TOP LAGUNA MOON MELLOW FLAVOR  LIVE GUITAR  LINK LYRICS



ART -4
    感想・ご意見は→ shinya◇shin223.com
    メールをくださる方は、上記アドレスの◇を@に変えて送ってください。(スパムメール対策)



2026.4.8

水のソナタ

錦糸町にあるコンサートホール、
「すみだトリフォニーホール」には
もう10回は行っただろうと思う。
エントランスを入ったロビー(最近は
ホワイエとか言いますな)に以前から
彫刻が置いてあったのは知っているが、
チラッと見るぐらいで 特に興味を持たなかった。
座ってピアノを弾いている男性の彫刻だが、
肝心のピアノが置いてないので、
パッと見ると、なんだかまだ展示が
完成していないような、そんな風にも見えた。

昨日は違った。
今までと全然違う温度で何かを訴えてきた。
一目見て、舟越桂だと分かったんだ。
近寄ると『水のソナタ』と作品名は書いてあったけど、
作者の名前はなかった。
間違いないだろうとは思ったけど、
念のためスマホで「水のソナタ」と検索すると
すぐに「舟越桂の彫刻作品」と出てきた。

今まで特に興味がなかったのに、なぜ
舟越桂だと分かったかというと、先日
世田谷美術館で舟越桂の『夏のシャワー』という
作品をずいぶんジロジロと観てきたところだたからだ。

夏のシャワー


これを見てから『水のソナタ』を観ると、
もう間違いない芸風です。

水のソナタ








『夏のシャワー』同様、この作品も独特な味。
なんか変に中毒性があるなぁ。
全く何とも思わなかった作品がこんな風に
観えてくるのは、面白いなぁ。

そしてタイトルも『夏のシャワー』同様、
これまたなんとなく意味不明。
きっと意味があるのだろうけど。

「ソナタ」は、韓国ドラマ『冬のソナタ』で
一般の人にも耳慣れた言葉になったかも知れないが、
ピアノ独奏曲などクラシック音楽の形式のひとつ。

舟越桂は、絵も何枚か(ネットで)観たけれど、
彼の彫刻をそのまま平面にしたような印象で
どこまでも個性的。
ちょっと興味が出てきた。





2026.4.15

PASTEL 画 再び

2012年にパステル画の先生と知り合い、
一度だけ習いに行った。

こちらがその時の作品。



「教会と月のある風景」と、題材が
決められていた覚えがある。
パステル画というのは、どんな風に描いていくのか、
今となっては全く覚えていなかったのだけど、今日、
14年ぶりにパステル画に取り組む機会があった。
(違う先生でね。)

今回は題材の指定はなく、何を書いてもOK。
「何でも良い」と言われるととたんに
何を書いてよいのか分からなくなる自分。
「好きな色でとにかく塗り始めましょう」と言われ、
塗り始める周りの人たち。

どうやら、私は何を描くか決めてからでないと、
描き始められないようだ。
もしかしたら、これって、
ネガティヴ・ケーパビリティの欠如?

とりあえず自分の写真をヒントにしようと、
スマホでインスタを開く。
昨年の夏、妻の故郷(山形)で撮った
田園と空、雲の写真にピンときた。
よし、この路線で行こう!

で、出来上がったのがこちら。



実は、完成間近に「これでは主題がないではないか」
と気付き、慌てて案山子を書き足した。
が、案山子は主題になり切れず、
やはり何かが物足りない、という作品になってしまった。
うーむ、悔しい。

元ネタにした写真はこちら。



これは雲に存在感があるんだよなぁ。


[ 関連エントリー ]
2012.2.27 PASTEL 画





2026.4.28

ウジェーヌ・ブーダン展
― 瞬間の美学、光の探求




新宿の損保美術館で開催中の展覧会
「ウジェーヌ・ブーダン展 ― 瞬間の美学、
光の探求」に行ってきた。
ウジェーヌ・ブーダンのことは、
名前すら知らなかったのだけど、
ポスターの絵は悪くないと思った。
「悪くない」なんて、何様だ。

