュエルと同じく。
トミーとマーティンは、私の中でも ソロ・ギターの巨匠。
そのふたりは CD も出しているけれど、
叶うなら日本でデュオ・ライヴをと願っている。
収録曲:
1. Georgia
2. I Got Rhythm
3. Can't Take That Away from Me
4. In a Mellow Tone
5. Why Did I Choose You?
6. The Dolphin
7. Medley: Dixie/Old Man River
8. Sweet Lorraine
9. Stella by Starlight
10. Lulu's Back in Town
11. I Remember Clifford
12. Taking a Chance on Love
(75 min.)
2026.7.19
「さて死んだのは誰なのか」
東京・青山霊園にある池田晶子の墓参りに行ってきた。
発売されたばかりの池田晶子の著書
『すべての人の死因は生まれたことである』。
昨日届いて一気に読んだ。
池田は、2007年に46歳で亡くなっており、
新しい本が出るわけはないのだが、この本は
単行本4冊のエッセイから「生老病死」に
関するものを選んで再編集したもの。
(私は池田の本を3冊しか読んでいなかったけれど
そのうちの2冊がここに含まれていたよ。)
『すべての人の死因は生まれたことである』に
ついては書きたいことが色々あるので
改めて書くことにして、今日は墓参りのことを書こう。
その本に墓碑銘に関するエッセイがあった。
彼女は自分の墓碑銘は
「さて死んだのは誰なのか」にすると。
私は池田流の「洒落」だろうと思った。
(池田なら「諧謔(かいぎゃく)」と書くかも知れない。
「諧謔」は池田が良く使う言葉で、気の利いた
ユーモア・冗談のこと。)
しかし、本の後書きにその墓碑銘は
お墓に刻まれていると記載があった。
調べてみると、そのエッセイ「墓碑銘」は、
「週刊新潮」の連載エッセイ「死に方上手」の
連載最終回にあたるもので、池田の死後、
雑誌に掲載されたとあった。(こちらの記事)
つまり、エッセイ「墓碑銘」を書いた時、
洒落ではなく、本気だったのだな。
お墓は青山霊園だ。
ならば、墓参りをして、ぜひその墓碑銘を
この目で見てみたい、と思った次第である。
青山霊園には自宅から 30分ほどで
行けるけど、池田の墓がどこにあるか
分からないのでは、墓参りも叶わない。
と思って検索すると、ヒットした。
↓
池田晶子の「墓」ができました!
ちゃんと案内図付き。
そして、なんと 命日が2月23日。
223、そう「ツーツーミ」だ。
こうなると、もう絶対行かねば、となった。
墓碑銘は、原稿用紙を模した
アルミ合金製の鋳物扉に
本人直筆の文字を転写してあった。
「さて死んだのは誰なのか」
上にあるのは、本のオブジェで
こちらにも直筆の文字。
これは自著へサインした時のものらしい。
この墓碑銘が実現するまで、
青山霊園の抽選に挑戦し続けて8年、
没後12年が経過していた。
関係者(ご主人)のご苦労も多かったことでしょう。
* * * * *
実際には自分の墓を建てる気はないのだけど、
自分の墓碑銘を考えてみるのも乙かもね。
あと、だから何、ということでもないのだけど。
墓誌には誕生日の記載があった。
1960年8月21日。
一昨年逝った私の姉の誕生日は
同年8月22日で1日違いだ。
ピカソ meets ポール・スミス
遊び心の冒険へ
Picasso, through the Eyes of Paul Smith
国立新美術館で開催中の展覧会
「ピカソ meets ポール・スミス」に行ってきた。
国立ピカソ美術館(パリ)が所蔵する、
パブロ・ピカソの作品を英国人デザイナー、
ポール・スミスが考案した会場のレイアウトに
展示するという企画。
2023年にパリで開催された、
ピカソ没後50周年記念の特別展
「ピカソ・セレブレーション:コレクションに
新たな光を!」を基にした国際巡回展。
通常、展覧会で作品が展示される壁は、
白っぽい無地の壁であることが多いが、
この展覧会は違った。
15のコーナーに分けられていたが、
原色で塗りつぶされた壁だったり、
派手な模様だったり、ポスターが
張り巡らされていたりと、ピカソの作品だけ
ではなく、そのディスプレイ自体も楽しめる
ように作られていた。
ピカソの作品は、作風の幅が広くて
中には何が良いのか分からないものもあるが、
今回は「ヘタウマ」的な作品に惹かれた。
特にこれ。
『草上の昼食:片腕に寄りかかり座る男』
これ、厚紙を切って鉛筆でちょこちょこっと
書いただけのものなのだけど、何とも言えない
味がシミ出ている。
もとネタはマネの『草上の昼食』という、
オルセー美術館所蔵の絵画。
この絵のピカソによるカバー作品(?)も
あったのだけど、ピカソは手前の男性を裸にして、
厚紙に書いて切り取ってしまったんだな。
作られたのが、1962年8月28日とあり、
私が生まれて間もないこともなんだか嬉しい。
ポストカードを買ったよ。
こちらは『牡牛の頭部』。
実はこれ、自転車のサドルとハンドルを
組み合わせただけで、溶接した以外
何も手を加えていない。
「アッサンブラージュ」と呼ばれる寄せ集め
(組合せ)の作品。