ブーダンはフランス北部の出身。
日本での知名度は、モネやゴッホほどではないが、
印象派の先駆者と言われる画家で、
実際モネに影響を与えた人のようだ。

展覧会は、海景、空、素描、風景、建築、
動物、人物、版画に分けて展示されていた。
展覧会に出向く時は、新しい出会いが
一枚あれば良いと思っているが、
今回の一枚は「干潮」(1884年作)という、
空(と夕陽と海)の作品。
たぶん今回展示されているブーダンの作品では
最大だったんじゃないかな。
断然、ほかの絵より素晴らしく
訴えてくるものを感じた。
それが何かって言語化できないけど。
残念ながら、撮影禁止の写真だったが、
確かキャプションには 国が買い上げた初めての
ブーダンの絵と書いてあったと思う。

干潮(購入したポストカードを撮影)


これでは全く迫力が津和らないけど。

ほかの印象派の画家の作品を見ても
あまり写真的だと感じたことがないのだけど、
この人の絵はとても写真的に感じた。
例えば、モネやゴッホの絵には「時間(の流れ)」を
感じるけれど、ブーダンの絵は
一瞬を切り取ったような印象のものが多い。

それから、最後のコーナーは、
損保美術館のウリ、ゴッホの「ひまわり」。
以前にも観に来たことがあるが、
その時はここの「ひまわり」は
そんなに良いと思わなかった。
でもなぜか、今日は少し印象が違った。
なぜ、ゴッホは花びらが落ちた、
枯れたひまわりを描いたのだろう? と
絵を前に考えてみた。
そんなことはきっと専門家の中で
色々研究されているだろうから、
調べれば分かるだろうけど、それを知る前に
絵から感じ自分で考えてみたいと思った。

しばらく眺めていて気づいた。
「ひまわりを描くなら花びらの付いた満開の
ひまわりだろう」という私の前提が間違いだと。
そんなのはバイアスに過ぎない。

ここからは想像だけど。
ゴッホが見たひまわりは、幾つかの花が
既に枯れていた。
もしかしたら、描いている間に
枯れてしまったのかも知れない。
ゴッホにとっては、つぼみであっても満開であっても
枯れていたとしても、全てが「ひまわり」なんだ。
別に生命の儚さを表現しようとしたのでもないし、
侘び寂びを描きたかった訳でもないのではないか。
そんな風に思ったのでした。



事実は知らんけどな。





2026.5.19

トワイライト、新版画
― 小林清親 から 川瀬巴水 まで




小林清親(きよちか)と川瀬巴水の展覧会かと
思って行ったら、明治から大正・昭和にかけての
多くの版画家の展覧会だった。

私は川瀬巴水と吉田博ぐらいしか知らなかったが、
たくさんの版画家の作品が展示されていた。
作品は 米国ワシントン D.C. にあるスミソニアン
国立アジア美術館から借用された浮世絵・
新版画・写真約130点。
「里帰り」という表現も使われていたが
確かに日本で生まれた作品ばかりだ。

何人もの版画家の作品を見てよく分かったのは、
私の好みは川瀬巴水だということ。
圧倒的に好きだな。(あと吉田博も)

展示は第1章から第9章に分けられており、
明治初期の小林清親から順に展示されていた。
時代的に川瀬は、新しい人なので、
最後のコーナーで展示されていたのだが、
川瀬の作品の部屋に入って、何というか、
安心したような心持ちになった。
色彩もタッチも断然、川瀬が好きだ。

小林清親は、まだ江戸時代の浮世絵の
延長というイメージで、個人的には
あまり良いとは思えなかった。
版画の新しい時代を開いたひとりで、
歴史的には価値があるのだろうけど。

それ以外に今回初めて知った中で
良かったのは、イギリス人画家の
チャールズ・ウィリアム・バートレット、
高橋松亭(しょうてい)、伊東深水あたりは好みでした。

伊東深水は、川瀬巴水の同門で
伊東の『近江八景』を観た川瀬が
自分も版画をやりたいと言い出したらしい。
つまり川瀬が版画を始めるきっかけになった人だ。
その『近江八景』8枚も展示されており、
中でも『粟津(あわづ)』は何とも良い感じだった。
(「巴水」「深水」とどちらも名前に「水」が付くのは
師匠の鏑木清方(かぶらき きよかた)から
与えられた画号だから。)

昨年、熱海の MOA美術館で観た
「光る海 吉田博展」では6つの「帆船」が
展示されていたが、今回は4品だった。
それでもこの作品群は特別なオーラを
発しているように感じた。

版画以外には、「鶏卵紙に手彩色」と書かれた
作品も何枚も展示されていた。
これはモノクロ写真に手書きで色を付けて
カラー写真のようにしたもので、
明治時代に流行ったらしい。


@ 三菱一号館美術館(東京・丸の内)





2026.6.7

リボルバー
原田マハ 著




原田マハさんの小説『リボルバー』。
先日、新宿の損保美術館で
ゴッホの「ひまわり」を観た。
その時のエントリー
「なぜ、ゴッホは花びらが落ちた、
枯れたひまわりを描いたのだろう? と
絵を前に考えてみた」と書いた。

ゴッホ関連では、マハさんの
『たゆたえども沈まず』は凄く良かったし。
『リボルバー』の表紙が「ひまわり」なので
もしかしたら、何かヒントがあるかも、と
読んでみた。

結果は、残念ながら、私が欲しかった
「ひまわり」に関するヒントになるような
ことは書かれていなかった。

そして、小説としての感想だが。
『たゆたえども沈まず』が素晴らしかっただけに
『リボルバー』は、ちょっと残念だった。
ミステリー仕立てなのは良いが、
ちょっと無理がある。

以下、ネタバレ注意です。

パリのオークション会社に勤務する
冴(さえ)のところに「ゴッホの自殺に
使われたものだ」という錆びついたリボルバー
(拳銃)が持ち込まれる。
持ち込んだ女性サラは、どういう経路で
それを手に入れたのかなど、ほとんど何も語らない。
冴は、その真贋を確かめるべく調査を始めるが、
そこで一番疑問だったのは、一番先にサラに
訊くべきでしょう、ということ。
本当にオークションに出したいのであれば、
その物にどんなストーリーがあるのかを
明かさなければ、売れるはずがないだろうに。

リボルバーは、ゴーギャンがゴッホの弟テオから
「弾は入っていない」と預かったものだったけど、
実は弾が一発だけ入っていて、事故で
ゴッホにその弾が当たってしまうというオチ。

この小説、最大の弱点。
ゴーギャンは弾が入っていないと思っていた。
ない、ない。
絶対にない。
ゴーギャンはその拳銃を相当な期間持っていた。
その間、一度も弾倉を見なかったなんて、
拳銃を持った人ならあり得ない。
例えテオが「弾は入っていない」と言ったとしても、
普通は確かめるでしょう。
確かめないなんて、あまりにも不用心で、
現実味がなさすぎる。

それに、ゴーギャンはアルルでゴッホと別れたあと、
二度どゴッホには会っていない、というのが通説。
オーヴェル・シュル・オワーズまで、ゴッホに
会いに行っていたという設定も(可能性が
ゼロではないにしろ)ちょっと無理があると思った。

そんなわけで、小説としては、
ちょっとなぁ、という感じなのでした。
マハさんの小説は、何冊か読んで好きなのだけど。

ただね、2019年にパリに行き、オルセー美術館にも
行ったし、何よりオーヴェル・シュル・オワーズに行って、
ゴッホが最後に過ごしたという部屋も、
オーヴェルの教会も、ゴッホの墓も、あたりの麦畑も、
オワーズ川の河原にも行ったので、それらが
舞台になったシーンでは、とてもリアルに
感じ取ることができたのは良かったよ。


★★★☆☆


来月は、2年ぶりに長野の東山魁夷館に
行く予定なので、続けてマハさんの
『生きるぼくら』(表紙が東山魁夷の「緑響く」)を
読みます。
これまた、東山魁夷がどれほど出てくるのか
知らんけど。





2026.7.10

妄想美術館
原田マハ X ヤマザキマリ




原田マハさんの著書は数冊読んだけれど、
ヤマザキマリさん漫画は読んだことがない。
大人になってからは、漫画は数えるほどしか
読んでいないんだ。
でも、映画になった『テルマエロマエ』は、
2本とも劇場で観たよ。
ヤマザキマリさんは、山下達郎のアルバム
『SOFTLY』のジャケットになった達郎氏の
肖像画を描いていたり、立川志の輔師匠の
落語会に行くとマリさんの描いた師匠の
肖像画が展示されてたりと、
漫画は読んでいないのに
不思議と馴染みがある。

原田マハ と ヤマザキマリ。
アート、そして小説と漫画という違いはあれど
アートをネタに創作するという共通点を持つ、
このおふたりの対談。
この本を読む前に、デジタルで読んだ対談が
とても面白かったので、この本も読んでみたくなった。