こういうの思いつくのは天才だなぁと思う。
ポール・スミスは、この作品の左右両サイドに
自転車のサドルとハンドルを並べてディスプレイ。
『女あるいは水夫の胸像』
これは『アヴィニョンの娘たち』のための習作。
『アヴィニョンの娘たち』というのは、
「キュビスム」の起点とされる作品らしいが、
そこにたどり着くために、たくさんの試行錯誤が
あったんだな。
2026.7.21
すべての人の死因は生まれたことである
池田晶子 著
2007年に 46歳で亡くなった池田晶子(あきこ)。
いまだにその著書のほとんどが書店に並び、
著書の累計は140万部を超えているらしい。
先日、発売されたばかりの
『すべての人の死因は生まれたことである』は
アマゾンでは新潮新書の売れ筋ランキング1位に
なっていた(2026年7月20日現在)。
この本は、過去に出版された単行本4冊の
エッセイから「生老病死」に関するものを選んで
再編集したものだ。
池田晶子の著書の何がそんなに人々を
魅了するであろうか。
私も魅了された読者の一人だが。
本書は「生老病死」について書いたエッセイを
集めたものだが、タイトルになっている
「すべての人の死因は生まれたことである」は
当たり前のことである。
生まれないものは死なない。
生まれたから死ぬのだ。
しかし、世の中は当たり前のことが言えない。
通用しない。
医者がこんなことを言おうもんなら
大変な批判にさらされることになる。
池田は当たり前のことを書いているのだが、
それが誰にでも通じるわけではない。
私も全てに同意できるわけではない。
しかし、この人の諦念というか諦観というか
卓越したものの考え方には、唸らされ、
そして憧れてしまう。
「すべての人の死因は生まれたことである」
には続きがある。
「では生まれたことの原因は何か」と
問うことになる。
生まれたことの原因は、両親の性交か。
受精か。
否、それは生まれたことの条件であって、
原因ではない、と池田は言う。
病気で死んだなら、それは条件であって、
原因ではないように。
では、生まれたことの原因は何か。
ここから先は神秘である。
精子と卵子が結合する確率が
何十億分の一だから、私たちが生まれたのは
奇跡だと言う人がいる。
そう言われれば、奇跡のように思える。
しかし、池田は言う。
「いかに奇跡的な確率であれ、確率であると
いうことは、可能であるということだ。
可能なことは、可能なのだから、
奇跡的なことではない。
確率は奇跡ではあり得ないのだ。
本当の奇跡は、自分というものは、
確率によって存在したのではないと
いうところにある。
なるほどある精子と卵子の結合により、
ある生命体は誕生した。
しかし、なぜその生命体がこの自分なのか。
その生命体であるところのこの自分は、
どのようにして存在したのか。
これはどう考えても理解できない。
なぜこんなものが存在しているのかわからない。
だから、奇跡なのだ。
なぜ存在するかわからないものが
存在するから奇跡なのだ」
自分というものが、存在していることが
奇跡で、神秘。
自分が生きていること、存在していることが
当たり前すぎて、そんな風に考えたことは
なかったが、これ以上の奇跡はない。
そして、「自分の」命だと思っているが、
生まれてくることも、死ぬことも
自分しだいではない。
一体、自分の命とは、自分とは、何なのか。
「死」についての考察も大変興味深い。
「死はない」と、池田は言う。
死を見た人はいない。
私たちが見たことがあるのは、
死体であって「死」そのものではない。
「死」そのものを見ることはできない。
「論理的には死は存在しないが、
現象的には死は存在する。
論理と現象の絶対矛盾が
同一であるのが人間という存在だ」
池田は自分のことを
「本質的にしか考えられないという、
どうしようもない癖がある」と書いている。
これは「病膏肓(やまい こうこう)」だと。
そして「『考える』とは、現象における本質を
捉えるということ以外ではない」とも。
彼女は「死」という現象について
その本質は何か、考えて考えて
考え抜いたのではないか。
その結果、「死はない」ということに
たどり着いた。
すると(墓碑銘に書いた通り)
「さて死んだのは誰なのか」ということに
なったのではないか。
こんな風に思うのは、まだまだ浅はかか。
★★★★▲
先日、その墓碑銘を見るため
青山霊園の池田の墓に行ってきた。
そのことは先日書いたが、
そのエントリーには書かなかったことがある。
実は、墓石(というより墓碑銘)の前に
立った時、突然何かが グゥ―ッと
込み上げてきた。
その情動が何か、言語化する前に
スゥーッと引いてい行ったのだ。
そんな情動を味わうより、
「さて死んだのは誰なのか」という
問いに向き合いなさい、
ということだったのかも知れないと思った。
もう一つ、墓参りなので手を合わせたのだが
この人の墓ほど手を合わせるのが
相応しくない墓はないのではないか、
とも思ったのだ。
池田の前では、自分の一挙一動が
ナンセンスに思えてしまうのであった。
「死」とは?
「墓」とは?
「墓参り」とは?
分かっているようで、
何一つ分かっていないことを
付き付けれらる思いであった。
[ 参考サイト --- いずれも知らない方の記事です]
池田某氏の墓詣で
池田晶子氏のお墓を訪ねて