好きな美術館、好きな作家、好きな作品、
お勧めの美術館など、ふたりのファンでなくても
アート好きなら知っておきたい情報満載。
ふたりが館長をするなら、という妄想美術館も
面白いし、『テルマエロマエ』誕生秘話も興味深い。
知らない作家を知れるのも良いね。

ちょっとマリさんの方が、マニアックな印象。
おふたりとも専門的な教育を受けていらっしゃるから、
奥が深いです。
そんなに文字数が多い本ではないけれど
この一冊だけでも私の受け皿は溢れてしまいました。


★★★▲☆





2026.7.19

ピカソ meets ポール・スミス
遊び心の冒険へ
Picasso, through the Eyes of Paul Smith



国立新美術館で開催中の展覧会
「ピカソ meets ポール・スミス」に行ってきた。
国立ピカソ美術館(パリ)が所蔵する、
パブロ・ピカソの作品を英国人デザイナー、
ポール・スミスが考案した会場のレイアウトに
展示するという企画。
2023年にパリで開催された、
ピカソ没後50周年記念の特別展
「ピカソ・セレブレーション:コレクションに
新たな光を!」を基にした国際巡回展。

通常、展覧会で作品が展示される壁は、
白っぽい無地の壁であることが多いが、
この展覧会は違った。
15のコーナーに分けられていたが、
原色で塗りつぶされた壁だったり、
派手な模様だったり、ポスターが
張り巡らされていたりと、ピカソの作品だけ
ではなく、そのディスプレイ自体も楽しめる
ように作られていた。







ピカソの作品は、作風の幅が広くて
中には何が良いのか分からないものもあるが、
今回は「ヘタウマ」的な作品に惹かれた。
特にこれ。



『草上の昼食:片腕に寄りかかり座る男』
これ、厚紙を切って鉛筆でちょこちょこっと
書いただけのものなのだけど、何とも言えない
味がシミ出ている。
もとネタはマネの『草上の昼食』という、
オルセー美術館所蔵の絵画。



この絵のピカソによるカバー作品(?)も
あったのだけど、ピカソは手前の男性を裸にして、
厚紙に書いて切り取ってしまったんだな。
作られたのが、1962年8月28日とあり、
私が生まれて間もないこともなんだか嬉しい。
ポストカードを買ったよ。



こちらは『牡牛の頭部』。



実はこれ、自転車のサドルとハンドルを
組み合わせただけで、溶接した以外
何も手を加えていない。
「アッサンブラージュ」と呼ばれる寄せ集め
(組合せ)の作品。
こういうの思いつくのは天才だなぁと思う。

ポール・スミスは、この作品の左右両サイドに
自転車のサドルとハンドルを並べてディスプレイ。



『女あるいは水夫の胸像』



これは『アヴィニョンの娘たち』のための習作。
『アヴィニョンの娘たち』というのは、
「キュビスム」の起点とされる作品らしいが、
そこにたどり着くために、たくさんの試行錯誤が
あったんだな。





2026.7.30

信州 美術館めぐり

先週、2泊3日で信州に行ってきた。
目的は、一昨年にも行った奥蓼科にある
御射鹿池(みしゃかいけ)に行くことと、
諏訪湖湖畔にあるハーモ美術館、
戦没画学生の作品を展示する
無言館という美術館、それから
長野県立美術館の東山魁夷館に
行くことだった。
この旅行は、妻の仕事仲間のアート・サークル
という美術館巡りのサークルの企画。
東京、名古屋、兵庫、長野から
1日目は8名、2日目には12名が集まった。
(3日目は私たち夫婦だけ。)

一昨年、御射鹿池に訪れた日は雨で、
池がほとんど見えないぐらいに霧がかかっていた。
それで、次の日にも観に行った。
今年も予定の3日間は数日前まで、雨の
天気予報だったが、3日目に少し雨が降った
だけで、1日目2日目は幸いにも晴れた。
御射鹿池は素晴らしい景色を見せてくれた。





御射鹿池のあとは、ハーモ美術館。
ここには、妻が好きなアンリ・ルソーの絵が
数枚展示されている。
この美術館所蔵のものでは、私は
ポール・アイズピリの《大運河》や
アンリ・オトランンの《丘の上の集落》が好き。


《大運河》ポール・アイズピリ


《丘の上の集落》アンリ・オトランン


このあと、長野県上田市にある無言館に
行ったのだが、予定より大分遅れてしまい、
無言館に到着した時には、閉館時間
(16:30)を過ぎていて、観ることができなかった。

翌日は、長野県立美術館に併設されている
「東山魁夷館」へ。
ここには千点近くの東山の作品が収蔵されており
2〜3カ月ごとに展示替えをしている。
一昨年に訪れたときは、御射鹿池をモチーフに
描かれた《緑響く》は展示されていなかったのだが、
今年はついに実物を観ることが出来た。
やっぱり、実物は良い。



一昨年は、ドイツやオーストリアの街を描いた
作品も良かったのだが、今年はそれらは、
観ることが出来なかった。
ここには、何度も行く必要があるな。

3日目は、何も予定していなかったのだけど、
1日目に叶わなかった無言館へ行くことにした。
その前に再び諏訪湖へ。
湖畔にある原田泰治美術館へ行ってみた。

原田泰治(1940ー2022年)は、長野県諏訪市
生まれの画家・グラフィックデザイナー。

アンリ・ルソーのように正規の美術教育を受けず、
独学で描く画家たちをナイーヴ・アート(素朴派)と
いうらしい。
原田は武蔵野美術大学洋画科に入学し、
油彩画を学んだが、翌年、武蔵野美術短期大学
商業デザイン科に再入学し、商業デザインを学んだ。
諏訪市で デザインスタジオを開いたあと、
旧ユーゴスラビアの素朴画家イワン・ラブジンのことを
知り、自らも素朴画家を志した。
1989年には米国で、2000年にはブラジル、
サンパウロ、リオデジャネイロで展覧会を開いたような
国際的な画家だ。

開催中の展示は、第1展示室で
企画展[原田泰治と見る 日本の手仕事と暮らし]。
第2展示室では、
企画展[原田泰治の軌跡 素朴派との出会い]。

日本の風景を描いたその絵は、
とても素朴で、郷愁を誘う。
とても良い。
風景の中にいる人々には、顔がない。
眼鏡をかけている人がいる時は、眼鏡だけは
描いてあるのだが、目も鼻も口もない。
のっぺらぼうなのだけど、不思議と「その人」が
そこに存在している。

以下、原田泰治美術館のウエブサイトから
一部抜粋。

「自身の絵は作品として認められることは無いと
思っていた原田氏は、新聞のコラムで見かけた
旧ユーゴスラビアの素朴画家イワン・ラブジン氏の
「心の生計を立てるために描く」という生き方と
作品に感銘を受けます。
記事を何度も読み返し、「デザインの仕事をしながら、
自分らしい絵の世界を追求していこう」と決意し、
それを生涯貫き通しました。」

「心の生計を立てるために描く」
経済のためではない。
「心の生計」なのだ。


原田泰治の愛車 TOYOTA 800

信州 美術館めぐり、4館目は前々日、
間に合わず入れなかった無言館。

4月に読んだ本『ネガティブ・ケイパビリティ
答えの出ない事態に耐える力』
(帚木蓬生〈ははきぎほうせい〉著)に
無言館のことが書かれていて、これは
行きたいと思ったら、ちょうど7月に長野に
行く予定があったのだ。
長野の人に訊いたら、長野では無言館は
知られているようだが、私はその本で初めて知った。

戦没画学生の作品を展示するここは、
美術館のようでもあり、
戦没者の追悼施設のようでもある。


入口

戦没画学生と書いたが、正確には
学校を卒業してから招集されている
人も少なくないようだった。
戦地に出向いても絵を書いている人もいて
生きて、もっと絵を描きたかったのだろうと感じた。
戦死しなければ、中にはその後、画家として
成功した人もいただろうと思う。
全ての絵に、作者の名前、いつ美術学校を
卒業したか、いつ戦死したかなどが記されていた。
中には戦死した年月日の分からない人、
行方不明のままの人もいた。
家族にあてた手紙なども展示されており、
その名の通り、鑑賞者は無口なってしまう。



無言館は、1997年に開館したが、
収蔵作品数が増えたので、
2008年に 第二展示館がオープンした。

その第二展示館「傷ついた画布のドーム
オリーヴの読書館」の前に大きなコンクリートの
板に絵筆が埋め込まれたモニュメント
(絵筆の椅子〈ベンチ〉)があった。
そのモニュメントに、赤いペンキを
投げつけたような跡があった。
とても、美的ではなかったので、わざと
「血」を表して、こんな風にしているのかと思った。

後から、調べて知ったことだが、
2005年6月18日、「無言館」の慰霊碑に
ペンキがかけられた事件があった。
その慰霊碑は「記憶のパレット」という名で
戦没画学生の名前が刻まれている。
ネットで検索すると、その赤いペンキを
かけられた慰霊碑の写真も出てくるが、
こんな酷いことをする人がいるのかと悲しくなる。
しかもそのペンキは、塗料と薬剤を混ぜて
粘着性を高め、ペンキが落ちにくいように
作られていたという。
犯人は捕まっていないらしい。

件のモニュメントの投げつけられたような
赤いペンキは、その事件を復元したものだという。

私は注意していなかったので、そのモニュメントの
裏側まで良く見なかったのだが、
裏面には こう書かれてるらしい。

「椅子の背を飾る90本の絵筆は、
現在画壇で活躍中の画家、美術学校で
勉強している画学生さんの絵筆です。
壁面を汚している赤いペンキは、2005年
6月18日、実際に「無言館」の慰霊碑に
ペンキがかけられた事件を「復元」しました。
「無言館」が多様な意見、見方のなかにある
美術館であることを忘れないためです。」

多様な意見、見方のなかにあるのは
その通りだと思うし、
どんな意見を持っていても構わないが、
慰霊碑にペンキをかけるのは、
人としてはアウトやろ。

もうひとつ。
こうも書かれている。

「画家は愛するものしか描けない
相手と戦い 相手を憎んでいたら
画家は絵を描けない
一枚の絵を守ることは
「愛」と「平和」を守るということ」


[ 関連サイト ]
ハーモ美術館
東山魁夷館
原田泰治美術館
無言館





2026.8.3

美しき愚かものたちのタブロー
原田マハ (著)




川崎造船所(現・川崎重工業)の
社長であった松方幸次郎という人は、
まだ日本に西洋美術館がなかった時代
(1920年前後)に、本格的な美術館を
創設しようと、ヨーロッパで膨大な数
(1万点に及ぶと言われている)の
美術品を集めた人で、その作品群は
「松方コレクション」と呼ばれている。

現実には、松方が創ろうとした美術館
(場所や「共楽美術館」という名前まで
決まっていた)は、川崎造船所の破綻や
第二次世界大戦によって実現しなかった。
が、その膨大なコレクションが、
フランスに残されたままであった。

松方は、なぜ美術品のコレクションを始め、
美術館を創ろうとしたのか。
そして、戦争でフランスに接収された
「松方コレクション」を日本が取り戻すまで、
どんなドラマがあったのか。
本作は史実に基づいた小説で、
実在した人物が多く登場する。

原田マハさんによると、タイトルの
「美しい愚かもの」とは、ゴッホ、モネ、
マティスといった当時のフランスのアカデミーでは
斬新すぎて評価されなかった画家たち、
そして、美術館を作ること、コレクションを守ることに
命を懸けた登場人物たちのことで、その美しいまでの
彼らの愚直さに、敬意を込めて付けたとのこと。
「タブロー」というのはフランス語で「絵画」のこと。

現在の日本には、当たり前のように美術館が
あるけれど、この小説を読めば、日本に美術館が
できるまでには、多くの人の苦労と大変なドラマが
あったんだと知ることができる。

1959年にフランスから寄贈(取り返しただけなのに
フランス政府は「返還」とは言わない)された
松方コレクションの受け入れ先として、
上野にある国立西洋美術館が、設立された。

2019年6月、国立西洋美術館は、
開館60周年を迎え「松方コレクション展」を開催した。
(本作は、それに合わせ 同年5月に出版された。)
その頃の私は、松方幸次郎のことも
この小説のことも知らなったので、
展覧会には行っていない。
この小説を読んでいたら、絶対に行っただろうなぁ。


★★★★▲


実写化するのは大変だろうけど、
映画にしても良いと思う。
松方幸次郎は、役所広司、
吉田茂は、小日向文世、
田代雄一は、妻夫木聡、
年老いた日置ス三郎は、遠藤憲一で
どうだろう。

ところで、2022年に先にこの小説を読んだ妻が
松方幸次郎の話をし出した。
写真はその頃に見つけて買った2019年の
国立西洋美術館「松方コレクション展」の図録。



中古品だがとても状態の良いものを入手できた。
分厚いです。







 ひとりごと